6.4 古今異義語 四 — 人と物と決まり文句 — Epoché
この課でできるようになること 人と物を表す名詞十五語について、古文の意味と現代語の意味を言い分けられる。 「ゆゑ」「けしき」のように、一語で複数の意味の幅を持つ名詞を文脈で決められる。 「かは」「な〜そ」「さすがに」など、一語ではなく 型 で働く決まり文句を処理できる。 語編の八十語を、意味が動いた向きごとに整理して振り返れる。 前提 : 6.3 まで。 語編の最後の課です。ここまでは形容詞・形容動詞・動詞・副詞と、品詞ごとにまとまった群を見てきました。この課で扱うのは 名詞と、決まり文句 です。名詞は形容詞ほど派手に意味が動きませんが、そのぶん静かに裏切ります。「けしき」「かたち」「こころ」——どれも今でも使う語なので、辞書を引く気すら起きません。 引かずに読み飛ばした語が、訳を狂わせます。 後半の五つは語ではなく型です。「な〜そ」のように前と後ろが対になって初めて意味が出るもの、「かは」のように文末で意味を反転させるもの。型は一つ覚えれば出てくるたびに効きます。名詞十五と型五、という配分で進みます。 現代語に残っている形 この課の語は、熟語や決まり文句の中に古い意味を残しています。 いまの言い回し いまの意味 古い意味が残っているところ 道理をわきまえる 筋道を理解する 「ことわり」=道理・当然のこと 本意ではない 望むところではない 「ほい」=かねてからの願い 景気づける 勢いをつける 「けしき」=そのものが外に見せる様子 面影 思い浮かぶ姿 「かげ」=光、そして光が作る姿 数寄屋 茶室風の建物 「すき」=一つの道への熱中 いとまごい 別れの挨拶 「いとま」=休暇・辞去の許し 「本意」は今でも読み書きしますが、古文では 「ほい」と読み、かねてからの願い・本来の目的 を指す重い語です。「数寄屋」の「すき」も、風流の道に打ちこむことでした。 訳に迷ったら、その語を含む今の熟語を思い出す ——これが語編を通しての一番の道具です。 古文ではこうなる 群一 心のはたらきを名づけた語 ことわり ja ことわり 道理・筋道・当然であること 現代語の意味 「断り」=拒否・許可 差 同音の「断る」に押されて消えた こころ ja こころ 思慮・情趣を解する心・意味 現代語の意味 感情・精神 差 「情趣を解する」の意が抜けた ほい ja ほい かねてからの願い・本来の目的 現代語の意味 「本意ではない」の中だけ 差 名詞として使われなくなった ちぎり ja ちぎり 約束・前世からの因縁・夫婦の縁 現代語の意味 固い約束 差 仏教的な因縁の意が落ちた ゆゑ ja ゆえ 理由/由緒・風情・教養 現代語の意味 理由のみ 差 「由緒がある」の意が失われた 「ことわり」は現代語の「断り」と同音になってしまったせいで、古文でも「拒否」と読みたくなります。古文では 「道理」「もっともなこと」 です。「こころ」も要注意で、古文の「心あり」は 情趣が分かる ことです。徒然草は手入れしすぎない庭を わざとならむ庭の草も心あるさまに [1] と褒め、枕草子は雨の朝の橘を 世になう心あるさまにをかし [2] と書きます。優しさや思いやりの意ではありません。 「ほい」は本来の望み。徒然草は さりがたく心にかからむことの本意をとげずして [1] ——捨てがたく心にかかっていることの本来の望みを遂げないままで——と書きます。「ちぎり」は約束ですが、古文では前世からの因縁や男女の縁も含みます。徒然草の恋を論じる段に あだなるちぎりをかこち [1] ——はかない約束を嘆き——と出ます。「ゆゑ」は理由の意もありますが、 「由緒がある・風情がある」の意で出たときに読み違えます 。徒然草は月夜の若い男の装いを こき指貫いとゆゑづきたるさまにて [1] と描く。「理由がありそうな指貫」ではなく、「由緒ありげで趣がある」です。 群二 人と物のありさまを言う語 けしき ja けしき 様子・気配・機嫌・そぶり 現代語の意味 景色(目に見える風景) 差 心のありさまを言う用法が消えた かたち ja かたち 顔だち・容貌・姿 現代語の意味 物の形 差 人の顔を指す用法が消えた かげ ja かげ 光・光が作る姿・映った像 現代語の意味 影(暗い部分) 差 光と影が同じ語だった あるじ ja あるじ 主人/もてなし・ごちそう 現代語の意味 主人のみ 差 「もてなし」の意が失われた としつき ja としつき 長い年月・年来 現代語の意味 年と月 差 「長年」というまとまりが薄れた 「けしき」を「景色」と書くのは当て字で、古文の「けしき」は そのものが外に見せている様子 です。人について言えば機嫌・そぶり、自然について言えば気配。