内戦とテロ――国家の内側の暴力 — Epoché
国際と日本 国際政治 約 25 分 本文 約 10,800 字 図 4・表 2 資料 1 節 この課の要点 数え方・原因・終わり方の 3 つ 数え方 今日の武力紛争の多くは国家の内側で起こり、近年は外国の部隊が加わる内戦が増えている 原因 内戦の原因は不満か機会かで争われ、テロは定義の広さと信号の戦略から考える 終わり方 内戦は交渉で終わりにくく、約束を保証する第三者が和平の成否を分けうる はじめに 「戦争」と聞くと、国と国が軍隊を出して戦う姿を思い浮かべる人が多いでしょう。この課程の国際政治の課でも、これまで主に国家どうしの関係を見てきました。「戦争の原因――交渉はなぜ失敗するのか」の課では国家どうしが交渉で折り合えない理由を、「国際機構と国際法――国連は何ができるか」の課では国連の仕組みを扱いました。 ところが、第二次世界大戦の後に世界で起きた武力紛争を数えてみると、その多くは一つの国の内側で、政府とそれに挑む武装した集団の間で起きています。また、国家の内側の暴力には、市民を狙って恐怖を広げるテロもあります。日本でも 1995 年に、宗教団体が地下鉄に毒ガスをまいた事件がありました。 この課では、国家の内側の暴力を三つの段で考えます。まず、内戦をどう定義して数えるのかを確かめます。次に、なぜ内戦が起こるのかについての対立する説明と、テロとは何かという定義の争いを見ます。最後に、内戦はなぜ交渉で終わりにくいのか、外からの手助けで何が変わるのかを考えます。 この課では、日本の事例として、1990 年代のサリン事件と、その後に作られた法律も取り上げます。日本は第二次世界大戦の後に内戦を経験していませんが、国家の内側の暴力と無縁だったわけではありません。数で語る研究が多い分野なので、数え方の決まりに注意しながら読み進めてください。「件数が増えた」という同じ言葉でも、何を 1 件と数えたかで意味が変わるからです。 この課の問い 国家の内側の暴力は、どう数えられ、なぜ起こり、どうすれば終わるのでしょうか。 この課のことば 内戦 一つの国の中で、政府と武装した集団が戦うことです。たとえば政府軍と反政府の武装集団が国の一部の地域の支配をめぐって戦う場合です。 武力紛争 研究で数えるときの決まった定義のある争いのことです。この課の研究では、政府か領域をめぐる争いで、1 年に戦闘で 25 人以上が亡くなったものを指します。 テロリズム 暴力で人々を怖がらせ、その恐怖を通じて政治などの目的を果たそうとするやり方です。どこまでを含めるかは定義によって違います。 反乱(インサージェンシー) 政府に挑む集団が、山地や農村に拠点を置き、小さな部隊で戦い続ける戦い方です。ゲリラ戦とも呼ばれます。 水平的不平等 個人の間の貧富の差ではなく、民族などの集団の間の豊かさの差のことです。国全体の格差が小さくても、ある集団だけが貧しいことがありえます。 平和維持 戦いが止まった後に、国連などが要員を送って停戦や和平を見守る活動です。 国家の内側の暴力――どう数え、なぜ起こり、どう終わるのか この章では、内戦とテロを四つの節で扱います。第 1 節では、研究者が内戦をどう定義して数えるかを確かめます。第 2 節では、内戦の原因をめぐる「不満か機会か」の論争を見ます。第 3 節では、テロの定義の争いと、テロが何を狙うかの理論を、日本の事例とあわせて見ます。第 4 節では、内戦の終わり方と、外からの保証の役割を考えます。 四つの節に共通する注意があります。研究の多くは多くの国のデータから「傾向」を見つけるもので、一つ一つの内戦やテロの原因をそれだけで言い当てるものではありません。また、ある説明が多くの事例に当てはまっても、当てはまらない事例は必ず残ります。 内戦を数える――「25 人」と四つの型 内戦を研究するには、まず何を内戦と呼ぶかを決めなければなりません。世界で広く使われるウプサラ紛争データ計画(UCDP)とオスロ国際平和研究所(PRIO)のデータは、武力紛争を「政府か領域(またはその両方)をめぐる争いで、少なくとも一方が国家の政府である二つの当事者の武力の行使が、暦年で戦闘による死者 25 人以上をもたらすもの」と定義しています [1] 。 この定義には、三つの決まりが入っています。一つ目は、争点が「政府」か「領域」であることです。政府の座を奪おうとする争いか、国の一部を独立させたり自治を求めたりする争いか、またはその両方です。二つ目は、当事者の少なくとも一方が国家の政府であることです。三つ目は、1 年の戦闘による死者が 25 人以上であることです。この 25 人は年ごと、当事者の組ごとに数えます [1] 。