世論とメディア――情報は意見をどう変えるか — Epoché
制度と行動 選挙・政党・市民 約 30 分 本文 約 13,200 字 図 5・表 2 資料 2 節 この課の要点 世論の像・効果の型・接触の変化の 3 つ 世論の像 世論は人々の頭の中の像で、調査の答えは問い方とその時に思い浮かぶ考えに左右される 効果の型 議題設定は何を重要と考えるかに、プライミングは評価の物差しに働く。フレーミングは争点の捉え方を通じて賛否も変えうる 接触の変化 選べる情報が増えると、人による接触の違いが大きくなる。SNS の効果の大きさは、研究の場・時期・期間の条件付きで読む はじめに 選挙の前、私たちは政治のことをどこで知るのでしょうか。候補者に直接会ったり、国会の審議を傍聴したりする人はわずかです。多くの人は、テレビのニュース、新聞、スマートフォンに流れてくる記事や SNS の投稿を通して政治を知ります。この課程の「投票参加」の課では、人が投票に行くかどうかを決める理由を見ました。その判断の材料も、ほとんどが誰かに伝えられた情報です。 「メディアが世論を操っている」「SNS が社会を分断している」という言い方をよく耳にします。どちらも、情報が人の意見を強く動かすという見方です。けれども政治学とコミュニケーションの研究は、およそ百年をかけて、もっと込み入った姿を描いてきました。報道が意見の向きを直接ひっくり返すことは、思われているより少ないようです。一方で、人々が何を重要と考えるか、どの物差しで政治家を評価するか、争点をどんな問題として捉えるかには、はっきりした影響が見つかっています。影響の大きさは、受け手や送り手、競合する情報の有無といった条件で変わります。 なぜこの問いが大事なのでしょうか。民主政治では、有権者が政治家や政策を評価し、選挙で選び直します。その評価の材料のほとんどは、自分で見たものではなく伝えられた情報です。もし情報の伝わり方が人々の判断を大きく左右するなら、誰が何をどう伝えるかは、それ自体が政治の問題になります。たとえば同じ日に、ある人のスマートフォンには物価の記事が、別の人には外交の記事が一番上に表示されたとします(本教材の作例)。二人はその日、別々の「重要な問題」を思い浮かべながら、同じ政府を評価することになるかもしれません。こうした場面で本当に何が起きているのかを、研究は調査や実験で確かめようとしてきました。 この課では、まず「世論」とは何かをリップマンにさかのぼって確かめます。次に、メディアの影響は人を介して届くという「二段の流れ」の仮説、議題設定・プライミング・フレーミングという三つの効果、そして選べる情報が増えた時代の研究と日本の数を順に見ます。資料では、放送の番組の編集について定めた放送法の条文と、メディアの信頼度の統計を読み、主張を自分で確かめます。 この課の問い ニュースや SNS は、私たちの政治の意見を変えるのでしょうか。変えるとすれば、何を、どんな仕組みで、どこまで変えるのでしょうか。 この課のことば 世論 多くの人が公の事柄について抱く考え。リップマンは、人々の頭の中にある世の中の像として捉えました オピニオン・リーダー 身近な人から政治などの助言を求められ、周りに話題や考えを伝える人。肩書のある指導者とは限りません 議題設定 報道がどの争点を大きく扱うかによって、人々が何を重要な問題と考えるかが変わること プライミング 報道で目立つ問題が、人々が政治家や政府を評価するときの物差しになること フレーミング(枠組み) 同じ争点でも、どの面を強調して示すかによって、受け手の捉え方が変わること 選択的接触 自分の好みや考えに合う情報を選んで見ること。選べる情報が多いほど起こりやすくなります メディアの効果――何を、どこまで変えるのか メディアの効果の研究は、「報道は人の意見を変えるか」という素朴な問いから始まり、「何が、どんな人に、どんな条件で変わるのか」へと問いを細かくしてきました。この章では、その歩みを四つの節でたどります。一つの研究の結論だけを取り出さず、それぞれが何を測り、どこまでを言っているのかに注意して読みましょう。 世論は頭の中の像――リップマンと調査の答え ウォルター・リップマンは 1922 年の『世論』の第 1 章に「外の世界と頭の中の像」という題を付けました [1] 。リップマンによれば、人は環境そのものに反応するのではありません。人と環境の間には「擬似環境」が差し挟まれていて、人の行動はその擬似環境への反応です。ところが行動の結果は、擬似環境ではなく現実の環境の中で生じます [1] 。頭の中の像と外の世界がずれていれば、行動はいずれ現実にぶつかることになります。 なぜ政治では、とくにこの像が大事になるのでしょうか。