徒然草は春を 春のけしきにこそあめれ [1] ——春の気配であるようだ——と書きます。「かたち」も古文では顔だちを指すのがふつうで、 人はかたちありさまの勝れたらむこそあらまほしかるべけれ [1] ——人は容貌や様子が優れているのが望ましい——の「かたち」は物の形ではありません。 「かげ」は古文では 光そのもの を指しました。今の「影=暗い部分」とは逆です。徒然草は月明かりの中の人物を 月かげに色あひさだかならねど [1] ——月の光では色合いがはっきりしないが——と描き、鏡の話では 鏡には色かたちなきゆゑに、万の影きたりてうつる [1] ——鏡には色も形も無いので、あらゆる姿が来て映る——と書きます。「あるじ」は主人のほかに もてなし・ごちそう の意があり、徒然草に あるじまうけられたりけるやう、一献にうちあはび [1] ——ごちそうを用意なさったのは、一献目に打ち鮑——と出ます。「としつき」は年月というより「長年」で、 年月経てもつゆ忘るるにはあらねど [1] のように使います。 群三 ふるまいと存在の語 すき ja すき 一つの道への熱中(風流・色好み) 現代語の意味 好ましく思うこと 差 打ちこむ度合いの意が薄れた あそび ja あそび 管弦・詩歌の宴・狩り 現代語の意味 遊戯・娯楽 差 芸能を指す用法が消えた いとま ja いとま 休暇・辞去の許し・ひま 現代語の意味 ひまな時間 差 「許しを願い出る」の意が落ちた ものす ja ものす ある・いる・行く・する(代わりに使う動詞) 現代語の意味 「物する」=書く 差 何にでも代われる万能さが消えた さる ja さる そのような・それ相応の・しかるべき 現代語の意味 「去る」と混同される 差 「然(さ)+あり」の由来が見えなくなった 「すき」は今の「好き」より濃く、 一つの道に取りつかれること を言います。枕草子は中宮の父が娘のために祈り暮らしたことを すきずきしくあはれなる事なり [2] ——物好きで感心なことだ——と語り、同じ場面で 昔はえせものも皆数寄をかしうこそありけれ [2] と続けます。「あそび」は主に管弦や詩歌の宴で、宇治拾遺の鬼の宴は こよひの御あそびこそいつにもすぐれたれ [3] ——今夜の宴はいつよりも優れている——と評されます。踊りと音楽の場です。 「いとま」は単にひまな時間ではなく、 許しを得て職務を離れること を指します。宇治拾遺の序は、年を取った大納言が あつさをわびていとまを申て [3] ——暑さに閉口して休暇を願い出て——宇治に籠もったと書きます。「ものす」は最も扱いにくい語で、 文脈しだいで「ある」「いる」「行く」「する」のどれにもなる 代動詞です。徒然草には、子が一人もいないと答えた人に向かって なさけなき御心にぞものし給ふらむ [1] ——薄情なお心でいらっしゃるのだろう——と言った人の話が出てきます。ここでは「あり」の代わりです。「さる」は「然あり」の連体形で、「そのような」「それ相応の」。徒然草は隠遁の暮らしを さるかたにあらまほし [1] ——それはそれで望ましい——と評します。 群四 型で働く決まり文句 かは ja かわ (文末・句末で)〜だろうか、いや〜ない 現代語の意味 使わない 差 反語の型が失われた な〜そ ja な〜そ 〜してくれるな(やわらかい禁止) 現代語の意味 使わない 差 前後で挟む形が消えた さすがに ja さすがに そうはいってもやはり 現代語の意味 期待どおりだ・評判どおりだ 差 逆接が納得の意になった さながら ja さながら そのまま・全部 現代語の意味 まるで〜のようだ 差 比喩の意は後の時代のもの とく ja とく 早く・すでに 現代語の意味 使わない(「疾(と)く」) 差 「早く」の意が口語から消えた 「かは」は 反語 の印です。疑問の形をしていながら、答えは「いや、そうではない」に決まっています。徒然草の かほどのことわり、誰かは思ひよらざらむ [1] は、字面は「誰が思いつかないだろうか」ですが、意味は「誰でも思いつく」。疑問のまま訳すと、褒めている文が問いかけの文に変わります。枕草子の かばかりの家に、車入らぬ門やはある [2] も同じ型で、「これほどの家に車の入らない門があろうか、いや無い」です。「かは」と「やは」は同じはたらきをします。 「な〜そ」は禁止ですが、「〜するな」より柔らかく、 「〜しないでおくれ」 という懇願に近い。竹取物語のかぐや姫は 声高になの給ひそ [5] ——大声でおっしゃらないで——と言い、土佐日記の一行は 今日浪なたちそと、人々ひねもすに祈る [6] ——今日は波よ立たないでおくれと、人々は一日じゅう祈る——と書かれます。 「な」と「そ」が離れているので、間に動詞が挟まっていることに気づかないと型が見えません。 