3.12 相 ② — 未来と、確かでないことの θα — Epoché
この 課 か でできるようになること 未来 みらい のことを、 小さな ちいさな 語 ご を 一 ひと つ 足す たす だけで 言える いえる 。 未来 みらい にも 二 ふた つの 見え みえ 方 かた があることを 知り しり 、 使い分け つかいわけ られる。 同じ おなじ 形 かたち が 推量 すいりょう にもなることを、 日本 にっぽん 語 ご の「だろう」と 重ね かさね て 理解 りかい できる。 前提 ぜんてい : 3.11( 相 そう — 二 ふた つの 過去 かこ のどちらを 選ぶ えらぶ か)。 未来 みらい の 作り つくり 方 かた は、ギリシア 語 ご でいちばん 楽 らく なところです。 動詞 どうし の 前 まえ に 小さな ちいさな 語 ご を 一 ひと つ 置く おく だけ で、 動詞 どうし そのものは 何 なん も 変え かえ ません。 楽 らく なのは 形 かたち だけで、 選ぶ えらぶ ほうは 3.11 の 続き つづき です。 未来 みらい にも 二 ふた つの 見え みえ 方 かた があります。 過去 かこ で 作っ つくっ た 物差し ものさし が、そのまま 使え つかえ ます。 型 かた の 骨格 こっかく — 置く おく だけ、 変え かえ ない 未来 みらい は、 動詞 どうし の 前 まえ に θα を 置い おい て 作り つくり ます。この 語 ご は 誰 だれ が 主語 しゅご でも、いつのことでも、まったく 形 かたち を 変え かえ ません 。 表 ひょう は 三 さん 行 ぎょう です。 組み合わせ くみあわせ できる 形 かたち 表す あらわす もの 小さな ちいさな 語 ご + 現在 げんざい の 語幹 ごかん θα γράφω で 私 わたくし は 書き かき 続ける つづける だろう これから 続く つづく こと、 繰り返す くりかえす こと 小さな ちいさな 語 ご + 一 いち 回 かい きりの 語幹 ごかん θα γράψω で 私 わたくし は 書く かく だろう 一 いち 回 かい で 終わる おわる 出来事 できごと 小さな ちいさな 語 ご + である θα είναι で それは〜だろう 状態 じょうたい 。 選ぶ えらぶ 余地 よち が 無い ない 一 ひと つ 目 め と 二 ふた つ 目 め の 違い ちがい は、3.11 とまったく 同じ おなじ です。 ひとかたまりで 見る みる か、 続く つづく 姿 すがた で 見る みる か。 ギリシア 語 ご の 相 そう は、 過去 かこ だけの 話 はなし ではありませんでした。 時 とき をまたいで 働く はたらく 仕組み しくみ だったのです。 そして 大事 だいじ な 注意 ちゅうい が 一 ひと つ。 未来 みらい では、 頭 あたま にエを 足し たし ません。 2.6 で 学ん まなん だ 加音 かおん は 過去 かこ の 印 しるし なので、 未来 みらい には 付き つき ません。 書く かく の 未来 みらい は θα γράψω であって、 頭 あたま にエは 付か つか ない。ここは 間違え まちがえ やすいところです。 使う つかう 語尾 ごび の 表 ひょう — 未来 みらい はいつも 現在 げんざい の 語尾 ごび もう 一 ひと つ、 形 かたち の 上 うえ での 大事 だいじ なことがあります。 語幹 ごかん は 二 ふた つから 選ぶ えらぶ が、 語尾 ごび はいつも 現在 げんざい のもの です。 表 ひょう は 三 さん 行 ぎょう です。 作る つくる もの 語幹 ごかん はどちらか 語尾 ごび はどれか 続く つづく 未来 みらい 現在 げんざい の 語幹 ごかん をそのまま 使う つかう 現在 げんざい の 語尾 ごび 。オ、エイス、エイ の 組 くみ 一 いち 回 かい きりの 未来 みらい 一 いち 回 かい きりの 過去 かこ の 語幹 ごかん を 使う つかう それでも 現在 げんざい の 語尾 ごび を 付ける つける 続い つづい ていた 過去 かこ 現在 げんざい の 語幹 ごかん をそのまま 使う つかう こちらだけ 過去 かこ の 語尾 ごび 。ア、エス、エ の 組 くみ 二 ふた つ 目 め の 行 ぎょう が、この 課 か でいちばん 取り違え とりちがえ やすいところです。 一 いち 回 かい きりの 語幹 ごかん に、 現在 げんざい の 語尾 ごび を 付ける つける 。 過去 かこ の 語尾 ごび を 付ける つける と 過去 かこ になってしまいます。 