セン――人が実際に何をできるかで豊かさを測る(潜在能力アプローチ) — Epoché
現代 現代の倫理学と政治哲学 約 18 分 本文 約 7,500 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 物差し・自由・変換の 3 つ 物差し 人の暮らしの良し悪しを比べるのに、持っている財の量(資源)だけでも、心の満足(効用)だけでも足りない、とセンは論じた(「何の平等か」1979)。同じ財でも体や境遇によってできることが違い、困窮に慣れた人は望みを小さくし、困窮していても満足していると答えうるからである。 自由 見るべきは、人が実際にしていること・なっている状態(機能)と、選ぼうと思えば実際に選べる機能の幅(潜在能力)である。潜在能力は形だけの権利でなく実質的な自由であり、断食と飢えのように、栄養の状態という限られた達成が同じでも、選べたかどうかで意味が違う。 変換 財を機能に変える度合いは、体・社会・環境の要因で人ごとに違う。だから財や所得は目的でなく手段として評価する。どの潜在能力が大事かを、センは哲学者の一覧で決めず、人々の公共の議論に委ねる。 はじめに アマルティア・センは、インドのベンガル地方に生まれた経済学者で、哲学者でもあります。厚生経済学への貢献によって 1998 年にノーベル経済学賞を受け [7] 、いまも存命です。 哲学の世界でセンの名を広めたのは、1979 年 5 月に行ったタナー講義「何の平等か」です [2] 。センはこの講義で、平等を論じるなら、そもそも何についての平等なのかを問い、 潜在能力 (ケイパビリティ)という考えを初めて出しました [4] 。その後、『不平等の再検討』(1992 年)や、一般の読者に向けた『自由と経済開発』(1999 年)で、この考えを練り上げています [4] 。のちに哲学者マーサ・ヌスバウムらが、この考えを大きく発展させました [1] 。 この課程のベンサムの課では、行為や政策のよさを、関わる人々の快と苦の和で測る考えを読みました。この編のロールズの課では、基本財をどう分けるのが正義にかなうかを考えました。センは二人とは別の所に問いを向けました。人の暮らしを比べるとき、何を測ればよいのか、という問いです [1] 。 センの問いは、経済学の道具の見直しから始まりました。SEP の解説によれば、センは 1970 年代の一連の論文で、伝統的な経済学のモデルや功利主義・資源主義が、暮らしを評価するときに使う情報の幅が狭いことを批判しました [1] 。潜在能力アプローチは、のちに国連開発計画の人間開発報告のような政策の評価にも使われるようになりました [1] 。 この課の問い 同じだけのお金をもらった二人がいます。一人は歩けて、一人は車いすを使います。二人は「平等」に扱われたと言えるでしょうか。また、苦しい暮らしに慣れて「これで満足だ」と言う人は、本当に豊かなのでしょうか。何を物差しにすれば、人の暮らしの良し悪しを比べられるのでしょうか。 この課のことば 機能(ファンクショニング) 人が実際にしていること、なっている状態。十分に食べている、読み書きができる、移動する、などです。センは「すること」と「あること」と呼びます。 潜在能力(ケイパビリティ) 選ぼうと思えば実際に選べる機能の幅。日常語の「能力・才能」とは違い、体の力だけでなく、社会や環境の条件も含めて決まります。 実質的な自由 形だけの権利ではなく、そうしようと思えば実際にそうできる手立てがそろっていること。 変換の要因 財や資源を機能に変えられる度合いを左右するもの。体の要因・社会の要因・環境の要因の三つに分けて論じられることが多いです。 効用 財から得る快や幸福・満足の量。功利主義はこれで暮らしの良し悪しを測ります。 適応的選好 困窮した境遇に置かれた人が、手の届かないものを望まなくなり、望みを小さくすること。満足だけで測ると苦しさが見えなくなります。 潜在能力アプローチ――何を物差しに暮らしの良し悪しを比べるのか 平等が大事だということには、多くの人が同意します。けれども、何を等しくするのかについては意見が割れます。所得をそろえるのでしょうか、満足や権利をそろえるのでしょうか。センは、この「何の」の問いに、どの物差しを選ぶかで答えが大きく変わると考えました [1] 。この章では、①資源と効用という二つの物差しへの批判、②機能と潜在能力という新しい物差し、③財をできることに変える要因と、どの潜在能力を大事とするかの決め方、を順に読みます。 何の平等か――財の量でも心の満足でもなく センは 1979 年のタナー講義「何の平等か」で、平等や暮らしの良し悪しを測るこれまでの物差しは、見ている情報が狭すぎると論じました [1] [2] 。