12.14 十九世紀イギリスの科学 — 誰に向けて話したか — Epoché
この課で分かるようになること ★ 公開の講義が科学を広げた ことが言える。 ★ 聞き手が素人だと、言葉がやさしくなる 筋が分かる。 ★ 本だけで広めた人 との違いが見える。 ★ 三人に共通する作法 が言える。 前提 : 12.13 まで。読は 8.136 まで。 ★この課程が読んだ、十九世紀の科学 どの篇か 何の文章か ★ 8.119 読編 〜 8.121 読編 ★ ファラデー『ろうそくの科学』——子ども向けの講義 ★ 8.122 読編 ・ 8.123 読編 ★ ハクスリー「一片の白墨」——職人向けの講演 ★ 8.124 読編 〜 8.126 読編 ★ ダーウィン『種の起源』——読者向けの本 ★ 三つとも、 専門家に向けて書かれていません 。 ★ ここが、この時代のいちばんの特徴 です。 ★公開の講義が、科学を広げた ★ ファラデーの講義は、ロンドンの王立研究所で行われました。 ★ クリスマスの時期に、子どもを集めて開かれます。 ★ 8.119 読編 で読んだとおり、ファラデーは聞き手を自分で決めています。 I claim the privilege of speaking to juveniles as a juvenile myself. [1] ★ 「私は、自分も少年として少年たちに話す特権を主張します」。 どんな講義か 何が起きるか ★ 誰でも入れる ★ 学校に行っていない人も聞ける ★ 実物を見せる ★ 字が読めなくても分かる ★ 速記して本にする ★ その場にいない人にも届く ★ 三つめが大きい。 ★ 8.119 読編 で読んだのは、 話したものを速記した本 でした。 ★ だから、目の前を指す語がやたらに多かったのです。 ★ ハクスリーの講演も同じです ——★ 8.122 読編 の聞き手は 大工や石工 でした。 ★聞き手が素人だから、言葉がやさしくなった ★ これは、この課でいちばん大事なところ です。 ★ 8.121 読編 で、ファラデーは毛管引力を 手とタオルと塩の柱と金網 で説きました。 When you wash your hands, you wet them thoroughly [2] ★ 「手を洗うと、手はすっかり濡れます」。 ★ 王立研究所の講義で、手を洗う話をしています。 ★ ハクスリーも同じです ——★ 8.122 読編 では、白墨の広さを ヨーロッパの面積 で測り、難しさを ラテン語 と比べました。 The language of the chalk is not hard to learn, not nearly so hard as Latin [3] 専門家に話すと 素人に話すと ★ 術語で済む ★ 身近なものに置き換える ★ 前提を省ける ★ どこから始めるか決める ★ 結論だけでよい ★ なぜそう言えるかを見せる ★ 三つめが、 科学の書き方そのものを変えました 。 ★ 8.123 読編 でハクスリーが 推論の鎖 を一段ずつ見せたのは、聞き手が素人だったから です。 It is the spoor of the game we are tracking. [4] ★ 「それが、われわれが追っている獲物の足あとである」。 ★ 狩りのたとえ です。 たとえで置き換えると、何が落ちるか 置き換えには代価があります。手とタオルの話は、毛管引力で 何が起きるか を渡しますが、 なぜ起きるか は渡しません。白墨とラテン語の比べ方も、難しさの度合いを渡すだけで、白墨が何からできているかには触れていません。たとえは入口であって、入口のままでは出口になりません。 三人がそれを承知していたことは、読んだ本文に出ています。ファラデーは手の話のあとで実物を見せ、ハクスリーは白墨の話のあとで推論の鎖を一段ずつたどりました( 8.123 読編 )。つまり、たとえで引き入れてから 証拠の道を歩かせて います。たとえだけで終わる説明と、たとえから証拠へ進む説明の差がここにあります。 読む側にも同じ話が当てはまります。分かった気になるのはたとえのところで、本当に分かるのは鎖のところです。自分がどちらで止まっているかは、 9.18 論編 で置いた「書いてあることと自分の読み方を分ける」やり方で点検できます。この課の三人が読みやすいのは、その二つを 順番に 置いてくれているからです。 ★ダーウィンは、講義をしなかった ★ 三人めだけ、形が違います。 ★ ダーウィンは、 本だけで広めました 。 ファラデー・ハクスリー ダーウィン ★ 目の前に聞き手がいる ★ 聞き手がいない ★ その場で問いに答えられる ★ 先に答えを書いておく ★ 実物を見せられる ★ 例を書くしかない ★ 二つめが、 8.125 読編 で読んだ 「難点に四章」 の理由 です。