12.1 Ἰλιάς Α 1–9 — ヨーロッパ文学の最初の一語 — Epoché
この 篇 へん でできるようになること 多調 たちょう で 組ま くま れた 古典 こてん の 詩 し を、 九 きゅう 行 ぎょう だけ 最後 さいご まで 目 め で 追える おえる 。 語尾 ごび が格 がかく を 示す しめす ことで 語順 ごじゅん が 自由 じゆう になる、という 仕組み しくみ を 実例 じつれい で 見る みる 。 現代 げんだい ギリシア 語 ご に 生き いき ている 語 ご が、 二千 にせん 七百 ななひゃく 年 ねん 前 まえ の 詩 し に 出 で ていることを 確かめる たしかめる 。 前提 ぜんてい : 10.10( 古 こ 編 へん のまとめ)。ここから 典 てん 編 へん に 入り はいり ます。 この 文章 ぶんしょう について 典 てん 編 へん の 最初 さいしょ の 篇 へん です。 ここから、 古代 こだい ギリシアの 作品 さくひん を 原文 げんぶん で 読み よみ ます。 読 どく 編 へん とは 違っ ちがっ て、 直す なおす 前 まえ の 姿 すがた —— 多調 たちょう のまま——で 置い おい てあります。10.1 で 気息記号 きそくきごう とアクセント 三 さん 種 しゅ の 読み よみ 方 かた を 学ん まなん だので、もう 読め よめ ます。 選ん えらん だのは『イリアス』の 冒頭 ぼうとう 九 きゅう 行 ぎょう です。 ヨーロッパ 文学 ぶんがく の 最初 さいしょ の 九 きゅう 行 ぎょう と 言っ いっ てよいものです。 紀元 きげん 前 ぜん 八 はち 世紀 せいき ごろに 今 いま の 形 かたち になったと 考え かんがえ られていて、それより 前 まえ は 口 くち で 伝え つたえ られていました。 この 篇 へん でいちばん 見 み てほしいのは 最初 さいしょ の 一 いち 語 ご です。それだけで、この 詩 し がどういう 詩 し なのかが 分かり わかり ます。 もう 一 ひと つ、 言葉 ことば そのものの 話 はなし をしておきます。 ホメロスの 言葉 ことば は、 誰 だれ も 話し はなし たことのない 言葉 ことば です。 イオニアの 方言 ほうげん を 土台 どだい にしながら、そこに 古い ふるい 形 かたち と、アイオリスの 方言 ほうげん の 形 かたち が 混ぜ まぜ てあります。なぜそんなことになったのか。 六 ろく 歩 ほ 格 かく という 詩 し の 枠 わく に、 語 ご を 収める おさめる ためです。 同じ おなじ 意味 いみ の 語 ご に 長い ながい 形 かたち と 短い みじかい 形 かたち があれば、 行 ぎょう の 長 なが さに 合う あう ほうを 選べる えらべる 。 口 くち で 伝え つたえ られていた 時代 じだい に、 歌い手 うたいて が 使い つかい やすいように 育っ そだっ ていった 言葉 ことば なのです。 だから、この 九 きゅう 行 ぎょう を 読ん よん で 現代 げんだい ギリシア 語 ご と 違う ちがう と 感じ かんじ たとき、その 差 さ の 半分 はんぶん は「 二千 にせん 七百 ななひゃく 年 ねん の 隔たり へだたり 」ですが、 もう 半分 はんぶん は「 詩 し のための 人工 じんこう の 言葉 ことば だから」 です。12.4 のイソップや 12.8 のプラトンを 読む よむ と、 散文 さんぶん のほうがずっと 現代 げんだい 語 ご に 近い ちかい ことが 分かり わかり ます。 典 てん 編 へん の 十 じゅう 二 に 篇 へん を 順 じゅん に 読む よむ と、ギリシア 語 ご の 幅 はば そのものが 見え みえ てきます。 文法 ぶんぽう メモ 古典 こてん ギリシア 語 ご の 文法 ぶんぽう は、 現代 げんだい 語 ご と 地続き じつづき です。10.3 で 与格 よかく を、10.4 で 動詞 どうし の 体系 たいけい を 見取り みとり 図 ず として 学び まなび ました。ここではその 見取り みとり 図 ず が、 実際 じっさい の 詩 し の 中 なか でどう 働い はたらい ているかを 見 み ます。この 九 きゅう 行 ぎょう には、 現代 げんだい 語 ご には 無い ない 形 かたち が 四 よん つ 出 で ます。どれも 10 編 へん で 名前 なまえ だけは 聞い きい てあるものです。 与格 よかく ( 古 こ 編 へん 3 課 か )— 犬 いぬ たちに、 鳥 とり たちに。 現代 げんだい 語 ご なら 前置 ぜんち 詞 し を 立てる たてる ところを、 語尾 ごび だけで 言う ゆう 。 