国家の能力――強い国家と破綻国家 — Epoché
基礎 権力と国家 約 31 分 本文 約 13,900 字 図 6・表 1 資料 2 節 この課の要点 二つの力・測り方・破綻の 3 つ 二つの力 国家の強さには、上から命じられる幅(専制的権力)と、決めたことを社会の隅々で実行させる力(基盤的権力)の二つがあり、別々に高くも低くもなります(マン)。 測り方 国家の能力は、税を集める抽出・秩序を守る強制・政策を実施する行政の三つの次元から測られます。ただし指標の多くは認識に基づく推計で、誤差の幅をもちます。 破綻 安全をはじめとする政治的な財を届けられなくなった国家は破綻国家と呼ばれます(ロットバーグ)。ただ、この呼び名は大きく違う国々を一括りにすると批判されています。 はじめに 会社員の給料の明細を見ると、所得税や住民税が、本人が窓口に行く前に差し引かれています。手紙は全国どこへでも数日で届き、引っ越せば住民票を移し、子どもは近くの学校に通います。私たちはこれを当たり前と感じています。しかし、税を確実に集め、郵便を届け、全国に学校を置くことは、国家にとって決して簡単なことではありません。 ところが世界には、内部の暴力が長く続き、安全や裁判、学校や道路といった働きを政府が届けられなくなった国があります。そうした国では、軍閥のような国家ではない勢力が、政府に代わってそれらの担い手になっていきます [3] 。研究者は、こうした国家を「弱い国家」や「破綻国家」と呼んできました。たとえばソマリアは、1980 年代の末に破綻し、ほどなく中央の権威が消えた「崩壊国家」の例として挙げられてきました [3] 。 この課程の「国家――暴力の独占と主権」の課では国家の定義を、「近代国家の成り立ち」の課では戦争が国家をつくったという見方を学びました。この課では、そうして生まれた国家どうしの「できること」の差に目を向けます。同じ「国家」でも、決めたことを領土の隅々まで実行できる国と、首都の周りでさえ実行できない国があるのはなぜでしょうか。 国家の能力は、研究者だけの関心事ではありません。ハンソンとシグマンが述べるように、国家の制度は、経済の発展、内戦、民主主義の定着、国際的な安全といった結果に大きな影響を与えると広く考えられています [2] 。どこに能力が足りないのかを正しく捉えることは、国内の政策を考えるうえでも、ほかの国への支援を考えるうえでも出発点になります。 この課では、まず「強い国家」という言い方にある二つの意味を区別します。次に、国家の能力をどう測るかを、税・強制・行政の三つの面と、世界銀行の指標から考えます。さらに、能力が失われた極としての破綻国家の議論と、それへの批判を見ます。最後に、日本の国家を、少ない公務員と高い評価という一見ちぐはぐな組み合わせから読み解きます。 この課の問い 「強い国家」とは、何が強い国家なのでしょうか。国家が決めたことを実際に実行する力は、どう測ることができ、それが失われると国家はどうなるのでしょうか。 この課のことば 国家の能力 国家が決めた政策を実際に実行できる力です。税を集める、秩序を守る、学校や道路などのサービスを届ける、といった働きの確かさで考えます。 専制的権力 国家の上に立つ人々が、社会のさまざまな集団と決まった交渉をせずに行える事柄の幅です(マンの言葉)。王が思いのままに命じられる幅、と考えると分かりやすいでしょう。 基盤的権力 国家が社会の中に入り込み、決めたことを領土の全体で実際に行わせる力です(マンの言葉)。税の天引きや全国の郵便は、この力の表れです。 政治的な財 安全、法の支配、政治への参加、教育や道路など、市民が国家に求める働きをまとめた言い方です(ロットバーグの言葉)。お金で買う品物ではなく、国家が届けるものです。 破綻国家 内部の暴力が続き、政治的な財を届けられなくなった国家です。中でも権威が空白になった極端な形を、ロットバーグは崩壊国家と呼びます。 信頼区間 測った値がどの範囲にありそうかを示す幅です。世界銀行の指標は、各国の点に 90%の区間を付けています。 国家の能力――決めたことをどこまで実行できるのか 国家どうしの違いを語るとき、私たちは「強い」「弱い」という言葉を気軽に使います。しかし、何が強いのかをはっきりさせないと、独裁の国と、税や郵便が隅々まで届く国とを、同じ「強い国家」と呼んでしまいます。この章では、強さの意味を分け、能力の測り方と、その極にある破綻国家を見たうえで、日本に当てはめます。 二つの「強さ」――命令の幅と実行の力 「強い国家」と聞くと、反対する人を思いのままに罰せる独裁者の国を思い浮かべる人が多いかもしれません。