一つは、所得や財といった手段の量で測る 資源 の物差しです。もう一つは、財から得る快や満足の量で測る効用の物差しです。どちらにも、人が実際に何をできるか(すること)、どんな者でいられるか(あること)という情報が欠けている、とセンは言います [1] 。 資源の物差しの穴を、センは体に障害のある人の例で示します (図 1) 。同じだけの財を受け取った二人のうち、一人は車いすを使うとします。その人が行けるのは、車いすで入れる所に限られます。しかも、財の多くを車いすに使わなければならないので、ほかの目的に回せる分は少なくなります。財の量が同じでも、この人は二重に不利なのです [1] 。 財の量で見ると 財の量:同じ 歩ける人 車いすの人 同じだけの財 できることで見ると 図書館 市場 バス停 歩ける人 段差の無い道 図書館(階段) バスの乗り口 車いすの人 財の多くは車いすの費用に 図 1 センの挙げる、障害のある人と同じ財の例を絵にしたものです(本教材の絵)。一つ目の絵では財の量だけを見るので、二人は平等に見えます。二つ目の絵では、車いすの人が財の多くを車いすに使い、しかも段差のために行ける所が少ないという二重の不利が見えます。図書館やバス停の描き方は本教材の作例です。 効用で測る人は、障害のある人が同じだけ満足するまで財を足せばよい、と答えるかもしれません。けれども、その人が少しのことで大いに喜べる人だったらどうでしょう。満足の量で配る物差しは、かえって喜ばせにくい健常の人のほうに多く配れと言います。より困っている人を、満足させやすいという理由で少なく助けるのはおかしい、とセンは言います [1] 。 もう一つの穴は、慣れです。SEP の解説によれば、センは、困窮の中で暮らす人々が身を守るために期待を下げがちであることを、自ら記録してきました [1] 。望みを小さくした人は、困窮していても満足していると答えることがあります。少ない財で満足が増えるからといって、その境遇が正しいことにはなりません。こうした望みの縮み方を 適応的選好 と呼びます [4] 。だから、財と心の反応という間接の情報ではなく、人が実際に何をできるかを直接見なければならない、とセンは考えました [1] 。 この二つの穴は、向きが逆です。資源の物差しは人の外にある物だけを見て、同じ財から人が引き出せるものの違いを見落とします。効用の物差しは人の内の反応だけを見て、その反応が境遇に合わせて縮むことを見落とします。センが求めたのは、その間にある、財を使って人が実際に何をできるかという情報でした(この対比は本教材の整理です)。 ここで間違えやすい センが、お金や財、幸福は大事でない、と言ったと取らないでください。センが退けたのは、財や満足だけを物差しにすることです。潜在能力の分析でも、食べ物や所得などの資源はふつう一緒に調べられ、財は目的でなく手段として大事にされます [1] 。幸福も、幸福であるという一つの機能として、物差しの中に入ります [1] 。 機能と潜在能力――していることと、選べることの幅 潜在能力アプローチの核は、暮らしの良し悪しを 機能 と潜在能力で捉えることです。機能は、十分に食べている、教育を受けている、旅をする、のように、人が実際に達成している状態や活動です。潜在能力は、それらの機能を達成できる実質的な機会です [1] 。センは、機能が人のあり方を成り立たせるもので、暮らしの評価はこの構成要素の評価の形をとる、と述べます(『不平等の再検討』39 頁) [3] 。 機能の幅は広いものです。十分に食べている、健康である、早すぎる死を避けられる、といった基本的なものがあります。その先に、まともな仕事を持つ、自尊心を失わない、地域の暮らしに加わる、といった込み入ったものまで続きます [1] 。 機能と潜在能力の関係は、食堂の献立にたとえられます(本教材のたとえ)。実際に注文して食べた一皿が機能で、注文できた献立の全体が潜在能力です。同じ一皿を食べた二人でも、一人は十の皿から選び、もう一人はその一皿しか出されなかったのなら、二人の暮らしの良し悪しは同じではありません。 潜在能力は、形だけの権利ではありません。SEP の解説者は、こんな作例を出します。投票する権利があり、誰にも邪魔されなくても、投票所が 200 キロ先で、車も交通の手立ても無ければ、投票する実質的な自由はありません。近くに住んでいても、女性の投票が許されない社会では同じです [1] 。逆に、投票できるのに投票しないことを選んだ人は、潜在能力はあっても、投票するという機能はありません [1] 。 選べたかどうかの違いを、センは断食と飢えの対比で示します (図 2) 。宗教の理由で断食する人と、飢饉で飢える人は、栄養の状態という限られた達成だけを見れば同じかもしれません。