官僚制――専門性と規則による支配 — Epoché
制度と行動 統治の制度 約 27 分 本文 約 11,900 字 図 4・表 2 資料 1 節 この課の要点 仕組み・強みと影・日本の 3 つ 仕組み ウェーバーは近代の官僚制を、規則で決まった権限、上下の秩序、文書、専門の訓練、専任の勤め、学べる規則の六つで描き、職員は資格で任命されるとした 強みと影 正確さと予測のしやすさで他の形にまさるとされる一方、規則そのものが目的になる逆機能や、専門知識を持つ官僚に対して政治家が素人の立場に立つ問題を生む 日本 日本では国家公務員法が能力の実証による任用を、公文書管理法が意思決定の経緯の文書化を定める。一般政府の雇用の割合は比べた国の中で最も低い はじめに 引っ越して住民票を移すとき、市役所の窓口の職員は、あなたが誰かによって扱いを変えません。決まった書類がそろっていれば受け付け、欠けていれば受け付けません。相手が職員の友人でも、有名な人でも同じです。これは当たり前に見えますが、歴史の上では新しい仕組みです。昔の多くの国では、君主が自分の腹心や家来に、そのつど仕事を任せていました。 試験などで選ばれた専門の職員が、決まった持ち場と上下の指揮の筋の中で、文書と規則に従って仕事を処理する組織を、官僚制と呼びます。官僚制という言葉は、日本語の「お役所仕事」と同じように、悪口として使われることも多い言葉です。米国の社会学者マートンも、「官僚」という語が罵り言葉になっていると書きました [4] 。けれども、税を集める、年金を払う、免許を出すといった仕事を、何千万人もの人に同じ基準で行う方法を、私たちはほかに持っているでしょうか。同じ申請に、窓口ごと、担当者ごとに違う答えが返ってくる国を想像してみてください。誰に頼むかで結果が変わるなら、人々は規則を調べるより、有力な知り合いを探すようになるでしょう。官僚制への不満と、官僚制がなければ困るという事情は、同じ仕組みの表と裏なのです。 ウェーバーは、近代の組織が、国家でも教会でも軍隊でも政党でも企業でも、官僚制的な行政の発展と重なっていると見ました。そして、どんな見かけの反例があっても、続いていく仕事はすべて事務所の官吏によって行われている、私たちの日常生活の全体がこの枠にはめこまれている、と書いています [1] 。官僚制を考えることは、遠い役所の話ではなく、学校や会社やアルバイト先を含めた、私たちの暮らしの枠組みを考えることでもあるのです。 この課では、ドイツの社会学者マックス・ウェーバー(1864〜1920)が描いた官僚制の型を出発点にします [3] 。この課程の『議会』や『司法と違憲審査』の課では、法をつくる場と、法に照らして裁く場を見ました。決められた法を毎日実際に行うのは、行政の組織です。官僚制はなぜ広がったのか、その強みはどこで弱みや危うさに変わるのか、日本の法律は官僚制をどう定めているのかを、順に考えます。最後に、ウェーバー本人が官僚制の力について書いた一節を、原文の訳で読みます。 この課の問い なぜ近代の国家は、試験で選んだ専門の職員に、規則どおりに仕事をさせる組織(官僚制)で動くのでしょうか。その強みは、どんな場面で弱みや危うさに変わるのでしょうか。 この課のことば 官僚制 仕事を持ち場に分け、上下の指揮の筋を決め、資格で選ばれた専任の職員が、文書と規則に従って処理する組織の形。役所だけでなく、大企業や政党、軍にも見られます。 資格任用 職員を、縁故や選挙ではなく、試験や評価で示された能力に基づいて採ること。日本の国家公務員法は「能力の実証」という言葉で定めています。 理念型 現実の特徴を際立たせて組み立てた、純粋な型のこと。現実の組織がそれにどれだけ近いかを測る物差しとして使います。 目標の転移 手段だったはずの規則を守ることが、それ自体の目的になってしまうこと。書類の形式がそろっていることが、窓口の目的より大事にされるような場合です。 家産制 支配者が国を自分の家の延長のように治め、腹心や家来に仕事を任せる形。役職と私的な関係の区別があいまいです。 官僚制――なぜ専門家と規則で治めるのか 官僚制は、国の行政の仕組みであると同時に、近代の組織のあり方そのものでもあります。まずウェーバーが描いた型を見て、次にそれが広がった理由、その影の面、最後に日本の法律と数を見ます。 規則と持ち場で動く組織――ウェーバーの描いた型 ウェーバーの没後に刊行された大著『経済と社会』 [3] には、官僚制を論じた二つの部分があります [1] [2] 。その一つで彼は、近代の官僚の働き方を六つの特徴で描きました [2] 。一つ目は、仕事の分担と、そのための命令の権限や強制の手段が、法律や行政の規則によって前もって決まっていることです。