福祉国家――三つの福祉レジーム — Epoché
制度と行動 政策と政治経済 約 24 分 本文 約 10,300 字 図 5・表 2 資料 1 節 この課の要点 誰が支える・何で分かる・どこに入るの 3 つ 誰が支える 暮らしの支えの主役は国によって違い、エスピン=アンデルセンはそれを国家(社会民主主義)・家族と職域(保守主義)・市場(自由主義)の三つの型に分けた 何で分かる 型は支出の多さではなく、脱商品化と階層化という給付の中身の物差しで見分ける。型の違いは労働者と農民・中間層の政治的な連合の違いから生まれたと説明される どこに入る 家族の担う介護・育児を見落とすという批判から脱家族化の物差しや南欧・東アジアの型が論じられ、日本は混合型・保守主義型・家族主義型のどれに近いかが今も争われている はじめに ある日、離れて暮らす親が自宅で転び、一人では身の回りのことができなくなったとします。まず誰に電話をかけるでしょうか。市役所の窓口や地域の相談の窓口に連絡して介護保険のサービスを頼む人もいれば、きょうだいで交代して実家に通う人もいるでしょう。民間の施設のパンフレットを取り寄せて、料金を比べる人もいるはずです。どれを選ぶかは家庭の事情によりますが、どの選択肢がどれだけ使いやすいかは、その国の制度で大きく変わります。 病気・老い・失業・子育てといった暮らしの危険を、税や社会保険で社会全体が支える仕組みを大きく備えた国を、福祉国家と呼びます。今日の豊かな民主国家は、程度の差はあってもみな福祉国家です。ところが、同じくらい豊かで、同じように選挙で政府を選ぶ国どうしでも、暮らしの危険を受け止める主役が国家なのか、市場なのか、家族なのかは、国によってはっきり違います。 この課では、その違いを整理したエスピン=アンデルセンの「三つの福祉レジーム」の議論を中心にたどります。まず、福祉の大きさを支出の額で比べる見方と、その限界を確かめます。次に、脱商品化と階層化という二つの物差しで三つの型がどう分かれ、なぜ分かれたのかを見ます。そのうえで、家族の担う仕事を見落としているという批判や、南欧・東アジアの国々が型に収まらないという議論を取り上げ、最後に日本がどこに位置づくのかという、今も続く論争を紹介します。資料の節では、OECD の統計を自分の目で読んで、型と支出の関係を確かめます。 一つ断っておきます。どの型が望ましいかは「どうあるべきか」という規範の問いで、この課では答えを決めません。三つの型の議論そのものは、国々の違いを比べて説明する実証の整理です。二つを分けて読んでください。 この課の問い 同じくらい豊かな民主国家でも、病気・老い・失業・子育てを誰が支えるか(国家か、市場か、家族か)は国によって大きく違う。その違いはどんな型に分かれ、なぜそう分かれたのか。そして日本はどこに位置づくのか。 この課のことば 福祉国家 病気・老い・失業などの暮らしの危険を、税や社会保険で社会全体が支える仕組みを大きく備えた国 社会支出 年金・医療・介護・家族手当・失業給付など、国や公的な制度が暮らしの支えに使うお金の合計 脱商品化 働けなくなっても、自分の労働力を市場で売らずに暮らしを保てる度合い 階層化 制度が職業や身分ごとの差を固定するか、ならすかの度合い 福祉レジーム 国家・市場・家族が暮らしの支えをどう分け持つかの、国ごとの決まった型 家族主義 介護や子育てを、まず家族(多くは女性)が担うことを前提にする制度の傾き 三つの福祉レジーム――暮らしの支えは国によってどう違い、なぜ違うのか 前の課では、国家と市場の役割をどう分けるかが政治経済学の中心の問いだと見ました。この章では、その分担がいちばん目に見える福祉の領域を取り上げます。国ごとの違いをまず支出の大きさという現象から確かめ、それを説明する理論、理論に収まらない国々、そして日本の順にたどります。 支出の差という現象――豊かさが同じでも福祉の大きさは揃わない 福祉国家の大きさを測るいちばん手近な物差しは、社会支出です。OECD(経済協力開発機構)は、加盟国の年金・医療・家族手当・失業給付などへの支出を同じ定義でまとめた統計(社会支出統計、SOCX)を公表しています。公的な社会支出を国内総生産(GDP)に対する割合で並べると、同じ先進国でも大きな幅があります [12] 。どの国がどれくらいかは、この課の資料の節のグラフで確かめます。 この差を最初に体系的に説明しようとした代表が、ウィレンスキーの産業化論です。ウィレンスキーは 1975 年の『福祉国家と平等』で多くの国を比べ、経済の水準と人口の高齢化が支出の大きさをよく説明し、政権のイデオロギーの差はあまり効かないと結論しました [1] 。理由の筋道はこうです。