ニーチェ――神は死に、価値は問い直される(系譜学・ルサンチマン・ニヒリズム) — Epoché
近代 生の哲学と実存思想 約 24 分 本文 約 10,100 字 図 6・表 2 原典 2 節 この課の要点 方法・診断・応答の 3 つ 方法 道徳の中身の善し悪しではなく、「善と悪」という価値がどんな来歴をもつのかを問いました(系譜学)。 診断 「善と悪」の道徳はルサンチマンから生まれ、その道徳が育てた誠実さが神への信仰を崩して、最高の価値が価値を失うと見ました(ルサンチマン・ニヒリズム)。 応答 同じ人生が無限に繰り返されても肯定できるかを問い、自ら価値を創る者(超人)を理想として示しました。 はじめに フリードリヒ・ニーチェ(1844–1900)は、ドイツ生まれの哲学者です。もとは古代ギリシア語の文献を研究する古典文献学者で、24 歳でスイスのバーゼル大学の教授になりました。体を壊して 1879 年に大学を辞めた後は、療養地を転々としながら著作に打ち込みました [6] 。 この課では、ニーチェの仕事を二つの面から読みます。一つは『道徳の系譜』(1887 年)です。ニーチェはこの本で、私たちが当たり前だと思っている「善いこと」と「悪いこと」の区別が、どんな人々の、どんな必要から生まれたのかを問いました [1] 。もう一つは、『悦ばしき知識』(1882 年、増補した新版 1887 年)などで示した「神は死んだ」という診断と、その後に来るニヒリズムへの応答です [2] 。 この編の最初の課で読んだショーペンハウアーは、他人の苦しみをともに感じる同情を、道徳の土台に置きました。若いニーチェは、その著作を通じてショーペンハウアーを師と仰ぎました。しかし『人間的な、あまりに人間的な』(1878 年)のころから離れ始めます。『道徳の系譜』では、同情を最も尊いものとする道徳そのものに、本当に価値があるのかをはっきりと疑います(序文 §5) [1] 。 この課の問い 私たちが「善い」「悪い」と呼ぶ区別は、どこから来たのでしょうか。そして、その区別を支えてきたものが失われたとき、人は何を頼りに生きればよいのでしょうか。 この課のことば 系譜学 あるものが、どんな経緯で今の形になったかをさかのぼって調べる方法。家系図をたどるように、価値の来歴をたどります。 ルサンチマン 強い相手に、行為で仕返しができない人が心にため込む恨み。フランス語で「恨み」を意味する語です。 奴隷道徳 自分でない者を否定することから始まる価値づけ。自分を肯定することから始まる「高貴な道徳」と対になります。 ニヒリズム それまで最高とされてきた価値が価値を失い、「何のために」への答えがなくなった状態。 永劫回帰 今の人生が、そっくりそのまま無限に繰り返されるという考え。 超人 今の人間を乗り越え、自ら新しい価値を創る者として、ニーチェが示した理想像。 道徳の系譜――「善と悪」はどこから来たか 系譜学――道徳にも生まれた歴史がある ニーチェがまず問うのは、ある行為が善いか悪いかではありません。「善い」「悪い」という 価値そのものに、どれほどの価値があるのか です。彼は序文で、道徳の価値を批判するには、まずその価値の価値を問い直さなければならないと述べています(序文 §6) [1] 。「価値の価値」とは、私たちが善いと信じている価値が、人間が生きて伸びていくことを助けてきたのか、それとも妨げてきたのか、ということです(序文 §3)。 そのためにニーチェが選んだのが、系譜学という方法です。なぜこの方法なのかを、本教材では三段に整理します。第一に、道徳の区別は、人間が作って受け継いできたものです。第二に、作られたものには、それが生まれた時代と、それを必要とした人々がいます。第三に、その来歴を知れば、今その道徳が果たしている働きを、別の角度から見直すことができます。 ここで大切なのは、 ものが生まれた理由と、今の役割を分けて考える ことです。ニーチェは、あるものが生まれた原因と、後にそれが果たす役割とは、天と地ほどかけ離れていることさえあり、それが歴史全体を通じた原則だと述べています(第二論文 §12) [1] 。教材の例で考えてみましょう。ある学校の「廊下を走らない」という決まりは、もとは古い床が滑りやすかったから作られたのかもしれません。床が新しくなった今は、「静かに過ごすため」という別の理由で守られているかもしれません。今の理由をいくら調べても、生まれたときの理由は見えてきません。 ここで間違えやすい 系譜学は、「起源が卑しいから、その道徳は誤りだ」と証明する方法ではありません。生まれの経緯は、その価値を疑ってみる手がかりにはなります。しかし、経緯だけで価値の正しさが決まるわけではありません。