利益集団と集合行為――少数の組織が強いわけ — Epoché
制度と行動 選挙・政党・市民 約 28 分 本文 約 12,400 字 図 4・表 2 資料 2 節 この課の要点 ただ乗り・誘因・限界の 3 つ ただ乗り 共通の目標の達成は公共財にあたり、誰も便益から外されない。オルソンは、集団がごく小さいか強制などの仕掛けがない限り、合理的で自己の利益を考える個人は集団の利益のために行動しないと論じた 誘因 人数の少ない集団や、選択的誘因(加わる人への得・負担しない人への罰)をもつ集団は組織を保ちやすい。オルソンは、民主政では緊密な少数の利益が過大に代表されがちだと論じた 限界 集団の大きさの効果は仮定によって変わるという批判があり、オストロムは、話し合い・監視・制裁の仕組みで人々が自分たちを組織する例が予想よりはるかに多いことを示した はじめに 国会や省庁の周りでは、労働組合や企業の業界団体、医師や農業者の団体などが、政策への要望を伝えています。こうした団体を、政治学では利益集団と呼びます。選挙や政党と並んで、利益集団も民主政の大事な担い手として研究されてきました。 ここで素朴な疑問がわきます。民主政では、人数の多い側の利益が通りやすいはずではないでしょうか。単純化した作例で考えます。ある輸入品に関税がかかり、国内の少数の生産者が守られる一方、多数の買い手が少しずつ高い値段を払うとします(本教材の作例)。人数では買い手のほうがはるかに多いのに、買い手がまとまって反対の声を上げる場面は、あまり思い浮かびません。 この問いに鋭い答えを出したのが、経済学者マンサー・オルソンの『集合行為の論理』(1965)です [3] 。オルソンは、共通の利益があるだけでは人はまとまらない、と論じました。皆のためになる成果は、費用を出さなかった人にも届くからです。この課では、その「ただ乗り」の論理をたどり、大きな集団がどうやって組織を保つのか(選択的誘因)、そして少数の集団が強くなりうるのはなぜかを考えます。 ただし、オルソンの論理には批判も多くあります。終わりの節では、論理の前提への批判と、人々が話し合いと監視の仕組みで自分たちを組織する例を集めたエリノア・オストロムの研究を見ます。資料の章では、日本の労働組合の組織率の推移と、労働組合法の条文を読みます。この課程の『政党――政治家はなぜ集まるのか』の課では、政治家が政党に集まる理由を見ました。この課では、政党の外で利益をまとめ、政治に働きかける団体に目を向けます。 この課の問い 同じ利益をもつ人が大勢いるのに、なぜ組織にならないことが多いのでしょうか。人数の少ない集団のほうが、政治で声を通しやすいことがあるのはなぜでしょうか。 この課のことば 利益集団 共通の利益をもつ人や企業が集まり、政府や議会の決定に働きかける団体です(本教材の整理)。労働組合・業界団体・医師などの職能団体が例です。 集合行為 大勢が力を合わせて、皆のためになるものを生み出したり守ったりすることです。組合をつくる、署名を集める、などです。 公共財 集団の一部に供給されると、ほかの成員に渡さないでおくことが実際上できない財です。街灯の明かりや国の防衛が典型です。 ただ乗り 自分は費用を出さずに、ほかの人が生み出した便益だけを受けることです。 選択的誘因 貢献した人だけに与える得や、負担しない人への罰です。集団全体に及ぶ成果とは別に、一人ひとりを区別して働きます。 集合行為の論理――共通の利益は、なぜ組織を生まないことがあるのか 利益集団は、政党と並んで政治を動かす担い手です。ところが、利益を共にする人が多いほど、かえってまとまりにくいことがあります。この章では、まず利益集団とは何かを確かめ、次にオルソンの「集合行為の論理」をたどり、最後にその論理への批判と、人々が自分たちを組織する条件を見ます。 利益集団とは何か――政党と違う、政治への入り方 本教材では、共通の利益をもつ人や企業が集まり、政府や議会の決定に働きかける団体を、利益集団と呼びます(本教材の整理)。政党も政府の決定に関わりますが、政党は選挙に候補者を立て、議席を得て政権を担おうとします。利益集団は、ふつう自分で政権を担うことを目指さず、決定をする人々に外から働きかけます。働く人の労働組合、企業がつくる業界団体、医師や弁護士などの職能団体、農業者の団体、環境や消費者の問題に取り組む団体などが、その例です。 働きかけの道は一つではありません。役所や議員に情報や要望を伝える、選挙で特定の候補や政党を支援する、政治資金を寄附する、といった道があります(本教材の整理)。このうち寄附の道は、日本では法律で区切られています。