工業化が進むと、人は村や大家族を離れて都市で雇われて働くようになり、昔ながらの支え合いが弱まります。寿命が延びると年金と医療の必要が増えます。そして豊かになれば、その費用を払う余力も生まれます。だから、どの国も豊かになるにつれて似た道をたどる、というのです(収斂論とも呼ばれます)。 現象 豊かな国どうしでも社会支出の GDP 比に 幅がある 産業化論 経済の水準と高齢化で支出の大きさを 説明する 残る差 豊かな国だけで比べると、差が 説明しきれない 政治の要因 誰が政権を担い、誰と組んだかを見る 制度の中身 額ではなく給付の水準・条件・範囲で 比べる 図 1 支出の差をどう説明するか。産業化論から、制度の中身で比べる見方へ(本教材の整理)。 この見方は、豊かな国と貧しい国を含めて広く比べると、よく当てはまります。経済の水準の差が大きいからです。ところが豊かな国だけに絞ると、経済の水準はおおむねそろっているのに、支出の差は残ります。この残った差を説明するには、誰が政権を担い、誰と手を組んだかという政治の要因を見なければならない、という考えが、その後の比較研究で強まりました(本教材の整理)。 エスピン=アンデルセンはさらに踏み込み、支出の総額で比べること自体が福祉国家の違いを見誤らせると論じました [2] 。同じ額を使っていても、困っている人だけに審査をして配るのか、全員に同じ権利として配るのか、職業ごとに別々の制度で配るのかで、暮らしへの効き方はまるで違います。だから比べるべきは額ではなく、給付の水準、受給の条件、対象の範囲といった制度の中身だ、というのが彼の主張です。 本教材の作例で考えてみます。二つの町が、福祉に同じ 100 億円を使うとします。A 町は年収の低い家庭だけに、収入の審査をしたうえで配ります。B 町は、子どものいる家庭すべてに同じ額を配ります。総額は同じでも、受け取る人の数は大きく違います。A 町では、受け取ることに恥ずかしさを感じる人も出るでしょう。B 町では、中間層も受け取るので、制度を守ろうとする有権者が多くなります。支出の総額だけを見ていると、この違いはまったく見えません。 日本についても同じ注意が要ります。日本の社会支出は高齢化とともに増えてきましたが、それは制度が手厚くなったからなのか、年金や医療を受け取る高齢者が増えたからなのかを、額だけでは区別できません。高齢者の多い国では、一人あたりの給付が同じでも、年金と医療の支出の合計は大きくなります。逆に若い人の多い国では、制度が手厚くても支出は小さく出ることがあります。支出の額は制度を比べる入り口にはなりますが、制度の中身そのものを示す数ではないのです。 ここで間違えやすい 「社会支出が大きい国ほど福祉が手厚い」と言い切りがちですが、支出の大きさは高齢者の多さでも膨らみます。高齢化の進んだ国は、制度の中身が同じでも支出が大きく出ます。支出の大小は、制度の手厚さとは別に確かめる必要があります。 脱商品化と階層化――三つの世界はどう分かれたか エスピン=アンデルセンは 1990 年の『福祉資本主義の三つの世界』で、支出の額の代わりに二つの物差しを立て、先進国を比べました。脱商品化と階層化です。この二つで国々を並べると、自由主義(英米など)・保守主義(独仏など大陸欧州)・社会民主主義(北欧)の三つのまとまりが現れる、と彼は論じました [2] 。 脱商品化から見ていきます。市場経済では、多くの人は自分の労働力を売って、つまり雇われて働いて暮らしています。労働力が商品になっている状態です。病気や老いで働けなくなったとき、給付の水準が十分で、受給の条件が厳しくなければ、労働力を売らなくても暮らしを保てます。その度合いが脱商品化で、北欧で高く、英米で低いとされました [2] 。 階層化は、制度そのものが社会の層をつくる度合いです。ドイツのように職業ごとに分かれた社会保険は、現役の時の身分の差を老後まで持ち越します。収入の審査つきの最低保障は、受け取る人と払う人を分け、受け取る側に引け目を負わせがちです。全員に同じ権利を与える制度は、差をならします。 二つの物差し 脱商品化の高低と、階層化の 仕方で比べる 自由主義 脱商品化は低い・審査で受け手を分ける (米・英など) 保守主義 脱商品化は中くらい・職域で分ける (独・仏など) 社会民主主義 脱商品化は高い・全員に同じ権利 (北欧) 図 2 脱商品化と階層化の組み合わせから、三つの型が分かれる(代表の国は例)。 二つの物差しを組み合わせると、三つの型の姿が見えてきます (表 1) 。自由主義の型では、国家の給付は審査つきの控えめなもので、足りない分は民間の保険や企業の年金という市場で備えます。保守主義の型では、職業ごとの社会保険と、男性が稼いで家族を養う家族のあり方が軸になります。