起源から正しさを直接導く推論は、「発生論の誤謬」と呼ばれる誤りです。 「よい・わるい」と「善と悪」――二つの価値づけ ニーチェは、価値づけには出発点の違う二つの型があると考えました。 一つ目を、ニーチェは「高貴な」型と呼びます。古代の貴族や戦士のように力のある人々は、まず自分たち自身を「よい」と肯定しました(第一論文 §2) [1] 。強く、率直で、自分に満足していることが「よい」のです。そのうえで、自分たちと違う人々を、付け足しのように「わるい」と呼びました。ニーチェは、ドイツ語の「わるい」( schlecht )が、もとは「素朴な」( schlicht )と同じ語だったことを手がかりにしています。ここでの「わるい」は「劣った、ぱっとしない」という程度の意味で、憎しみをあまり含みません(第一論文 §4) [1] 。 二つ目を、ニーチェは「奴隷の」型と呼びます。こちらは順序が逆です。まず、自分たちを苦しめる強い者が「悪」( böse )と呼ばれます。そのあとで、その反対である自分たちが「善」と呼ばれます。出発点にあるのは、自己の肯定ではなく 他者の否定 です(第一論文 §10–11) [1] (図 1) 。 高貴な価値づけ 1 自分を肯定する 「私たちは よい 」 gut 2 あとから他を呼ぶ 「彼らは わるい 」 schlecht 出発点は、自己の肯定 奴隷の価値づけ 1 他者を否定する 「彼らは 悪い 」 böse 2 その反対として 「私たちは 善い 」 gut 出発点は、他者の否定 図 1 二つの価値づけ。どちらにも「よい」「善い」(ドイツ語ではどちらも gut)が出てきますが、左では先に、右では後に来ます。出発点が肯定か否定かの違いです。 ニーチェ自身が挙げる例に、羊と猛禽のたとえがあります(第一論文 §13) [1] 。自分たちをさらう大きな猛禽を、羊たちが恨むのは不思議ではありません。羊たちは「猛禽は悪い。だから猛禽の反対である私たちこそ善い」と考えます。ニーチェはこの理屈そのものを責めてはいません。問題にするのは、そこから「猛禽は猛禽であることをやめるべきだ」と要求することです。それは、強さに強さとして現れるなと求めることで、弱さに強さとして現れよと求めるのと同じくらい筋が通らない、とニーチェは述べます (図 2) 。 猛禽 羊を恨んではいない。 むしろ好きだ。 やわらかい羊ほど うまいものはない。 猛禽は 悪い 。 だから、その反対の 私たちこそ 善い 。 羊たち 同じ出来事を、羊は善悪で語り、 猛禽は好き嫌いで語る 図 2 羊と猛禽のたとえ(『道徳の系譜』第一論文 §13 の要約)。せりふは原文の言い換えです。猛禽を責める羊の論理は、他者の否定から始まっています。 羊の理屈を支えているのは、強い者は強さを現さないこともできたはずだ、という考えです。私たちは稲妻と、その光るはたらきを分けて「稲妻が光る」と言います。同じように、行為の背後に、行為しないことも選べた「主体」がいると考えるから、猛禽に責任を負わせることができます。ニーチェは、行為の背後にそのような主体はなく、行為がすべてだと論じます(第一論文 §13) [1] 。 ここで間違えやすい 「よい」と「善い」は、ドイツ語ではどちらも gut です。同じ語でも、反対の語が「わるい」か「悪」かで、意味が大きく変わります。この区別を見落とすと、ニーチェの議論は「善はだめで、悪がよい」という単純な裏返しに見えてしまいます。 ルサンチマン――できない反撃が価値をつくる では、奴隷の型の価値づけは、どのようにして生まれるのでしょうか。ニーチェの答えの中心にあるのが、 ルサンチマン です(第一論文 §10) [1] [5] 。 筋道は五段に分けられます (図 3) 。一段目に、力の差があり、強い者が弱い立場の人を傷つけます。二段目に、弱い立場の人は、行為で反撃することができません。三段目に、晴らせない恨みは消えずに、心の中にたまっていきます。四段目に、たまった恨みは、想像の中で復讐を果たそうとします。五段目に、その想像の復讐は、価値の呼び名を変えるという形を取ります。 1 力の差がある 強い者が、弱い立場の者を傷つける 2 行為による反撃が拒まれる 仕返しをする力も機会もない 3 恨みが内にたまる これがルサンチマン 4 想像の中で復讐する 相手を倒す代わりに、呼び名を変える 5 価値が転倒する 弱さは「善」に、強さは「悪」に 図 3 ルサンチマンが価値を生むまで。太い枠の二段が、ニーチェのいう「ルサンチマンが創造的になる」段階です。 呼び名の書き換えを、ニーチェは、理想をこしらえる「工房」をのぞいた者の報告という形で並べています(第一論文 §14) [1] 。反撃できない無力さは「善良さ」と呼ばれます。