研究公正 — Epoché
要点 研究は、データも言葉も正直に扱われているという互いの信頼の上に成り立っています。研究公正の決まりは、その信頼を守るためのものです。 日本の国のガイドラインは、論文など発表された研究成果の中での捏造・改ざん・盗用を、特に重い不正と定めています。一方で、適切な方法で得た結果が後から誤りと分かっても、不正にはあたりません。 二重投稿や、著者の名前の載せ方の問題も、多くの大学が不正行為として規程に定めています。著者に名前が載ると、内容にも責任を持つことになります。 授業のレポートで何が不正とされ、どう扱われるかは、大学ごとの学則や規程で決まっています。迷ったら、履修の手引きを見たり、担当の先生に聞いたりして確かめられます。 生成 AI を使ってよいかは、授業や雑誌ごとに決まります。この文書で例に挙げた方針では、出力をそのまま出さない、使ったことを書き添える、内容の責任は自分が持つ、の 3 点が繰り返し出てきます。 研究機関には、不正ではないかと気づいたときに相談できる窓口があります。悪意による告発でない限り、告発したことだけを理由に不利益に扱うことは、ガイドラインで禁じられています。 こんなときに レポートを書いていて、ネットの解説記事の言い回しをどこまで借りてよいのか迷った。研究公正について調べ始めるのは、そんな場面からかもしれません。 ほかにも、次のような場面でこの文書が役に立ちます。 前の学期に別の授業で書いたレポートを、今学期の似た課題にも使えるのか知りたい。 授業で「生成 AI の使用は可。ただし使用した旨を明記」と言われたが、何をどこに書けばよいか分からない。 実験の結果が仮説と合わなかった。仮説が外れたことをそのまま書いてよいのか、不安になっている。 卒業研究の成果を仲間と共著で発表することになり、誰の名前をどの順に載せるか迷っている。 卒業論文の内容を学会で発表し、その後に論文にもしたい。同じ内容を 2 回出してよいのか分からない。 研究室で「これは不正では」と感じることがあった。誰に相談できるのか知りたい。 この文書は、決まりを並べるだけでなく、それぞれの決まりが何を守るためにあるのかも説明します。引用の具体的な書き方は 引用と参考文献 で扱います。 研究不正とは — 捏造・改ざん・盗用 研究の成果は、他の研究者が確かめられる形で発表され、吟味を受けます。その仕組みは、誰もがデータや言葉を誠実に扱っているという前提で動いています。日本の国のガイドラインは、発表された研究成果の中でこの前提を壊す特に重い行為として、捏造・改ざん・盗用の 3 つを定めています。 なぜ研究に誠実さが欠かせないのか 文部科学省のガイドラインは、研究成果の発表を、検証できるデータを示して研究者の共同体の吟味や批判を受けることだと説明しています。このチェックの仕組みは、研究者一人ひとりの誠実さを前提にしています。不正は研究の本質をゆがめ、研究者どうしの正常なやりとりを妨げる、というのがガイドラインの考え方です [1] 。 日本学術振興会の研究倫理の教材も、研究者どうしや社会が、データは注意深く集められ正しく報告されていると信じていて、この信頼が崩れると科学の土台が崩れる、と説明しています [2] 。 研究の公正さは、法律や宣言にも書かれています。科学技術・イノベーション基本法は、科学技術の振興にあたって研究開発の公正性の確保に留意するよう定めています [3] 。日本学術会議の行動規範は、科学者に、不正行為をせず、加担もしないことを求めています [4] 。国を越えては、2010 年の研究公正に関する世界会議で、研究の誠実さなどを原則に掲げたシンガポール宣言がまとめられました [5] 。 3 つの特定不正行為 ガイドラインは、捏造・改ざん・盗用を「特定不正行為」と呼んでいます。対象になるのは、「故意又は研究者としてわきまえるべき基本的な注意義務を著しく怠ったことによる、投稿論文など発表された研究成果の中に示されたデータや調査結果等の」捏造・改ざん・盗用です [1] 。 つまり、範囲を決める条件が 2 つあります。1 つは、わざと、または研究者に求められる基本的な注意を著しく怠って行ったことです。もう 1 つは、論文など、発表された研究成果の中で行われたことです。 この定義は、文部科学省の予算で行われる研究について、不正を調べて措置をとる手続きのために置かれています [1] 。授業のレポートでの扱いは、各大学の規程によります(「授業のレポートで気をつけたいこと」の節で紹介します)。 3 つの行為を、短い言いかえと、研究の場面に置きかえた例で見比べると、次のとおりです。例は、この文書が添えたものです。 