4.1 過去の「き」 — 自分が体験した過去 — Epoché
この課でできるようになること 過去の助動詞「き」を、連用形の下に見つけられる。 「し」「しか」が「き」の変わった形だと分かり、「ありし日」「聞きしに勝る」の正体を言える。 「き」が「自分が体験した過去」を表すことを知り、次の課の「けり」との違いに備えられる。 「〜しかば」「〜しかど」と係り結び「こそ〜しか」を見て、文の切れ目を判断できる。 前提 : 3.4 まで。 ここから辞編「辞」に入ります。助動詞です。高校でいちばん恨まれている場所ですが、恨まれた理由は前にも書いたとおり、二十個の表をまとめて配られたからです。この編では一つずつ、しかも 意味の家族ごと に扱います。最初の家族は「過去」で、身内は二人だけ——「き」と「けり」です。この課はそのうち「き」だけを見ます。 助動詞を覚えるときに要るものは三つしかありません。 どの形の下につくか(接続)・どんな意味か・どう形を変えるか(活用) 。「き」ならこうです。連用形につく。自分が体験した過去を表す。形は「せ・き・し・しか」の四つだけ。この課の中身は、これで全部です。あとは原文で確かめ、声に出すだけです。 現代語に残っている形 「き」は現代語の言い切りとしては消えましたが、連体形の「し」は生きたまま残っています。次の言い回しは、どれも辞書なしで意味が取れるはずです。 いまの言い回し 意味 古文の形 若かりし頃 若かった頃 「若かり」+「き」の連体形「し」 ありし日 かつての日、生きていた日 「あり」+「し」 聞きしに勝る 聞いていたよりもすごい 「聞き」+「し」+助詞「に」 過ぎし日 過ぎ去った日 「過ぎ」+「し」 いにしえ 昔、過ぎ去った時代 「往にし」+「へ(方)」=過ぎ去ったほう、と説明される 五つとも、「し」の前が連用形になっているところに注意してください。「若かり」「あり」「聞き」「過ぎ」——「ます」を付けられる形、つまり連用形です(「いにしえ」の「往に」も同じ連用形です)。連用形の役目は「用言に連なる」、後ろに動詞や助動詞を呼ぶことでした( 形編 1課 )。「き」はその席に座る助動詞の一つです。だから「若かりし頃」を作れる人は、 「き」の接続をすでに間違えずに使えている ことになります。 もう一つ大事なのは、「し」が名詞の前に来ていることです。「頃」「日」——名詞です。名詞の前に来る形は連体形ですから、「し」は連体形だと逆算できます。名前を覚える必要はありません。 後ろに何が来ているかを見れば、形の名前はいつでも取り出せます。 古文ではこうなる 「き」の意味は「過去」ですが、ただの過去ではありません。 話し手が自分で体験した過去 です。自分が見た、自分が聞いた、自分がその場にいた——その確かさが「き」に入っています。だから日記や随筆で筆者が自分の身の上を語るところ、会話文で話し手が自分の昔話をするところに、集まって出てきます。逆に、昔から伝わる話や、自分の見ていない出来事には使いません。そちらは次の課の「けり」の担当です。この使い分けを覚えておくと、 主語が省かれた文でも「これは筆者自身の話だ」と分かる ようになります。助動詞が人物を教えてくれるわけです。 形は四つです。文を終えるときは「き」。名詞や助詞の前では「し」。「ば」「ど・ども」の前と係り結びでは「しか」。そして未然形の「せ」は「〜せば」の形でしか使われません。連用形と命令形はありません。 「し」も「しか」も、姿は違っても「き」です。 ここが高校でつまずくところです。「し」を見て過去だと分からないと、原文の時間が読めません。 「しか」が呼ぶもの 「しか」は已然形です。已然形の役目は「すでにそうなった」で、後ろに「ば(〜すると・〜したので)」と「ど・ども(〜けれども)」を呼びます。「ありしかば」なら「あったので」、「ありしかど」なら「あったけれども」です。