国家が出てくるのは、家族が支えきれなくなったときです。これを補完性の考え方と呼びます。社会民主主義の型では、全員を対象にした高い水準の給付と、保育や介護などの公的なサービスで、中間層まで制度に取り込みます。 この表で分かること: 三つの型は、給付の配り方・支え手・代表の国で見分けられる 型 給付の配り方 主な支え手 脱商品化 代表の国 自由主義 審査つきの控えめな給付 市場(民間保険) 低い 米・英・豪など 保守主義 職業ごとの社会保険 家族と職域 中くらい 独・仏・墺など 社会民主主義 全員に高い水準の給付 国家(公的サービス) 高い スウェーデン・デンマークなど 表 1 エスピン=アンデルセンの三類型を本教材がまとめた表 [2] 。どの国も純粋な型ではない。 では、なぜ型が分かれたのでしょうか。コルピは 1983 年の『民主的な階級闘争』で、労働組合と左派政党の強さという、労働者の側の力の資源が福祉国家の大きさを決めると論じました(権力資源論) [3] 。エスピン=アンデルセンはこれを受け継ぎつつ、一つの階級の強さよりも、階級をまたぐ連合の組み方を重く見ました [2] 。スウェーデンでは、1930 年代に社会民主党が農民の党と手を組んで、政権の基盤を固めました。のちに所得に比例する上乗せの年金を設けて、事務職などのホワイトカラー層の支持も取り込んだと説明されます。普遍的な制度が中間層の利益にもなったことで、制度を支える連合が広がったわけです。 三つの型の違いを、失業という場面に置き換えてみます(本教材の作例)。自由主義の型では、収入の審査つきの控えめな手当を受けながら、自分で早く次の仕事を探すことが求められます。保守主義の型では、勤め先の職域の保険から、前の賃金に応じた給付を受けます。社会民主主義の型では、高い水準の給付に加えて、職業訓練などの公的な支えを受けて次の仕事に移ります。同じ失業でも、誰がどれだけ受け止めるかがこれだけ違うのです。 いったんできた型は変わりにくいとも論じられます。給付を受ける人々が制度を守ろうとし、制度の仕組みそのものが次の選択を縛るからです。たとえば、職業ごとの社会保険が根づいた国では、長く保険料を払ってきた人々が自分の受給の権利を手放したがらないため、全員に同じ給付を配る制度へ切り替えるのは難しくなります。反対に、全員を対象にした制度が根づいた国では、中間層も給付の受け手なので、給付を大きく削る改革には広い反対が起きやすくなります。過去の選択が、のちの選択の幅を狭めるというこの考え方は、経路依存と呼ばれます(本教材の整理)。 ここで間違えやすい 三つの型を「よい・ふつう・わるい」の順位と読まないでください。型は現実を比べるための目盛り(理念型)で、どの国も純粋な型ではありません。また、どの型が望ましいかは規範の問いで、エスピン=アンデルセンの類型そのものは実証の整理です。 類型からはみ出す国――家族・南欧・東アジアからの批判 三つの型の議論は大きな影響を与えましたが、すぐに強い批判も受けました。代表的な批判の一つは、家族の中で行われる介護や育児の仕事を見落としている、というフェミニズムからのものです。脱商品化は「市場で働いている人が、働かなくても暮らせるか」を測ります。しかし、家で親の介護や子育てをしている人、多くの場合は女性は、そもそも市場の外にいます。この人たちの暮らしは、脱商品化の物差しには映りません。 ルイスは 1992 年の論文で、男性が稼ぎ、女性が家を担うという男性稼ぎ主型が制度にどれだけ強く組み込まれているかで国々を比べるべきだと論じました [4] 。オーロフも 1993 年の論文で、福祉国家の比較には男女の関係という次元を加える必要があると主張しました [5] 。 社会民主主義型 自治体の職員が来て 子は仕事を続ける 保守主義型 介護保険の給付で 家族が世話をする 自由主義型 子が民間の施設の 料金を見比べる 家族主義型 娘が仕事を辞めて そばで付き添う 図 3 親に介護が必要になった同じ場面で、型ごとに誰が支えるか。理念型を形にした本教材の仮例で、各国の家庭の実態や法の決まりを描いたものではない。 エスピン=アンデルセン自身も、1999 年の『ポスト工業経済の社会的基礎』で批判に応えました。家族の負担を、公的なサービスや市場でどれだけ肩代わりできるかを脱家族化と呼んで物差しに加え、保守主義の型の中にも家族への依存が特に強い国々があると整理しました [6] 。図 3 は、同じ場面で誰が支えるかを型ごとに描いた本教材の仮例です。実際の国の家庭はさまざまで、どの国でもこう決まっているわけではありません。 地域からの批判もあります。フェレーラは 1996 年の論