フィヒテ――自我は自らを定立する(自我と非我・知識学) — Epoché
近代 ドイツ観念論 約 17 分 本文 約 7,000 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 出発点・自己定立・制限の 3 つ 出発点 経験を説明する哲学の出発点は、純粋な物か純粋な自我かの二つしかなく、理論だけではどちらとも決められない。フィヒテは自由の現実から始める観念論を選び、「どんな哲学を選ぶかは、どんな人間であるかによる」と言う。 自己定立 知識学の第一原理は「自我は自らを定立する」。定立するとは気づくことで、作り出すことではない。私が私に気づく働きは、前からある物の行いではなく、その働きがそのまま私の存在である事行だ、とフィヒテは言う(『全知識学の基礎』第 1 部)。 制限 自我に対して非我が立てられ、自我と非我は互いに制限し合う。現に在るのは「絶対的な自我」でなく、体をもつ一人ひとりの有限な自我であり、それは自分の限界への衝撃に出会いつつ、終わりなく努力し続ける。 はじめに フィヒテは貧しいリボン織りの家に生まれ、土地の男爵の援助で学びましたが、援助が絶えると家庭教師で暮らしました [1] 。 1790 年の夏、カント哲学を教えることになり、初めてその著作を読みます。のちに自ら、考え方の「革命」だったと語りました。批判哲学の中に、人の自由を手放さずに、頭と心を両立させる道を見つけたのです [1] 。 1792 年の『あらゆる啓示の批判の試み』は、初め作者名なしで出てカントの作と思われ、作者と知れて一躍名が上がりました [1] 。1794 年にイェーナ大学に招かれ、『全知識学の基礎』(1794〜95 年)を出します [1] [2] 。 1798/99 年の無神論論争で職を失い、ベルリンに移ります [1] 。この課では、イェーナ時代の知識学の出発点と土台を読みます。 この課の問い カントは、私たちが知るのは現象だけで、その向こうの物自体は知りえない、と言いました。では、知りえない物自体が私たちの感官を触発する、と言うことに無理はないのでしょうか。フィヒテは、哲学をただ一つの原理から組み立て直そうとし、その出発点を物でなく「私(自我)」に置きます。私が私であるとはどういうことでしょうか。そして私でないもの(世界)は、どこから私に現れるのでしょうか。 この課のことば 知識学 フィヒテが自分の哲学に付けた名です。あらゆる知の土台を、ただ一つの第一原理から順に導き出す体系のことで、何通りにも説き直されました。 定立する({de:setzen}) もとは「置く・立てる」の意味の語です。フィヒテでは「気づく」「意識する」ことを言い、自我が対象を作り出す、という意味ではありません。 事行({de:Tathandlung}) 行いと、その産物とが一つであることです。 非我 自我でないもの、つまり自我に対して立てられる対象や世界の側です。自我の外から原因として働くもの、という意味ではありません。 独断論と観念論 経験を説明する出発点を物自体に置く哲学が独断論、純粋な自我に置く哲学が観念論です。 衝撃({de:Anstoß}) 自由に働く自我が、自分の働きの限りに突き当たることです。外から来る物ではなく、自我が自分の有限さに出会うことを言います。 自我と非我――哲学はどこから始めるか カントの批判哲学に出会ったフィヒテは、それをより確かな土台に据え直そうとしました。ラインホルトは、すでに体系全体をただ一つの第一原理に基づけようとしていました。マイモンやシュルツェは、カントとラインホルトの両方を、懐疑の立場から鋭く批判していました [1] 。これに答えるために、フィヒテは独自の超越論的観念論、知識学を組み立てます [1] 。この章では、出発点がなぜ自我なのか、自我が自らを定立するとはどういうことか、非我と制限とは何かを、順に読みます。 独断論か観念論か――出発点は二つしかない フィヒテはまず、哲学を何から始めるかを問います。すべての知と論証の第一原理であるなら、それより上の原理から導くことはできません。だから第一原理は、推論で立てられるものではありません [1] 。 では、候補は何でしょうか。普段の経験では、私と物、自由と必然は、いつも結びつきながら区別されて現れます。哲学はそこから一方を抽象して取り出し、出発点にするほかありません。取り出せるのは、純粋な自我(自由)か、純粋な物(必然)かの二つだけだ、とフィヒテは考えます [1] (図 1) 。 普段の経験 私と物、自由と必然は、いつも 結びついて現れる 独断論 純粋な物 (物自体)から 始める。決定論に なり、意識を 説明できない 観念論 純粋な自我から 始める。