核と抑止――使えない兵器の政治 — Epoché
国際と日本 国際政治 約 25 分 本文 約 10,500 字 図 5・表 2 資料 2 節 この課の要点 抑止の論理・不使用の説明・日本の選択の 3 つ 抑止の論理 攻撃されても報復できる力を残し、罰の予告で攻撃を思いとどまらせる 不使用の説明 1945年以後の不使用を抑止・規範(タブー)・運のどれで説明するか 日本の選択 NPTで持たない約束をし、非核三原則と同盟の拡大抑止を併せ持つ はじめに 1945年8月、広島と長崎に原子爆弾が落とされました。研究者タネンウォルドが1999年に書いたとおり、これは戦争で核兵器が使われた、ただ一度の例です [2] 。その後、核兵器は数を増やし、いくつもの国が持つようになりました。それでも、経済学者シェリングが2005年の講演で振り返ったように、戦争の中で核兵器が爆発しない60年が続きました [3] 。 核兵器は、持っていても使うことのできない兵器だといわれます。ところが、使われない兵器が、冷戦の外交や同盟、軍縮の交渉を大きく動かしてきました。使わないことに意味がある兵器とは、いったい何なのでしょうか。そして、使われない状態はこれからも続くと考えてよいのでしょうか。この課は、この二つの問いを手がかりに進みます。 この課程の『リアリズム――力と勢力均衡』の課では、国家が力の釣り合いで身を守る見方を学びました。『戦争の原因――交渉はなぜ失敗するのか』の課では、戦争が高くつくのに起きる理由を考えました。この課では、その「高くつく」が極端になった兵器、核兵器を取り上げます。 前半では、核の時代の初めに唱えられた「抑止」の考え方を、防御との違いに注意しながら組み立てます。後半では、核が使われてこなかったのは抑止のおかげなのか、それとも使用を忌む規範や運によるのかを比べます。最後に、核兵器不拡散条約(NPT)と、日本の非核三原則、同盟による抑止の関係を条文と国会の記録で確かめます。 この課の問い 使えない兵器である核兵器は、どのように戦争を遠ざけてきたのでしょうか。核が使われてこなかったのは抑止のおかげなのでしょうか、それとも別の理由があるのでしょうか。 この課のことば 抑止 相手に「攻撃すればひどい目にあう」と思わせて、攻撃を思いとどまらせることです。本課ではウォルツの用語にならい、守りを固めて攻撃を難しくする「防御」とは区別します。 第二撃の戦力 先に攻撃を受けても生き残り、反撃に使える戦力のことです。たとえば、見つけにくい場所に隠した兵器がこれに当たります。 核のタブー 核兵器を使うことを、ほかの兵器とは違う「してはならないこと」と見なす考え方です。法律ではなく、人々や政府に共有された感覚です。 核兵器不拡散条約(NPT) 核兵器を持つ国をこれ以上増やさないための条約です。1968年に作られ、核兵器国と非核兵器国にそれぞれ違う約束を課しています。 拡大抑止 同盟国が、自国だけでなく同盟相手への攻撃も思いとどまらせることです。このうち核兵器によるものを「核の傘」と呼びます。 核抑止――使えない兵器はどう戦争を遠ざけ、どんな危うさを残すのか この章では、核の時代の初めに唱えられた抑止の考え方を出発点にします。次に、抑止の論理を防御との区別から組み立て、その論理だけで1945年以後の不使用を説明できるかを、規範と運の説明と比べます。最後に、核兵器不拡散条約の条文と、日本の非核三原則・同盟の抑止を確かめます。 勝つための兵器から避けるための兵器へ――ブローディの問い 1945年8月、イェール大学の研究者バーナード・ブローディは、海軍の戦略を研究していました。原爆投下の知らせから数日のうちに、彼は海軍力の研究を離れ、核戦略の本に取りかかったといいます [1] 。翌1946年の論集『絶対兵器』で、彼は、これまで軍の主な目的は戦争に勝つことだったが、これからは戦争を避けることでなければならない、と書きました [1] 。 なぜ「勝つ」から「避ける」へ目的が移るのでしょうか。理由の第一は、ブローディが原爆を戦争を終わらせる魔法とは見なかったことです。爆弾があるだけで、狭い意味で戦争が不可能になるとは期待できない、と彼は述べています [1] 。原爆が無くても近代戦の惨禍は十分な歯止めになるはずでしたが、実際にはそうならなかったからです [1] 。 第二の理由は、報復の有無が侵略の誘惑を左右することです。大きな報復を恐れずに原爆を使えるなら、それは明らかに侵略を促す、とブローディは考えました [1] 。逆にいえば、使えば同じ目にあうと相手が知っていれば、使うことは割に合わなくなります。 第三の理由は、ここから安全保障の優先順位が決まることです。