語幹 ごかん が 相 そう を 決め きめ 、 語尾 ごび が 時 とき を 決める きめる ——この 分担 ぶんたん を 覚える おぼえる と、 迷い まよい が 減り へり ます。 日本 にっぽん 語 ご ならどう 言う ゆう か ここは、 日本 にっぽん 語 ご とギリシア 語 ご が 珍しく めずらしく きれいに 重なる かさなる ところです。 日本 にっぽん 語 ご の「だろう」「でしょう」を 考え かんがえ てください。 明日 あす は 雨 あめ だろう——これは 未来 みらい です。 今ごろ いまごろ 家 いえ にいるだろう——これは 今 いま のことについての 推量 すいりょう です。 同じ おなじ 語 ご で、 未来 みらい と 推量 すいりょう の 両方 りょうほう を 言っ いっ ています。 ギリシア 語 ご の θα もまったく 同じ おなじ です。 明日 あす 雨 あめ が 降る ふる だろう、にも 使い つかい 、 今ごろ いまごろ 家 いえ にいるだろう、にも 使う つかう 。 時 とき のことばではなく、 確か たしか でないことのことば だと 思っ おもっ てください。 この 重なり かさなり は、 日本 にっぽん 語 ご 話者 わしゃ にとって 大きな おおきな 得 とく です。 英語 えいご では 未来 みらい の 語 ご と 推量 すいりょう の 語 ご が 別々 べつべつ で、そこを 使い分け つかいわけ なければなりません。 日本 にっぽん 語 ご 話者 わしゃ は 「だろう」と 同じ おなじ だ と 思っ おもっ ておけば、 両方 りょうほう いっぺんに 手 て に 入り はいり ます。 ただし 一 ひと つ 違い ちがい ます。 日本 にっぽん 語 ご は「 明日 あす 行く いく 」と、 現在 げんざい の 形 かたち のまま 未来 みらい を 言え いえ ます。ギリシア 語 ご は 必ず かならず 小さな ちいさな 語 ご を 置き おき ます 。 置き おき 忘れる わすれる と、 今 いま していることになってしまいます。 実 じつ 文 ぶん で 確かめる たしかめる 十 じゅう 文 ぶん あります。 訳 わけ は 本 ほん 課程 かてい で 起こし おこし た 日本 にっぽん 語 ご です。 前半 ぜんはん が 一 いち 回 かい きり、 後半 こうはん が 状態 じょうたい と 推量 すいりょう です。 文 ぶん 訳 わけ 見る みる ところ Αύριο θα βρέξει. [1] 明日 あす は 雨 あめ が 降る ふる でしょう。 一 いち 回 かい きりの 語幹 ごかん に 現在 げんざい の 語尾 ごび 。 頭 あたま にエは 付か つか ない Αύριο θα χιονίσει. [2] 明日 あす は 雪 ゆき が 降る ふる でしょう。 同じ おなじ 組み立て くみたて 。 天気 てんき は 三 さん 人称 にんしょう だけで 言う ゆう Δε θα πάω. [3] 私 わたくし は 行き いき ません。 否定 ひてい の 語 ご は 小さな ちいさな 語 ご のさらに 前 まえ に 立つ たつ Πότε θα έρθει; [4] あの 人 ひと はいつ 来る くる のですか。 疑問 ぎもん 詞 し は 文 ぶん の 頭 あたま 。 小さな ちいさな 語 ご は 動詞 どうし の 直前 ちょくぜん のまま Αυτός θα σε βοηθήσει. [5] あの 人 ひと があなたを 助け たすけ てくれます。 弱形 じゃっけい の 代 だい 名詞 めいし が 小さな ちいさな 語 ご と 動詞 どうし のあいだに 入る はいる Κανείς δε θα φύγει. [6] 誰 だれ も 去ら さら ないでしょう。 否定 ひてい と 組む くむ 語 ご 。 二 に 重 じゅう の 否定 ひてい でも 意味 いみ は 一 ひと つ Όταν γυρίσω, θα μιλήσουμε. [7] 戻っ もどっ たら 話し はなし ましょう。 いつ を 表す あらわす 節 ふし の 中 なか は 小さな ちいさな 語 ご を 置か おか ない Όλοι θα είναι εκεί. [8] みんなそこにいるでしょう。 である の 未来 みらい 。 状態 じょうたい なので 相 そう を 選ば えらば ない Δε θα είναι δύσκολο. [9] 難しく むずかしく ないでしょう。 これは 推量 すいりょう 。 未来 みらい のことではない Τι θα κάνω τώρα; [10] これからどうしようか。 