セネカ――哲学は日々の心の手当てである(怒り・時間) — Epoché
古代 ヘレニズムとローマの哲学 約 16 分 本文 約 6,400 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 怒り・時間・実践の 3 つ 怒り 不正を受けたと見えたとき、顔が赤くなるなどの最初の動きは思わず起こるが、まだ怒りではない。「害された、仕返しすべきだ」という判断に心が同意して初めて怒りになる。同意は自分の力の内にあるから、怒りは制することができる(『怒りについて』第 2 巻 1–3)。 時間 人生は短いのではなく、私たちが多くを失って短くしている(『人生の短さについて』1.3)。時間は奪われ、こっそり持ち去られ、流れ出る。どの失い方でも、いちばん恥ずべきは不注意による損失だ。だから自分を自分の手に取り戻せ、とセネカは友に書く(書簡 1.1)。 実践 セネカにとって哲学は、説を細かな論法で証明することより、学んだことを毎日の暮らしで繰り返し確かめる練習である。毎晩その日の行いを振り返り(『怒りについて』3.36)、友への手紙で語りかけた。ただし、富と権力のそばにいた本人の暮らしは、当時から敵対者に批判されてもいた。 はじめに セネカは、スペインのコルドゥバに生まれ、ローマで弁論術と哲学を学びました。生年は前 1 年ごろとされますが、前 4 年ごろとする説もあります [1] 。政治家として出世する一方、41 年にはコルシカ島へ追放されます。49 年ごろローマへ戻ると、少年ネロの教育係になりました [1] 。 54 年にネロが皇帝になると、セネカは側近として仕えます。退く許しを願いながら宮廷にとどまり、62 年ごろにようやく身を引きました。最後の数年に書いたのが、友ルキリウスに宛てた『倫理書簡集』と『自然研究』です。65 年、ピソの陰謀に加わった疑いをかけられ、ネロの命で自死しました [1] [4] 。 権力のすぐそばで生きた人が、なぜ心の手当てを書き続けたのでしょうか。セネカが向き合ったのは、怒りに駆られ、忙しさに追われる、ごく普通の毎日でした。この課では、怒りはどう生まれどう制するか、時間をどう自分のものにするか、哲学を毎日の練習にするとはどういうことか、を順に読みます。最後に、書簡 1 の冒頭を原文から読みます。 この課の問い 前の課のゼノンは、情念は誤った判断から生じると説きました。三百年以上後のローマで、セネカはその教えを、怒りや忙しさに振り回される毎日にどう生かそうとしたのでしょうか。怒りは抑えられないものなのでしょうか。人生は本当に短いのでしょうか。 この課のことば 情念(アフェクトゥス) 理性を越えて人を押し流す心の動きです。怒り・恐れ・悲しみなど。ストア派は、誤った判断から生じるものと考えました。前の課のゼノンの言う「パトス」にあたります。 印象 物事が心に映ったときの「こう見える」という姿です。たとえば「侮辱された」と見えること。それを本当だと認めるかどうかは、まだ決まっていません。 同意 心に映った印象を「その通りだ」と認めることです。ストア派では、同意するかしないかは自分の力の内にあるとされます。 最初の動き 侮辱を受けたと見えたとたんに思わず起こる、顔が赤くなる・胸がどきりとするといった動きです。同意の前に起こるので、まだ情念ではありません。 進歩する人 賢者ではないが、賢者に近づこうと本気で努めている人です。セネカの哲学は、この人に向けた手引きでした。 書簡 セネカが晩年に友ルキリウスに宛てて書いた手紙で、現存するのは 124 通です。日々の出来事から哲学の考えへ進む形で書かれています。 ローマのストア派――教えを毎日の暮らしでどう生かすか 前の課のゼノンの著作は残らず、断片と後代の報告で読むしかありませんでした。セネカは、まとまった数のストア派の著作が本人の文章で残る、最も早い時期の著者です [1] 。セネカは学説を一から組み立て直したのではなく、ストア派の考えの中で書きました。関心は、その教えを毎日にどう生かすかにありました。 怒りは同意から生まれる――思わず赤くなるのは、まだ怒りではない セネカは『怒りについて』第 2 巻で、怒りがどこから始まるかを問います。怒りが、不正を受けたという印象で動き出すことは疑いない、とセネカは認めます。問題はその先です。心がその印象に同意しなければ、怒りは何もできない、と言います(2.1.3–4) [3] [1] 。 では、ひどい言葉に顔がかっと赤くなるのは、もう怒りでしょうか。セネカの答えは「まだ違う」です。冷たい水を浴びて身震いするのと同じく、こうした動きは意志によらずに起こり、賢い人にも起こりえます(2.2.1–2) [3] 。