リップマンは、政治で扱う世界は手の届かない所、目に見えない所にあり、探られ、報じられ、想像されなければならないと書きます [1] 。遠い国の戦争も、国会の中の交渉も、私たちは自分の目では見られません。見えないものについて判断するには、誰かが集め、選び、伝えた像に頼るしかありません。だから、像がどのように作られるかが政治の問題になるのです。 頭の中の像(擬似環境) 外の世界 直接は見えない 報道を通して届く 図 1 リップマンの「頭の中の像」のたとえ(本教材の作例)。人は手の届かない外の世界を直接は見られず、報道を通して届いた像をもとに判断する。 リップマンはこの像を使って世論を定義しました。人々の頭の中にある、自分や他人、必要や目的、互いの関係についての像が、小文字の「世論(public opinions)」です。そのうち、集団によって、あるいは集団の名において行動する個人によって行動に移される像を、大文字の「世論(Public Opinion)」と呼びました [1] 。つまり世論は、頭の中の像であることと、集団の行動に結びつくことの二つで捉えられています。リップマンは続けて、頭の中の像がなぜしばしば人を誤らせるのかを、まず事実への接近を限る要因から調べると述べています [1] 。 では、世論調査の数字はこの像をそのまま写しているのでしょうか。ザラーとフェルドマンは 1992 年の論文で、調査の答えには二つの厄介な揺れがあると指摘しました [2] 。同じ人に時間をおいて同じ問いをすると答えが大きく変わること、そして質問の形のささいな違いが答えを動かすことです。二人は、多くの人が調査の項目ほど細かい水準で意見を持っているという通念を捨てました。代わりに、多くの人は多くの争点について内心で迷っていて、答えるその瞬間に頭に浮かんだ考えに基づいて答える、と仮定するモデルを示しました [2] 。 問い方の違いの例はよく知られています。米国の調査では、「福祉(welfare)」への支出が少なすぎると答える人は約 20%ですが、「貧しい人への援助」への支出では約 65%になりました [5] 。同じような政策でも、言葉が違えば思い浮かぶ考えが変わり、答えが変わるのです。日本でも、同じ増税の案を「将来の社会保障を支えるために」と前置きして尋ねる場合を考えてみましょう。「家計の負担が増えることについて」と前置きした場合とでは、答えの割合が変わることは十分に考えられます(本教材の作例で、実際の調査の数ではありません)。 ここから言えるのは、世論調査の数字は、決まった問い方とその時点で集めた答えの集計だということです。複数の調査の数字が違っても、どちらかが誤っているとは限りません。数字を読むときは、何をどう尋ねたのか、いつ尋ねたのかを確かめる必要があります(本教材の整理)。 ここで間違えやすい 世論を「世論調査の数字そのもの」と考えるのは誤りです。調査の数字は、問い方と時点の付いた答えの集計です。リップマンの定義では、世論は人々の頭の中の像で、集団の行動に移されるものを大文字の世論と呼びました。 効果は小さいのか――二段の流れという仮説 マスメディアは人の意見をどれほど動かすのでしょうか。この問いに一つの答えを出したのが、1940 年の米国の大統領選挙を調べた研究、ラザースフェルド・ベレルソン・ゴーデットの『ピープルズ・チョイス』です [3] 。同じ人に選挙戦の間くり返し面接するパネル調査で、考えが変わったときに、何がそれに影響したかを追いかけました [3] 。 カッツは 1957 年の論文で、この研究から仮説が生まれた材料を三つに整理しています [3] 。一つ目は人からの影響です。選挙戦の後半に投票先を決めた人や、途中で考えを変えた人は、決める際に家族や友人などからの影響を挙げることが多かったのです。また、ふだんの日に選挙について人と話し合った人は、選挙演説を聞いた人や新聞の社説を読んだ人より多くいました。著者たちは、人との接触はマスメディアより頻繁で、しかも効果的だったようだと結論しました [3] 。 二つ目は、影響を伝える人の存在です。調査は「最近、誰かを自分の政治の考えに説得しようとしたか」「最近、政治の問題で誰かに助言を求められたか」という二つの問いで「オピニオン・リーダー」を選び出しました。リーダーは選挙への関心が高く、どの階層や職業にもほぼ同じように散らばっていました。三つ目に、リーダーはほかの人よりラジオ・新聞・雑誌にかなり多く接していました [3] 。 この三つを合わせると、一つの筋道が見えてきます。考えはしばしばラジオと印刷物からオピニオン・リーダーへ、そこから人々の中のあまり活発でない層へと流れる、という仮説です [3] (図 2) 。