本文 ほんぶん では ἑλώρια τεῦχε κύνεσσιν がその 形 かたち です。 語順 ごじゅん の 自由 じゆう ( 古 こ 編 へん 3 課 か )— 目的 もくてき 語 ご が 文 ぶん の 頭 あたま に 出 で ている。 語尾 ごび が格 がかく を 示す しめす ので、 置く おく 場所 ばしょ で 意味 いみ が 決まら きまら ない。 本文 ほんぶん では Μῆνιν ἄειδε, θεά がその 形 かたち です。 古い ふるい 属格 ぞっかく ( 古 こ 編 へん 4 課 か )— ゼウスの、という 形 かたち 。 主格 しゅかく Ζεύς とは 語幹 ごかん がまったく 違う ちがう 。 本文 ほんぶん では Διὸς δ’ ἐτελείετο βουλή がその 形 かたち です。 中動態 ちゅうどうたい の 未完了 みかんりょう ( 型 かた 編 へん 16 課 か )— 成就 じょうじゅ しつつあった。 現代 げんだい 語 ご の 中動態 ちゅうどうたい と 同じ おなじ 考え かんがえ で、 語尾 ごび だけが 古い ふるい 。 本文 ほんぶん では ἐτελείετο がその 形 かたち です。 分詞 ぶんし ( 古 こ 編 へん 4 課 か )— 怒っ おこっ たので、と 理由 りゆう を 分詞 ぶんし 一 いち 語 ご で 言う ゆう 。 現代 げんだい 語 ご では 節 ふし にする。 本文 ほんぶん では ὁ γὰρ βασιλῆϊ χολωθεὶς がその 形 かたち です。 関係 かんけい 節 せつ ( 型 かた 編 へん 19 課 か )— その 怒り いかり は〜をもたらした、と 後ろ うしろ から 説明 せつめい する。 現代 げんだい 語 ご と 同じ おなじ 働き はたらき 。 本文 ほんぶん では οὐλομένην, ἣ μυρί’ Ἀχαιοῖς ἄλγε’ ἔθηκε がその 形 かたち です。 対訳 たいやく 怒り いかり を 歌え うたえ 、 女神 めがみ よ。ペレウスの 子 こ アキレウスの 怒り いかり を。 呪わしい のろわしい その 怒り いかり は、アカイア 人 にん に 数え かぞえ きれぬ 苦しみ くるしみ をもたらし、 多く おおく の 勇士 ゆうし の 魂 たましい を、 冥王 めいおう のもとへ 投げ落とし なげおとし 、 その 者 もの たちのからだを、 犬 いぬ どもの 餌食 えじき とした、 そして 鳥 とり どものすべての 餌食 えじき とした。こうしてゼウスの 意志 いし は 成就 じょうじゅ していった、 あの 二人 ふたり が 言い争っ いいあらそっ て 別れ わかれ たときから—— 人々 ひとびと の 王 おう アトレウスの 子 こ と、 輝かしい かがやかしい アキレウスとが。 その 二人 ふたり を、いさかいへと 駆り立て かりたて た 神 かみ は 誰 だれ であったか。 レトとゼウスの 子 こ である。その 神 かみ が 王 おう に 怒っ おこっ て、 読み よみ どころ 最初 さいしょ の 一 いち 語 ご が μῆνιν です。 怒り いかり 、という 語 ご 。しかも 対格 たいかく —— 歌え うたえ という 動詞 どうし の 目的 もくてき 語 ご の 形 かたち で 置か おか れています。 この 置き おき 方 かた には 二 ふた つのことが 入っ はいっ ています。 一 ひと つ、 この 詩 し の 主題 しゅだい は 戦争 せんそう ではなく、 一人 ひとり の 男 おとこ の 怒り いかり だ ということ。トロイア 戦争 せんそう は 十 じゅう 年 ねん 続き つづき ますが、この 詩 し が 語る かたる のはそのうちの 数 すう 十 とお 日 か 、アキレウスが 怒っ おこっ て 戦線 せんせん を 離れ はなれ 、また 戻る もどる までの 話 はなし です。 二 ふた つ、 歌う うたう のは 詩人 しじん ではなく 女神 めがみ だ ということ。 詩人 しじん は「 歌え うたえ 」と 頼む たのむ 側 がわ に 立っ たっ ています。 言葉 ことば は 自分 じぶん のものではなく、 授かる さずかる もの ——この 構え かまえ が、ヨーロッパの 詩 し の 出発 しゅっぱつ 点 てん に 置か おか れています。 日本 にっぽん の『 古事 こじ 記 き 』の 序 じょ や、 祝詞 のりと の 言い いい 出し だし にも 似 に たところがあります。 そして 語順 ごじゅん です。 