もう一つ、係助詞「こそ」があると文末が已然形になる決まり——係り結びがあります。「こそ……しか。」で文が終わっていたら、そこが文の切れ目です。「しか」で終わる文を「まだ続く」と読んでしまうのが、よくある読み違いです。 カ変とサ変だけの例外 「き」は連用形につきますが、カ変「来」とサ変「す」の下だけは形が特別で、サ変は「せし」「せしか」、カ変は「きし」「きしか」「こし」「こしか」になります。「しき」「きき」とは言いません。数は少ないので、出てきたときに思い出せれば十分です。 原文で確かめる まず『徒然草』から。石清水を拝みに行ったのに、麓の寺だけ拝んで帰ってきてしまった仁和寺の法師が、他人に語る場面です。 聞きしにもすぎてたふとくこそおはしけれ。 [1] 読み: ききしにもすぎて とうとくこそ おわしけれ。訳: 「聞いていたよりも尊くいらっしゃった」。「聞き」+「し」で、助詞「に」の前なので連体形です。この法師は自分の耳で聞いていたので「き」を使います。同じ話の続きにはこうあります。 ゆかしかりしかど、神へまゐるこそほいなれと思ひて、山までは見ず [1] 読み: ゆかしかりしかど、かみへまいるこそ ほいなれと おもいて、やままでは みず。訳: 「行ってみたかったけれども、神に参るのが本来の目的だと思って、山までは見なかった」。「ゆかしかり」+「しか」+「ど」で已然形です。「〜たかったけれども」の「けれども」が「ど」に当たります。 同じ『徒然草』の別の段から、老人の昔話の結びです。 興に入られはべりき。その世にはかくこそ侍りしか [1] 読み: きょうに いられはべりき。そのよには かくこそ はべりしか。訳: 「(主君は)面白がっておられた。あの時代にはこんな具合であったのだ」。前半の「はべりき」が終止形で文を終え、後半は「こそ」を受けて已然形「しか」で終わっています。この段には「直垂のなくてとかくせしほどに」 [1] という言い方も出てきます。サ変の「す」に「し」が付いた「せし」で、さきほどの例外の形です。 次は『土佐日記』。任地から都へ帰る船の中で、旅の途中に子を亡くした母が泣く場面です。 かくのぼる人々のなかに京よりくだりし時に、皆人子どもなかりき。 [2] 読み: かくのぼる ひとびとのなかに きょうより くだりしときに、みなひと こどもなかりき。訳: 「こうして上る人々の中で、都から下ったときには、誰も子どもがいなかった」。「くだりし」が連体形、「なかりき」が終止形です。四年前に自分が下ったときの話なので「き」です。母の歌はこうです。 なかりしもありつつ帰る人の子をありしもなくてくるが悲しさ [2] 読み: なかりしも ありつつかえる ひとのこを ありしもなくて くるがかなしさ。訳: 「(下ったときに)居なかった子までも連れて帰る人があるのに、居た子を亡くして帰る、この悲しさ」。「なかりし」「ありし」が二つとも連体形で、どちらも自分の体験です。三十一字のうち「き」が二度使われて、四年の時間を抱えています。 係り結びの「こそ〜しか」を、『宇治拾遺物語』で見ます。鬼の群れに出会って肥前まで運ばれてしまった修行者が、京に帰って人々に語った、という結びです。 さて人どもにかかるあさましきことこそありしか。 [3] 読み: さて ひとどもに かかる あさましきこと こそ ありしか。訳: 「さて人々に、こんな驚くべきことがあったのだ、と(語った)」。「こそ」があるので文末が已然形「しか」になっています。ここで文が切れます。 最後に和歌を一首。 見せばやな 雄島のあまの 袖だにも 濡れにぞ濡れし 色はかはらず [4] 読み: みせばやな おじまのあまの そでだにも ぬれにぞぬれし いろはかわらず。訳: 「お見せしたいものだ。雄島の漁師の袖でさえ、濡れに濡れても色は変わらないのに(私の袖は血の涙で色が変わってしまった)」。