「さすがに」は逆接で、下に読む一節がその例です。 「さながら」は「そのまま・全部」で、「まるで〜のようだ」という比喩は後の時代のものです。徒然草の さながら捨つべきなり [1] は「全部捨ててしまうべきだ」。「とく」は「早く」で、枕草子に とくとくただ思ひめぐらさで [2] ——早く早く、考えこまずに——と出ます。同じ段の 疾く書きて参らせ給へ [2] も同じ語です。 原文で確かめる まず徒然草の鏡の一節。「かたち」「ゆゑ」「かげ」が並びます。 鏡には色かたちなきゆゑに、万の影きたりてうつる。 [1] 訳: 「鏡には色も形も無いので、あらゆる姿がやって来て映る」。「かたち」は姿、「ゆゑ」は理由、「かげ」は光の作る像。三語が一文に並びます。 かほどのことわり、誰かは思ひよらざらむ [1] 訳: 「これほどの道理を、いったい誰が思いつかないだろうか。誰でも思いつく」。「ことわり」と「かは」がひとつながりで出ます。 閼伽棚に菊紅葉など折りちらしたるさすがに住む人のあればなるべし。 [1] 訳: 「閼伽棚に菊や紅葉などを折って散らしてあるのは、そうはいってもやはり住む人がいるからだろう」。人跡の絶えたような庵に、それでも人の手が入っている。これが「さすがに」の逆接です。 声高になの給ひそ。 [5] 訳: 「大きな声でおっしゃらないでください」。かぐや姫が翁をたしなめる場面です。「な」と「そ」が「の給ひ」を挟んでいます。 七珍万宝、さながら灰燼となりにき。 [4] 訳: 「あらゆる財宝が、そっくりそのまま灰になってしまった」。安元の大火の記述です。 あつさをわびていとまを申て。 [3] 訳: 「暑さに閉口して休暇を願い出て」。宇治拾遺物語の序で、宇治大納言隆国が夏のあいだ宇治に籠もったいきさつを語る一節です。 読み上げと音読 読み上げは現代の音で鳴ります。「ゆゑ」は「ゆえ」、「かは」は「かわ」、「の給ひ」は「のたまい」、「思ひよらざらむ」は「おもいよらざらん」です。この課の音読では、 型のところを一続きに読んでください 。「な〜そ」は「な・のたまい・そ」と切らず、「なのたまいそ」とひと息で。「誰かは」も切らずに読みます。型は前と後ろが呼び合って初めて意味が出るので、間に息を入れると呼応が切れます。逆に名詞は、 「けしき」「かたち」「かげ」のところで一拍おく と、読み流してはいけない語だと体で覚えられます。 練習 次の傍線部を現代語に訳してください。ア「万の影きたりてうつる」 イ「誰かは思ひよらざらむ」 ウ「さながら灰燼となりにき」 エ「さすがに住む人のあればなるべし」 「な〜そ」の型について、竹取物語の「声高になの給ひそ」を例に、どの語とどの語が呼び合っているかを示し、「声高にの給ふな」との調子の違いを一文で書いてください。 上の六つの原文を、現代の音で三回ずつ音読してください。型のところは切らずにひと息で、名詞のところは一拍おいて読みます。二回目からは読み上げを止めて自分の声だけで読んでください。 この課のまとめ 心のはたらきの名詞——ことわり(道理)・こころ(情趣を解する心)・ほい(かねての願い)・ちぎり(縁)・ゆゑ(由緒・風情)。 ありさまの名詞——けしき(様子・機嫌)・かたち(顔だち)・かげ(光)・あるじ(もてなし)・としつき(長年)。 「かげ」は光、が語編で一番裏返る語。 ふるまいの語——すき(熱中)・あそび(管弦の宴)・いとま(休暇)・ものす(万能の代動詞)・さる(そのような)。 型——かは(反語)・な〜そ(やわらかい禁止)・さすがに(そうはいってもやはり)・さながら(そのまま・全部)・とく(早く)。 語編の八十語に共通する構え: 知っている形の語ほど疑う 。訳せてしまったときこそ危ない。 次の課へ 7.1 からは世編「世」に入ります。語と文法をひととおり片づけたので、次は 言葉の外側 ——暦・時刻・方角・官職・住まいといった、当時の人には説明の要らなかった知識を扱います。「卯の刻」「寝殿造」「受領」が分からないままでは、いくら文法が読めても場面が像を結びません。 答え ア 「あらゆる姿がやって来て映る」。イ 「誰が思いつかないだろうか、いや誰でも思いつく」。ウ 「そっくりそのまま灰になってしまった」。エ 「そうはいってもやはり住む人がいるからだろう」。 禁止の「な」と、文末の終助詞「そ」が呼び合い、その間に動詞「の給ひ」が挟まっている。「の給ふな」が強い命令であるのに対し、「な〜そ」は「どうか〜しないでおくれ」という頼みに近い、やわらかい調子になる。 読みの目安: かがみには いろかたち なきゆえに、よろずの かげ きたりて うつる。/かほどの ことわり、たれかは おもいよらざらん。/こわだかに なのたまいそ。 参考文献 兼好法師『徒然草