社会学者のマイケル・マンは 1984 年の論文で、「国家の力」という言い方には、まったく違う二つの意味が混ざっていると指摘しました [1] 。一つ目は専制的権力です。国家の上に立つ人々が、社会のさまざまな集団と決まった制度の交渉をせずに行える事柄の幅を指します [1] 。二つ目は基盤的権力です。国家が実際に社会の中に入り込み、政治の決定を領土の全体で実行させる力を指します [1] 。 マンは、二つの違いを「首をはねよ」と叫ぶ赤の女王のたとえで説明します。目の前にいる人なら、女王の命令はすぐに実行されます。マンによれば、歴史上の多くの国家では専制的権力はほとんど限りがありませんでした。中国の皇帝は天子として中国全体を「所有」し、どの個人や集団にも思いのままに振る舞えたといいます [1] 。ところが、女王の目の届かない所へ行ってしまえば、女王はその人に手を出しにくかったのです [1] (図 1) 。 赤の女王(専制的権力) 首をはねよ! 届かない 目の前なら命令はすぐ通る 見えない所には手が届きにくい 現代の国家(基盤的権力) 税 郵便 学校 年金 決めたことが隅々まで届く 図 1 マンのたとえを描いた本教材の絵。上の絵は、赤の女王の命令が目の前の人には届くが、遠くの村には届かない様子(専制的権力)。下の絵は、役所から道と通信が家々に伸び、税や郵便が隅々まで届く現代の国家(基盤的権力)。 これに対して、現代の国家は別の意味で大きな力をもっています。マンが挙げるのは次のような働きです。まず、所得や財産に、本人や周りの人の同意なしに源泉で課税できます。これは 1850 年ごろより前の国家にはできなかったことです。また、私たち一人ひとりについての大量の情報を蓄え、すぐに呼び出せます。一日のうちに、領土のほとんどどこへでも意思を届けられます。さらに、公務員の給与や年金、家族の手当などで、多くの人の生計を直接支えています [1] 。日本の給料の天引き(源泉徴収)や、全国に届く郵便は、この力の身近な表れです(本教材の例)。 マンは、現代の資本主義の民主国家を「専制的には弱く、基盤的には強い」国家だとまとめました [1] 。マンによれば、政治家は選挙と法に縛られ、大きな社会運動の後押しなしには、社会の基本の決まりを覆す力は弱いのです [1] 。一方で、決めたことを社会の隅々で実行させる力は、どの歴史上の国家よりも大きいのです。二つは分析の上では互いに独立した次元であり、組み合わせると四つの理念型ができます (表 1) 。もっとも、二つが実際に無関係というわけではありません。マンは、基盤的権力が大きいほど拘束力のある決まりが増え、個人や少数の集団に対する専制の可能性も増すと注意しています。基盤的に強い国家は、資本主義の民主国家も含めて、個人や弱い集団に対しては強いとも述べています。そのうえで、資本主義の民主国家は、社会の中の支配的な集団に対しては、歴史上の多くの国家と比べて弱いとしています [1] 。 この表で分かること: 二つの次元を組み合わせると四つの理念型ができ、現代の民主国家は専制的には弱く基盤的には強い型に近い 理念型 専制的権力 基盤的権力 マンが挙げた近い例 封建国家 低い 低い 中世ヨーロッパの国家 帝国国家 高い 低い アッカド・エジプト・ローマなど 官僚制国家 低い 高い 現代の資本主義の民主国家 権威主義国家 高い 高い ナチ・ドイツとソ連が近い 表 1 マン(1984)の国家の力の二つの次元と四つの理念型。理念型は現実の国をそのまま写したものではなく、比べるための物差しです [1] 。 この区別は、独裁と国家の強さの関係を考え直させます。マンは、ナチ・ドイツとソ連を、専制的権力も基盤的権力も高い権威主義国家の型に近いとしました。そのうえで、両国はおそらく、高い専制的権力と引き換えに、社会への浸透の一部を失っていたと述べます。そのため第二次世界大戦では、どちらも、専制的には弱いが人々の参加に支えられたイギリスほどには、社会を動員できなかったというのです [1] 。長い歴史で見ると、基盤的権力は技術とともに伸び続けてきました。これに対して専制的権力は、どの時代にも強い国と弱い国があり、一つの方向へは進まず揺れ動いてきた、とマンは論じます [1] 。 では、基盤的権力は何によって伸びたのでしょうか。マンは、国家が社会に入り込むのを助けた技術として四つを挙げます。一つ目は、中央が調整する仕事の分担です。二つ目は読み書きで、同じ内容を領土の隅々まで送り、法的な責任を記録として残せます。三つ目は貨幣と度量衡で、物の交換の価値を国家が最後に保証します。四つ目は、道路や船、電信などによる伝達と輸送の速さです [1] 。ただしマンは、これらの技術はどれも国家だけのものではなく、社会全体の発展の一部だとも述べています [1] 。