「ぞ」を受けて連体形「し」で結んでいます。「こそ」以外の係助詞は連体形で結ぶので、ここは「しか」ではなく「し」です。 読み上げと音読 読み上げは現代の音で鳴ります。「たふとく」は「とうとく」、「おはし」は「おわし」、「まゐる」は「まいる」、「思ひて」は「おもいて」です。声に出すときは、 「き」「し」「しか」のところで少し力を入れて 読んでみてください。「なかりき。」で息が切れ、「くだりし時に」では切れない——耳で聞くと、終止形と連体形の違いが息の長さとして分かります。係り結びの「こそ……しか。」も、「こそ」で構えて「しか」で下ろす、という一つの型として体に入ります。 練習 次の四つの「き」が、それぞれどの活用形か答えてください。ア「ありし日」 イ「聞きしに勝る」 ウ「皆人子どもなかりき」 エ「こそありしか」 『土佐日記』の一文と歌には「き」が四つあります。すべて抜き出し、なぜ「けり」ではなく「き」なのかを一文で説明してください。 『徒然草』の法師の言葉と『土佐日記』の母の歌を、現代の音で三回ずつ音読してください。二回目からは読み上げを止め、「き」「し」「しか」で息を整えて読んでください。 この課のまとめ 「き」は 連用形 につく。意味は 自分が体験した過去 。 形は四つだけ。文末は「き」、名詞・助詞の前は「し」、「ば」「ど」の前と「こそ」の結びは「しか」。 カ変・サ変の下だけ「せし」「きし」「こし」の特別な形になる。 活用形 き どこに出るか 未然形 せ 「〜せば」「〜せましか」の形だけに残る 連用形 なし — 終止形 き 文を終える( なかりき ) 連体形 し 名詞・助詞の前( ありし日 ・ 聞きしに )、「ぞ」「や」「か」「なむ」の結び 已然形 しか 「〜しかば」「〜しかど」、「こそ」の結び 命令形 なし — 次の課へ 4.2 では、もう一人の過去、「けり」を扱います。「き」が自分の体験なら、「けり」は人から聞いた話と、いま気づいたことです。『竹取物語』の「今は昔……ありけり」がなぜ「ありき」ではないのか、そこから入ります。 答え ア 連体形(名詞「日」の前)。イ 連体形(助詞「に」の前)。ウ 終止形(文を終えている)。エ 已然形(「こそ」の結び)。 「くだりし」「なかりき」「なかりし」「ありし」。四年前に自分が任地へ下ったときのことも、自分の船で子を亡くしたことも、書き手と話し手が身をもって経験した過去だから。人から伝え聞いた話ではないので「けり」にはならない。 読みの目安: ききしにもすぎて とうとくこそ おわしけれ。/ゆかしかりしかど、かみへまいるこそ ほいなれと おもいて、やままでは みず。/なかりしも ありつつかえる ひとのこを ありしもなくて くるがかなしさ。 参考文献 兼好法師『徒然草』第52段(仁和寺にある法師)および平宣時朝臣の昔語りの段(國文大觀)。パブリックドメイン(作者没後 70 年以上)。漢字は通行の字体に改めた。出所: https://ja.wikisource.org/wiki/徒然草_(國文大觀) 紀貫之『土佐日記』二月九日(國文大觀)。パブリックドメイン(作者没後 70 年以上)。漢字は通行の字体に改め、踊り字(つゝ)を開いた。出所: https://ja.wikisource.org/wiki/土佐日記_(國文大觀) 『宇治拾遺物語』巻第一「修行者、百鬼夜行に逢ふ事」(國史大系)。パブリックドメイン(作者未詳・成立は鎌倉時代)。踊り字(かゝる)を開いた。出所: https://ja.wikisource.org/wiki/宇治拾遺物語 殷富門院大輔(『小倉百人一首』第90番、原典は『千載集』恋四)。パブリックドメイン(作者没後 70 年以上)。出所: https://ja.wikisource.org/wiki/小倉百人一首