政治資金規正法第 21 条第 1 項は、会社・労働組合・職員団体その他の団体は、政党と政治資金団体以外の者に対しては、政治活動に関する寄附をしてはならないと定めます [7] 。会社や労働組合が政治活動のために寄附できる相手は、政党と政治資金団体に限られているわけです。なお同じ条の第 2 項は、政治団体がする寄附にはこの制限を当てないとしています [7] 。 寄附の額にも上限があります。同じ法律の第 21 条の 3 は、政党と政治資金団体への寄附の総額を年ごとに区切っています。たとえば労働組合と職員団体の上限は、組合員や構成員の数で決まります。10 万人以上なら 3,000 万円、5 万人以上 10 万人未満なら 1,500 万円、5 万人未満なら 750 万円です [7] 。会社は資本金の額に応じて、会社・労働組合・職員団体以外の団体(政治団体を除く)は前の年の経費の額に応じて、同じように上限が決まります [7] 。さらに大きな会社・労働組合・職員団体・その他の団体には、上限を加算する定めもあります [7] 。団体による政治活動の寄附は、こうして相手と額の両方で枠がはめられています(寄附以外のお金の動きは、この条文の外です)。 利益集団の大きさを数で見られる例が、労働組合です。厚生労働省の調査によると、2024 年 6 月 30 日現在の労働組合員数(単一労働組合)は 991 万 2 千人でした [5] 。雇用者のうち労働組合員の占める割合(推定組織率)は 16.1%です [5] 。全国組織の連合(日本労働組合総連合会)に産業別組織を通じて加盟する組合員は 681 万 2 千人で、全労働組合員数の 68.7%にあたります [5] 。ただしこの割合は、複数の団体に加盟する組合員をそれぞれの団体に重ねて数えた集計です [5] 。 ここで一つの見方が浮かびます。利益を共にする人は、その利益のためにまとまって行動するはずだ、という見方です。集団の行動を、成員それぞれの利益という力を足し合わせた合力のように説明する考え方は、社会理論に見られました。オルソンは、これを社会理論の根本の誤りだと指摘しました [1] 。雇用者のうち組合員が 16.1%という数も、「共通の利益があればまとまる」という見方だけで読むと、不思議に見えるかもしれません(本教材の問いかけ)。ただし、組織率がこの水準である理由は、この数だけからは分かりません。 ここで間違えやすい 利益集団を、ただちに「特定の利益のために政治をゆがめる圧力団体」とみなすのは早すぎます。要望や情報を政治に届ける働きを民主政に欠かせないと見る立場もあれば、一部の利益が強く通りすぎることを問題とみる立場もあります。どちらの評価をとるかは、この課の論理を学んだうえで、読者が考えることです。 ただ乗りの論理――オルソンの問い マンサー・オルソンの『集合行為の論理』(1965) [3] は、ただ乗りの問題を本一冊で論じた最初の研究で、その後の多くの研究の土台になりました [1] 。序論でオルソンは、二つの条件を置いて命題を述べます。一つは集団の人数がごく少ないこと、もう一つは、個人に共通の利益のために行動させる強制その他の特別な仕掛けがあることです。そのどちらもない限り、「合理的で自己の利益を考える個人は、共通の利益、つまり集団の利益を達成するために行動しない」というのです [2] 。この二つの条件を落とさずに読むことが大切です。 なぜでしょうか。オルソンは公共財の考え方から説明します。ある財が公共財であるとは、集団の一部の成員に供給されると、その集団のほかの成員に渡さないでおくことが実際上できないことをいいます [2] 。そして、集団の共通の目標が達成されることは、その集団に公共財が供給されたことにあたります。目標が共通であるということ自体が、集団の誰も達成の便益から外されないことを意味するからです [2] 。 ここから筋道は次のようになります (図 1) 。目標の達成に費用を出すのは、自分にとっての負担です。一方、達成されたときの便益は、費用を出さなかった人にも届きます。大きな集団では、自分一人が出すかどうかで、達成されるかどうかはほとんど変わりません。すると、強制も特別な仕掛けもなければ、一人ひとりにとっては、費用を出さずに他人の貢献に乗るほうが得になります。皆がそう考えると、全員が望んでいた目標が達成されにくくなります(本教材の整理)。 共通の利益 集団の皆が得をする目標がある 公共財 達成されれば、費用を出さない人も 便益を受ける 小さな影響 大きな集団では、一人の貢献で結果が ほとんど変わらない ただ乗りの誘因 強制も仕掛けも無ければ、費用を 出さないほうが得になる 結果 全員が望む目標が達成されにくい 図 1 オルソンの論理の筋(本教材の整理)。