武器の範囲は広く、製造された兵器だけでなく棒・石・火・水も入ります [1] 。 この定義に当たった紛争は、さらに強さと型で分けられます。強さは、その年の戦闘による死者が 25〜999 人なら小規模、1,000 人以上なら「戦争」です [1] 。型は四つあります。両方の側が国家なら国家間の紛争です [1] 。政府と一つ以上の反政府の集団が戦い、外国政府が部隊で加わっていなければ国家内の紛争です [1] 。同じ組み合わせで、外国政府が部隊でどちらかの側に加わっていれば「国際化した国家内の紛争」です [1] 。最後に、国家が自国の領域の外で国家でない集団と戦い、しかも国家の体系の外にある領域(植民地など)の支配を保とうとしている紛争があります [1] 。この型は 1974 年を最後に記録がありません [1] 。この課で「内戦」と呼ぶのは、国家内の紛争と国際化した国家内の紛争の二つです (図 1) 。 争点 政府か領域(またはその両方)をめぐる 両立しない立場 かつ 当事者 二つの側の少なくとも一方が国家の政府 かつ 死者 暦年で戦闘による死者 25 人以上 (当事者の組ごと) 数える 型 国家間・国家内・国際化した 国家内・国家外に分ける あわせて 強さ 年 1,000 人以上なら「戦争」、25〜999 人なら小規模 図 1 UCDP/PRIO のデータが武力紛争を数え、型に分ける手順。コードブック v26.1 [1] から本教材が整理。 この数え方で見ると、1946 年に記録された武力紛争は計 17 件で、そのうち国家内の紛争は 8 件でした [1] 。冷戦が終わった 1991 年には計 53 件で、そのうち 49 件が国家内の紛争でした [1] 。第二次世界大戦の後の武力紛争の主役は、国家の内側の争いだったのです。 では、内戦は冷戦の終わりとともに急に増えたのでしょうか。フィアロンとレイティンは 2003 年の論文で、冷戦の終わりで内戦が急増し、その根は民族や宗教の対立だという有力な通説を取り上げました [2] 。二人の答えは違います。今の内戦の多さは主として、1950〜60 年代から長引く紛争が少しずつ積み重なった結果であり、冷戦後の新しい国際体系による急な変化ではない、というのです [2] 。始まる内戦が急に増えなくても、終わらない内戦がたまっていけば、ある年に続いている内戦の数は増えていきます。 件数の読み方には注意が要ります。本教材の整理として言えば、この件数は死者の規模を表しません。年 25 人の小さな紛争も、年に数万人が亡くなる戦争も、同じ 1 件です。件数が増えた年に、亡くなった人も増えたとは限りません。日本については、1946〜2025 年の記録に、日本を場所とする武力紛争は 1 件もありません [1] 。 ここで間違えやすい 「件数が増えた」を「戦争がひどくなった」と読むのは誤りです。この件数は死者の多さで重みを付けておらず、年 25 人の紛争も年 1,000 人以上の戦争も 1 件です。規模を知りたいときは、強さの区分や死者の数を別に見る必要があります。 なぜ内戦が起こるのか――不満か機会か 内戦の原因を説明する考え方は、大きく二つに分かれます。コリアーとヘフラーは 2004 年の論文で、1960〜99 年の戦争についての新しいデータを使って内戦の原因を調べました [3] 。二人は説明の候補を二つ挙げています。一つは、並外れて大きな不満です。大きな不平等、政治的な権利の欠如、社会の民族や宗教の分断がその例です [3] 。もう一つは、反乱の組織をつくる並外れた機会です [3] 。 二つの違いは、「なぜ戦いたいのか」と「なぜ戦えるのか」の違いです。不満の説明では、ひどい扱いを受けた人々が立ち上がることに注目します。機会の説明では、どの社会にも不満はあるとしたうえで、兵を集め、武器と資金を手に入れ、政府軍から逃げ延びられる条件がそろうかどうかに注目します。 コリアーとヘフラーは、不満と機会を表す指標を見つけるのは難しいと断ったうえで、不満にいちばん明らかに結びつく政治や社会の変数は説明力が小さいと報告しました [3] 。これに対し、経済の変数はずっとよく説明しました。ただし二人は、経済の変数は一部の不満の代わりにもなりうるが、反乱が成り立つかどうかにより明らかに結びつく、と書いています [3] 。本教材の推論として言えば、貧しさが内戦と結びつくという結果だけでは、それが機会を表すのか不満を表すのかは決まりません。 フィアロンとレイティンも、機会に近い立場をとりました。二人は、一人あたりの所得の差をそろえて比べると、民族や宗教の多様な国ほど大きな内戦を経験しやすいわけではなかったと報告しています [2] 。