疑問 ぎもん の 形 かたち で、 迷い まよい や 相談 そうだん を 表す あらわす 八 よう つ 目 め と 九 ここの つ 目 め を 見くらべ みくらべ てください。 形 かたち はそっくりですが、 片方 かたほう は 未来 みらい 、 片方 かたほう は 今 いま についての 推量 すいりょう です。どちらなのかは 文脈 ぶんみゃく が 決め きめ ます。 日本 にっぽん 語 ご の「でしょう」と 同じ おなじ で、そこは 訳す やくす 側 がわ が 受け取り うけとり ます。 よくある 誤り あやまり 誤り あやまり その 一 いち 、 頭 あたま にエを 足す たす 。 一 いち 回 かい きりの 語幹 ごかん を 使う つかう ので、つい 過去 かこ の 形 かたち をそのまま 持っ もっ てきてしまいます。 加音 かおん は 過去 かこ だけの 印 しるし 。 未来 みらい では 落とし おとし ます。 誤り あやまり その 二 に 、 過去 かこ の 語尾 ごび を 付ける つける 。 一 いち 回 かい きりの 語幹 ごかん に 過去 かこ の 語尾 ごび を 付ける つける と、ただの 過去 かこ になります。 未来 みらい はいつも 現在 げんざい の 語尾 ごび 。 誤り あやまり その 三 さん 、 小さな ちいさな 語 ご を 置き おき 忘れる わすれる 。 日本 にっぽん 語 ご は 現在 げんざい の 形 かたち で 未来 みらい を 言える いえる ので、この 誤り あやまり は 起き おき やすい。 明日 あす 行き いき ます、のつもりが 今 いま 行っ いっ ています になります。 誤り あやまり その 四 よん 、 置く おく 場所 ばしょ を 間違える まちがえる 。 小さな ちいさな 語 ご は 動詞 どうし の 直前 ちょくぜん です。 否定 ひてい の 語 ご はさらにその 前 ぜん 、 弱形 じゃっけい の 代 だい 名詞 めいし はそのあいだ。 順 じゅん は 否定 ひてい 、 小さな ちいさな 語 ご 、 代 だい 名詞 めいし 、 動詞 どうし で 固定 こてい です。 広げる ひろげる — 相 そう は 時 とき をまたいで 働く はたらく この 課 か で 分かっ わかっ たのは、 相 そう と 時 とき が 別 べつ の 軸 じく だ ということです。 日本 にっぽん 語 ご の 学校 がっこう 文法 ぶんぽう は「 過去 かこ ・ 現在 げんざい ・ 未来 みらい 」を 時制 じせい として 並べ ならべ 、それで 終わり おわり です。ギリシア 語 ご はそこに もう 一 いち 本 ぽん の 軸 じく を 立て たて ます。ひとかたまりで 見る みる か、 続く つづく 姿 すがた で 見る みる か。 過去 かこ でも 未来 みらい でも、この 軸 じく は 働き はたらき ます。 二 に 本 ぽん の 軸 じく があると、 言える いえる ことが 増え ふえ ます。 書き かき 終える おえる だろう と 書き かき 続ける つづける だろう を、 動詞 どうし の 形 かたち だけで 言い分け いいわけ られる。 日本 にっぽん 語 ご なら 副詞 ふくし や 補助 ほじょ 動詞 どうし を 足す たす ところを、ギリシア 語 ご は 語幹 ごかん 一 ひと つで 済ま すま せます 。 3.13 では、この 軸 じく が 三 さん 本 ぽん 目 め の 場所 ばしょ でも 働く はたらく ことを 見 み ます。 να という 語 ご のあとです。ギリシア 語 ご には 不定詞 ふていし が 無く なく 、その 代わり かわり をこの 語 ご が 務め つとめ ます。 練習 れんしゅう 練習 れんしゅう 1 — 未来 みらい を 作る つくる 次 つぎ の 動詞 どうし の、 一 いち 回 かい きりの 未来 みらい を 作っ つくっ てください。 私 わたくし が 一人 ひとり の 形 かたち です。 答え こたえ はこの 課 か の 最後 さいご にあります。 γράφω ( 書く かく ) διαβάζω ( 読む よむ ) μιλώ ( 話す はなす ) βλέπω ( 見る みる ) 練習 れんしゅう 2 — 未来 みらい か 推量 すいりょう か 次 つぎ の 日本 にっぽん 語 ご は、 未来 みらい と 推量 すいりょう のどちらですか。どちらもギリシア 語 ご では 同じ おなじ 語 ご を 使い つかい ます。 明日 あす は 雨 あめ が 降る ふる でしょう 今ごろ いまごろ 家 いえ にいるでしょう 来週 らいしゅう 会い あい ましょう あの 人 ひと は 疲れ つかれ ているでしょう 練習 れんしゅう