ベンヤミン――複製技術が芸術のアウラを失わせる(アウラ・歴史の概念) — Epoché
現代 解釈学と批判理論 約 19 分 本文 約 7,800 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 アウラ・価値・歴史の 3 つ アウラ 本物の芸術作品は、ある場所にただ一つある「今ここ」を持ち、そこに歴史が刻まれる。複製技術は作品をその場から切り離して数を増やすので、作品のアウラは衰える、とベンヤミンは論じた(「技術的複製可能性の時代における芸術作品」II〜III)。 価値 芸術は礼拝価値から始まったが、写真と映画で展示価値が前に出た。ベンヤミンは大衆の新しい知覚に可能性を見つつ、ファシズムの「政治の美学化」に「芸術の政治化」で答える、と結んだ(同 V〜VI・後記)。 歴史 最後の文章「歴史の概念について」で、歴史を均質で空虚な時間の中の進歩とみる考えを批判した。過去は、いまの危機の瞬間にひらめく像として捉えられる。神学と唯物論のどちらで読むかは、いまも論争がある。 はじめに この編では、ガダマーの課で、伝統と権威も正しい知の源になりうること、リクールの課で、人は自分の生を物語として語り直して自分を理解することを読みました。どちらも、過去から受け継いだものが、いまの私たちを形づくるという見方です。この課のベンヤミンは、その受け継ぎそのものが、写真と映画によって大きく揺さぶられていく時代を見つめました。 ベンヤミンは 1892 年にベルリンで生まれ、大学の職に就けないまま、批評家・翻訳者として生きました [1] 。1933 年からはパリなどで亡命の日々を送りました。1940 年、ドイツ軍に追われてピレネーを越えようとし、スペインの国境の町ポルボウで自ら命を絶ちました [1] 。 ベンヤミンの関心は、芸術の作られ方が変わると、人の知覚と経験そのものも変わる、という点にありました。映画は、機械に囲まれて暮らす人々が、その機械とつきあう知覚を鍛える場にもなりうる、と彼は考えました [1] 。同時に、同じ技術が独裁と戦争の美化にも使われる危うさを見ていました [1] 。 ベンヤミンが論じたのは映画の時代の話です。それでも、本物と複製はどう違うのか、見る人の態度はどう変わるのか、という問いは、画面越しに作品を見る私たちにも向けられます(本教材の見方)。 この課では、①本物の「今ここ」とアウラの衰え、②礼拝価値から展示価値へ、③「歴史の概念について」の進歩への批判、の三つを読みます。原典を読むでは、アウラを山並みと木の枝の場面で定義する所を、ドイツ語から訳して読みます。 この課の問い 美術館で本物の絵の前に立つのと、同じ絵を画面や絵はがきで見るのとでは、何が違うのでしょうか。写真や映画のように、同じものをいくらでも作れる技術は、芸術から何を奪い、私たちに何をもたらしたのでしょうか。そして、歴史はひとりでによくなっていく、という考えは本当に正しいのでしょうか。 この課のことば 今ここ ドイツ語の Hier und Jetzt 。芸術作品が、ある場所にただ一つあることです。作品が本物であること(真正性)の中身も、ここにあります。 アウラ ドイツ語の Aura 。ベンヤミンは、どんなに近くにあっても、遠さが一回だけ現れること、と定義しました。本物の作品が持つ、近寄りがたい重みと言いかえられます。 技術的複製可能性 写真・レコード・映画のように、機械で同じものをいくらでも作れることです。手で写す模写や贋作とは違う段階の複製だ、とベンヤミンは考えました。 礼拝価値と展示価値 芸術作品の受け取られ方の二つの極です。礼拝価値は、まじないや祭りのために「ある」こと自体が大事で、隠されていてもよい価値です。展示価値は、人々に見せられることに重みがある価値です。 均質で空虚な時間 過去・現在・未来がのっぺりと同じように続き、その中で出来事が順に起こる、と考えられた時間です。ベンヤミンは、「進歩」の考えはこの時間の見方に乗っている、と批判しました。 今の時 ドイツ語の Jetztzeit 。過去のある一点が、いまの危機の瞬間と、ひらめくように結びつく時です。歴史の切れ目のない流れを打ち破る力を持つ、とされます。 複製技術と歴史――本物と進歩の物語は何を失うのか この章では、本物の作品が持つ「今ここ」とアウラの衰え、礼拝価値から展示価値への移り、「歴史の概念について」の進歩への批判を、順に読みます。前の二つは一つの論文の議論で、三つ目はベンヤミンの最後の文章です。 アウラの衰え――本物の「今ここ」は複製に写らない 複製そのものは昔からありました。弟子は師の作品を写し、贋作も作られました。木版や石版の印刷もありました。しかし写真と映画で、複製はまったく新しい段階に入った、とベンヤミンは言います(「技術的複製可能性の時代における芸術作品」I) [2] 。以下、この論文を「芸術作品」と呼び、第 3 稿で読みます。 どれほど完全な複製にも、欠けるものが一つあります。作品の 今ここ 、つまり作品がある場所にただ一つある、という在り方です(同 II) [2] 。ブロンズの像に浮く緑青や、中世の写本がどの文書庫から来たかという来歴は、この一つだけの存在に刻まれます。