自由から 物の経験を 説明しようとする 図 1 哲学の出発点の分かれ道です(SEP の整理による [1] )。左の独断論と右の観念論は、理論の上では互いに論破できず、混ぜることもできません。選ぶ決め手は、自分の自由をすでに確信しているかどうかです。 フィヒテは 1797 年の二つの『知識学への序論』で、物自体から始める哲学を独断論、純粋な自我から始める哲学を観念論と呼びました [1] [3] 。一つの体系の第一原理は一つだけなので、二つを混ぜた体系は作れません。独断論は厳しい決定論に行き着き、観念論は初めから人の自由を認めるので、歩み寄りもできません [1] 。 それでは、どちらを選ぶのでしょうか。フィヒテは、どちらも相手を直接には論破できないと認めます [1] 。ただし、独断論は意識を説明できない、と論じます。物から始めると、物の世界から心の中の表象( Vorstellung )へ、筋の通らない跳び越しが要るからです。観念論なら、知性が必然の法則に従って働くことから、物の経験を説明できる見込みがあります。それが本当にできるかは、体系を組み上げて初めて分かる、とフィヒテは認めています [1] 。 教材の作例で考えてみます。窓の外の木を見ているとします。独断論者は、まず木があり、それが目に働いて私の中に木の像ができる、と説明します。観念論者は、まず木を見ていることに気づいている私があり、その働きの決まりから、なぜ木が私とは別の物として空間に現れるのかを説明しようとします。普段の経験そのものからは、どちらの説明も選べません。 決め手は理論の外にあります。体系に入る前に、自分が自由であることを、哲学の外の理由ですでに確信していなければならない、とフィヒテは言います。よく引かれる「どんな哲学を選ぶかは、どんな人間であるかによる」という言葉は、この意味です [1] 。フィヒテはここに 実践の優位 を見ます [1] 。 ここで間違えやすい フィヒテが観念論の正しさを理論で証明した、と取るのは誤りです。選択は理論の上では決まらない、とフィヒテ自身が認めています [1] 。また「どんな人間であるかによる」を、好みで選んでよいという意味に取るのも誤りです。フィヒテは、自由を確信する人の観念論だけが、哲学の課題を果たしうると考えました [1] 。 自我は自らを定立する――私が私に気づく働きが、私そのもの 知識学の第一原理は「自我は自らを定立する」です。より詳しくは、自我は自分を自我として、つまり自分を立てるものとして立てる、と言われます [1] 。『全知識学の基礎』の第 1 部は、これを論理の同一律「A は A である」と結びつけて導こうとします [2] 。SEP は、この結びつけをやや無理のある回り道だと評します。のちの『新しい方法による知識学』(1796/99 年)は、「自我を考えよ、そしてそのとき何をしているかを見よ」という読者への呼びかけから始め直された、と述べます [1] 。 ここで「 定立する ( setzen )」は、気づく・反省する・意識する、という意味です [1] 。自我が物を作り出す、という意味ではありません。言われているのは、意識はいつも自己意識を前提する、ということです。カントの言う「私は考える」が、少なくとも原理の上では、あらゆる表象に伴いうる、という考えの言い直しだ、と SEP は説明します [1] 。 では、その自己意識はどんなものでしょうか。フィヒテによれば、それは心の中の一つの事実でも、前からある実体の行いでもありません。働きではありますが、その働きが自我の存在そのものと重なっています。フィヒテはこれを 事行 ( Tathandlung )と呼びます。行いと、その産物とが一つだ、という意味です [1] 。自我は物でも実体でもなく、自分を立てたとおりのものです。だからこの原理は、知ることであると同時に、行うことでもあります [1] 。 この根源の働きは、普段の意識には、そのものとしては現れません。普段の意識では、主と客がいつもすでに分かれているからです。働きは、意識が成り立つために前提され、推論されるもので、見られるものではありません [1] 。フィヒテはこれを「知的直観」とも呼びますが、同じ語をほかの意味にも使うので注意が要る、と SEP は言います [1] 。 講義を聴いたステッフェンスの回想は、フィヒテの講義のこんな場面を伝えています [4] 。フィヒテは聴き手に、壁を考えるよう求めます。皆が壁を思い浮かべると、今度は、その壁を考えた者を考えるよう求めます。聴き手の多くは戸惑ったといいます (図 2) 。壁に向かっていた意識を、考えている自分の側へ向け直させる問いです。 一つ目:皆が壁に向かう フィヒテ 壁を考えたまえ 白い壁 皆の心は壁に向かう 二つ目:自分へ向き直る フィヒテ その壁を考えた者を 考えたまえ 白い壁 考えている私はどこに? 