国家は社会と同じ道具を使い、それを領土の全体で束ねることで力を得てきたのです。 ここで間違えやすい 独裁の国が「強い国家」だとは限りません。命令できる幅(専制的権力)と、命令を社会の隅々で実行させる力(基盤的権力)は別の物差しです。思いのままに命令できても、その命令が地方まで届かない国家もあります。 能力を測る――税・強制・行政の三つの次元 では、国家の能力は、どう測ればよいのでしょうか。研究者は、強制の能力、財政の能力、行政の能力、法の能力など、さまざまな面を挙げてきました [2] 。ハンソンとシグマンは 2021 年の論文で、定義がばらばらなままでは研究の結果を比べられないと指摘しました。そのうえで、国家の能力を、現代の国家に必要とされる核の働きを行う力と定めました。外の脅威から守ること、国内の秩序を保つこと、経済活動に必要な基盤を整えること、歳入を集めることです [2] 。ハンソンとシグマンは、測り方にも問題があったと言います。研究者が自分の問いに都合のよい面だけを選んだり、使った指標が、経済の発展の度合いや政治体制の違いと区別できていなかったりしたのです [2] 。豊かな国ほど点が高くなる指標なら、それは国家の能力ではなく豊かさを測っているのかもしれません。 ハンソンとシグマンは、この働きを支える次元として三つを挙げます。現代の国家の働きに最小限必要で、しかも互いに区別しやすいものとして選んだのが、抽出の能力・強制の能力・行政の能力です [2] (図 2) 。 国家の能力 現代の国家の核の働きを行う力 抽出の能力 税を集める。住民に届き、記録し、 取り立てる 強制の能力 国境と国内の秩序を守り、法に従わせる 行政の能力 政策を立て、サービスを届け、規制する 図 2 ハンソンとシグマン(2021)による国家の能力の三つの次元。上の根の力を、下の三つの次元に分けて測ります。三つは互いを支え合います。 一つ目の抽出の能力は、税を集める力です。税を集めるには、住民に手が届き、情報を集めて記録し、信頼できる役人に収入を扱わせ、払わない人に払わせる力が要ります [2] 。二つ目の強制の能力は、国境を守り、国内の秩序を保ち、法に従わせる力です。これは、国家を正統な暴力の独占から定義するウェーバーの伝統に直結します [2] 。三つ目の行政の能力は、政策を立て、公共のサービスを届け、経済活動を規制する力です。有能な職員、技術の力、記録の管理、領土と社会の全体への届き方がこれを支えます [2] 。三つは実際には互いを支え合います。ハンソンとシグマンは、強制の力が必要だったことが、指導者に税の仕組みを作らせ、財やサービスを提供させたというティリーの見方を紹介しています [2] 。この課程の「近代国家の成り立ち」の課で学んだ、戦争が国家をつくったという議論と同じ筋道です。 ここで大事なのは、能力と「何をするか」の選択を混ぜないことです。ハンソンとシグマンが紹介するように、フクヤマは国家の「範囲」と「強さ」を区別しました。アメリカの国家は、行う活動の範囲は比較的限られているものの、その範囲の中で法と政策を作り実施する力はとても強い、という例です [2] 。この区別を踏まえると、税収の数字の読み方にも注意が要ります。ハンソンとシグマンは、税収の総額は抽出の能力の雑音の多い指標だと述べます。抽出の能力が高い国では、税収の水準は能力ではなく政策の選択を映すからです。能力を捉えやすいのは、所得税や財産税、国内の消費税のように、記録や透明性が多く要る税だとしています [2] 。本教材の作例で言えば、税収の対 GDP 比が同じ二つの国でも、一方は集めたくても集められず、もう一方は低い税を選んでいるのかもしれません。 国際比較でよく使われる指標の一つに、世界銀行の世界ガバナンス指標(WGI)があります。WGI は六つの面を測り、その一つの「政府の有効性」は、公共サービスの質、公務員の質、政策の形成と実施の質、そして政策への政府の約束の信頼性についての認識を捉えます [7] 。WGI 全体では、家計や企業の調査、専門家の評価など 35 の資料を使います。ただし一つの国の推計に使われる資料の数は国ごとに違い、2025 年の日本の政府の有効性では 9 でした。推計は 0〜100 の点で示されます [7] 。ここで「認識」という言葉に注意してください。WGI は人々や専門家がどう見ているかを集めたものです。世界銀行自身も、点を確定した評価ではなく推計として扱うよう求め、各国の点に誤差の幅(90%の信頼区間)を付けています [7] 。実際の数は、この課の資料の章で読みます。 ここで間違えやすい 税をたくさん集める国ほど能力が高い、とは限りません。能力の高い国どうしでは