拒否権プレイヤー――決まりやすい国と決まりにくい国 — Epoché
制度と行動 統治の制度 約 30 分 本文 約 13,300 字 図 4・表 2 資料 2 節 この課の要点 数え方・条件・日本の 3 つ 数え方 現状を変えるのに賛成が要る者(議院・大統領・安定した多数派の党)を数え、ほかの者の立場の内側にいて結果を変えない者は除きます。 条件 ツェベリスによれば、拒否権プレイヤーの数が多く、立場が離れ、それぞれの内部のまとまりが強いほど、政策は変わりにくくなります。 日本 日本の参議院は、法律案では衆議院の三分の二の再可決で覆されえますが、日本銀行総裁などの同意人事では、衆議院の議決を優先させる定めがありません。 はじめに ニュースで「ねじれ国会で法案が通らない」「米国の議会が行き詰まっている」と聞くことがあります。同じ民主主義の国でも、政策が次々に変わる時期と、なかなか動かない時期があります。国によっても、大きな改革がすぐに決まる国と、長い交渉が要る国があります。この違いは、どこから来るのでしょうか。 日本にも分かりやすい例があります。2008 年 1 月、衆議院は、参議院が否決した法律案を三分の二の多数で再び可決し、法律にしました。同じ年の 3 月には、参議院が日本銀行総裁の候補への同意を 2 度続けて拒み、こちらは衆議院だけでは覆せませんでした。同じ国会、同じ参議院なのに、一方では反対が覆され、他方では覆されなかったのです。 決まりやすさは、良くも悪くも政治の性格を左右します。ツェベリスが紹介するように、ある研究者たち(主に政治学者)は、新しい状況に合わせて政策を変えられること(応答性)を重んじてきました。別の研究者たち(主に経済学者)は、政治がゲームのルールを変えないと信頼できる形で約束できることを重んじてきました [2] 。前者は変えやすさを、後者は変えにくさを求めています。 よくある答え方は、大統領制か議院内閣制か、二大政党か多党か、一院制か二院制か、という制度の型で説明するものです。この課程の『議院内閣制と大統領制――首相と大統領の違い』や『多数決型と合意型――民主主義の二つの設計』の課でも、そうした物差しを見てきました。けれども物差しが増えると、「二院制で多党の議院内閣制」と「一院制で二大政党の大統領制」のどちらが決まりやすいのか、比べにくくなります。 この課では、それらを一つの問いにまとめる見方を学びます。「いまの政策を変えるのに、誰の賛成が要るか」という問いです。政治学者ジョージ・ツェベリスは、その賛成が要る者を拒否権プレイヤーと呼びました。そして、その数や立場の違いから、国ごとの決まりやすさを比べる枠組みを立てました。 主張の章では、まず拒否権プレイヤーの定義と数え方を学び、次に決まりにくさを良いとも悪いとも言えない理由を考えます。最後に日本の国会に当てはめ、参議院がいつ、どこまで「止める力」を持つのかを、憲法の条文と 2008 年の出来事で確かめます。資料の章では、憲法第 59 条を読み、常会で政府の法律案がどれだけ成立してきたかを数で見ます。考えてみるの章では、日本の国会のいくつかの場面や、クラブのような身近な組織に、この課の数え方を当てはめます。 この課の問い 政策を変えるのに賛成が要る者が多いほど、なぜ現状は変わりにくくなるのでしょうか。日本の国会では、参議院はいつ、どこまで「止める力」を持つのでしょうか。 この課のことば 拒否権プレイヤー その賛成がなければ、いまの政策を変えられない個人や集団のことです。大統領や議会の院だけでなく、連立政権を組む党も当てはまることがあります。 現状 いま効いている法や政策のことです。誰も変えなければ、そのまま続きます。研究ではステータス・クオとも呼びます。 勝てる集合(ウィンセット) 拒否権プレイヤーの全員が、現状よりよいと考える案の集まりです。この集まりが広いほど、変化の候補が多いことになります。 吸収 あるプレイヤーの立場が、ほかのプレイヤーたちの立場の内側にあるため、そのプレイヤーを数えても変えられる範囲が変わらないことです。 議題の設定者 案を出して、ほかの者に「受けるか、断るか」を迫る側のことです。議院内閣制では、多くの場合、法律案を出す政府がこれに当たります。 決まりにくさを測る――誰の賛成が要るか 大統領制か議院内閣制か、二大政党か多党かという分け方とは別に、「誰の賛成が要るか」を数えて国々を比べる見方があります。この章では、その数え方と、そこから言えること・言えないことを順に見ていきます。 拒否権プレイヤーとは――賛成が要る者を数える 政治学では長く、国々を一つずつの物差しで分けてきました。大統領制か議院内閣制か、二大政党制か多党制か、という分け方です。