政治学を使う――ニュースを読み、一票を考える — Epoché
国際と日本 結び 約 26 分 本文 約 11,200 字 図 5・表 2 資料 2 節 この課の要点 数を読む・一票の重さ・投じ方の 3 つ 数を読む 世論調査の数字は幅と聞き方を確かめて読む 一票の重さ 一票が結果を変える見込みは小さく、投票の理由は目的で変わる 投じ方 公共のために投じる義務と、秘密投票という日本の選択 はじめに この課程は、政治とは何かという問いから始まり、思想・制度・行動・国際の窓を順にのぞいてきました。この課程の「民主主義の行方――信頼の低下と新しい参加」の課では、政治への信頼が下がる一方で、新しい参加の形が生まれていることを見ました。最後のこの課では、学んだ道具を、だれもが毎日のように出会う二つの場面に使ってみます。一つはニュースに出てくる数字、もう一つは選挙で投じる自分の一票です。 ニュースは毎週のように「内閣支持率が3ポイント下がった」「生活に満足している人は半数」と伝えます。こうした数字は、全員に聞いた結果ではありません。選ばれた一部の人の答えから、全体を推し量った推計です。推計にどれほどの幅があり、聞き方で数字がどれほど変わるのかを知らないと、数字の上下に振り回されてしまいます。 選挙のたびに「あなたの一票が政治を変える」と呼びかけられます。一方で、何十万人もが投票する選挙で、自分の一票が結果を決めることはまずない、という冷めた見方もあります。どちらの言い分に分があるかは、一票に何を求めるかで変わります。この課では、確率の計算から始めて、投票するほかの理由、そして一票をどう投じるべきかという19世紀の議論までを順にたどります。 日本の例として、内閣府が2023年に行った世論調査の方式の比較と、憲法が定める投票の秘密、そして総選挙の年代別の投票率を取り上げます。数字の読み方と一票の考え方は別の話題に見えますが、どちらも「確かなことと推し量ったことを分ける」という同じ構えを求めます。 この課の問い ニュースの数字はどこまで信じてよく、何十万分の一にすぎない自分の一票にはどんな意味があるのでしょうか。 この課のことば 標本誤差 全員ではなく一部の人を偶然に選んで聞くために生じる、推計のぶれ。鍋のスープを一さじ味見して全体の味を推すときの、さじごとの違いのようなものです。 非標本誤差 偶然の選び方以外から生じるずれ。質問の誤解、答えない人の偏り、聞き方の違いなどです。標本誤差の式では幅を出せず、大きさを見積もるには別の調査や仮定が要ります。 調査方式 郵送で紙に書いてもらうか、調査員が会って聞くかといった、答えを集めるやり方。電話やインターネットもあります。 決定票 その一票が無ければ結果が変わった、という一票。同票を破る一票のことです。 表出的投票 結果を変えるためではなく、自分の考えや支持を表すために投じる票。試合で声を出してチームを応援するようなものです。 秘密投票 だれに投票したかを他人に知られずに投票できる仕組み。日本では憲法が投票の秘密を保障しています。 政治学で日常を読む――数字と一票をどう考えるか この章は四つの節で進みます。前の二つの節はニュースの数字を、後の二つの節は自分の一票を扱います。どちらも、この課程の「事実と価値を分ける」の課と「原因を確かめる」の課で学んだ見方を、具体的な場面に当てはめる練習です。 数字の節では、推計の幅と聞き方の違いという二つの誤差を見ます。一票の節では、まず結果を変える確率を計算する見方を、次にそれとは別の投票の理由と、投じ方の責任をめぐる議論を見ます。最後に、日本の制度がこの議論のどこに立っているかを確かめます。 世論調査の数字――幅をもった推計として読む 世論調査の結果は、一つの点ではなく、幅をもった推計として読むのが基本です。内閣府の報告書は、回答者の数を n と書き、これを100%が何人の回答に相当するかを示す基数だと説明しています [1] 。そのうえで、標本誤差は回答者数と得られた比率によって異なるとし、無作為に選んだと仮定した場合の誤差の範囲を、95%の確からしさの目安として表にしています [1] 。 なぜ幅が生じるのでしょうか。理由は、全員ではなく一部の人に聞くからです。同じやり方で別の1,000人を選べば、答えの比率は少し変わります。選び直すたびに出るこのぶれが標本誤差です。ぶれの大きさは、聞いた人数と答えの比率で決まります。人数が多いほどぶれは小さくなり、賛否が半々に近いほど大きくなります。 表1は、報告書の表から一部を抜き出したものです (表 1) 。回答者が1,000人で答えの比率が50%なら、幅は±3.1ポイント、比率が10%なら±1.9ポイントです [1] 。