行為 短く言うと 研究の場面に置きかえた例 捏造(ねつぞう) 無いデータや結果を作る 行っていないインタビューの結果を論文に書く 改ざん 得られた結果を加工する 仮説に合わない測定値を書き換えて発表する 盗用 他の研究者のものを断りなく使う 他の研究者の論文の文章や図を、出典を示さずに使う ガイドラインの定義そのものは、次のとおりです [1] 。 捏造 : 「存在しないデータ、研究結果等を作成すること。」 改ざん : 「研究資料・機器・過程を変更する操作を行い、データ、研究活動によって得られた結果等を真正でないものに加工すること。」 盗用 : 「他の研究者のアイディア、分析・解析方法、データ、研究結果、論文又は用語を当該研究者の了解又は適切な表示なく流用すること。」 日本学術振興会の教材は、この書き方によって、わざとでない不注意による行為も場合によっては不正になりうることが明記された、と説明しています [2] 。 反対に、誤りそのものは不正ではありません。ガイドラインには「科学的に適切な方法により正当に得られた研究成果が結果的に誤りであったとしても、それは不正行為には当たらない。」と書かれています [1] 。仮説が外れた結果を正直に報告することは、不正とは別のことです。決まりが問題にしているのは、データや結果を偽ることのほうです。 盗用は文章を写すことに限らない 盗用と聞くと、他の人の文章を写すことを思い浮かべるかもしれません。日本学術振興会の教材によると、対象はそれより広く、アイディアにも及びます。講演や研究会の議論で出たアイディアや、論文の査読(投稿された論文を同じ分野の研究者が審査すること)で知ったアイディアを、断りなく使うことも、盗用にあたりうるとされています [2] 。 文章に手を加えても、出典を示さなければ盗用になりえます。原文のまま使うときは、引用符などで、その部分が他の人の文章だと分かるようにします [2] 。どこまでを引用として示し、要約や言い換えをどう書くかは、 引用と参考文献 で扱います。 「盗用」と「剽窃」は、研究不正の文脈では基本的に同じ意味です [2] 。ただ、2 つを分けて説明する大学の資料もあり、使い分けは資料によって違います [6] 。 研究の記録を残しておくと、自分の研究がどう行われたかを、あとで自分で説明できます。ガイドラインも、不正の疑いを調べるときは、生データや実験ノートなど本来あるはずの記録があるかを見るとしています。記録が無く疑いを覆せないと不正と認定されうる一方、災害など本人の責任によらない理由なら例外とされています [1] 。記録を残す実務は、 研究データの管理と再現性 で扱います。 捏造・改ざん・盗用のほかの不正 — 二重投稿やオーサーシップ 捏造・改ざん・盗用のほかにも、研究の信頼を損なう行為があります。代表的なのが、同じ内容の論文を重ねて出す二重投稿と、著者の名前を適切に載せない不適切なオーサーシップです。国内の多くの大学が、これらを不正行為として規程に定めています [2] 。 ガイドラインと国の通知での位置づけ ガイドラインは、二重投稿や不適切なオーサーシップなども、不正行為として認識されるようになってきたと書いています。二重投稿は、多くの学会や学術誌の投稿規程で禁じられているとも述べています。何がこうした行為にあたるかは、学会や雑誌の規程で明確にすることが強く望まれる、としています [1] 。 2023 年の通知は、二重投稿・不適切なオーサーシップ・査読での不適切な行為などを「二重投稿等」とまとめました。捏造・改ざん・盗用とは異なるものの、論文の独自性を損ない、業績の不当な水増しにつながりうる、研究者倫理に反する行為だと説明しています。研究機関のルールは特定不正行為に限らないので、こうした行為にも適切な調査や手続きが望まれる、ともしています [7] 。 令和 6 年度版チェックリストの分析では、大学 826 校のうち約 3 分の 2 が二重投稿を規程で具体的に定め、広く読める定めまで含めると 9 割を超えました。不適切なオーサーシップも、ほぼ同じ割合です [8] 。 主な行為と、何が困るのか 日本学術振興会の教材は、発表のしかたに関わる不適切な行為として、次のようなものを説明しています [2] 。行為ごとに、どういうことかと、何が困るのかを見比べると、次のとおりです。 行為 どういうことか 何が困るのか 二重投稿・二重出版 発表済みと重なる論文を出す 業績の水増し。査読者の時間も無駄に 細切れの出版(サラミ出版) 1 つの研究を分けて出版する 業績の水増し。意義がつかみにくい 先行研究の不適切な参照 参照すべき研究を挙げない 客観性や信頼性が揺らぐ ギフト・オーサーシップ 資格の無い人を著者に加える 責任を持てない人が著者として載る ゴースト・オーサーシップ 資格のある人を著者にしない 貢献が載らない。