ロールズ――無知のヴェールの下で正義の原理を選ぶ(公正としての正義) — Epoché
現代 現代の倫理学と政治哲学 約 29 分 本文 約 12,400 字 図 6・表 2 原典 2 節 この課の要点 出発点・選び方・原理の 3 つ 出発点 裕福な家に生まれる、才能に恵まれる、男や女に生まれる、といった事実は本人に値するものではなく、道徳の上では偶然である。それだけを理由に社会の取り分を多くしてはならない。 選び方 公正なきまりとは、公正な条件の下で自由で平等な人々が合意するきまりである。そこで、自分が誰かを知らない無知のヴェールの下で原理を選ぶ場面(原初状態)を思い描く。 原理 選ばれるのは二つの原理である。全員に等しい基本的自由(第一原理)を最優先し、そのうえで不平等は、公正な機会の平等の下にあり、最も恵まれない人々の利益を最大にする場合にだけ許される(第二原理)。 はじめに ジョン・ロールズは 1921 年、アメリカのボルティモアに生まれ、1962 年からハーヴァードで 30 年以上教えました [1] 。学生時代は聖職を考えたこともありましたが、第二次世界大戦に歩兵として従軍し、戦場での死の気まぐれさとホロコーストの惨状を知って、信仰を失います。1960 年代には、黒人や貧しい人々に不利だとして、ベトナム戦争の徴兵に反対しました [1] 。 最もよく論じられる仕事は、 公正としての正義 と名づけた、正しいリベラルな社会の理論です。1971 年の『正義論』で体系的に示し、『公正としての正義 再説』(2001 年)まで手を入れ続けました [1] 。自由と平等の緊張を解くことが、この理論のねらいでした [1] 。2002 年 11 月 24 日、マサチューセッツ州レキシントンで亡くなっています [4] 。 この課では、SEP が拠る最終の立場に沿って読みます。第 1 章で社会の基本構造と原初状態・無知のヴェールを、第 2 章で選ばれる二つの原理とその理由を見ます。以下、『公正としての正義 再説』を『再説』と略します。 この課の問い 生まれる家が裕福か貧しいか、才能に恵まれるかどうか、男か女かは、どれも本人が選んだことではありません。それなのに、社会の仕組みがそうした違いで人の取り分を決めてよいのでしょうか。公正な社会のきまりは、どうすれば見つけられるのでしょうか。 この課のことば 社会の基本構造 憲法・法の仕組み・経済・家族など、社会の主な制度の組み合わせです。誰がどんな権利・機会・収入を得るかを大きく決めるので、ここが正義の問われる場所になります。 原初状態 現実の市民一人ひとりの代表が集まり、社会の基本構造を律する正義の原理に合意する、という想像上の場面です。思考実験であり、実際の集まりや歴史上の出来事ではありません。 無知のヴェール 原初状態の代表たちから、自分の代表する市民の人種・階層・性別・年齢・才能・人生観などの知識を隠す仕掛けです。自分の側に都合のよい原理を押し通せなくします。 基本財 どんな人生を目指す人にも役立ち、誰もが多く欲しがると想定される財です。基本的な権利と自由、移動と職業選択の自由、職務と地位の権限、所得と富、自尊の社会的基盤を指します。 格差原理 所得や富の不平等は、社会で最も恵まれない人々の利益が最大になる場合にだけ許される、という原理です。正義の第二原理の後半に当たります。 マキシミン 選べる道ごとに最悪の結果を比べ、その最悪がいちばんましな道を選ぶ考え方です。最小(minimum)を最大にする(maximize)という意味の言葉です。 原初状態と無知のヴェール――公正な条件で、人は何に合意するか ロック、ルソー、カントは、人々の合意から政治の正しさを考える社会契約の伝統をつくりました。ロールズは、自分の理論がこの伝統に連なると位置づけます [1] 。この章では、なぜ社会の基本構造が問われるのか、原初状態とはどんな思考実験か、無知のヴェールは何を隠し何を残すのか、を順に読みます。 生まれの偶然――誰も自分の出発点に値しない ロールズがまず問うのは、一人ひとりの行いの善し悪しではありません。憲法、法の仕組み、経済、家族といった、社会の主な制度の組み合わせです。ロールズはこれを 社会の基本構造 と呼びます [1] 。基本構造は、誰が社会に認められ、誰がどの権利を持ち、誰がどんな仕事に就く機会を得て、所得と富がどう分かれるかを決めます [1] 。その影響は、人生の見通しだけでなく、目標や人柄にまで及びます。しかも多くの人にとって、国を出ることは現実の道ではありません。「住み続けているのだから同意したはずだ」とは言えないので、基本構造には正当化が要る、とロールズは考えます [1] 。 では、基本構造は何を基準に組めばよいのでしょうか。