パース――概念の意味はその実際的な効果にある(プラグマティズム・格率) — Epoché
現代 プラグマティズム 約 18 分 本文 約 7,300 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 信念・意味・実在の 3 つ 信念 考えることは、疑いのいらだちに始まり、信念に達すると休む。信念の本質はふるまいの決まり(習慣)を据えることで、ふるまいが同じなら、言い表し方が違っても同じ信念である(第 II 節)。 意味 ある対象について、実際のふるまいに関わりうるどんな効果を思い描くかを考えよ。その効果の思い描きが、対象についての考えのすべてである(第 II 節の格率)。「硬い」とは、ほかの多くの物で引っかいても傷がつかない、ということに尽きる(第 III 節)。 実在 探究するすべての人が最後に同意するよう定められた意見が真理であり、その意見が表す対象が実在である。実在は、あなたや私や有限の数の人がどう思うかには左右されない(第 IV 節)。 はじめに チャールズ・サンダース・パース(1839〜1914)は、アメリカの論理学者・哲学者です。12〜13 歳のころ論理学の教科書に夢中になり、19 歳ごろには、生涯を論理学の研究に捧げると決めました [1] 。 けれども、論理学で暮らしを立てることはできず、1859 年から 1891 年の末まで 32 年間、合衆国沿岸測地測量部で振り子による重力の精密な測定を続けました。大学に職を得たのは、1879〜1884 年のジョンズ・ホプキンズ大学だけです。SEP は、この長い測定の仕事がパースの哲学にとって決定的だったと見ます [1] 。 この課で読むのは、1878 年の論文「われわれの観念を明晰にする方法」です [2] 。デカルトの課で読んだ「明晰判明」に、パースは正面から異を唱え、考えの意味は、それを信じたときの行いと経験の違いで測れる、と言います。のちにプラグマティズムと呼ばれる考え方の出発点です [1] 。 この課の問い 「硬い」「重い」「実在する」。私たちは毎日こうした言葉を迷わず使い、意味は分かっていると思っています。でも、本当に分かっているとはどういうことでしょうか。定義を言えれば十分なのでしょうか。ある考えを信じたとき、私たちの行いと経験に出る違いを数え上げれば、考えの意味は尽きるのでしょうか。 この課のことば プラグマティズム 考えや言葉の意味を、それがもたらす実際の効果(行いや経験の違い)から明らかにする考え方です。後にパースは、ほかの人の使い方と区別するため、自説を「プラグマティシズム」と呼び直しました [1] 。 格率(かくりつ) ふるまいや考え方の決まりとして心に留める短い文です。ここでは、観念を明晰にするための決まり(プラグマティズムの格率)を指します。 明晰さの三つの段階 観念がはっきりしている度合いです。①なじみ、②抽象的な定義、③観念が生む実際の効果。①②は古い論理学の「明晰」と「判明」で、③がパースの新しい段階です。 疑いと信念 疑いは、どうふるまえばよいか決まらず落ち着かない状態です。どの硬貨で運賃を払うかのような小さな迷いも含みます。信念は、その疑いが鎮まり、考えが一息つく所です。 習慣 どういう時に、どうふるまうかの決まりです。パースは、信念の本質は習慣を据えることにあり、ふるまいが同じになる二つの信念は同じ信念だ、と言います。 可謬主義 人の探究の成果は、どの時点でもまちがっている可能性があり、仮のものだとする考えです。それでも探究を続ければ答えに近づける、とパースは考えました [1] 。 プラグマティズムの格率――考えの意味は、それが生む違いで測れるか デカルトは、明晰判明にとらえたものは真だという規則を立てました。パースは 1878 年の論文で、なじみと定義という二つの段階だけでは観念は明晰にならないと言い、もう一段高い明晰さを求めます [2] 。それは、観念が私たちの行いと経験にもたらす効果をたどることです。この章では、疑いと信念と習慣、第三の明晰さとしての格率、格率を実在に当てはめた答え、を順に読みます。 疑いから信念へ――考えることは、ふるまいの習慣をつくるためにある パースの最もよく知られた仕事は、1877 年 11 月から 1878 年 8 月まで『ポピュラー・サイエンス・マンスリー』に載った連載「科学の論理の例解」の、最初の 2 篇です [1] 。第 1 篇「信念の確定」でパースは、疑いを抜け出して信念を固める方法を比べ、科学の方法がすぐれていると論じました [1] [3] 。第 2 篇の本論文は、その結論から出発します [2] 。 まず、パースの言う「疑い」と「信念」を押さえましょう。