熟議と参加――話し合いで決める民主主義 — Epoché
思想 民主主義 約 28 分 本文 約 12,600 字 図 4・表 2 資料 1 節 この課の要点 問題・二つの立場・争点の 3 つ 問題 票を集めて数えるだけの民主主義は、人々の好みを前もって決まったものとして扱い、話し合いで考えが変わる面を見落とす、と熟議の擁護者は批判します。 二つの立場 熟議民主主義は、理由を示し合う過程に法の正統性を求めます。参加民主主義は、決定に加わること自体が人を育てると考えます。 争点 合意は得られるか、議論の上手な人が有利にならないか、市民に時間と知識があるか、くじで選んだ人の決定でよいかが争われています。 はじめに クラスで文化祭の出し物を決める場面を思い浮かべてください。候補を黒板に並べ、すぐに手を挙げて数えれば、数分で決まります。けれども、手を挙げる前に「その出し物だと準備に何日かかるか」「去年の反省は何だったか」を話し合えば、最初は別の案に手を挙げるつもりだった人が考えを変えるかもしれません。どちらの決め方でも最後は多数で決まります。それでも、決まったことの重みは同じでしょうか。 この課程の『エリートの競争』の課では、選挙を、指導者たちが票を取り合う競争として見る民主主義を学びました。『ポリアーキー』や『多数決型と合意型』の課では、選挙と議会の設計を比べました。どれも、人々がすでに持っている意見を、票を通してどう政治に映すかという問いでした。この課では向きを変えます。票を投じる前の話し合いと、市民が自分で決定に加わることに、民主主義の大事な部分を見る考えを扱います。 その一つは「熟議民主主義」です。法や政策が正しいものとして通用するのは、それが理由を示し合う話し合いを経たときだ、と考えます。もう一つは「参加民主主義」です。選挙の日だけでなく、職場や地域の決定にも人々が加わること、そして加わることで人が政治の力を身につけていくことを重んじます。二つは重なり合いながら、くじで選んだ市民に話し合ってもらう新しい試みにもつながりました。 この課は「どうあるべきか」を問う規範の課です。本教材は、熟議と参加が正しいとも、票の集計で足りるとも決めません。まず票を集めるだけの見方とその限界を見ます。次に、熟議民主主義の代表的な論者ハーバーマスとコーエンの考えを読みます。続いて、参加民主主義と、くじで選ぶ話し合いの場の実例を見ます。そのうえで、熟議に向けられた批判と応答を整理します。 日本の例としては、2012 年に政府がエネルギー政策を決める前に行った討論型世論調査と、くじで選ばれた市民が裁判官と話し合う裁判員制度を取り上げます。資料の章では、裁判員法の条文を読み、話し合いと多数決がどう組み合わされているかを自分で確かめます。 この課の問い 民主主義は、人々の票を数えて多数を決めるだけで足りるのでしょうか。それとも、決める前に理由を示し合う話し合いや、市民が自分で決定に加わることが欠かせないのでしょうか。 この課のことば 熟議 結論を急がず、理由を出し合い、相手の理由を聞いて自分の考えを見直しながら進める話し合い。言い負かすための討論とは違います。 集計 人々がすでに持っている好みを票として数え、多い方に決めること。選挙や住民投票の開票がその典型です。 公共圏 政府でも市場でも家庭でもない、人々が公の事柄を論じ合う場。ハーバーマスの用語で、新聞の投書欄や街の集まり、ネット上の議論などが例になります。 ミニ・パブリックス くじなどで選んだ少人数の市民に、資料を読み、専門家に質問し、話し合ってもらう場。討論型世論調査や市民議会が例です。 参加民主主義 選挙で代表を選ぶことにとどまらず、職場や地域の決定にも人々が直接加わることを重んじる民主主義の考え。 効力感 自分が政治に影響を与えられ、そうする値打ちがあるという感覚。参加の機会が多いほど高まるかが研究されてきました。 話し合いで決める民主主義――票を数えるだけでは足りないのか この章では、まず票を集めて数える民主主義の見方を確かめ、その限界がどこにあるとされたかを見ます。次に、理由を示し合うことに正統性を求める熟議民主主義、決定に加わることを重んじる参加民主主義とくじで選ぶ話し合いの場を見ます。最後に、熟議への批判と応答を並べます。 票を集めるだけの民主主義――集計の見方とその限界 民主主義の定義から始めます。哲学の事典の一つ、スタンフォード哲学百科事典の「民主主義」の項は、民主主義を「集団の決定の方法のうち、決定の過程の本質的な段階で参加者の間にある種の平等があるもの」と定めます [1] 。そのうえで、この平等には深さの違いがあると述べます。