SEP は、ロールズの答えを消極と積極の二つの主張に分けて整理しています [1] (図 1) 。消極の主張はこうです。裕福な家か貧しい家か、生まれつきの才能が多いか少ないか、女か男か、どの人種かは、どれも本人が手に入れたものではなく、その意味で 道徳の上では偶然 です。だから、それだけを理由に社会の取り分を多くしてはなりません [1] 。 生まれの事実 家の豊かさ・才能・性別・人種は、 本人が選んだものではない 消極の主張 それだけを理由に、社会の取り分を 多くしてはならない 積極の主張 平等を出発点に、不平等は最も 恵まれない人の利益になるときだけ 次の問い この原理をどう正当化するか。答えは 原初状態 図 1 ロールズの出発点を流れにしたものです。消極と積極の二つの主張に分けるのは SEP の整理で [1] 、点線の段は、次の節の原初状態へつながる問いを示します。 ただし消極の主張は、どう配るべきかまでは言いません。それを補うのが積極の主張です。市民は根本で平等なのだから、協働で生んだ財は等しく分けることを出発点にします。そのうえで不平等は、すべての人、とりわけ最も少なく持つ人の利益になるときにだけ許します [1] 。SEP はこれを「平等にもとづく互恵」と呼びます。 本教材の作例で考えてみます。同じ日に同じ町で、二人の赤ちゃんが生まれます。一人は本の多い家で、もう一人は親が二つの仕事をかけもちする家で育ちます。二人が同じだけ努力しても、静かに勉強できる部屋があるか、塾に通えるかで、十年後の進路は大きく違ってきます。ロールズが問うのは、二人のどちらが偉いかではありません。生まれの違いがそのまま人生の差になる仕組みは公正か、ということです。では、仕組みを正す原理はどう正当化されるのでしょうか。ロールズは、公正な条件の下での合意という形で答えます。 ここで間違えやすい 「生まれの偶然は恣意的だ」を、「才能のある人が才能を使って豊かになってはいけない」という意味に取るのは誤りです。ロールズは、才能の違いが、恵まれない人を含むすべての人の利益になる形で使われるなら、恵まれた人がより多く得ることを認めます [1] 。また、正義を個人の善い行いの問題だけと取るのも狭すぎます。ロールズがまず見るのは制度の組み合わせです。 原初状態――実際の交渉でなく、公正な場を思い描く ロールズは、「自由で平等な市民どうしの公正な協働の条件とは何か」という問いを、「公正な条件の下で、自由で平等な市民はどんな条件に合意するか」という問いに置き換えます [1] 。正しさの根拠を合意に求めるこの一歩によって、公正としての正義は社会契約の伝統に連なります [1] 。ただし、ここでの合意は歴史上の出来事ではありません。 その合意の場が 原初状態 です。これは思考実験で、現実の市民一人ひとりに代表がいて、代表たちが市民の制度を律する正義の原理に合意する、という想像上の場面です [1] 。なぜ現実の市民を集めて話し合わせないのでしょうか。実際の交渉は、誰が他人を最も脅せるか、誰が最も長く粘れるか、といった正義と関わりのない事情に左右されるからです [1] 。原初状態の代表は、自由で平等な市民が望むものだけを望み、互いに脅すことも粘り勝ちすることもできない対称の位置に置かれます [1] 。 ロールズ自身が手続きの正義を説明する例に、ケーキの切り分けがあります(『正義論』§14) [2] (図 2) 。切る人が最後の一切れを取ることにすれば、切る人は自分の分が小さくならないように、すべてを等しく切るでしょう。一つ目の絵のように先に取れるなら、大きく切る誘惑が生まれます。二つ目の絵のように最後に取るなら、手続きが等しい分け方を引き出します。 切る人が先に取る 切る人 ずるい 自分の分を先に取れる だから大きく切る誘惑 切る人が最後に取る 切る人 先に取る どれが自分に回るか不明 だから等しく切る 図 2 ケーキの切り分けの例を絵にしたものです(例は『正義論』§14、子どもたちの姿は本教材の描き方) [2] 。一つ目は切る人が先に取れる場面、二つ目は切る人が最後の一切れを取る場面です。ケーキには「等しく分ける」という基準が前もってあるので、ロールズはこれを完全な手続き的正義の例とします。前もった基準のない原初状態(純粋な手続き的正義)とは区別されます。 ただし、この例と原初状態は同じ種類の手続きではありません。ケーキの場合、「等しく分けるのが公正だ」という基準が手続きの前からあり、手続きはそれを確実に実現する道具です。ロールズはこれを 完全な手続き的正義 と呼びます [2] 。原初状態の方は 純粋な手続き的正義 に当たり、前もって決まった正しい答えはありません。