乗合馬車で運賃を払おうと財布を開くと、5 セントの白銅貨一枚と 1 セントの銅貨五枚が入っているとします。手が財布に届くまでの短い間に、どちらで払うかを決めます。パースは、こうした小さな迷いも疑いと呼び、その決着を信念と呼びます(第 II 節) [2] 。いつも白銅貨で払うと決めている人なら、迷いはそもそも起きません。前から据わった習慣が、ふるまいを決めているからです。 ① 疑い どうふるまうか決まらず、いらだつ ② 考える 疑いを鎮めようとして、考えが動く ③ 信念 考えが一息つく(半終止)。 気づき・鎮め・習慣を据える ④ 行い 据えた習慣にしたがってふるまう ⑤ また疑い 新しい場面で、信念が新しい出発点に なる 図 1 考えることの働きは信念(習慣)をつくることだ、というパースの考えを流れにしたものです(第 II 節)。半終止のたとえは本人の言葉で、輪の形にした描き方は本教材のものです。点線の段から、また最初の疑いへ戻ります。 考える働きは、疑いのいらだちに引き起こされ、信念に達すると止みます。だから信念をつくることが、考えることのただ一つの働きだとパースは言います(第 II 節) [2] (図 1) 。信念には三つの性質があります。私たちがそれに気づいていること、疑いのいらだちを鎮めること、そしてふるまいの決まり、つまり習慣を自分の中に据えることです [2] 。 パースは信念を、音楽の半終止にたとえます。考えはそこで一息つきます。けれども信念はふるまいの決まりなので、それを当てはめる場面で、また新しい疑いと考えが生まれます。信念は止まり場であり、同時に出発点でもあるのです [2] 。 ここから大事な帰結が出ます。信念の本質が習慣を据えることにあるなら、信念どうしは、それが生むふるまいの違いで区別されます。同じふるまいを生み、同じ疑いを鎮める二つの信念は、言い表し方が違っても同じ信念です。同じ曲を違う調で弾いても、別の曲にはならないのと同じです(第 II 節) [2] 。言い方だけの違いに架空の区別を立てて争うことを、パースは形而上学に多い落とし穴だと見ます。 ここで間違えやすい パースの「疑い」を、デカルトのように、確かなものを得るためにすべてをわざと疑う方法と同じものと取らないようにしましょう。パースの疑いは、どうふるまうか決まらないという、実際に生じる落ち着かなさです。また「考えの働きは信念をつくること」を、信じたいことを信じればよい、と取るのも誤りです。どの方法で信念を固めるべきかは前の論文で比べられ、科学の方法が選ばれています [1] 。 第三の明晰さ――「硬い」とは、引っかいても傷がつかないということ 論文の第 I 節で、パースは論理学の本を批判します。本は、なじんでいること(明晰)と、抽象的な定義を言えること(判明)を、明晰さの完成としてきました [2] 。パースによれば、デカルトは明晰に見えることと本当に明晰であることを区別せず、ライプニッツが求めた抽象的な定義は、分析しても新しいことを何も教えません [2] 。それでも、なじみを第一歩、定義を第二歩とする教えは正しい、とパースは認めます (表 1) 。 この表で分かること: なじみと定義は、明晰さの第一歩と第二歩として残ります。パースが足すのは、観念が生む効果をたどる第三の段階で、ここで初めて「硬い」や「実在」が何を意味するかが言えます。 明晰さの段階 すること 「実在」なら 足りない所 第一:なじみ 迷わず使い、見分ける 子どもでも迷わず使う 分かった気がするだけ 第二:定義 抽象的な定義を言う 誰がどう考えるかに左右されない物 新しいことは学べない 第三:効果 ありうる効果を思い描く 探究が行き着く意見の対象 (パースの到達点) 表 1 明晰さの三つの段階(第 I・II・IV 節)。「足りない所」の言葉は本教材の要約です [2] 。 では、第三の段階とは何でしょうか。考えの働きは習慣をつくることでした。だから、ある考えの意味を明らかにするには、それがどんな習慣を生むかを決めればよいのです(第 II 節) [2] 。こうしてパースは決まりを立てます。中身は、対象が実際のふるまいに関わりうるどんな効果を持つと思い描くかを考えることです。その効果の思い描きが対象についての考えのすべてだ、とパースは言います(第 II 節の終わり) [2] 。これがプラグマティズムの格率です。 パースはすぐに身近な例で試します。物を「硬い」と言うのは、ほかの多くの物で引っかいても傷がつかない、ということです。試されないかぎり、硬い物と軟らかい物にまったく違いは無い、とパースは言い切ります(第 III 節) [2] (図 2) 。 試す前 どちらが硬い? 見ただけでは違いは無い A B 色も形もそっくりな二つの石 試した後 鉄のやすり A 傷がつかない =硬い B 傷がつく =軟らかい 綿の中で燃えた ダイヤは硬かったか? 