おびえて身を低くすることは「謙虚」に、臆病さは「忍耐」になります。憎む相手に従うしかないことは、その服従を命じたとされる神への「従順」と呼ばれます。仕返しが できない ことは仕返しを しようとしない ことと言い換えられ、さらには「赦し」とさえ呼ばれます。こうして弱さが徳になり、強さが悪になります。ニーチェはこれを 道徳における奴隷の反乱 と呼びました(第一論文 §10)。 ニーチェは、この反乱を始めたのはユダヤ人、彼のいう「祭司的な民族」であり、それがキリスト教を通じてヨーロッパ全体の道徳になったと論じています(第一論文 §7) [1] 。この歴史の描き方には、二つの大きな問題が指摘されています。一つは、史実による裏づけがほとんど示されていないことです。もう一つは、一つの民族をひとまとめにして道徳の起源を語っていることです。この語り方は、のちの反ユダヤ的な読み方に口実を与えかねない危うさを持っています [7] 。 なお、ニーチェは祭司的な価値づけを一方的にけなしているわけではありません。祭司的な価値づけのもとで、人間は初めて「興味深い動物」になった、つまり内面の深さを持つようになった、とも書いています(第一論文 §6) [1] 。 ここで間違えやすい ルサンチマンは、悲しみや不満の感情一般のことではありません。行為での反撃が封じられ、その代わりに価値の書き換えへ向かう恨みを指します。また、この議論は「弱い人を見下してよい」という主張ではありません。ニーチェが描いているのは、ある価値が生まれた心理と歴史についての仮説です。 ニヒリズム――神の死の後で 前の章で見た「善と悪」の道徳は、長いあいだ、キリスト教の神への信仰に支えられてきました。この章では、その支えが崩れたときに何が起こるのか、そしてニーチェがそれにどう応えようとしたのかを読みます。 神は死んだ――信仰が信じられなくなる 「神は死んだ」は、ニーチェの言葉の中で最もよく知られたものです。ただし、この言葉を叫ぶのはニーチェ本人ではありません。『悦ばしき知識』§125 に登場する「狂気の人」です [2] 。 狂気の人は、晴れた午前にランタンをともして市場に駆け込み、「神を探している」と叫び続けます。そこにいたのは神を信じていない人々で、彼らはその姿を笑います。狂気の人は彼らに向かって、神は死んだ、われわれが殺したのだ、と告げます。やがて、自分は来るのが早すぎた、この出来事はまだ人々の耳に届いていない、と言います(§125) [2] 。 この場面からは、三つのことが読み取れます。第一に、ここで「死んだ」のは、キリスト教の神への 信仰 です。ニーチェは別の節で、近年の最も大きな出来事は「神は死んだ」こと、つまりキリスト教の神への信仰が信じるに値しないものになったことだ、と言い換えています(§343) [2] 。第二に、殺したのは「われわれ」です。§125 自体は、その理由を語りません。後の『道徳の系譜』第三論文 §27 に照らすと、真実を求めよという教えを守ってきた近代の学問と良心が、ついに神への信仰そのものを疑うに至ったからだと読めます [1] 。第三に、笑っている無信仰者たちも、その意味を分かっていません。神が支えていた善悪や人生の目的も、一緒に支えを失うからです。 身近なものにたとえてみます。土台を抜かれた建物の上の階で、人々がまだ普段どおりに暮らしている様子を思い浮かべてください。建物はすぐには崩れません。けれども、住む人が気づかないあいだにも、支えはもうなくなっています。狂気の人の「早すぎた」は、この時間のずれを指しています。 ここで間違えやすい 「神は死んだ」は、「神は存在しない」ことの証明でも、ニーチェの無神論の宣言でもありません。ヨーロッパの人々の信仰と、それに支えられてきた価値に起きている出来事の診断です。 ニヒリズム――最高の価値が価値を失う 神の死の後に来るものを、ニーチェはニヒリズムと呼びました。生前に出版しなかった草稿(遺稿)で、彼はこう書いています。「ニヒリズムとは何を意味するのか。最高の価値が、その価値を失うことである。目標が欠けている。『何のために』への答えが欠けている」 [4] 。つまりニヒリズムとは、 最高の価値が、その価値を失うこと です。 ここで大切なのは、ニヒリズムがニーチェの主張ではなく、彼が見て取った時代の状態だということです。ニーチェは同じ遺稿で、ニヒリズムを二つに分けています。一つは、精神の力が衰えた結果としての受動的ニヒリズムです。何も信じられなくなり、すべてに意味がないと諦める状態です。もう一つは、精神の力が高まったしるしとしての能動的ニヒリズムです。役目を終えた古い価値を、自分の力で壊していく状態です [4] (図 4) 。 神の死 キリスト教の神への信仰が信じられな