図 2 フィヒテの講義の場面を絵にしたものです(本教材の絵)。一つ目では皆の意識が壁に向かい、二つ目では「その壁を考えた者」を問われて、意識が自分の側へ折り返します。講義の言葉はステッフェンスの回想によります [4] 。講義室・学生の数・身ぶりは本教材の描き方です。 ここで間違えやすい 「自我は自らを定立する」を、自我が世界の物を作り出す、あるいは私の心の中にしか何もないという独我論だ、と取るのは誤りです。「定立する」は気づくことで、作り出すことではありません [1] 。またこの自我を、一人ひとりの心理の私と同じだと取るのも誤りです。それは、意識が成り立つために前提される働きとして、抽象して取り出されたものです [1] 。 非我と制限――自我は限られてこそ自我である 『全知識学の基礎』の第 1 部は、第一原則のあとに二つの原則を置きます。第二原則は、自我に対して端的に 非我 (自我でないもの)が対立して立てられる、と言います。第三原則は、自我と非我を、互いに分けられるもの(可分的なもの)として自我の中で結び合わせます [2] 。二つは論理の矛盾律と根拠律に対応づけられています [1] (表 1) 。 この表で分かること: 三つの原則は、自我の自己定立から、非我の対立へ、そして両者が互いに制限し合う結びつきへと進みます。第三の原則で、自我と非我がともに有限なものとして初めて結び合わされます。 原則 対応する論理の法則 言うこと 自我はどうなるか 第一原則 同一律(A は A である) 自我は自らを定立する 自分を立てる働きそのもの 第二原則 矛盾律 自我に非我が対立して立てられる 自分でないものに向き合う 第三原則 根拠律 自我と非我を可分的なものとして結ぶ 互いに制限し合い有限になる 表 1 『全知識学の基礎』第 1 部の三つの原則(本教材の整理)。論理の法則との対応は SEP の説明によります [1] 。 この分析の結論は、しばしば誤解されてきた、と SEP は言います [1] 。自我は、自分を限られたものとして立てるかぎりでしか、自分を立てられません。知識学は「絶対的な自我」の説ではなく、絶対的な自我は抽象にすぎません。現に在り働くのは、体をもつ一人ひとりの有限な自我です [1] 。 では、限りはどこから来るのでしょうか。有限な自我は、自分の受け身の状態の根拠にはなれません。自我は、自分が限られていることを、ただ見いだします。フィヒテはこれを、自我の自由な実践の働きへの 衝撃 ( Anstoß )と呼びます [1] 。自我はこの限りを、まず感じとして、次に感覚、物の直観、概念として立てます。そこから、空間と時間の中の物の世界の経験が始まります [1] (図 3) 。 一つ目:突き当たる前 伸びていく働き 目を閉じて歩く 働く私 まだ何にも触れない 働いている私にも気づかない 二つ目:突き当たったとき ①感じ 何かある ②感覚 冷たい ③直観 平らな面 ④概念 壁 押し返すもの 目を閉じたまま 押す私 突き当たって初めて、 押す私と押し返すものが分かれる 図 3 目を閉じて前へ伸ばした手が、何かに突き当たる前と後です(本教材の作例)。一つ目では働きがただ伸びていき、二つ目では突き当たって初めて、押す私と押し返すものが分かれます。感じ・感覚・直観・概念の四段は SEP の説明の要約です [1] 。壁はもとからある物でなく、突き当たりを説明するために立てられるものとして点線で描いています。 衝撃は物自体に似て見えますが、自我の外の物ではなく、自我が自分の有限さに出会うことです。フィヒテは、非我が衝撃の原因だとは言わず、自我が衝撃を自分に説明するために非我を立てる、と論じます [1] 。また知識学が導けるのは、世界が空間と時間と因果の形をもつことまでで、物の色や形、私がなぜこの人なのかは導けません [1] 。 限りに突き当たった意志は、終わりのない 努力 ( Streben )に変わり、自然と人の世界を自分の目的に合わせて変えようとし続けます [1] 。フィヒテは「実践の力が自我のいちばん内なる根である」と言います [1] 。 ここで間違えやすい 非我を、自我の外から働きかける原因、つまりカントの物自体と同じものだと取るのは誤りです。非我は、衝撃を説明するために自我が立てるものです [1] 。また、知識学が経験の細部まで前もって導くと称した、と取るのも誤りです。フィヒテの大げさな言い方がそう見せることはありますが、そうではない、と SEP は明言します [1] 。 原典を読む 第 1 章の二つ目の節で見た第一原則を、『全知識学の基礎』の該当の段で確かめます。ここでは訳ではなく、本教材の言葉による要約で示しま