公正な手続きで合意されたものが、そのまま公正な原理になるのです [2] 。本教材は、ケーキの例を原初状態への入口として借りています。 仮の合意がなぜ人を納得させるのでしょうか。読者が、原初状態の作りにもっともな市民と社会の考えが込められていると見て、さらにその結果が自分の確かな判断と合うのを見るからだ、とロールズは考えます [1] 。判断と原理を互いに照らして整えるこのやり方を、ロールズは反照的均衡と呼びます [1] 。 ここで間違えやすい 原初状態を、昔どこかで本当に結ばれた契約や、これから開く会議と取るのは誤りです。原初状態は思考実験で、決められた条件に従って推論してみる想像上の場面です [1] 。また、ケーキの例をロールズの理論そのものと取るのも行き過ぎです。ケーキには前もって正しい分け方がありますが、原初状態にはありません。 無知のヴェール――自分が誰かを知らずに選ぶ 原初状態の最も目立つ特徴が 無知のヴェール です [1] (図 3) 。代表たちは、自分の代表する市民の人種・民族・性別・年齢・所得と富・生まれつきの才能・人生観(包括的な教説)を知りません。その市民がどの世代に属するかも知りません。社会の政治の仕組み、階級構造、経済の発展の程度も隠されます [1] 。今の社会の具体的な姿まで隠すのは、時代が変わっても変わらない、正しい社会の特徴を見やすくするためです [1] 。 自分が誰の代表かを知らずに選ぶ 現実の市民 隠されていること 市民の人種・性別・年齢・才能 人生観・宗教 どの世代か・社会の豊かさ 知っていること 人はそれぞれ違う人生の計画を持つ 誰もが基本財を多く欲しい 資源はほどほどに乏しい 二原理 功利 代表たち(誰の代表か分からない) 図 3 無知のヴェールを絵にしたものです(本教材の絵)。上に並ぶ現実の市民から伸びる点線は幕で途切れ、円卓の代表たちは、自分が誰の代表かを知りません。幕に重ねたのが隠されていること、幕の下が知っていることで、中身は SEP の整理によります [1] 。 一方で、知っていることもあります。市民がそれぞれ異なる人生の計画を持つこと、誰もが 基本財 を多く欲しがること、資源がほどほどに乏しいこと、人間の社会生活についての一般的な事実と、異論のない科学の結論です [1] 。何も知らなければ選べないので、選ぶのに要る一般的な知識だけが残されるのです。 代表は、自分の市民の基本財の取り分をできるだけ多くしようとする合理的な者です。他人の取り分をねたまず、賭けを好みも嫌いもせず、ヴェールが上がった後のやり直しもできません [1] 。また、すべての市民が公に支持できる原理の中から選ばなければなりません [1] 。それでも、誰も自分の市民に有利な原理を押し通せません。自分の市民が誰かを知らないからです。だから、代表が合理的に合意した原理は、現実のすべての市民にとって公正になります [1] 。道徳の重みを負うのは代表の善意ではなく、ヴェールが課す条件の方だ、と本教材は読みます。 本教材の作例で言えば、クラスで一年の掃除当番のきまりを決める場面です。誰が楽な廊下に、誰が大変なトイレに当たるかは、きまりを決めた後で決まります。自分がどこに当たるか分からなければ、「大変な係は回数を減らす」といった、どこに当たっても受け入れられるきまりを考えるでしょう。ただし、これは「自分の事情を知らない」ことのたとえにすぎません。ロールズは、自分が誰になる確率も等しいと仮定する客観的な根拠はない、と述べます(『正義論』§28) [2] 。原初状態を、確率の分かった抽選と見てはいけません。 原理が決まった後、話は憲法、立法、個々の適用の段階へ進みます。そのたびにヴェールは少しずつ薄くなり、より具体的な制度が決まっていきます [1] 。 ここで間違えやすい 無知のヴェールを、「自分の利益を考えてはいけない」という教えと取るのは誤りです。代表は自分の市民の利益をできるだけ大きくしようとします。ただ、その市民が誰かを知らないだけです [1] 。また、ヴェールの下では何も分からない、と取るのも誤りで、一般的な事実や科学の結論は知っています。 正義の二原理――不平等はいつ許されるか 無知のヴェールの下で、代表たちはどんな原理を選ぶのでしょうか。ロールズは、近代の政治思想で最も有力な伝統である功利主義と自分の二つの原理を並べ、代表たちは二原理を選ぶと論じます [1] 。この章では、平等な基本的自由とその優先、公正な機会の平等と格差原理、功利主義と比べたときの選ぶ理由を、順に読みます。 第一原理――平等な基本的自由は、他の財と取り替えられない ロールズが最終的に示した第一原理によれば、各人は、平等な基本的自由の十分な体系に対して同じ権利を持ちます。その体系は、すべての人の同じ自由と両立しな