8.86 ジキル博士とハイド氏(2)— 姿を書かず、嫌悪だけを書く — Epoché
この篇でできるようになること ★ 姿を書かずに異常を伝える やり方が分かる。 ★ 人を物にたとえる ことの働きに気づける。 ★ 語り手が語りの限界を認める 一行を見つけられる。 ★ 段落を切らない ことの意味が分かる。 前提 : 8.85 まで。型は 3.32 まで。語は 4.48 まで。 読む前に エンフィールドが語ります。★ 冬の朝の三時、誰も歩いていない街を帰るところ でした。 そこで 二人の人影 を見ます。★ 東へ歩く小柄な男と、横町を走ってくる八つか十の女の子。 ★ 二人は角でぶつかります。 ★ そして、男は倒れた子どもの上を落ち着いて踏み越え、泣き声を残して歩き去ります。 原文 原文は別の文書にあります(作品ページの「原文」)。本文は 849 語、文は 34 本、いちばん長い一文は 84 語です。★ 段落は 1 本しかありません。 踏み越える場面を見ます。 the man trampled calmly over the child’s body and left her screaming on the ground ★ calmly —— 「落ち着いて」 です。★ この一語が全部です。 ★ 急いでいたのでも、気づかなかったのでもありません。 ★ 落ち着いて踏み越えた。 ★ 副詞が一つあるだけで、事故が事故でなくなります。 全訳 原文の全訳です。この課程のために、原文に沿って訳しました。番号は原文の段落の番号で、原文と行き来できます。 「いや、こういうことだったんです」とエンフィールド氏は答えました。「私は世界の果てのようなどこかから家へ帰る途中でした。真っ暗な冬の朝の三時ごろで、道は、文字どおり街灯のほかには何も見えない町の一角を通っていました。通りまた通り、人はみな眠っていて――通りまた通り、まるで行列でも来るかのように明かりがともり、どこも教会のようにがらんとしていました――そのうちとうとう私は、人が耳を澄まし、また耳を澄まして、警官の姿が見たくてたまらなくなる、あの気持ちになってしまいました。突然、二つの人影が見えました。一つは、かなりの早足で東へとずんずん歩いている小柄な男、もう一つは、八つか十くらいの女の子で、横町を力のかぎり走っていました。さて、あなた、二人は角で、ごく自然な成り行きでぶつかりました。そして、そこからがこの件の恐ろしいところでした。男は落ち着きはらって子どもの体を踏みつけて越え、地面で泣き叫ぶその子を残していったのです。聞くと何でもないように思えますが、見ると地獄のようでした。人のようではありませんでした。何か呪われた、止まらない山車のようでした。私は二、三度大声をあげ、一目散に駆け出して、その紳士の襟首をつかみ、泣き叫ぶ子どものまわりにもうかなりの人だかりができているところまで引き戻しました。男はまったく落ち着いていて、少しも逆らいませんでしたが、私を一度にらみました。それがあまりに醜くて、走ったあとのように汗が噴き出しました。外へ出てきた人たちは、その子自身の家族でした。そしてまもなく、その子が呼びにやらされていた医者が姿を見せました。さて、その骨切り屋の言うところでは、子どもはたいしたけがではなく、むしろおびえていただけでした。それで、これで一件落着だろうとお思いになったかもしれません。ところが、一つ妙なことがありました。私はその紳士を一目見たとたん、むかむかするほど嫌になっていました。子どもの家族もそうでした。それはごく当たり前のことです。けれども、私の心を打ったのは、医者の様子でした。彼はありきたりの、無味乾燥な薬屋で、年も顔色もこれといって特徴が無く、エディンバラなまりが強く、バグパイプくらい情の無い男でした。ところが、あなた、彼も私たちと同じだったのです。彼が私のとりこを見るたびに、その骨切り屋が、殺してやりたいという思いで気分が悪くなり、青ざめるのが見えました。私には彼の心にあることが分かりましたし、彼にも私の心にあることが分かっていました。そして、殺すのは論外だったので、私たちはその次にましなことをしました。私たちはその男に、この件でとんでもない騒ぎを起こして、お前の名前がロンドンの端から端まで悪臭を放つようにしてやれるし、そうしてやる、と言いました。もし友人や信用があるのなら、それを失うようにしてやる、と請け合いました。そして、そうやってかんかんになって言い立てているあいだもずっと、私たちはできるかぎり女たちを男から引き離していました。女たちはハーピーのように猛り狂っていたからです。あれほど憎しみに満ちた顔の輪を、私は見たことがありません。そして、その真ん中にあの男がいて、一種の黒い、あざけるような落ち着きを見せていました――おびえてもいました、それは私にも分かりました――けれども、それを押し通していたのです、あなた、本当に悪魔のように。『この事故を種にもうけようというのなら』と彼は言いました。『当然、私にはどうしようもない。騒ぎを避けたくない紳士などいないからね』と彼は言います。『金額を言いたまえ』。さて、私たちは彼を締め上げて、子どもの家族のために百ポンドを出させることにしました。彼は明らかに突っぱねたそうでしたが、私たちの一団には何か、ただではすまさないぞという気配があったので、とうとう彼は折れました。次は金を手に入れることでした。そして、彼が私たちをどこへ連れていったと思います? ほかでもない、あの扉のある場所ですよ――さっと鍵を取り出して中へ入り、まもなく、金貨で十ポンドほどと、残りの額のクーツ銀行あての小切手を持って戻ってきました。小切手は持参人払いで、私には言えない名前で署名されていました。それは私の話の要の一つなのですが、ともかく、少なくともたいへんよく知られ、たびたび活字になる名前でした。額は大きなものでしたが、その署名は、もし本物でさえあれば、それ以上の額にも通用するものでした。私は失礼を承知で、その紳士に、この件は全体がどうもいかがわしく見えるし、実際の暮らしでは、人は朝の四時に地下室の扉へ入っていって、百ポンド近い他人の小切手を持って出てきたりはしないものだ、と指摘しました。けれども彼はまったく平然として、あざけるようでした。『安心したまえ』と彼は言います。『銀行が開くまでいっしょにいて、自分で小切手を現金に換えてやろう』。そこで私たちはみな――医者と、子どもの父親と、われらが友と、私とで――出かけていき、その夜の残りを私の部屋で過ごしました。そして翌日、朝食をすませると、みなでそろって銀行へ行きました。私は自分で小切手を差し出し、これは偽造だと信じるだけの理由が十分にある、と言いました。ところが、とんでもない。小切手は本物だったのです」 語釈 帯の外の語は 45 語です。★ 8.85 読編 の半分 です。★ 人物の描写が終わって、出来事の語りに入ったから です。 語(品詞) 意味 注 Coutts’s en 名 クーツ銀行。ロンドンの古い銀行 Edinburgh en 名 エディンバラ。スコットランドの都 Juggernaut en 名 ★人をひき殺して進む山車。