★ その場で答えられないから、 先に全部書いておく のです。 ★ そして、本には別の強みがあります ——★ 8.124 読編 で読んだとおり、ダーウィンは二十年ためてから出しました。 I have not been hasty in coming to a decision [5] ★ 「私は、結論に至るのに急いではいない」。 ★ 講義では、この一文は書けません ——★ 話は、その日のうちに終わるから です。 ★三人に共通する作法 ★ 形は違いますが、三人とも同じことをしています。 どんな作法か どこで読んだか ★ 自分の弱いところを自分で書く ★ 8.124 読編 「この本は不完全である」 ★ 反対説をいちばん強い形で立てる ★ 8.123 読編 冬の窓の霜 ★ 失敗が教えを運ぶと言う ★ 8.121 読編 誤りや欠点 ★ 三つとも、 学会の作法ではありません 。 ★ 素人に向けて話すうちに身についた作法 です。 ★ なぜか。 ★ 素人は、 権威では納得しない から です。★ 「私が言うのだから正しい」は、同じ分野の人にしか効きません。 ★ 9.11 論編 で「出どころを書くのは、読む人が確かめに行けるようにするため」と置きました。 ★ その作法が広まったのは、 この時代のこの街 からです。 この作法を、自分が書くときに使う 自分の弱いところを自分で書くのは、 9.19 論編 の限界の書き方とそのまま同じ手です。読む人が先に穴を見つけると、書いた人が隠していたのではないかと疑われます。自分で書いておけば、同じ穴が 誠実さの印 に変わります。三人がやったのは、この付け替えです。 反対説をいちばん強い形で立てるのも、同じ理屈です。弱い形にして倒すと、倒したことになりません——読む人は、いちばん強い形を自分で思いついてしまうからです。先に自分でそれを立てておけば、読む人の頭に浮かぶ反論を こちらが先に言った ことになります。 この作法は、いまも形を変えて残っています。論文の「限界」の節がそれです( 9.19 論編 )。違うのは、十九世紀の三人は 節ではなく地の文で それを書いたというところだけです。素人に向かって話していたので、節に分けて逃がす場所が無かったのです。 ★読んでいないものは、位置だけ言う ★ この課程では、 ニュートン も マクスウェル も読んでいません。 読んだもの 読んでいないもの ★ ファラデーの講義 ★ ファラデーの実験ノート ★ 『種の起源』の序と第一章 ★ 第四章(自然選択)以降 ★ 二つめに注意してください。 ★ 8.125 読編 で 目次 は読みました。 ★ けれども、自然選択の章そのものは読んでいません。 ★ だから、この課程は 「自然選択とは何か」を教えていません 。 ★ 教えたのは、 その本がどう組まれているか です。 ★ この区別は、この課程だけの作法ではありません。 ★ 本を一冊読み終えた人と、その本の紹介を読んだ人とでは、言えることが違います。 ★ ところが、話しているあいだは、その差はほとんど見えません。 ★ どちらも同じ題名を口にし、同じ要約を言えるから です。 ★ 差が出るのは、細かいところを聞かれたときだけ です。★ だから、自分がどちらなのかを 自分で覚えておく ほかありません。 ★ この課程が「読んでいないものは位置だけ言う」と繰り返しているのは、その習慣をつけてもらうため です。 ★ 十九世紀の三人は、そこを崩しませんでした。 ★ ファラデーは自分が見せた実験のことだけを語り、ダーウィンは自分が集めた事実のことだけを書いています。 ★ 二人とも、当時すでに評判の高い学者でした。 ★ 評判を使って話を短くすることも、できたはずです。 ★ しなかったところに、この時代の科学の作法が出ています。 ★五つの一文を、訳と並べて置く この課で引いた五つを、原典の一文に戻して訳と並べます。二行目と三行目が身近なものへの置き換え、四行目がたとえ、五行目が本だから書けた一文です。行を押して、講義の声と本の声の差を聞いてください。 英文 日本語訳 見るところ I claim the privilege of speaking to juveniles as a juvenile myself. [1] 私は、自分も少年として少年たちに話す特権を主張します。 聞き手を、話す側が自分で決めている When you wash your hands, you wet them thoroughly; you take a little soap to make the adhesion better, and you find your hand remains wet. [2] 手を洗うと、手はすっかり濡れます。