集団の人数がごく少ないときや、強制などの特別な仕掛けがあるときには、この筋どおりにはならない。 スタンフォード哲学百科事典(SEP)の項目は、この問題を二段に分けて定義しています。集合行為問題とは、皆が同じ行為をするほうが誰もしないより全員にとって良いのに、各自が自分の利益と考えるものの対立から、全員にとってより悪い結果になるおそれのある状況です。ただ乗り問題はその一種で、財を集団で効率よく生み出すことが、各自のもつ「貢献しない誘因」によって危うくなる問題です [1] 。 SEP は、ただ乗り問題がよく生じる形として、多人数の囚人のジレンマを挙げます。そこには三つの特徴があります。第一に、ほかの人がどうしようと、各自は協力しないほうを好みます。第二に、各自は、全員が協力するほうを、全員が協力しないよりも好みます。第三に、自分だけが協力しない結果が最も良く、自分だけが協力する結果が最も悪くなります [1] 。ただし SEP は、ただ乗り問題のすべてがこの形ではないとも述べます。非常に大きな集団で、自分の貢献から得る便益が小さいときには、ただ乗りの誘因が強まります。一方、貢献する人が少なく、その財が大事なときには、貢献することがかえって自分の利益にかなうこともあるからです [1] 。SEP の例では、何百万人もの資金で支えられた警察には払わずに頼りたくなっても、公の警察がなければ、地元の自警団に加わって自分の安全を高めるのが得になりうる、とされます [1] 。 単純化した作例で考えます (図 2) 。商店街の街灯の電気代を、各店からの募金でまかなうとします。街灯の明かりは、募金を入れなかった店の前も照らします。多くの店が並ぶ商店街では、自分の店一つが入れなくても街灯はたぶん消えないと、どの店も考えるかもしれません。そう考える店が増えると募金が足りなくなり、どの店も望んでいた明るい通りが保てなくなります(本教材の作例)。この課程の『投票参加――なぜ人は投票に行くのか』の課で見た、一票で結果が変わる見込みは小さいという問題とも、よく似た形をしています。 商店街の街灯の募金 明かりは入れない人にも届く 募金箱に入れる人 入れずに通り過ぎる人 図 2 商店街の街灯の募金(本教材の作例)。街灯の明かりは、募金箱に入れた人にも、入れずに通り過ぎた人にも同じように届く。 ここで間違えやすい すべての集合行為問題がただ乗り問題なのではありません。SEP は、互いの利益の対立で皆にとって良い結果が危うくなるものの、各自の貢献しない誘因が中心ではない「チキン・ゲーム」を挙げ、集合行為問題の一部だけがただ乗り問題だと区別しています [1] 。また、オルソンの命題は「人は自分勝手だ」という道徳の主張ではありません。合理的で自己の利益を考える個人を前提にすると、集団の行動は自動的には出てこない、という論理の主張です。 少数が強いわけ――集団の大きさと選択的誘因 オルソンの議論で政治学に大きな影響を与えたのが、集団の大きさの扱いです。SEP によると、オルソンは、集団が大きくなるほどただ乗り問題が強まるというヒュームの観察を、くわしく展開しました [1] 。そして、民主政では、緊密に結びついた少数の利益が過大に代表され、ゆるく結びついた多数の利益に勝ちがちだと論じました [1] 。この課の題の「少数の組織が強いわけ」の中心は、ここにあります。 大きな集団で問題が強まる理由を、SEP は条件つきで述べています。自分の貢献から自分が得る便益が小さく、貢献しているかどうかを互いに見張る力が弱い非常に大きな集団では、ただ乗り問題が小さな集団より強くなりうる、というのです [1] 。逆に、人数が少ない集団では一人ひとりの取り分が大きく、誰が貢献していないかも見えやすくなります(本教材の整理)。オルソンの命題が、人数のごく少ない集団を例外にしていたこととも、つながる見方です [2] 。 はじめにの関税の作例に当てはめてみます。守られる生産者は少数で、一社あたりの得が大きく、互いの顔も見えます。値上がりの負担は多数の買い手に少しずつ散らばり、一人の負担は小さいので、まとまる手間に見合いません(本教材の作例による当てはめ)。もちろん、これは他の条件が同じならという傾向の話です。少数の側が必ず勝つという法則ではありません。 では、大きな集団はどうやって組織を保つのでしょうか。オルソンの答えが選択的誘因です。オルソンは、彼が「潜在的な集団」と呼ぶ集団について、その中の合理的な個人を集団のために動かすのは、別個の「選択的な」誘因だけだと述べます [2] 。誘因は、集団全体に無差別に及ぶ成果とは違い、加わらない人や貢献しない人を、貢献する人と区別して扱えなければなりません。選択的誘因には、割り当てられた費用を負担しない人を罰して強制する負