ブローディは、攻撃を受けた場合にも同じ種類の報復ができる可能性を自分に保証することを、原子爆弾の時代の米国の安全保障で最初の、最も大事な一歩に挙げました [1] 。勝つための準備より、報復の力を確実に残すことが先に来るのです。この筋道を順に並べると次のようになります (図 1) 。 相手が攻撃を考える 先に核で攻撃すれば得をするかを 計算する 計算に入る 報復の力が残る 攻撃を受けても生き残る第二撃の戦力が ある だから 罰が利益を上回る 攻撃すれば得る物より大きな損害を 受けると見込む その結果 攻撃を思いとどまる 戦争を避けることが軍の主な目的になる 図 1 報復の力による抑止の筋道(ブローディとウォルツの議論をもとにした本教材の整理) その後の歴史は、この考えを試す場になりました。シェリングの紹介によれば、1960年に英国の作家C・P・スノーは、核保有国が軍備を大幅に減らさない限り、10年以内の熱核戦争は「数学的に確実」だと書きました [3] 。しかし2005年の講演の時点で、戦争の中で核が爆発しない60年が続いていました [3] 。シェリングはこれを達成と呼ぶべきか、それとも幸運と呼ぶべきか、と問いかけています [3] 。 ここで一つの反論が考えられます。報復の力を確実に残そうとすれば、相手も同じことをし、双方が数を増やし続けるのではないか、という疑問です。実際、米国の核弾頭の保有数は1967年度末に31,255発の最大に達しました [10] 。ただし本教材の読みでは、数の増減と抑止の効き目の関係は、保有数の推移だけでは決められません。この点は資料の節で、数の数え方とともに確かめます。 タネンウォルドも1999年の論文で、1945年以後の不使用を核時代で最も重要な現象と呼びました [2] 。使われないことそのものが、説明を求められる出来事になったのです。この節の後で問うのは、その不使用を何が支えてきたのか、です。 ここで間違えやすい 誤解:抑止とは、核戦争に勝つための準備のことだ。正しい理解:ブローディが唱えた抑止の中心は、攻撃されても同じ種類の報復ができる力を残し、相手に攻撃を割に合わないと思わせることです。勝つことは目的の中心から外れています。 抑止の論理――守る力ではなく罰する力 抑止という語を正確に定義したのが、国際政治学者ケネス・ウォルツです。彼によれば、抑止するとは、字義どおりには、相手を怖がらせて何かを思いとどまらせることです [4] 。そして抑止は、防御する力ではなく、罰する力によって得られると述べました [4] 。 この区別が大事な理由は三つあります。第一に、二つは相手に伝える内容が違います。抑止の戦略が伝えるのは、「こちらは無防備だが、攻撃すれば、得る物を上回る罰を与える」という予告です [4] 。防御の戦略は、守りが固いので攻めても砕けるだけだ、と伝えます。その例としてウォルツが挙げたのが、フランスがドイツとの国境に築いたマジノ線でした [4] (図 2) 。 防御 抑止 攻撃そのものを 難しくする 攻撃の後に罰を 与える力 「攻めても 砕けるだけだ」と 伝える 「攻めれば 利益以上の罰を 与える」と伝える 例:マジノ線 例:第二撃の核戦力 罰の手段を持たない 無防備でも成り立つ 図 2 防御による思いとどまりと、罰の予告による抑止(ウォルツの区別) 第二に、ウォルツの用語では、守りの強さは抑止になりません。純粋に防御のための兵力は罰の手段を持たないので、抑止を与えない、とウォルツは言います [4] 。それなのに、防御と抑止はしばしば混同されるとも指摘しました [4] 。第三に、抑止に向いた兵器があります。攻撃を受けた後でも反撃できる核戦力、つまり第二撃の戦力が、抑止の戦略に役立つのです [4] 。 ただし、第二撃の戦力には条件があります。ウォルツは三つを挙げました。攻撃を受けても生き延びて反撃できること [4] 。誤警報かもしれない段階で急いで撃たなくても、戦力が残ること [4] 。事故や無許可で使われないこと、です [4] 。隠せない兵器、急がないと失う兵器、管理の甘い兵器は、かえって危険を生みます。 二つめの条件の意味は、逆の場合を考えると分かります。本教材の解釈では、相手の先制攻撃で簡単に失われる戦力しか持たない国は、攻撃の兆しを見ただけで「失う前に撃つ」誘惑にかられるおそれがあります。誤警報は実際の攻撃と見分けにくいので、その誘惑は事故の戦争につながりかねません。生き残る戦力は、急がなくてよいという余裕を与えるのです。 本教材の作例で身近に置き換えてみます。家の頑丈な鍵や高い塀は、泥棒が入るのを難しくする防御に当たります。防犯カメラと通報の仕組みは、入れば捕まると知らせる点で、罰の予告による抑止に近いといえます。