代表を選ぶ選挙での一人一票という形の上の平等もあれば、投票に先立つ熟議や連合づくりの過程での、中身のある平等まで含むこともある、というのです [1] 。この課の問いは、まさにこの「平等の深さ」をめぐる問いです。 平等を一人一票の選挙にとどめ、深い平等や熟議を求める民主主義に反対した見方の代表が、この課程の『エリートの競争』の課で見たシュンペーターの民主主義です。同じ項によれば、エリート理論の論者たちは、市民の参加が高まると、情報の乏しい感情的な市民に訴える扇動家の悪い立法を生むと考えました。そして市民の無関心を、むしろ望ましい社会の現象とみなしました [1] 。この見方では、選挙はおおむね、支配する人を平和に保ったり替えたりする方法です(シュンペーター 1942) [1] 。ただしシュンペーターも、誰が見ても問題のある振る舞いをした政治家を、市民が選挙で追い出す役割は認めていました [1] 。 もう一つが、ダールの初期の利益集団多元主義です。この見方では、市民はそれぞれ暮らしに近い狭い利益を持つ集団に属し、その事柄にはよく通じています。政策と法は集団どうしの取引で決まり、民主主義は多数の支配というより「少数派の連合の支配」になります [1] 。同じ項は、この見方は熟議による公的な正当化の見方とはあまり両立しないと述べます。民主的な過程を集団の取引とみなし、人々の好みを社会全体でさらに議論にかけるものとは考えないからです [1] 。 二つの見方に共通するのは、人々の好みや利益を、政治の前に決まっているものとして扱う点です。政治の仕事は、選挙の競争で指導者を選ぶことや、集団の取引で利益を調整することになります。本教材では、これを「集計の見方」と呼んでおきます (図 1) 。 集計の見方 熟議の見方 好みは話し合いの 前に決まっている 好みは話し合いで 変わりうる 中心は選挙の競争や 集団の取引 中心は理由を 示し合うこと 好みを議論に かけ直すことは 求めない 好みを理由の吟味に かける 市民の主な役は 代表を選ぶこと 市民の役は理由を 出し吟味すること 図 1 集計の見方と熟議の見方(本教材の整理)。左右の各行は同じ観点を比べています。左の欄はエリート理論と多元主義に共通する点だけで、両者の違いは本文のとおりです。 熟議民主主義を擁護する人々は、ここに異を唱えます。共通善や正義への関心は、政治の前に与えられているだけではありません。政治の中の話し合いと討論を通じても変わり、よくなりうる、と彼らは主張します(エルスター、ガットマンとトンプソン、コーエン) [1] 。人は政治で自分の利益だけでなく道徳の考慮にも動かされるという実証の証拠も挙げられています(マンスブリッジ 1990) [1] 。 参加を重んじる側からも批判がありました。政治学者キャロル・ペイトマンの政治理論を紹介した論文によれば、1950〜60 年代に学界で力を持った見方がありました。民主主義を、エリートの指導者が人々の票をめぐって競い、決定の力を得る方法と定める見方です [3] 。そして多くの論者は、低い参加と無関心を、政治の安定に役立つものとして評価さえしました [3] 。ペイトマンはこれを「現代の民主主義理論」と呼んで批判し、参加を中心に置く民主主義の伝統を掘り起こしました [3] 。 学級の例に戻ります(本教材の作例)。挙手ですぐ決める方法は早く、誰の一票も同じ重さです。けれども、準備の手間や去年の失敗を知っている人の情報は、票の数には表れません。話し合ってから決めれば、その情報がほかの人の判断に入ります。集計の見方は「すでにある意見をどう数えるか」を問い、熟議の見方は「意見がどう作られ、どう改められるか」を問う、と言えます。 ここで間違えやすい 熟議民主主義は、投票をやめて全員一致になるまで話し合う考えではありません。話し合いの後で多数決を使う仕組みも多く、この課の資料で読む裁判員の評決もその一つです。熟議の考えが問うのは、票の前に理由を示し合う過程があるかどうかです。 理由を示し合う――熟議民主主義の考え 熟議民主主義の考えに最も大きな影響を与えた一人が、哲学者ユルゲン・ハーバーマスです。スタンフォード哲学百科事典の「民主主義」の項は、彼の考えを「公的な正当化」としての民主主義の流れに位置づけます。法や政策が正統なのは、共同体の市民に対して公に正当化されている限りにおいてです。公的な正当化とは、対等な者どうしの自由で理由のある討論の結果としての、一人ひとりの市民への正当化を指します [1] 。 ハーバーマスは『事実性と妥当性』(1992)で、次の「民主主義の原理」を立てました。英訳からの本教材の訳で示します。「法的に構成された、討議による立法の過程において、すべての市民の同意を得ることのできる法律だけが、正統性を主張できる」 [1] [2] 。