誰が考えるのか――イブン・ルシュドの知性の議論と注釈 — Epoché
解説 注釈を通じて、問題を考える イブン・ルシュドは、アリストテレスへの注釈を多様な形で書いた。注釈とは、作品を説明しながら議論を検討する文章。独立した著作も多い。 ただ写す仕事へ還元しない。短・中・大注解の三分類だけで全著作を尽くしたとも考えない。 出典1 知性を、働きから区別する 能動知性は、想像された内容を普遍的にする働き。質料的知性は、抽象された内容を受け取って考える働きとして説明される。 質料的という名でも、身体の器官や材料という意味ではない。現代の脳科学の実証として扱わない。 出典1 一つの知性と、私の思考 後期の大注解では、質料的知性も人類に一つの独立したものとする。それでも個人の感覚や想像が思考を働かせるので、その人の思考とも呼べると説明する。一つと考える理由には、概念が共有されなければ教師から生徒へ知識が伝わらない、という議論がある。 全生涯で同じ説だったとはしない。全員の記憶や心が同じ内容になる意味ではなく、この理由が最終的に正しいと教材が認定するものでもない。 出典1 共有と、個人の寄与を分ける 働き この説での役割 個人の感覚・想像 思考が働くきっかけになる 能動知性 想像された内容を普遍的にする 質料的知性 抽象された内容を受け取って考える 人間全員の経験や記憶まで同一とする図ではない。後期大注解の立場に限る。 参考文献 [1] Fouad Ben Ahmed; Robert Pasnau「Ibn Rushd [Averroes]」。 出典