これを権限と呼びます。二つ目は、役所が上下の階統をなし、上の役所が下の役所を監督することです。この仕組みは、市民が下の役所の決定に不服なとき、上の役所に申し立てる道にもなります。 三つ目は、仕事が文書(記録)に基づいて行われ、事務所が私宅から、役所のお金が職員の私財から分けられていることです。四つ目は、職務が専門の訓練を前提とすることです。五つ目は、職務が職員の働く力のすべてを求めることです。ウェーバーは、以前はどこでも仕事を本業のかたわらに片づけるのが普通だった、と述べています。六つ目は、職務が、学ぶことのできる一般的な規則に従って行われることです [2] 。 これがなぜ新しいのかは、前の時代と比べると分かります。ウェーバーによれば、古代オリエントの大きな国や征服帝国では、決まった権限を持つ常設の役所は例外でした。君主は最も重要な措置を、腹心や食卓の仲間、宮廷の使用人に、そのつど作った、範囲の決まらない任務を与えて行わせました [2] 。ウェーバーはまた、一般的な規則による近代の定め方を、家産制の定め方の正反対に置きました。家産制は、支配者が国を自分の家の延長として治める形で、一人ひとりへの特権や恩恵の授与で物事を定めます [2] (図 1) 。 家産制など前近代の 行政 近代の官僚制 君主が腹心や家来に 仕事を任せる 持ち場と権限を 規則で前もって 決める 任務はその つど作られ、範囲が 決まらない 資格で任命し、 固定給と経歴を 与える 役職と私的な関係の 区別があいまい 事務所と私宅、 公金と私財を分ける 図 1 ウェーバーが対比した家産制の行政と近代の官僚制(『経済と社会』による本教材の整理) [1] [2] 。二つは対比のために際立たせた型で、現実の行政には、ほかの支配の型の要素も組み合わさります。 『経済と社会』のもう一つの部分では、職員の側の特徴が十に整理されています [1] 。最も純粋な型の官僚は、身分の上で自由で、職務上の義務にだけ従います。固い上下の秩序と固い権限の中で働き、契約によって、専門の資格に基づいて任命されます。最も合理的な場合、資格は試験で確かめられ、免状で証明されます。選挙で選ばれるのではなく、任命されるのです。さらに、貨幣での固定給と多くは年金を受け、職を唯一か主な職業とし、年功か業績、またはその両方で昇っていく経歴を見込みます。行政の手段からは完全に切り離され、官職を自分のものにできず、厳しい規律と統制に服します [1] 。 この組織に人が従う理由を、ウェーバーは合法的な支配と呼びました。この課程の『権威と正統性』の課で見た支配の三類型の一つです。合法的な支配の下で人々が従うのは、命令する人その人ではなく、規則という人によらない秩序です。だから従う義務も、その秩序が割り当てた権限の範囲に限られます [1] 。命令する上司も、自分の命令の拠り所である秩序に従っています。 身近な例に当てはめます(本教材の作例です)。市役所の住民票の窓口では、受け付けの係、確認の係、交付の係が分かれ、それぞれの持ち場が決まっています。職員は採用試験を経ており、手続きは規則に書かれ、申請は書類に記録されます。窓口の職員が気に入らない人を断ることは、少なくとも規則の上ではできません。 ただし、ウェーバーの描いたのは純粋な型です。彼自身、この秩序は歴史の上では、純粋な型に多かれ少なかれ近づいた形で見られると書いています [1] 。現実の役所が六つの特徴を全部そなえているとは限りません。型は、現実の組織がどれだけ官僚制的かを測る物差しとして使うものです。 ここで間違えやすい 官僚制を「役所のこと」とだけ考えるのは誤りです。ウェーバーは、同じ型が私立の病院、大企業、政党、近代の軍隊にも見られるとしました [1] 。また、官僚制の頂点には官僚でない者が立ちます。大臣や大統領は専門の資格を求められない「官吏」で、官吏なのは形式の上だけだ、と彼は述べています [1] 。 なぜ広がったのか――正確さ・速さ・予測のしやすさ 官僚制がこれほど広がったのはなぜでしょうか。ウェーバーは、決め手はほかのどの形に対しても技術の面でまさっていたことだ、と答えます。十分に発達した官僚制の仕組みとほかの形との関係は、機械と、機械によらない物の作り方との関係と同じだというのです [2] 。比べる相手は、地元の有力者が本業のかたわらに無給で務める名誉職の行政や、何人もの合議で決める行政です。 彼が挙げた長所は、正確さ、速さ、明確さ、記録がそろっていること、続いていくこと、慎重さ、統一性、厳しい上下の服従、そして摩擦や費用の節約です。これらは、訓練を受けた個々の官吏が、一人の長の下で仕事をする形で最もよく実現されるとしました。