止まらないもの The company became a Juggernaut that crushed every small competitor in its path. その会社は道にあるすべての小さな競合を押しつぶす、止まらない巨大な力になりました。 London en 名 ロンドン Mr en 名 Mister の略 Satan en 名 サタン。悪魔 Sawbones en 名 ★骨きり。医者をからかって言う語 The villagers jokingly called their doctor Sawbones because he loved surgery. 村人たちは外科手術が大好きなその医者を、 Sawbones とからかって呼びました。 accent en 名 なまり She spoke with a strong accent that revealed her childhood in Scotland. 彼女は強いなまりで話し、スコットランドで過ごした幼少期をうかがわせました。 apocryphal en 形 うさんくさい Many apocryphal stories about the old king have never been proven true. その昔の王についての多くのうさんくさい話は、真実だと証明されたことがありません。 apothecary en 名 薬屋・町医者 The apothecary mixed herbs to prepare medicine for the sick villager. その薬屋は病気の村人のために薬を調合するため、薬草を混ぜました。 asleep en 形 眠って( 8.82 読編 ) The tired child fell asleep before dinner was even served. 疲れた子供は夕食が出される前に、もう眠ってしまいました。 bagpipe en 名 バグパイプ。 as emotional as a bagpipe で「情の無い」 He learned to play the bagpipe during his summer holiday in Scotland. 彼は夏休みの間に、スコットランドでバグパイプを演奏する練習をしました。 bearer en 名 持参人。 payable to bearer で「持参人払い」 He handed the money directly to the bearer of the letter. 彼はその手紙の持参人に、直接お金を渡しました。 calmly en 副 落ち着いて She calmly explained the accident to the worried police officer. 彼女は心配している警察官に、その事故について落ち着いて説明しました。 cellar en 名 地下室( 8.78 読編 ) We stored the old wine bottles in a cool, dark cellar. 私たちは古いワインの瓶を、涼しく暗い地下室に保管しました。 cheque en 名 小切手。英国の綴り Please write out a cheque for two hundred dollars right now. 今すぐ、二百ドルの小切手を書いてください。 collared en 動 えりをつかまえた The guard collared the pickpocket just before he could escape. 警備員はその泥棒が逃げる前に、えりをつかまえました。 coolness en 名 落ち着き( 8.84 読編 ) He answered every difficult question with remarkable coolness and confidence. 彼は驚くほどの落ち着きと自信を持って、どの難しい質問にも答えました。 eastward en 副 東へ The ship slowly turned eastward as the storm approached from behind. 嵐が背後から近づいてくると、船はゆっくりと東へ向きを変えました。 enfield en 名 エンフィールド( 8.85 読編 ) forgery en 名 にせもの The expert quickly proved that the famous painting was a forgery. 専門家はその有名な絵が、にせものであることをすぐに証明しました。 halloa en 名 おおい、という叫び He shouted a loud halloa across the field to greet his friend. 彼は友人に挨拶するため、野原の向こうに大きな「おおい」という叫び声をかけました。 harpies en 名 ハーピー(複数)。女の顔の怪鳥 In the old myth, harpies had a woman's face and sharp claws. その古い神話では、ハーピーは女性の顔と鋭いかぎ爪を持っていました。 hateful en 形 憎しみに満ちた His hateful remarks about the family shocked everyone at the table. その家族についての彼の憎しみに満ちた発言は、テーブルにいた全員を驚かせました。 heels en 名 かかと(複数。 8.82 読編 )。 take to one's heels で「駆け出す」 She spun on her heels and walked straight out of the room. 彼女はかかとで向きを変え、まっすぐ部屋の外へ歩いて行きました。 hellish en 形 地獄のような Working twelve hours straight in that heat felt utterly hellish today. その暑さの中で十二時間ずっと働くのは、今日はまるで地獄のようでした。 helpless en 形 なすすべがない The kitten looked helpless, shivering alone in the cold, empty street. その子猫は、寒く人のいない通りで一人震え、なすすべがない様子でした。 lamps en 名 街灯(複数。 8.73 読編 ) The old street lamps flickered softly as evening settled over town. 夕方が町を包む頃、古い街灯が柔らかく点滅していました。 liberty en 名 勝手( 8.77 読編 ) Without asking, he simply took the liberty to open her private letter. 彼は聞かずに、勝手に彼女の私的な手紙を開けてしまいました。