そして内戦を、農村のゲリラ戦という一つの戦い方としてとらえ、それはさまざまな政治目的に使われうると論じました [2] 。どの国が内戦の危険にさらされてきたかを分けたのは、民族や宗教の性質ではなく、反乱に有利な条件だというのです [2] 。その条件として二人は、貧困、政治の不安定、険しい地形、大きな人口を挙げます。貧困は、国家の財政と役所の弱さを示すとともに、反乱軍が兵を集めやすくもする、と説明されます [2] 。 この表で分かること: 内戦の原因の研究は、不満と機会のどちらを重く見るかで分かれています。 研究 重く見るもの 主な発見 コリアーとヘフラー(2004) 反乱の機会 不満の変数は説明力が小さい フィアロンとレイティン(2003) 反乱に有利な条件 民族の多様さは危険を高めない セーデルマンら(2011) 集団の間の不平等 豊かな集団も貧しい集団も戦う 表 1 内戦の原因をめぐる三つの研究。各論文 [2] [3] [4] の要旨から本教材が整理。フィアロンとレイティンの発見は一人あたり所得をそろえた比較、セーデルマンらの発見は不平等の大きな社会での比較によるもの。 この流れに異を唱えたのが、セーデルマンらの 2011 年の論文です。三人は、最近の内戦研究は政治や経済の不満の役割をおおむね退けて機会に注目してきたが、その強い主張は理論でも実証でも疑わしい根拠に立っていると批判しました [4] 。これまでの研究が主に見てきたのは個人の間の不平等でした。三人は、政治的に意味のある民族集団と国全体の間の不平等、つまり水平的不平等が、民族主義の紛争を促しうると論じます [4] 。 三人は、世界全体について民族集団の住む地域を地図に落とし、地域ごとの豊かさの推計と重ねる新しい方法を使いました [4] 。その結果、不平等の大きな社会では、豊かな集団も貧しい集団も、国の平均に近い集団より多く戦っていたと報告しています [4] 。貧しい集団の不満だけでなく、豊かな集団が自分たちの富を国に吸い上げられることへの反発もありうる、と読めます。国全体の格差の数字だけを見ていては、この集団の差は見えません。 ここで間違えやすい 「内戦は貧しさで起こる」「民族の違いで起こる」と一つに言い切るのは誤りです。ここで見た研究は、多くの国を比べたときの傾向を示すもので、どの変数が何を表すかにも争いがあります。不満と機会は、どちらか一方だけが正しいという関係ではありません。 テロとは何か――定義の争いと信号の戦略 テロは、内戦とは別の切り口の言葉です。スタンフォード哲学百科事典でプリモラツは、「テロリズム」という語の通常の用法は、2 世紀以上にわたって暴力と威嚇の二つを指してきたと整理しています [5] 。哲学の主流の理解では、テロは盲目的でも加虐的でもない暴力で、威嚇と、その先の政治・社会・宗教の目標、より広くは強要を狙うものです [5] 。こうした定義は誰が行うかを問わないので、テロは国家にも国家でない者にも用いられうる、とプリモラツは述べます [5] 。 そのため、本教材の整理として言えば、内戦は「誰と誰がどんな争点で戦うか」で決まる紛争の型であり、テロは「どんなやり方の暴力か」で決まる手段です。テロは内戦の中でも、内戦のない国でも起こりえます。 定義の大きな分かれ目は、暴力の対象を限るかどうかです。バウンは、政治目標を得るために人々を威嚇しようとして、人に向けて暴力をふるうことをテロと定義しました [5] 。これに対しプリモラツ自身は、無辜の人々に向けて暴力をふるうか、ふるうと脅すことで、別の人々を、さもなければしない行動へと威嚇して向かわせることと定義します [5] 。プリモラツは、対象を非戦闘員や無辜の人に限る定義を「狭い」、限らない定義を「広い」と呼んで分けています [5] (図 2) 。 広い定義( 例:バウン) 狭い定義( 例:プリモラツ) 対象:人に向けた 暴力(限定なし) 対象:無辜の人々に 限る 狙い:威嚇して 政治目標を得る 狙い:威嚇で別の 人々を動かす 政府の高官を狙う 爆弾:入る 政府の高官を狙う 爆弾:入らない 使う人:歴史家・ 多くの社会科学者 使う人:好むのは 哲学者 図 2 テロリズムの広い定義と狭い定義。プリモラツの整理 [5] による。 どちらを選ぶかで、テロに入る出来事が変わります。狭い定義は、19 世紀の「行為による宣伝」や、ロシアの革命家たちの政治的暴力の多くを外します。当人たちも世間もそれをテロと呼んでいたにもかかわらずです [5] 。プリモラツによれば、テロの歴史家は通常、社会科学者も多くの場合、広い定義を使い、哲学者は狭い定義を好むかもしれません [5] 。また、行為で定義すると、ある人がテロリストであると同時に自由の戦士でもありうることになります [5] 。 日本の