芝居や歴史を読んで腹が立つように感じること、戦いのラッパに心が高ぶること、名演説家が話す前に手足がこわばることも、同じ種類の動きです(2.2.3–2.3.3) [3] 。印象に身を任せ、その動きについていくとき、初めて情念になります(2.3.1)。最初の動揺は、まだ怒りではありません(2.3.5) [3] (図 1) 。 一つ目:同意しない展開 待て。本当に害されたのか。 仕返しすべきなのか。 思わず赤くなる(最初の動き) 印象に同意しない――怒りにならない 二つ目:同意する展開 侮られた! 思い知らせてやる。 思わず赤くなる(最初の動き) 判断に同意――怒りになる(2.3.5) 図 1 宴席の場面は本教材の作例です(分析は『怒りについて』第 2 巻による)。賢者にも思わず起こる反応はあります。ここでは二つの展開に同じ赤面を置いて比べます。一つ目の絵では印象に同意せず、怒りになりません。二つ目の絵では「害された、仕返しすべきだ」に同意し、怒りになります。 本教材は「最初の動き」と「同意」の二段に要約しましたが、セネカ自身は 2.4.1 で動きを三つに分けます。思わず起こる第一の動き、意志を伴うがまだ頑なでない第二の動き、理性に勝って仕返しを求める第三の動きです [3] 。どちらで数えても、要は同じです。怒りは「あの人は私を害した」「仕返しすべきだ」という判断への同意で成り立ちます。だから怒りは制することができます。怒りが意に反して生まれるなら、理性に従うことはないでしょう(2.2.1)。同意は自分の力の内にあるので、防げるのです [3] [1] 。 セネカは、ほどほどの怒りも認めません。親が殺されても善い人は怒らないのか、という反論に、守るべきときに守り、罰すべきときに罰するのは、怒りからではなくそれがふさわしいからだ、と答えます(1.12) [3] 。罰や防御をしないという意味ではありません。「ほどほどの情念」は「ほどほどの狂気」と同じくおかしい、とも書きます(書簡 85.9) [2] 。ふさわしい程度の怒りを認めるアリストテレスとは、ここで分かれます [1] 。 ここで間違えやすい 「怒りを制する」を、湧き上がる怒りを歯を食いしばって押さえ込むことだと取らないようにしましょう。思わず赤くなること自体は止められませんし、止める必要もありません。「害された、仕返しすべきだ」という判断に同意する手前で、その判断を確かめることが要です。 時間を自分のものにする――人生は短いのではなく、浪費されている 多くの人は、人生は短すぎると自然を責めます。セネカは『人生の短さについて』でこれに反対し、私たちに与えられた時間は少なくない、多くを失っているのだ、と言います(1.3) [3] 。人生は、全体をうまく使えば、大きなことを成し遂げるのに十分長いのです。 友ルキリウスへの最初の手紙も、時間の話から始まります。セネカは、時間の失い方を三つの動詞で言い分けます。奪い取られる、こっそり持ち去られる、流れ出る、です。そのうえで、いちばん恥ずべきは不注意による損失だ、と付け加えます(書簡 1.1) [2] (表 1) 。この一言は三つのどれにもかかります。頼みごとに奪われるのも、雑談に持ち去られるのも、気づかずに明け渡していれば不注意の損失です (図 2) 。 この表で分かること: 三つの言い方は、誰がどう持ち去るかで分かれます。不注意による損失がいちばん恥ずべきだという一言は、三つのどれにもかかります。作例と手当ては本教材の読み方です。 失い方(書簡 1.1) 持ち去るもの 今日の作例 手当ての方向 奪い取られる 他人が表立って 断れない会合や頼みごと 引き受ける前に判断する こっそり持ち去られる 他人が気づかれずに いつの間にか延びる雑談 使った時間に気づく 流れ出る 誰も持ち去らずに なんとなく眺める画面 毎晩振り返り勘定する 表 1 書簡 1.1 の三つの失い方と、本教材の作例 [2] 。 時間だけが自分のもの(書簡 1.3) ①奪い取られる ②こっそり持ち去られる ③流れ出る よそ見をしている 鍵の掛かった金の箱 過ぎた年月は死のもの いちばん恥ずべきは、不注意による損失 図 2 時間を砂時計の砂にたとえた絵です(本教材のたとえ)。上の玉の砂は、①外から奪い取られ、②脇へこっそり持ち去られ、③こぼれて流れ出ます。書簡 1.1 は、どの失い方でも不注意による損失がいちばん恥ずべきだとします。金の箱には鍵を掛けるのに、時間は誰にでも渡してしまいます。下の玉の砂、つまり過ぎた年月は、もう死が握っています(書簡 1.2)。 セネカは、金と時間の扱いの違いも突きます。財産を人に分けたがる人はいないのに、自分の生は誰にでも気前よく配ってしまう、というのです(『人生の短さについて』3.1) [3] 。