複雑な課題であれば、給料を払う官僚の仕事のほうが、形の上では無給の名誉職よりも正確なだけでなく、結果として安くつくことも多い、とも述べています [2] 。名誉職の行政は本業のかたわらなので遅くなりがちで、合議制は意見の妥協で遅く、ばらばらになりやすいからです [2] 。 もう一つの理由は、大量の行政の必要です。ウェーバーは、他の条件が同じなら官僚制的な行政が形式と技術の上で最も合理的なので、大量の行政の必要に対しては今日まったく避けられない、と書きました。そして、行政には「官僚化」か「素人化」かの選択しかない、と言い切ります [1] 。官僚制の優越の大きな手段は専門知識であり、それは近代の技術と経済が欠かせないものにした、というのです [1] 。 官僚制の仕事の仕方にも、近代の社会に合う点がありました。官僚制は、事柄に即して、つまり「人を見ずに」、計算できる規則で仕事を処理します。ウェーバーはこれを、怒りも好みもなく、という意味のラテン語「sine ira ac studio」で表しました。そして、愛や憎しみなど計算に乗らない感情を職務から締め出すほど、資本主義に歓迎される性質が完全に発揮される、と述べました [2] 。SEP の解説も、法の形式主義と、政治から離れた職業的な官僚制が、近代の資本主義を取り巻く環境に予測のしやすさをもたらした、という見方を紹介しています [3] 。マートンは、規則は上司と部下の両方を縛るので、部下が上司の勝手なふるまいから守られる、という面も指摘しました [4] 。 では、ウェーバー的な官僚制は、実際に国の発展を助けるのでしょうか。社会学者のエヴァンズとラウチは 1999 年の論文で、35 の途上国の中核の経済官庁を調べ、1970〜1990 年の経済成長と比べました。彼らは、資格に基づく採用と、予測できて報われる長い経歴をどれだけそなえているかを、「ウェーバー性の尺度」で測りました。そして、初めの 1 人あたり GDP と人的資本を統制しても、この性質が成長の見込みを有意に高めると報告しました [5] 。 ただし、この種の研究には反論もあります。コーネル、クヌッセン、テオレルは 2020 年の論文で、一部は 1789 年までさかのぼる新しい測度を使い、国ごとの特性を統制して調べ直しました。その結果、以前の国どうしの比較の回帰分析は、関係の強さを大きく過大に見積もっていたと述べています。効果があるとしても、短い期間に働き、近年ほど強いのかもしれない、という結論です [6] 。官僚制の長所についての理論と、その効果を数で確かめることとは、別の問題なのです。 ここで間違えやすい ウェーバーは「官僚制はいつでも能率が良い」と言ったのではありません。比べる相手は名誉職や合議制の行政で、「他の条件が同じなら」「大量の行政の必要に対しては」という限定が付いています [1] [2] 。また、成長との関係を示す国どうしの比較は相関を示すもので、それだけで官僚制が成長をもたらしたとは言えません。後の研究は、その関係の強さに疑問を投げかけています [6] 。 規則が目的になるとき――逆機能と官僚の力 官僚制の長所は、そのまま短所にもなります。マートンは論文「官僚制の構造とパーソナリティ」(1940 年初出、ここでは 1957 年の論文集に収めた版による)で、その限界を問いました。ウェーバーはほとんど、官僚制が成し遂げるもの、つまり正確さ・信頼性・能率だけを扱った、というのです [4] 。彼は経済学者ヴェブレンの「訓練された無能」という概念を当てはめます。これは、自分の能力が、かえって欠陥や盲点として働く状態を指します。過去にうまくいった訓練どおりの行動が、条件が変わると不適切な反応になるのです [4] 。 マートンの筋道は次のとおりです (図 2) 。官僚制がうまく働くには、職員が決められた型どおりに確実に行動することが欠かせません。そのため、規律を守る気持ちは、技術の上で必要な強さよりも強く植えつけられます。すると、その気持ちが、組織の目的から、規則の求める行動の細部へと移っていきます。手段として考えられていた規則の順守が、それ自体の目的に変わるのです。マートンはこれを、よく知られた「目標の転移」の過程として説明しました [4] 。 確かな行動の要求 官僚制は、決められた型どおりの確かな 行動を職員に求める 強すぎる規律 規律を守る気持ちが、技術の上で必要な 強さを超えて植えつけられる 目標の転移 手段だった規則の順守が、それ自体の 目的に変わる 杓子定規 規則の想定しない場合に、組織の目的の 達成を妨げる 図 2 マートンの説明する、規則が目的に変わる筋道(「官僚制の構造とパーソナリティ」1957 年の版) [4] 。一般には能率を生む要素が、特別な場合に