日本 にっぽん 語 ご なら「 怒り いかり を 歌え うたえ 」と、 目的 もくてき 語 ご が 先 さき に 来る くる のはむしろ 自然 しぜん に 聞こえ きこえ ます。 ここは 日本 にっぽん 語 ご のほうがギリシア 語 ご に 近い ちかい —— 英語 えいご やフランス 語 ご では、 動詞 どうし を 先 さき に 置く おく しかありません。 なぜ 自由 じゆう なのか。 語尾 ごび が格 がかく を 示し しめし ているからです。 μῆνιν の - ιν が「これは 目的 もくてき 語 ご だ」と 言っ いっ ている。だから 置く おく 場所 ばしょ で 意味 いみ が 決まら きまら ず、 いちばん 言い いい たい 語 ご を 先 さき に 置ける おける 。 2.1 から 積み上げ つみあげ てきた 格 かく の 話 はなし が、ここで 詩 し の 技法 ぎほう として 働い はたらい ています。 最後 さいご に、 今 いま も 生き いき ている 語 ご を 二 ふた つ 挙げ あげ ておきます。 五 ご 行 ぎょう 目 め の βουλή ——ここでは「ゼウスの 意志 いし 」ですが、 この 語 ご が 今 いま のギリシアの 国会 こっかい の 名 な です。 アテネの 中心 ちゅうしん に 建つ たつ 議事 ぎじ 堂 どう に、この 語 ご が 掲げ かかげ られています。 三 さん 行 ぎょう 目 め の ψυχάς は 語 ご 編 へん 1 課 か で 覚え おぼえ た ψυχή の 複数 ふくすう で、 綴り つづり はほとんど 変わっ かわっ ていません。 二千 にせん 七百 ななひゃく 年 ねん を、 語 ご がそのまま 渡っ わたっ てきています。 この 九 きゅう 行 ぎょう の 組み立て くみたて も 見 み ておきましょう。 一 いち 行 ぎょう 目 め で 主題 しゅだい を 言い いい 、 二 に 行 ぎょう 目 め から 五 ご 行 ぎょう 目 め でその 結果 けっか を 並べ ならべ 、 六 ろく 行 ぎょう 目 め から 七 なな 行 ぎょう 目 め で 原因 げんいん にさかのぼり、 八 はち 行 ぎょう 目 め で 問い とい を 立てる たてる 。 結果 けっか を 先 さき に、 原因 げんいん をあとに 置く おく 運び はこび です。 日本 にっぽん 語 ご の 物語 ものがたり も「〜した。それというのも〜」と 後ろ うしろ へさかのぼることがありますから、この 運び はこび 自体 じたい は 珍しく めずらしく ありません。 ただし 八 はち 行 ぎょう 目 め で 問い とい を 立て たて て、 九 きゅう 行 ぎょう 目 め で 自分 じぶん で 答える こたえる ——この 呼吸 こきゅう は、のちのギリシアの 散文 さんぶん にも 受け継が うけつが れます。12.5 のヘロドトスも、「なぜ 戦っ たたかっ たのか」という 問い とい を 立てる たてる ところから 書き かき 始め はじめ ます。 最後 さいご に、 日本 にっぽん 語 ご 話者 わしゃ として 気づい きづい ておきたいことを 一 ひと つ。 この 詩 し には 主語 しゅご がほとんど 書か かか れていません。 動詞 どうし の 語尾 ごび が 誰 だれ かを 言っ いっ ているので、 置く おく 必要 ひつよう がないからです。 型 かた 編 へん 2 課 か で「 主語 しゅご を 置く おく のは 強調 きょうちょう するときだけ」と 学び まなび ました。 その 規則 きそく が、 二千 にせん 七百 ななひゃく 年 ねん 前 まえ からそのまま 働い はたらい ています。 日本 にっぽん 語 ご も 主語 しゅご を 省く はぶく 言語 げんご ですから、ここは 読み よみ やすいはずです。 英語 えいご やフランス 語 ご に 訳す やくす と、 原文 げんぶん に 無い ない 「 彼 かれ は」「それは」を 補う おぎなう ことになります。 訳文 やくぶん が 原文 げんぶん より 長く ながく なるのは、そのためです。 もっと 深く ふかく — 時間 じかん のあるときに じっくり 取り組み とりくみ たい 人 ひと 向け むけ の、 長め ながめ の 講義 こうぎ や、 外国 がいこく 語 ご で 説明 せつめい される 解説 かいせつ です。この 課 か を 進める すすめる のに 見る みる 必要 ひつよう はありません。 長 なが さや 注記 ちゅうき を 見 み て、 興味 きょうみ のあるところだけ 選ん えらん でください。 The Iliad, Scroll 1 - 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