戦後日本の外交と安全保障――日米安保の下で — Epoché
国際と日本 日本の政治 約 29 分 本文 約 12,600 字 図 5・表 2 資料 2 節 この課の要点 出発・枠組み・広がりの 3 つ 出発 1951年の旧条約は、武装を解かれた日本の「暫定措置」として米軍の配備を認めました。米軍は日本の安全のために「使用することができる」と書かれました 枠組み 1960年の新条約は、日本の施政の下の領域への攻撃への共同の対処と、米軍の施設・区域の使用を定めました。政府は必要最小限度の実力と専守防衛を掲げ、1978年の指針で役割を分けました 広がり 1997年の指針は周辺事態を、2014年の閣議決定は密接な関係にある他国への攻撃を扱いました。それでも、憲法上は日本を守る自衛の措置だという説明は保たれています はじめに 「日本の安全は、誰が守っているのでしょうか」。こう聞かれたら、自衛隊と答える人もいれば、在日米軍と答える人もいるでしょう。2022年11月の内閣府の世論調査では、日米安全保障条約が日本の平和と安全に「役立っている」とする人が89.7%でした。これは「どちらかといえば役立っている」を含めた割合です [15] 。 一方で、日本国憲法第9条は、戦争と武力の行使を国際紛争を解決する手段としては放棄し、陸海空軍その他の戦力を保持しないと定めています [1] 。戦力を持たないと定めた国が、外国の軍隊を国内に置き、その国と安全保障の条約を結んでいます。一見すると、ちぐはぐな組み合わせに見えるかもしれません。 この課は、この組み合わせがどのようにでき、どこが変わってきたかを、条約や政府の文書、世論調査という一次の資料から追います。この課程の「敗戦と占領――日本国憲法の成立」の課では憲法ができるまでを、「55年体制――自民党の長期政権」の課では保守政党の長い政権を見ました。この課は、同じ戦後の時代を外交と安全保障の側から見直します。 本教材は、戦後の歩みを三つの段に分けて読みます。第一は講和と旧安保条約の時期、第二は1960年の改定から1970年代に枠組みが固まった時期、第三は1990年代の後半から役割が広がった時期です。これは本教材の整理で、ほかの区切り方もあります。それぞれの段で、条文や文書が何を約束し、何を約束していないかに注意しながら読み進めましょう。 この課の問い 戦力を保持しないと定めた憲法の国は、なぜ、どのように同盟で安全を保とうとしてきたのでしょうか。その枠組みのどこが変わり、どこが変わっていないのでしょうか。 この課のことば 日米安全保障条約 日本とアメリカ合衆国が結んだ、安全保障についての条約です。1951年に最初の条約が、1960年に今の条約が作られました。「安保条約」や「安保」と略されます。 同盟 国どうしが、攻撃を受けたときなどに協力することを約束した関係です。何を約束したかは、条約などの文書で決まります。 施設・区域 米軍が日本で使う基地や演習場などのことです。条約では「施設及び区域」と呼びます。 事前協議 米軍の配置や装備の重要な変更などについて、前もって日本政府と話し合うしくみです。文書の上では「同意」ではなく「協議」と書かれています。 専守防衛 日本の政府が掲げてきた防衛の基本的な方針です。たとえば政府は、相手国の国土を壊滅させるためだけの兵器は持てないとしています。 集団的自衛権 自国が直接に攻撃されていなくても、密接な関係にある他国への攻撃に武力で対処することを、国際法の上で根拠づける権利です。 日米安保と日本の防衛――戦力を持たないと定めた国は、同盟で何を約束してきたか この章では、1951年の旧安保条約から2014年の閣議決定までを、四つの節でたどります。背景としての講和と旧条約、1960年の改定と沖縄返還、政府の憲法解釈と日米の役割の分担、そして周辺事態から存立危機事態への広がりです。 読むときの鍵は、文書の言葉を正確に読むことです。「できる」と「しなければならない」、「協議」と「同意」、「施政の下にある領域」と「領土」は、似ていても意味が違います。条約や法令が何を書き、何を書いていないかを確かめると、賛成・反対のどちらの議論も、より正確に追えるようになります。 講和と旧安保条約――武装を解かれた国の「暫定措置」 最初の日米安全保障条約(旧安保条約)は、1951年9月8日に作られ、1952年4月28日に効力を生じました [2] 。条約の前文は、日本がこの日に連合国との平和条約に署名したと述べています [2] 。つまり旧条約は、占領を終えて独立を取り戻す講和と、ひと組で作られた条約でした。 なぜ日本は、外国の軍隊を国内に置くことを選んだのでしょうか。前文によれば、日本は武装を解除されているので、平和条約が効力を生じる時に、固有の自衛権を行使する有効な手段を持ちません [2] 。