ただしこのたとえは区別を示すためだけのもので、互いに相手を壊滅させうる核の規模は写せません。 ウォルツは、核兵器があると国家はきわめて慎重になると論じ、キューバ危機のケネディとフルシチョフを例に挙げました [4] 。第二撃の戦力に裏づけられた脅しは、戦争の見込みの費用を非常に高くし、戦争を起こりにくくする、というのです [4] 。多くの人は核兵器が広がるほど世界は危険になると考えます [4] 。これに対しウォルツは、核兵器が抑止の理想に近づくことを可能にする、と論じました [4] 。 もっとも、ウォルツ自身が弱点も認めています。抑止の脅しは信じてもらえないかもしれません [4] 。互いに破壊し合う見通しがあると、いざというときに脅しを実行するのは難しく、不合理でさえあるからです [4] 。また、領土の主張があいまいで争いのある場所では、抑止は効かないとしています [4] 。 ここで間違えやすい 誤解:防衛力を固めれば、それがそのまま抑止になる。正しい理解:ウォルツの区別では、守りを固めて攻撃を難しくするのは防御で、抑止は攻撃の後に罰を与えるという予告によって働きます。純粋な防御の兵力は罰の手段を持たないので、抑止を与えません。 抑止だけで説明できるか――タブーと運 1945年以後に核兵器が使われてこなかったのは、抑止がうまく働いた証拠なのでしょうか。タネンウォルドは、よく引かれる説明は抑止だが、それは誤りか不完全だと論じました [2] 。彼女も、まったくの運がいくらか役割を果たしたことは疑いないと認めています [2] 。そのうえで、規範の働きを説明に加えるべきだと主張しました。 タネンウォルドによれば、国際社会には核使用を禁じる規範が育ってきました。それはまだ十分に強固な規範とはいえないものの、核兵器を受け入れられない大量破壊兵器として汚名を着せた、というのです [2] 。この汚名が無ければ、核はもっと使われていたかもしれない、と彼女は述べています [2] 。ただし論文が検討したのは、米国の核の経験です [2] 。 抑止の説明だけでは足りない理由を、具体的な場面で見ておきます。シェリングによると、朝鮮戦争の初期に米国では核の使用が論じられましたが、結論は「使わない」でした [3] 。また1953年2月11日の国家安全保障会議で、ダレス国務長官は、核と他の兵器の間の誤った区別を崩すべきだと述べたといいます [3] 。ダレスは、核兵器に1953年の早くからタブーがまとわりついたと感じ、それを嘆いていました [3] 。 シェリング自身は、核が使われなかった功績の大きな部分はこのタブーによると考えました [3] 。理由として、彼は兵器の大きさを挙げます。アイゼンハワー政権の末までに、最大の通常爆薬より威力の小さい核兵器も作れるようになりました [3] 。それでも、小さいことは呪いを免れる理由にならなかったのです [3] 。核兵器の特別さの大きな部分は、特別だと見なされていることから来る、と彼は言います [3] 。 英語で通常兵器を表す「conventional」には、「取り決めによる」という意味もあります。シェリングはこれを生かして、核兵器が違うというのは、確立した取り決めにすぎないと述べました [3] 。本教材では、ここまでの説明を三つに整理します (図 3) 。三つは互いに排他的ではなく、組み合わせて使うことができます。 1945年以後の不使用 広島・長崎の後、戦争で核が 使われていない 抑止 報復への恐れが国家を慎重にする (ウォルツ) 規範(タブー) 核の使用に汚名が着せられた (タネンウォルド・シェリング) 運 危うい場面を偶然切り抜けた面も ある(タネンウォルド) 組み合わせて考える どれか一つで全部を 説明できるとは限らない 図 3 1945年以後の核の不使用をめぐる三つの説明(本教材の整理。三つは排他的でない) ダレスの例は、規範が誰かの設計で上から作られたとは限らないことを示しています。国務長官が崩したいと願ったのに、区別は残ったからです。シェリングも、この抑制がどう生まれたのか、必然だったのか、注意深い設計の結果か、運が絡んだのか、今後も強いのか脆いのかは、検討に値すると述べました [3] 。不使用の理由は、まだ決着していない問いなのです。 規範による説明にも反論があります。規範は目に見えず、運と区別しにくいという点です。シェリング自身、この伝統が生き残る保証は無く、核兵器を持つ国や持ちうる国の中には、取り決めを共有しない国もあるかもしれないと認めました [3] 。タネンウォルドが「まだ」十分強固ではないと書いたのも同じ警告です。これに対し規範の側からは、だからこそ伝統を保つ努力が要ると再反論できます。シェリングは、この伝統を保つことをNPTの延長と同じくらい重