ここで「同意を得ることのできる」とあるのは、実際に全員が賛成票を投じたかどうかではなく、討議の過程の中で全員が受け入れうるかを問う言い方です。同じ項は、彼の正統性の考えを、法は自由で包摂的な民主的な「意見と意思の形成」の過程から生まれるときにだけ正統だ、と要約します [1] 。 では、何千万人もいる複雑な社会で、その過程はどんな形をとるのでしょうか。ハーバーマスの答えは「二つの経路」のモデルと呼ばれます [1] [2] 。一つは、議会と、それに付随する行政や司法の機関からなる、法で組織された正式の場です。もう一つは、それを取り巻く非公式の「公共圏」です。公共圏は、ハーバーマスが 1962 年の『公共性の構造転換』で示した概念で、国家にも経済にも家族にも属さず、私人が一般の関心事を論じ合い、「世論」が作られる場です [2] 。彼は、17〜18 世紀の喫茶店やサロン、読書の集まりで、まず文芸を論じる公共圏が生まれたと描きました [2] 。 現代の公共圏は、中心で調整されない「野生の」複合体だとハーバーマスは言います [1] [2] 。うまく働くとき、そこでの議論と、その産物である道徳の規範・価値・世論は、「水門と水路」の仕組みを通って議会の複合体に染み込みます。議会での議論を経て法と政策になり、社会へ返されます [2] 。返された法は、世論と共有の価値に形づくられ議論で練られているので、込められた理由によって市民に受け入れられる、とハーバーマスは説明します [2] (図 2) 。 公共圏の声は水門を通って議会へ 議会 法と政策が社会へ返る 意見 異論 水門 水門 議論が流れる 公共圏(市民社会) 乗っ取らず影響する 図 2 ハーバーマスの二つの経路のたとえ(本教材のたとえの絵)。公共圏の議論は水路と水門を通って議会に届き、審議を経た法と政策が社会へ返されます。公共圏は議会を乗っ取らず、影響を与えます。 この絵で大事なのは、公共圏の声が議会を取り囲みはしても、「征服するつもりはない」とされる点です [2] 。市民社会は、直接に決定を下すのではなく、判断と決定に影響を与えることで政治の体系を間接に「方向づける」とされます [2] 。人民が一つの意思を持って自ら法を作るという古いモデルは、働くとしても、小さく、倫理的にまとまり、参加の非常に高い社会だけだ、とハーバーマスは見ていました [2] 。 ジョシュア・コーエンは、ハーバーマスやロールズらに拠りながら、市民が互いに受け入れうる理由に基づいて法と政策を正当化する民主主義を描きました [1] 。民主主義とは、人々が自由に、対等な立場で、理由のある議論と熟議を行う場であり、その目標は市民の間の理にかなった合意だとされます [1] 。ロールズもまた、市民と公職者に「市民性の義務」を求めました。重要な法について投票し公に主張するとき、互いに受け入れうる正当化を示す用意をせよ、という義務です [1] 。 日本の国会の審議にこの考えを当てはめてみます(本教材の整理)。熟議の考えから見ると、法案の採決で賛成が多数だったことだけでは足りません。委員会や本会議の質疑で、賛成する側が反対する人にも受け入れうる理由を示したか、反対の理由に答えたかが問われます。新聞の社説や街の集会は、非公式の公共圏にあたります。ただし、どの議論が理由を示し合う熟議にあたり、どれがそうでないかを見分ける基準は、それ自体が論争の対象です。 ここで間違えやすい ハーバーマスの「すべての市民の同意」を、すべての法に全員の賛成票が要るという意味に取るのは誤りです。原理は、討議の過程で全員が受け入れうるかを正統性の尺度にしています。また、公共圏の議論は議会を乗っ取って決めるのではなく、水門を通して影響を与えるものとして描かれています。 誰が話し合うのか――参加民主主義と、くじで選ぶ小さな公衆 熟議の考えには一つの難題があります。理由を示し合う話し合いは、何百万人が同時に行うことはできません。では、誰が、どこで話し合えばよいのでしょうか。この問いに、二つの方向から答えが出されてきました。一つは、日々の暮らしの場で人々が決定に加わる機会を広げる参加民主主義です。もう一つは、くじで選んだ少人数の市民に、条件を整えて話し合ってもらうミニ・パブリックスです。 参加民主主義の理論を形にしたのがペイトマンの『参加と民主主義理論』(1970)です。紹介論文によれば、彼女はルソー、J. S. ミル、20 世紀のギルド社会主義者 G. D. H. コールを、参加の民主主義の理論家として読み直しました [3] 。そして「参加民主主義の理論は、参加の教育的な働きと、産業の決定的な役割という二つの仮説で、立ちもし倒れもする」と書きました [3] 。人は決定に加わることで、自分が政