3,000人に増やすと、50%のときの幅は±1.8ポイントに縮みます [1] 。500人なら±4.4ポイント [1] 、100人では±9.8ポイントにもなります [1] 。人数を3倍にしても、幅は半分にはなりません。精度を上げるには、人数を大きく増やす必要があるのです。 この表で分かること: 人数が多いほど幅は小さく、比率が50%に近いほど大きい 回答者数 n 比率10% 比率30% 比率50% 3,000人 ±1.1 ±1.6 ±1.8 1,000人 ±1.9 ±2.8 ±3.1 500人 ±2.6 ±4.0 ±4.4 100人 ±5.9 ±9.0 ±9.8 表 1 単純無作為抽出を仮定した場合の標本誤差(95%の範囲、ポイント)を、内閣府の報告書の表から抜粋したもの [1] 。 ただし、この表は単純な無作為抽出を仮定した目安です。報告書自身が、この調査のように層化2段抽出法を使う場合は、標本誤差が若干増減することもあると断っています [1] 。さらに、誤差には回答者の誤解などによる計算不能な非標本誤差もあると明記しています [1] 。表の幅は、誤差の全部ではなく、標本誤差の式で出せる部分だけを示しているのです。 本教材の作例で当てはめてみます。ある調査が、回答者1,000人で内閣支持率を45%と伝えたとします。表の目安を当てると、支持率はおよそ42%から48%ほどの幅をもった推計です。これは無作為抽出を仮定した目安で、非標本誤差は含みません。翌月の同じ調査で44%になったとしても、この1ポイントの低下だけで「支持が減った」と言うことはできません。 二つの調査の数字を比べるときにも注意が要ります。幅が重なっているかどうかだけで、差が有るとも無いとも言い切ることはできません。差そのものの確からしさを確かめる計算が、別に要るからです(本教材の整理)。この課程の「原因を確かめる」の課で見たように、数字を比べるときは、比べ方そのものの吟味がいつも伴います。 ここで間違えやすい 誤解:支持率が1ポイント下がったら、国民の支持が減ったことになります。正しい理解:回答者が1,000人なら、無作為抽出を仮定しても±3ポイントほどの幅があり、1ポイントの上下は選び方のぶれに収まりえます。しかもこの幅は標本誤差の式で出せる部分だけで、聞き方などによる誤差は含みません。 聞き方で数字が変わる――方式の違いという見えにくい誤差 世論調査の数字は、だれに何人聞いたかだけでなく、どう聞いたかでも変わります。そのことを確かめた日本の例があります。内閣府は2023年11月、「国民生活に関する世論調査」を郵送法で行うのと並行して、内容の同じ調査を面接法でも行い、面接法と郵送法の差を調べました [1] 。 比べるための条件はそろえてあります。母集団はどちらも全国18歳以上の日本国籍を有する人です [1] 。標本は郵送5,000人、面接3,000人で [1] 、有効回収は郵送3,076人(61.5%)、面接1,714人(57.1%)でした [1] 。質問の内容と調査票のレイアウトは同一にしています [1] 。選択肢の「その他」の示し方は一部で異なりますが、「わからない」はどちらの方式でも明記していません [1] 。大きく違うのは、面接では調査員が対面で質問を読み上げ、対象者が回答票の選択肢から選ぶという点です [1] 。 結果は大きく違いました。生活に「満足」(「満足している」と「まあ満足している」の合計)と答えた人の割合は郵送が面接より低く、「不満」(「やや不満だ」と「不満だ」の合計)は郵送が面接より高い結果でした [1] 。総数で見ると、「満足」は郵送49.0%、面接66.7%で、差は17.7ポイントです [1] (図 1) 。去年と比べた生活の向上感でも、「同じようなもの」は郵送58.3%、面接69.2%でした [1] 。報告書は、郵送が面接より統計的に有意に高い場合と低い場合に印を付けており、これらの差にはその印が付いています [1] 。 郵送 面接 満足 49.0% 66.7% 不満 50.7% 32.3% 0 20 40 60 80 出典:内閣府政府広報室「国民生活に関する世論調査(面 接試験調査)(令和5年11月)」比較結果の概要(2)現 在の生活に対する満足度 定義:現在の生活に満足・不満と答えた者の割合(単位 % )/対象 全国18歳以上の日本国籍を有する者(層化2段無 作為抽出)/時点 令和5年11月9日~12月17日(郵送)、 11月9日~26日(面接)/分子 「満足」(満足している+ まあ満足している)または「不満」(やや不満だ+不満だ )と答えた者・分母 有効回収数(郵送3,076人、面接1,7 14人)/除外 無回答・わからないは図に入れない 図 1 現在の生活に満足・不満と答えた人の割合(郵送と面接、2023年11月、内閣府) 17.7ポイントという差は、前の節で見た標本誤差の目安、つまり1,000人でも±3.1ポイントという幅よりはるかに大きな差です [1] 。