利益相反が隠れる 二重投稿・二重出版は、すでに発表した内容と重なる論文を、そのことを示さずに投稿・出版することです。同じ研究が別々に数えられ、治療や政策の判断をゆがめることもあります。細切れの出版は、1 つの研究を、業績を増やすために細かく分けて出版することで、研究全体の意義がつかみにくくなります。 先行研究の不適切な参照には、対立するグループの研究をわざと参照しないことや、参考にした研究を挙げ忘れることが含まれます。ギフト・オーサーシップでは、内容に責任を持てない人が著者として載ります。ゴースト・オーサーシップでは、大学院生の重要な貢献が載らないほか、利益相反(研究の判断に影響しうる金銭などの利害)が隠されることもあります [2] 。 二重投稿は、両方の雑誌の了解を得て論文に明記するなど、条件を満たせば認められる場合もあります。一方、紀要(大学や学部が出す論文集)、学会の予稿集(発表の内容をまとめた冊子)、プレプリント、公開された博士論文が「既発表」とされる場合もあります。投稿の前に規程を確かめ、発表済みのものを開示しておくと、行き違いが起きにくくなります [2] 。既発表の線引きは必ずしも容易ではないとして、雑誌ごとのガイドラインの確認を勧める学会もあります [9] 。 「自己盗用」という言葉をめぐって 自分が以前に書いた文章やデータを、適切に参照せずに別の論文で使うことは、研究では一般に問題のある行為とされ、「自己盗用」と呼ばれることがあります。ただ、日本学術振興会の教材は、この言葉への異論も紹介しています。ガイドラインの「盗用」とは別のものなので、同じ言葉では不必要に強い非難を招く場合がある、という指摘です。こうした行為の多くは広い意味での二重投稿・二重出版の一種だ、という意見もあります。評価は分野や国によって違い、英語圏では text recycling(テキストの再利用)という中立的な言葉も使われ始めています [2] 。 誠実な研究と明らかな研究不正のあいだには、「好ましくない研究行為」もあります。日本学術振興会の教材が紹介する米国科学アカデミーの例では、重要なデータを一定期間保管しない、研究記録をきちんと管理しない、特にメディアに向けて成果を不誠実に発表する、などが挙がっています。教材は、二重投稿や不適切なオーサーシップもこの例として説明しつつ、国や機関によっては研究不正の定義に含まれると注意しています [2] 。 名前を連ねるということ — 共同作業での責任 論文に著者として名前が載ると、その研究の功績が認められます。同時に、内容に責任を持つことにもなります。共同で研究をするときは、誰が何を担当し、誰を著者にして、どの順に並べるかを、始める前に話し合っておくと、あとで行き違いが起きにくくなります。 功績と責任はひと組 日本学術会議の行動規範は、科学者は研究成果を公表することで、果たした役割に応じて功績が認められ、責任も負う、としています [4] 。文部科学省のガイドラインも、共同研究や論文の作成で役割分担と責任をはっきりさせておくことを、研究を行う大前提と位置づけています [1] 。 日本学術振興会の教材によると、著者になることは、その研究に誤りや偽りが無く、信頼できると保証することです。自分が担った部分を明示しておくと、責任の範囲がはっきりします。明示していないと、研究全体に責任があるとみなされ、自分が行っていない部分の不正でも責任を問われることがあります [2] 。ガイドラインでも、内容に責任を負う著者と認定された人は、不正に関わっていなくても措置の対象になりえます。ただし、共著者の全員ではなく、事案ごとに判断されます [1][2] 。 誰を著者にするか 著者の基準は分野によって違います。1 つの例として、医学雑誌の編集者による国際委員会(ICMJE)の勧告があります。勧告は、次の 4 つをすべて満たす人を著者とし、4 つを満たす人は全員を著者にする、としています [10] 。 研究の構想や設計、またはデータの取得・分析・解釈に、実質的に貢献した。 原稿を書いた。または、内容に関わる重要な手直しをした。 発表する最終版を承認した。 研究のどの部分に疑問が出ても、きちんと調べて解決されるよう、研究のあらゆる面に説明責任を負うことに同意した。 勧告は、1 つ目の基準を満たす人には、原稿の執筆と承認に加わる機会を与えるよう求めています。一方で、研究費を獲得した、研究グループを全般的に監督した、文章の書き方や言葉づかいを整えた、校正をした、というだけでは、著者の条件を満たしません。そうした協力者は、謝辞で名前を挙げます [1