そこで日本は、防衛のための「暫定措置」として、米国が日本国内とその附近に軍隊を維持することを希望するとしています [2] 。 この背景には、憲法第9条があります。第9条第2項は、陸海空軍その他の戦力を保持せず、国の交戦権を認めないと定めています [1] 。武装を解かれ、戦力も持たないと定めた国が、独立した後の安全をどう保つのかが問われていました。旧条約はその答えを、米軍の駐留に求めた文書だと読めます。 ただし、米国はこの状態がいつまでも続くとは考えていませんでした。前文によれば、米国は、日本が直接と間接の侵略に対する自国の防衛のために、「漸増的に」、つまり少しずつ自ら責任を負うことを期待するとしています [2] 。「暫定措置」という語と合わせて読むと、旧条約は日本が自分で防衛を担うまでのつなぎとして書かれていたことが分かります。 では、条文は何を約束したのでしょうか。第1条で、日本は米国の陸軍・空軍・海軍を日本国内とその附近に配備する権利を与え、米国はこれを受け入れました [2] 。そしてこの軍隊は、極東の平和と安全の維持に寄与し、外部からの武力攻撃に対する日本の安全に寄与するために「使用することができる」とされました [2] 。日本の安全への寄与には、外国の教唆や干渉で起きた日本の大規模な内乱を、日本政府の明示の要請に応じて鎮圧する援助も含まれていました [2] 。 本教材が注目するのは、文末の「使用することができる」という形です。これは、そう使ってよいという権限の書き方であり、日本を守らなければならないという義務の書き方ではありません。これは本教材による条文の語の読みで、交渉の経緯や実際の運用は、別の研究で確かめる必要があります。 旧条約には、ほかにも日本の側だけを縛る定めがありました。第2条は、米国の事前の同意なしに、日本が基地や駐兵・演習の権利などを第三国に与えないと定めています [2] 。また第4条は、国連などによる十分な安全保障の措置が効力を生じたと日米両政府が認めた時に、条約が効力を失うとしていました [2] 。本教材が条文を読む限り、どちらか一方の通告で条約を終える定めはありませんでした。 ここで、身近な例で考えてみましょう。部屋を貸す契約で、借り手は部屋を「使うことができる」とだけ書かれ、家主の側の約束が書かれていなかったとします。借り手が部屋を守ってくれる保証は、契約からは読めません。旧条約の第1条を読むときも、誰に何の権利があり、誰に何の義務があるかを分けて読むことが大切です。これは本教材の作例です。 ここで間違えやすい 「旧安保条約で米国は日本を守る義務を負った」と考えがちです。しかし第1条は、米軍を日本の安全に寄与するために「使用することができる」と書くだけで、義務の形では書いていません。これは条文の語からの読みであり、実際に米国がどう行動するつもりだったかは、条文だけからは分かりません。 1960年の改定と沖縄返還――相互協力と事前協議 国立国会図書館の解説によれば、岸内閣は、1951年の条約の不平等性を解消し、日本の自主性を強化するとして、1960年1月19日に新しい安保条約に調印しました [5] 。「不平等性の解消」は岸内閣が掲げた目的で、その中身は条文で確かめます。 新条約でいちばん大きく変わったのは、共同の対処の定めです。第5条で両国は、日本国の施政の下にある領域で、どちらか一方に対する武力攻撃が自国の平和と安全を危うくすることを認めます [3] 。そして、自国の憲法上の規定と手続に従って共通の危険に対処するように行動すると述べています [3] 。旧条約の「使用することができる」と比べると、両国が行動を約束する書き方になりました。 ただし、この約束には二つの限定があります。一つは場所です。対象は「日本国の施政の下にある領域」での攻撃で、そこにいる米軍への攻撃は含まれますが、米国本土への攻撃に日本が対処する定めではありません。これは本教材による条文の読みです。もう一つは手続で、対処はそれぞれの国の「憲法上の規定及び手続に従つて」行うとされています。第3条も、防衛の能力を維持し発展させることを、憲法上の規定に従うことを条件にしています [3] 。 一方、米軍の駐留は第6条が定めます。米国の陸軍・空軍・海軍は、日本の安全と、極東における国際の平和と安全の維持に寄与するため、日本で施設と区域を使うことを許されます [3] 。施設・区域の使用や米軍の地位は、旧条約の行政協定に代わる別個の協定などで決めるとされました [3] 。日本は施設と区域を提供し、両国は日本の施政の下での攻撃に共同で対処します。本教材はこれを、性格の違う二つの約束の組み合わせと整理します。 旧条約にあった内乱への援助の条項と、第三国への基地の許与を縛る条項は、新条約の条文にはありません。