ツェベリスは、物差しごとに議論が並び立つ状態を終わらせ、違うしくみの国どうしを比べるために、拒否権プレイヤーの枠組みを立てたと述べています [2] 。彼の出発点は、政治の最後の結果である政策です。新しい政策は、いつも前の政策からの移動です。ツェベリスはこの「いま効いている政策」を現状と呼び、現状を変えるには、一定の個人や集団が変化に賛成しなければならない、と考えました [2] 。 その賛成が要る者が、拒否権プレイヤーです。1995 年の論文の定義では、拒否権プレイヤーとは、政策の変化にその賛成が要る個人または集合の主体で、集合の主体の場合は多数決による賛成を指します [1] 。例は分かりやすいものです。ギリシアで法を変えるには、議会という一つの集合体が新しい法に賛成すれば足ります。米国では、下院・上院・大統領の三者の賛成が要ります。ただし米国では、上下両院が三分の二の多数で、大統領の同意しない法を成立させることもできます [2] 。 名前に「拒否権」とありますが、大統領の拒否権のような、その名の権限を持つ者だけを指すのではありません。賛成がなければ変えられないなら、議会の一つの院も拒否権プレイヤーです。ツェベリス自身、この考えは米国憲法と 18 世紀以来の古典にある「抑制と均衡」の発想に由来すると述べ、二院制を擁護したモンテスキューの一節を引いています [1] 。この課程の『権力分立――野心には野心で対抗させる』の課で見た考えを、数えられる形にしたものと言えます(本教材の整理)。 では、プレイヤーが増えると何が変わるのでしょうか。鍵は「勝てる集合」です。勝てる集合とは、拒否権プレイヤーの全員が現状よりよいと考える案の集まりです(集合のプレイヤーなら、その多数がよいと考える案)。ツェベリスは、この集まりの広さを、政治のしくみが変化を生む力の目安としました [2] 。集まりが空なら変化は起きず、広ければ変化の候補が多く残ります。 いまの政策 A B A B 重なり 同じ側の二人:重なりがある 重なりの中なら変えられる いまの政策 A B C A B C 反対側に三人目:重なりが無い いまの政策は動かせない 図 1 一本の道を政策の物差しに見立て、各人が「いまの政策」より自分の家に近い案に賛成するとした作例です。上の絵では二人の帯が重なり、下の絵では反対側の三人目が加わって全員の重なりが無くなります(本教材の作例。プレイヤーは個人とした)。 一本の物差しの絵で考えてみましょう (図 1) 。政策を左右に延びる一本の道の上の位置とし、各プレイヤーは自分の家(いちばん好ましい位置)に近い案ほど好むとします。上の絵では、A と B の二人がどちらも現状より右に家を持っています。二人とも、現状を右へ少し動かす案には賛成するので、賛成できる範囲の帯が重なり、その重なりが勝てる集合になります。下の絵では、三人目の C が現状の左に家を持っています。C は右へ動かす案に反対し、A と B は左へ動かす案に反対するので、全員の重なりは無くなります。これは本教材の作例ですが、ツェベリスも、プレイヤーの好みが現状を囲むときは、変化は無いか、小刻みな変化にとどまると述べています。どちらになるかは、プレイヤーが個人か集合かによります [2] 。 ここからツェベリスの第一の命題が出てきます。現状を動かすのに賛成が要る者が増えても、勝てる集合は広がらない、という命題です [1] 。理由は単純で、n+1 人の全員が賛成する案は、n 人の全員が賛成する案の中に必ず含まれるからです [1] 。命題が「必ず狭まる」ではなく「広がらない」と言っている点に注意してください。新しいプレイヤーの好みがほかの者の内側にあれば、範囲は変わらないこともあります。これが次の節の「吸収」です。 ここで間違えやすい 拒否権プレイヤーは、拒否権という名の権限を持つ者に限りません。賛成がなければ現状を変えられないなら、議会の院も、安定した多数派を組む党も拒否権プレイヤーです。逆に、形の上で賛成が要る者でも、ほかのプレイヤーの立場の内側にいれば、変えられる範囲には影響しないことがあります。 数え方と三つの条件――数・距離・まとまり 実際の国で拒否権プレイヤーを数えるには、どうすればよいでしょうか。ツェベリスは候補を二つに分けます。憲法が定める議院や大統領のような「制度のプレイヤー」と、政党のような「党派のプレイヤー」です [2] 。裁判所や影響力のある個人は、国によって有無が違うので、基本の数え方には入れないと断っています [2] 。 制度を数える 憲法が賛成を求める議院・大統領を 数える 党派に置き換える 安定した多数派がある院は、その 多数派を組む党に置き換える 吸収で除く ほかのプレイヤーの立場の内側にいる 者を数えない 図 2 拒否権プレイヤーの数え方の 3 段(ツェベリス 2000 年の論文の整理による)。 