すべては他人のもので、時間だけが私たちのものなのに、人はつまらない物をもらえば恩に着て、時間をもらっても誰も恩に着ない、とも書きます(書簡 1.3) [2] 。 死の見方も変わります。私たちは死を前方にあるものと思って誤るが、死の大部分はすでに過ぎている、とセネカは言います(書簡 1.2) [2] 。過ぎた年月は、もう死が握っています。教材の作例で考えてみましょう。朝は頼まれた会合、昼は知人の愚痴、夕方はなんとなく画面を眺め、夜に「時間が足りない」と嘆く人がいるとします。足りないのは時間ではありません。人の役に立つことが悪いのでもなく、自分で選ばずに配ってしまったことが問題なのです。 ここで間違えやすい 「人生は短いのではない」を、長生きすればよい、あるいは寸暇を惜しんで働け、という教えだと取らないようにしましょう。セネカの言う浪費には、忙しく立ち働くことも含まれます。予定を詰め込むのではなく、何に時間を使うかを自分で判断することが要です。 毎日の練習としての哲学――夜の点検と友への手紙 セネカにとって哲学は、説を一から証明する営みより、学んだことを暮らしの場面で繰り返し考え抜き、それに従って生きられるようにする練習でした [1] 。徳だけで幸福に足りるという説を、入り組んだ論法で証明するのは好まない、とまで書きます(書簡 85.1) [2] 。ただ、すぐ後で実際に論じてもいるので、論証を捨てたわけではありません。 知っていることと、身にしみていることは違います。立派な車でも粗末な車でも違いはないと知りながら、粗末な車に乗るところを見られると顔が赤くなる、とセネカは打ち明けます(書簡 87.4) [2] 。だから、それが暮らし方になるまで、何度も考え直す練習がいります [1] 。 その練習の一つが毎晩の点検です。明かりが消えて妻が黙ると、セネカはその日一日を調べ直し、自分の言行を測り直しました。哲学者セクスティウスにならった習慣です(『怒りについて』3.36.1–4) [3] 。もう一つが手紙です。セネカの著作の多くには宛て先があり、相手の心の病を診るところから話が始まります [1] 。読者は教えを受け身に受け取るのではなく、自分で考え抜いて自分のものにしなければなりません(書簡 84) [2] 。語りかける相手は完成した賢者ではなく、「進歩する人」です [1] 。最初の手紙でもセネカは、自分は贅沢だが几帳面な人のように、失った時間の勘定だけはつけている、と打ち明けます(書簡 1.4) [2] 。 前 1 年ごろ コルドゥバに生まれる(生年には 異説) 41 年 コルシカ島へ追放される 49 年ごろ ローマへ戻り、少年ネロの 教育係に 54 年 ネロが皇帝に。側近として仕える 62 年ごろ 宮廷から身を引き、書簡集を書く 65 年 陰謀加担の疑いでネロの命により 自死 図 3 セネカの生涯(SEP の整理による)。哲学の著作の多くは、権力の中心と追放・隠退の間を揺れた生の中で書かれました。著作の年代は多くが不確かです。 ただし、本人の暮らしには当時から批判がありました (図 3) 。ネロの側近として大きな富を得たセネカを、敵対者スイッリウスは、富を軽んじる教えと合わないと非難しました。タキトゥス『年代記』が伝える告発で、中身が全部事実と確かめられたわけではありません(13.42) [4] 。ネロに仕えたことと哲学の関係は、今も議論があります [1] 。 ここで間違えやすい 書簡を、本人の暮らしをそのまま書いた日記として読まないようにしましょう。SEP は、セネカの文章は個人的な口調でも自伝ではなく、読者が自分の生を考えるように作られた語り手の姿だと注意します [1] 。晩年の自死を、教えを実行した英雄の最期とだけ読むのも一面的です。死はネロの命によるものでした。 原典を読む 第 2 節で見た時間の話を、書簡集の最初の手紙の冒頭で読みます。原文はラテン語で、本教材が訳しました。 セネカ『ルキリウス宛て倫理書簡集』書簡 1.1–1.2 自分を自分の手に取り戻せ 書簡集全体の最初の手紙です。冒頭の「そうしなさい」は、ルキリウスが時間を大切にし始めたという前提への励ましと読めます。 1 わがルキリウスよ、そうしなさい。自分を自分の手に取り戻しなさい。そして、これまで奪われたり、ひそかに取られたり、こぼれ落ちたりしていた時間を、集めて守りなさい。 2 私の書くとおりだと、自分に言い聞かせなさい。ある時間は私たちから奪い取られ、ある時間はこっそり持ち去られ、ある時間は流れ出ていく。 3 けれども、いちばん恥ずべき損失は、不注意によって起こる損失だ。 4 よく気をつけて見れば、人生の最大の部分は悪いことをする者から、大きな部分は何もしない者から、人生の全体はほかのことをする者から、すり抜けていく。 5 時間に