偶然のぶれだけでは説明できません。本教材は、こうした方式による差を、標本誤差の式では幅を出せない誤差の側に入るものと考えます。ただし、なぜ差が生じたのか、どちらの数字が実態に近いのかは、この比較だけでは決められません(本教材の解釈)。 ここから引き出せる読み方は、本教材の整理として二つあります。第一に、調査ごとに数字が違うとき、まず方式や質問の違いを疑うことです。第二に、比べるなら同じ方式・同じ質問の調査どうしで、時間の変化を追うことです。図2は、ニュースの数字に出会ったときに立てる四つの問いを、本教材が順に並べたものです (図 2) 。 だれに聞いたか 母集団と選び方。全員の中から無作為に 選んだか 人数 何人に聞いたか 回答者数 n。少ないほど推計の幅は 大きい 方式 どう聞いたか 郵送・面接・電話など。方式や選択肢で 数字が変わる 誤差 幅はどれほどか 式で出せる幅に、式では出せない誤差が 加わる 図 2 ニュースの数字を読む四つの問い(本教材の整理) 本教材の作例を示します。同じ週に、ある新聞は内閣支持率を38%、別の新聞は45%と伝えたとします。7ポイントの差を見て「どちらかが誤り」と決める前に、一方が電話で、もう一方がインターネットで聞いていないか、質問に「よくわからない」の選択肢があったか、調べた日が違わないかを確かめます。それぞれの社の前回からの動きを比べるほうが、二つの数字を直接比べるより確かな手がかりになります。 ここで間違えやすい 誤解:回答者が多い調査ほど正確なのだから、人数を見れば十分です。正しい理解:人数を増やして減るのは、偶然のぶれだけです。内閣府の比較では、同じ質問でも郵送と面接で「満足」が17.7ポイント違いました。聞き方による差は、人数を増やしても消えません。 一票は結果を変えるか――投票の逆理と確率の計算 次は一票です。損得を計算して動く人を考えると、なぜ投票するのかが説明しにくくなります。ブレナンによる哲学事典の項目は、まず投票には機会費用があると述べます [2] 。機会費用とは、その時間で他にできたことの価値です。そのうえで、ダウンズ(1957)にさかのぼる「投票の逆理」を紹介します。投票の費用が便益を上回るように見えるのに、人が投票するのは驚きだ、という問題です [2] 。 一票の価値は、次のように整理されます。結果を変えることだけが目的なら、一票の価値は、二人の候補の差の大きさに自分の票が決定票になる確率を掛け、そこから機会費用を引いたものです [2] 。結果を変えることだけが目的である限り、投票は宝くじを買うことに似ている、と項目は述べます [2] 。賞金が大きくても、当たる確率が小さければ、くじを買う価値は小さくなるからです。 では、決定票になる確率はどれほどでしょうか。計算の仕方には議論がありますが、典型的な選挙の典型的な投票者が同票を破る確率は小さい、という点では、経済学者・政治学者・哲学者はおおむね一致しているとされます [2] 。投票者を偏りのある硬貨に見立てる二項モデルでは、どれかの候補がリードしていれば、決定票になる確率は限りなく小さくなります [2] 。過去の選挙から推計するエドリン、ゲルマン、カプラン(2007)の研究もあります。この研究でも、アメリカ大統領選挙の非常に接戦の州で、同票を破る確率がようやく1000万分の1程度になりうるとされます [2] 。 どちらのモデルでも、結果を変える目的の場合に限っては、投票が合理的かどうかは、選挙がどれほど接戦か、候補の差がどれほど大きいかという、その場の事実によって決まります [2] 。バーネット(2020)のように、もっと一般的な条件でも投票が合理的になりうるとするモデルもありますが [2] 、その現実性には批判もあります。ソミン(2013)は、大きな選挙が本当に1票差になれば、多くの所では長い訴訟の末に裁判所で決まるかもしれない、と指摘しています [2] 。 この計算には単純化があることも、項目は認めています。一票が他人を投票に誘う、政党がどの候補や公約を掲げるかにわずかに響く、といった式に入らない効果がありうるというのです [2] 。また、一票が良いことをできると示すほど、悪いこともできることになる、という「両刃の剣」の指摘もあります [2] 。さらに、実証研究はおおむね、多くの有権者が政治の情報に乏しく、特定の政策を進める目的で投票していない人も多いと示しています [2] 。 本教材の作例で考えます。有権者が数十万人いる小選挙区で、当選者と次