数え方は 3 段です (図 2) 。まず、制度のプレイヤーを数えます。次に、ある院の中に安定した多数派があるなら、その院を、多数派を組む党に置き換えます。最後に「吸収の規則」で、余分なプレイヤーを除きます [2] 。二段目の意味は、連立政権を考えると分かります。どの党の組み合わせでも多数を作れる議会は、一つの集合的なプレイヤーです。ところが、決まった 3 党がいつも多数を作るなら、その 3 党それぞれの賛成が要ります。ツェベリスは、安定した多数派のある議会のほうが、さまざまな連合のありうる議会より、現状を変えにくいと述べています [2] 。 吸収とは、あるプレイヤーの立場がほかのプレイヤーたちの立場の内側にあるため、そのプレイヤーを加えても勝てる集合が変わらないことです [2] 。ツェベリスの例はフランスの大統領です。大統領が議会の多数派と同じ側にいれば、大統領を数えても何も変わりません。違う多数派から出ていれば、大きな違いが生まれます [2] 。ドイツについては、下院(連邦議会)の多数派の 2 党から始め、上院(連邦参議院)の多数に 3 つ目の党が要るなら、その党を加える、と説明します [2] 。こうした数え方で、ツェベリスは 2000 年の論文の時点の各国を整理しました。英国はいつも 1、米国はいつも 3、イタリアは多く、ドイツは連邦参議院の多数派しだいで 2 か 3 です (表 1) [2] 。 この表で分かること: 拒否権プレイヤーの数は、国の制度だけでなく、どの党が多数を持つかでも変わります。 国 数(2000 年の整理) 数を左右するもの 英国 いつも 1 変わらない 米国 いつも 3 三者の立場の距離は変わる ドイツ 2 か 3 連邦参議院の多数派 イタリア 多い 正確な数は変わりうる 表 1 ツェベリスの 2000 年の論文の整理による [2] 。 数え終えたら、三つの性質を見ます。1995 年の論文の中心の主張は、政策の安定は、拒否権プレイヤーの数が多いほど、彼らの立場の違いが大きいほど、そしてそれぞれの内部のまとまりが強いほど増す、というものです [1] 。立場の違いが大きいほど、全員が現状よりよいと考える案は少なくなります。まとまりは、党の中で議論と採決をする前に、所属議員の立場がどれだけ近いかを指します。採決で党が議員の票を縛る力(党の規律)とは別のものだと、ツェベリスは区別しています [1] 。2000 年の論文はさらに、集合のプレイヤーが特別多数で決めるときは、基準が高いほど勝てる集合は縮み、空にもなりうると加えました [2] 。 特別多数の話は、米国の有名な論争を説明します。米国政治の研究では、大統領と議会の多数派が違う党になる「分割政府」では重要な法が減る、という見方がありました。ところがメイヒュー(1991)は、統一政府と分割政府の時期で、立法に有意な差を見いだしませんでした。ツェベリスはこれを上院の規則で説明します。議事の引き延ばし(フィリバスター)を打ち切るには上院の 5 分の 3 の賛成が要るので、5 分の 2 を超える少数派がまとまれば採決を止められます。そのため重要な法は、どちらの政府の形でも、党派を越えた支持がなければ上院を通らない、というのです [2] 。 最後に、誰が案を出すかです。案を出し、ほかの者に「受けるか、断るか」を迫る側を、議題の設定者と呼びます。議題の設定者は、ほかの者が受け入れる範囲の中から、自分にいちばん好ましい案を選べます [2] 。ツェベリスによれば、大統領制では議会が、議院内閣制では事実上政府が、議題の設定を握ります [2] 。拒否権プレイヤーの数と立場は「どれだけ動けるか」を、議題の設定は「その範囲のどこへ動くか」を左右する、と整理できます(本教材の整理)。 ここで間違えやすい 「党の数が多い国ほど拒否権プレイヤーが多い」とは限りません。数えるのは賛成が要る者だけで、野党がいくつあっても、政府の側が一つの党で両院の多数を持つなら、数は 1 にもなりえます。逆に、政府の側が一つの党でも、上院の多数派が違えば数は増えます。 決まりにくさは良いか悪いか――安定と変化のあいだ 拒否権プレイヤーが多い国は「決まりにくい国」です。では、それは悪いことでしょうか。ツェベリスは、この問いに一般的な答えを出しません。政策の安定は望ましいこともあれば、変化が必要なこともあり、どちらに見えるかは現状の位置しだいだ、というのが彼の規範の立場です [2] 。現状を気に入っている人には変わりにくさは長所に見え、気に入らない人には短所に見えます。 彼はさらに、拒否権プレイヤーそのものは特定の政治の結果を生まず、変