石けんを少し使うとくっつきがよくなって、手は濡れたままになります。 王立研究所の講義で、手を洗う話をする The language of the chalk is not hard to learn, not nearly so hard as Latin, if you only want to get at the broad features of the story it has to tell; and I propose that we now set to work to spell that story out together. [3] 白墨の言葉を学ぶのは難しくありません。その語る物語の大筋をつかみたいだけなら、ラテン語ほど難しくもないのです。では、その物語を一緒に読み解く仕事にとりかかりましょう。 難しさを、聞き手の知っているものと比べる It is the spoor of the game we are tracking. [4] それが、われわれの追っている獲物の足あとです。 推論の道を、狩りのたとえで見せる I hope that I may be excused for entering on these personal details, as I give them to show that I have not been hasty in coming to a decision. [5] こうした個人的な事情に立ち入るのをお許しいただきたいのです。結論に至るのに急いではいないと示すために、それを書いているのですから。 本だから、時間をためたことを書ける やってみる ★ 聞き手を並べる 。三人の文章の 聞き手 を一行ずつ書き、 誰がいちばん専門から遠いか を決める(日本語でよい)。 ★ 身近なものへの置き換えを拾う 。 8.121 読編 ・ 8.122 読編 から、 台所や日用品に置き換えた箇所 を三つ拾う。 ★ 講義と本を比べる 。 その場で答えられない ことが書き方をどう変えるかを、三行で書く。 ★ 読んでいないものを挙げる 。この課程が 読んでいない 科学の文章を二つ挙げ、 読むとしたらどこから かを書く。 この課のまとめ ★ 三人とも、専門家に向けて書いていない ——子ども・職人・一般の読者。 ★ 公開の講義が、科学を広げた。 誰でも入れて、実物が見られて、速記して本になった。 ★ 王立研究所の講義で、手を洗う話をする。 聞き手が素人だから、身近なものに置き換えた。 ★ 「なぜそう言えるか」を見せる書き方が、科学の文章を変えた。 推論の鎖を一段ずつ見せるのは、聞き手が素人だったから。 ★ ダーウィンだけ、聞き手がいない。 その場で答えられないから、難点に四章を先に割いた。 ★ 本には、時間をためられるという強みがある ——「結論に至るのに急いではいない」は、講義では書けない。 ★ 三人の作法は、学会の作法ではない。 素人に向けて話すうちに身についた——素人は、権威では納得しない。 ★ この課程は「自然選択とは何か」を教えていない。 教えたのは、その本がどう組まれているか。 次の課へ 次の課は 12.15 、 いまの学術英語 です。★ 第 5 期の知編の最後 です。★ 8.127 読編 〜 8.131 読編 で読んだ 書き手のいない文章 が、どうやってできたかを見ます。 答え 「やってみる」の四つの答えです。 ★ いちばん専門から遠いのは、 ハクスリーの聞き手 でしょう。 ★ 大工や石工は、学校に長く行っていません。 ★ ファラデーの聞き手は子どもですが、 王立研究所に来られる家の子 です。 ★ だから、ハクスリーのほうが ラテン語との比較 を必要としました。 ★ 置き換えの例。 ★ 手を洗う/タオル/洗面器/やかんの湯あか/バターを冷やす井戸。 ★ 五つとも 台所 にあります。 ★ 偶然ではありません ——★ 聞き手が確実に持っている場所だから です。 ★ 講義と本の差。 ★ その場で答えられないと、 反論を先に書く 必要が出ます。 ★ そして、 読み返される ので、誤りが残ります。 ★ だから、限界を先に書きます ——★ 8.124 読編 の序が、そういう形になっています。 ★ 読んでいないもの。 ★ ニュートン『プリンキピア』、ダーウィンの第四章 など。 ★ どちらも、 いきなりは読めません 。 ★ 読むとしたら、この課程で身につけた「序から読む」( 8.124 読編 )から始めます ——★ 序は、本の地図だからです。 参考文献 原文の出所: Michael Faraday『The Chemical History of a Candle』