けれども、一人は食べようと思えば食べられ、もう一人には選ぶ余地がありません。選んだかどうかまで含めて機能を細かく記せば、二人は区別されます(『自由と経済開発』) [5] [4] 。 断食する人 食べていない(同じ) 食べようと思えば 食べられる 食べる 食べない 選べる幅 飢える人 食べていない(同じ) × 食べたくても 手に入らない 食べない 選べる幅 図 2 センの断食と飢えの対比を絵にしたものです(本教材の絵)。二人とも食べていないという点は同じですが、一つ目の絵の断食する人の戸棚には食べ物があり、選べる幅に「食べる」と「食べない」の二つがあります。二つ目の絵の飢える人には「食べない」しかありません。食卓・戸棚・畑の描き方は本教材の作例です。 SEP の解説は、さらに貧しいひとり親の作例を挙げます。長く働いて家族を養うことも、家で子どもの世話をすることも、一つずつなら開かれています。けれども両方を同時には選べないなら、その人の潜在能力は狭いのです [1] 。問うべきは、一つ一つの選択肢ではなく、どの組み合わせが開かれているかです。 ここで間違えやすい 潜在能力を、日常語の「能力」、つまりその人の才能や体の力と取らないでください。センのいう潜在能力は、体の力だけでなく、社会や環境の条件によって可能にも不可能にもなる機会のことです [1] 。また、ここでの自由を、市場で売り買いする自由のことだと取るのも誤りです。センは市場の自由にも価値を認めますが、潜在能力としての自由は、実際に何かをできる機会という意味です [1] 。 変換の要因――同じ自転車でも行ける所が違う 人が財を機能に変えられる度合いは、 変換の要因 によって決まります(『不平等の再検討』19〜21、26〜30、37〜38 頁) [3] [1] 。IEP の解説によれば、センは自転車の例でこれを示します [4] 。自転車には移動を助けるという特徴がありますが、それが実際に移動をもたらすかは、使う人によります。ふつうの自転車は多くの人の移動を広げますが、脚の無い人の移動は広げません [4] 。 文献では、変換の要因を、その人の内にある体の要因、暮らす社会から来る社会の要因、自然と建物にある環境の要因の三つに分けて整理することが多いです (表 1) [1] 。 この表で分かること: 同じ一台の自転車でも、行ける所を決めるのは自転車だけではありません。体・社会・環境のどこかに妨げがあれば、財は機能に変わりません。 変換の要因 どこにある要因か 例 自転車でいえば 体の要因 その人の内 体の具合・代謝・性・読み書きの力 乗り方を習ったか・脚が動くか 社会の要因 暮らす社会 政策・慣習・差別・階級や性の上下 女性が乗ることを許す社会か 環境の要因 自然と建物 気候・汚染・地震・道や橋 まともな道や自転車道があるか 表 1 変換の要因の三分け。分け方と例は SEP の整理によります [1] 。 ここから、手段と目的を分ける考えが出てきます。人によって財を機会に変える力が違うので、財は目的としてではなく手段として評価し、潜在能力の側から見るべきだ、とされます [1] (図 3) 。お金や経済の成長も、人々の潜在能力を広げるかぎりで評価されます。村に食べ物が十分にあっても、交換に出す物も、それを求める法の権利も無ければ、人は飢えます [1] 。 資源・財 自転車や所得など。資源の物差しは ここだけを見ます 変換の要因 体・社会・環境の条件が、財を できることに変えます 潜在能力 選べる機能の集まり(歩く・自転車で 行く・バスで行く) 達成した機能 その中から選んだもの(バスで 通勤する) 効用 結果として生まれる満足。効用の 物差しはここを見ます 図 3 財から暮らしへの道筋です(骨組みは IEP の説明により、例の選び方は本教材の整理) [4] 。資源の物差しは最初の段だけを、効用の物差しは最後の段だけを見ます。センの物差しは、真ん中の潜在能力と機能です。点線の段は、選んだ結果として後から生まれるものを示します。 では、どの潜在能力が大事かは、誰が決めるのでしょうか。センは、哲学の根拠で一覧を決めることを退け、当人たちの公共の議論と民主的な手続きに委ねます。人々が議論を通じて持つようになる価値と、民主主義の役目を重んじるからです。ただし、教育・健康・栄養・住まいといった基本的な潜在能力については、比較的たやすく合意できるとも言います [4] 。 ここで間違えやすい センが、誰もが持つべき潜在能力の一覧を定めた、と取らないでください。一覧を示したのはヌスバウムで、センは意図して理論を細かく決めず、何を大事とするかを公共の議論に委ねました [4] 。また、潜在能力の評価は選択肢の数を数える