これが「コミュニケーションの二段の流れ」です。カッツによれば、著者たちはこの発見を民主社会にとって健全なしるしと感じていました。人々はなお人とのやりとりで最もよく説得され、メディアの影響は思われていたほど自動的でも強力でもなかったからです [3] 。それまでは、メディアの影響はもっと自動的で強力だと考えられていた、ということです。 ラジオと印刷物 選挙戦の情報を伝える オピニオン・リーダー メディアに多く接し、周りに伝える あまり活発でない層 身近な人を通して話題や考えを受け取る 図 2 コミュニケーションの二段の流れ。『ピープルズ・チョイス』の著者たちの仮説をカッツ [3] が引いた言葉から。仮説は「しばしば」こう流れるというもので、すべての影響がこの経路を通るとは言っていない。 ただし、カッツ自身がこの仮説の弱さを認めています。二段の流れは『ピープルズ・チョイス』の考えの中で、おそらく最も実証の裏づけが弱いものだった、というのです [3] 。調査は個人を無作為に選ぶ方法で、一人ひとりは自分のことしか語れません。リーダーが実際に誰に影響したのかは、本人の申告に頼るしかありませんでした [3] 。そこで後の研究は、人と人のつながりをたどる工夫を重ね、仮説はおおむね裏づけられたうえで、かなり精緻になりました。たとえば、ある分野で頼られる人が、関係のない別の分野でも頼られることは少ないと分かりました [3] 。政治の話ならこの人、流行の話ならあの人、というように、リーダーは分野ごとに違うのです。 日本の家庭にも思い当たる場面があるでしょう。家族の中でニュースをよく見る人が、食卓で「今度の選挙ではこれが争点らしい」と話し、ほかの家族はそれで初めて争点を知る、という場面です(本教材の作例)。この場面では、報道は直接ではなく、身近な人の言葉を通して届いています。もっとも、この仮説はメディアに効果がないと言っているのではありません。影響が届く道筋を述べたものです。のちにアイエンガーらは、テレビのニュースの効果は「それほど小さくない(Not-So-Minimal)」と題した論文で、影響を実験で確かめることになります [6] 。 ここで間違えやすい 二段の流れを「メディアは無力だ」という主張と読むのは誤りです。仮説は、メディアの影響が身近な人を通して届く経路を述べたもので、しかも「しばしば」という限定付きです。カッツ自身、元の研究での裏づけは弱かったと認め、後の研究で精緻にされました。 何について考えるか――議題設定・プライミング・フレーミング 「報道は、何を考えるかを告げることにはたいてい成功しないが、何について考えるかを告げることには驚くほど成功している」。これはコーエンが 1963 年の著書『報道と外交政策』に書いた言葉で、マコームズとショーが 1972 年の論文の出発点として引きました [4] 。二人は、メディアは態度の向きや強さにはあまり影響しないかもしれないが、選挙戦の議題を設定し、どの争点が際立つかに影響する、という仮説を立てました [4] 。これが「議題設定」です。 二人は 1968 年の大統領選挙戦のさなかに、ノースカロライナ州チャペルヒルで調査をしました。五つの投票区の登録有権者から無作為に選び、まだ投票先を決めていない人だけ 100 人に面接して、選挙の鍵になる争点を挙げてもらいました。同じ時期に、その人たちが使う新聞・テレビ・ニュース誌の内容を分析しました [4] 。報道の主要な記事での争点の扱いの多さと、有権者が独自に判断した争点の重要さとの相関は +.967、小さな記事では +.979 という、とても強いものでした [4] 。 けれども二人は、この相関で議題設定が証明されたわけではないと断っています。証拠は、議題設定が起こるときに必要な条件と合っている、というところまでです。比べたのは有権者の集まりとメディア全体の集計で、後の研究は一人ひとりの態度と接したメディアを突き合わせる必要がある、とも書きました [4] 。相関だけでは、報道のほうが人々の関心に合わせた可能性も消せません(本教材の整理)。 因果に迫るため、アイエンガー、ピーターズ、キンダーは実験を使いました。二つの実験は、テレビのニュースが、視聴者がどの問題を重要と考えるかに大きく影響することを示しました [6] 。さらに、夕方のニュースで目立つ位置に置かれた問題は、視聴者が大統領の仕事ぶりを評価するときに、より大きな重みを与えられました [6] 。アイエンガーとキンダーは 1987 年の著書で、マスコミュニケーションの研究に「プライミング」という語を持ち込み、政治的な評価に用いる基準の変化と定義しました [5] 。実験の後半の結果は、この働きにあたります(本教材の整理)。た