これも本教材が二つの条約の条文を並べて読んだ結果です。また新条約は、旧条約が新条約の効力発生の時に効力を失うと定め [3] 、10年間効力を持った後は、どちらの国も通告によって1年後に条約を終えられるとしました [3] (図 1) 。 旧安保条約 (1951年) 新安保条約 (1960年) 米軍を配備する 権利を日本が与える 米軍は施設・区域の 使用を許される 日本の安全に 寄与するため 使用できる 施政下の領域への 攻撃に共同で対処 要請で大規模な 内乱の鎮圧も援助 内乱への援助の 条項は無い 米国の同意なく 第三国に基地を 与えない 第三国への許与を 縛る条項は無い 一方の通告で終える 定めは無い 10年の後は通告から 1年で終了 図 1 旧安保条約(1951年)と新安保条約(1960年)の主な条文の比べ。行は同じ項目の順にそろえている。内乱と第三国の行は、本教材が両条約の条文を並べて読んだ結果。 同じ日に交わされた交換公文は、事前協議のしくみを定めました。米軍の日本への配置の重要な変更、装備の重要な変更、そして日本から行う戦闘作戦行動のための基地の使用は、「日本国政府との事前の協議の主題とする」とされています。ただし第5条に基づく戦闘作戦行動は除かれます [4] 。文書は「協議の主題」と書いており、日本の同意がなければできないとは書いていません。これは本教材による文言の読みで、実際の運用は別の資料で確かめる必要があります。 改定は国内で激しい対立を生みました。野党は改定に強く反対しました [5] 。衆議院では5月19日に与党が警官隊を導入して会期の延長を可決し、翌20日の未明に本会議で新条約を承認しました [5] 。6月16日、死者を出した国会デモの翌日に、政府はアイゼンハワー米大統領の訪日の延期を求め、訪日は実現しませんでした [5] 。条約が批准された6月23日に岸首相は退陣を表明し、7月19日に池田内閣が成立しています [5] (図 2) 。 1951年9月 旧安保条約を作成(翌年4月に 発効) 1960年1月 新安保条約に署名、事前協議の 交換公文 1960年6月 条約を批准、岸首相が退陣を表明 1971年6月 沖縄返還協定に署名(安保条約の 沖縄への適用は発効の日から) 1972年9月 日中共同声明で国交を正常化 1976年10月 防衛計画の大綱 1978年11月 日米防衛協力のための指針 1997年9月 新しい指針、周辺事態での協力 2014年7月 閣議決定で武力の行使の新三要件 図 2 日米安保をめぐる主な出来事(1951〜2014年)。条約・協定・指針の日付は各文書、1960年の国会の動きは国立国会図書館の解説による。 1970年代のはじめには、沖縄と中国をめぐって大きな動きがありました。1971年6月17日の沖縄返還協定で [6] 、日本は琉球諸島と大東諸島の行政・立法・司法のすべての権利を行使する完全な権能と責任を引き受けることになりました [6] 。同時に、安保条約がこれらの島にも適用されることが確かめられ、日本は米軍に施設と区域の使用を許すとされました [6] 。本教材の読みでは、返還の前の沖縄は日本の施政の下の領域ではなく、第5条の地域に入っていませんでした。返還によって沖縄は第5条の地域に入り、同時に基地の使用も続いたのです。 外交の面では、1972年9月29日の日中共同声明で、日本は中華人民共和国政府を中国の唯一の合法政府と承認しました [7] 。声明で日本側は、戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えた責任を痛感し、深く反省すると述べています [7] 。また国交の正常化は第三国に対するものではないとしました [7] 。 ここで間違えやすい 「事前協議とは、日本が同意しなければ米軍が動けないしくみだ」と考えがちです。しかし交換公文は、配置・装備の重要な変更や戦闘作戦行動のための基地使用を「事前の協議の主題とする」とします。同意の要否は文言だけでは決まらず、関連合意や政府の説明で確かめます。第5条による行動は対象外です。 政府の憲法解釈と役割の分担――必要最小限度と専守防衛 戦力を持たないと定めた第9条の下で、なぜ自衛隊を持てるのでしょうか。防衛省の説明によれば、政府は、第9条は主権国家としての固有の自衛権を否定するものではないと考えています [8] 。そして、自衛権の行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を持つことは、憲法上認められると解しています [8] 。ここで大事なのは、これが政府の解釈だという点です。学説や裁判所の判断とは分けて読む必要があります。 この解釈の上に、政府は専守防衛を防衛の基本的な