図 2 「硬い」の意味を絵にしたものです。一つ目の絵では、見た目のそっくりな二つの石 A・B は、見ただけでは区別できません。二つ目の絵で鉄のやすりで引っかいてみると、A には跡がつかず、B には傷がつきます。硬さの違いは、この効果として初めて現れます(第 III 節)。二つ目の絵の下には、綿の中で一度もこすられず燃えたダイヤモンドの問いを添えました。硬さの意味とダイヤモンドは本人の例で、二つの石・やすり・札は本教材の作例です。 格率の文に「ありうる」「思い描く」とあることに注意しましょう。起こりうる場面での効果も数に入ります [1] 。では、柔らかい綿の中で結晶し、一度もこすられずに燃え尽きたダイヤモンドは、硬かったのでしょうか。1878 年のパースは、「軟らかかった」と言っても事実の誤りは無く、言葉の今の使い方が変わり、事実の並べ方がひどく不便になるだけだ、と答えます(第 III 節) [2] 。後年のパースはこの答えを見直した、とする研究者もいます。 ここで間違えやすい プラグマティズムを、「実用主義」という訳語から、役に立つ考えが正しいという損得の考えだと取らないようにしましょう。格率は、まず意味をはっきりさせる決まりです。また、観察で確かめられないものはすべて無意味とする素朴な検証主義とも違います。パースは抽象的なもの(普遍)の実在を信じ、中世の実在論者に近い面を持っていました [1] 。 実在とは何か――探究を続ければ、誰もが行き着く一つの意見 格率の力が最もよく見えるのは、第 IV 節で「実在」の観念に当てはめる所です。「実在」は、子どもでも迷わず使うほどなじんだ言葉です(第一の段階) [2] 。抽象的な定義(第二の段階)は、作り話との違いから得られます。作り話は誰かの想像の産物で、その人の考えが与えた性質しか持ちません。そこでパースは、実在を、その性質が、誰かがそれをどう考えるかに左右されないもの、と定義します(第 IV 節) [2] 。 けれども、この定義で実在の観念が明晰になったわけではありません。格率によれば、実在も、それに与る物が生む感覚上の効果にあります。実在する物の効果は、信念を生むことです [2] 。すると問いは、真の信念と作り話の信念を何で区別するか、になります。 パースの答えは、科学の探究の歩みから来ます。ある人は金星の太陽面通過と星の光行差から、ある人は火星の衝と木星の衛星の食から、ほかの人はフィゾーやフーコーの方法から、光の速さを測ります [2] (図 3) 。はじめの結果はばらばらでも、それぞれが方法を磨くにつれ、結果は定められた中心へ向かって着実に寄っていきます。探究は、人が望む所ではなく、前もって定められた行き先へ人を運ぶのです(第 IV 節) [2] 。 探究を続ければ同じ答えへ運ばれる 金星の太陽面通過 木星の衛星の食 フィゾーの方法 フーコーの方法 一つの意見 =真理 その対象=実在 はじめはばらばら 方法を磨くと寄る 点線=まだ途中(仮) 図 3 別々の方法で光の速さを測る人々の結果が、方法を磨くにつれて一つの値へ寄っていく様子です(第 IV 節)。行き着く一つの意見が真理で、それが表す対象が実在だ、とパースは言います。的の手前の点線は、いまの結果がどれもまだ途中で仮のものであることを示します。別々の方法で光の速さを測る例は本人の例で(本文では九つ以上の方法を挙げます)、四人に絞った人物と装置の姿は本教材の描き方です。 探究するすべての人が最後に同意するよう定められた意見が、私たちの言う真理であり、その意見が表す対象が実在だ、とパースは言います(第 IV 節) [2] 。「定められた」は迷信の運命のことではなく、必ずそうなる、という意味だと注で断っています [2] 。この説は実在を最後の意見に依存させるので、先の定義に反するようにも見えます。パースは、実在が左右されないのは考え一般ではなく、あなたや私や有限の数の人の考えだ、と答えます [2] 。SEP は、探究がどの時点でも途中で、いまの結論は仮のものだという可謬主義を、この考えに結びつけます [1] 。それでもパースは悲観せず、「探究の道をふさぐな」を理性の第一の原則としました [1] 。 ここで間違えやすい 「すべての人が最後に同意する意見が真理」を、多数決や、いまの専門家の合意が真理だ、と取らないようにしましょう。パースが言うのは、探究を十分に長く続けたときに行き着くはずの意見です。いまの意見はどれも、あなたや私や有限の数の人の考えにすぎず、まちがっている可能性があります。この真理観を素朴な実在論と見るか観念論と見るかは、SEP が論じるように一筋縄ではありません [1] 。 原典を読む 第 1 章の二