化学の分析で緑青を調べることが、そのブロンズが本物かを確かめる手がかりになるのも、そのためです [2] 。作品が本物であること(真正性)の中身は、この「今ここ」にあります [2] 。 機械の複製は、手の複製と二つの点で違います。一つは、拡大やスローモーションのように、人の目に見えない姿まで写すことです。もう一つは、作品を、作品自身が行けない所へ運ぶことです。大聖堂はその場所を離れて愛好家の部屋に入り、合唱曲は一つの部屋で聞かれます(同 II) [2] 。このとき作品の「今ここ」は値打ちを失い、複製されたものは伝統の領域から引き離されます [2] 。 夏の午後、山並みを眺める この午後、この場所でだけ 近くに見えても、遠い (本人の例) 電車の中の、同じ山 広告にも同じ写真 いつでも・どこでも・何枚でも (本教材の作例) 図 1 アウラの定義を絵にしたものです(本教材の絵)。一つ目の絵は、夏の午後に山並みと枝を眺める本人の例、二つ目の絵は、同じ山の写真を電車の中の画面や新聞で見る本教材の作例です。山は近づきましたが、一回だけの遠さは二つ目の絵にはありません。 失われていくものを、ベンヤミンは アウラ と呼び、自然の物の例で定義します。夏の午後に休みながら、地平の山並みや、自分に影を落とす枝を目で追います。そのことが、その山や枝のアウラを呼吸することだ、と言うのです(同 III) [2] (図 1) 。図 1 の一つ目の絵がこの場面で、二つ目の絵は、同じ山を電車の中の画面や新聞で見る本教材の作例です。山は手のひらまで近づきましたが、あの一回だけの遠さは消えています。本教材の言い方でまとめれば、複製は物を近づけ、アウラは近さの中に遠さを残します。二つは同じ物の上で、逆の向きに働くのです。 SEP によれば、同じ定義は 1931 年の「写真小史」にもあり、そこでベンヤミンは、はかなさと複製可能性によるアウラの破壊を「健やかな異化」とさえ呼んでいます [1] 。衰えは、ただ嘆くだけのことではなかったのです。 ここで間違えやすい アウラを、作品から出る神秘的な光や後光のことと取らないでください。ベンヤミンの定義は、近くにあっても遠いものとして一回だけ現れる、という見る人と物との関係のあり方です(同 III) [2] 。また、アウラの考えは失われた一体感への懐かしさだ、と批判されることもありますが、SEP は、ベンヤミンが物をアウラから解き放つことを早くから肯定的に書いていた、と読みます [1] 。 礼拝価値から展示価値へ――映画は見る人を試験官にする ベンヤミンによれば、芸術作品の受け取られ方には二つの極があります。 礼拝価値 と展示価値です(同 V) [2] 。最も古い作品は、まじないの道具でした。石器時代の人が洞窟の壁に描いた大鹿は、仲間にも見えましたが、まずは霊に向けられていました [2] 。礼拝価値は、作品を隠しておくことさえ求めます。神殿の奥の神像には、神官しか近づけませんでした [2] 。 作品が祭りから離れるにつれ、見せられる機会が増え、展示価値が前に出ます (表 1) 。写真では、展示価値が礼拝価値を押しのけはじめます。それでも礼拝価値は、遠くにいる人や亡くなった人を思い出す肖像に最後の逃げ場を持ち、初期の写真の顔に、アウラが最後の合図を送ります(同 VI) [2] 。人が写真から退き、アジェが 1900 年ごろの人のいないパリの街を撮ったとき、展示価値がはじめて上回った、とベンヤミンは言います [2] 。 この表で分かること: 芸術は霊や神に向けた礼拝価値から始まり、作品が祭りから離れ、複製されるにつれて、見せられることの重み(展示価値)が前に出ました。映画では観客が試す人になります。 作品の例 何のためにあるか 見る人とのかかわり 箇所 洞窟の大鹿の絵 霊に向けたまじない 見られることより、あること V 神殿の奥の神像 宗教の儀礼 神官しか近づけない V 初期写真の肖像 遠い人・亡き人の思い出 顔にアウラの名残を見る VI 映画 大衆に見せる カメラの態度で、気を散らしつつ試す VIII・XV 表 1 例と箇所は「芸術作品」第 3 稿によります [2] 。並べ方は本教材の整理です。 映画では、俳優の演技は、観客の前に生身で示されるのではなく、カメラなどの装置を通して示されます。カメラは演技をひとまとまりとして尊重せず、切り取って組み直します [2] 。観客は俳優と顔を合わせないまま、カメラに自分を重ね、カメラの態度を引き受けて、演技を試す人になります(同 VIII) [2] 。しかも映画館の観客は、作品に沈み込んで集中するのではなく、気を散らしながら受け取ります。ベンヤミンは観客を、気の散った試験官と呼びました(同 XV) [2] (図 2) 。 洞窟の大鹿 霊に向けたまじないの道具(V) 神殿の奥の神像 神官しか近づけない。隠されてよい(V) 初期写真の肖像 思い出の顔に、アウラが最後に残る (VI) 人のいない街 アジェの写真で展示価値が上回る(VI) 映画 カメラの態度で試す(VIII)・気の 散った試験官(XV) 政治の美学化 ファシズムは戦争に行き着く(後記) 図 2 礼拝価値から展示価値への移りです(「芸術作品」V・VI・VIII・XV)。段の例と箇所は本人の論点で、並べ方は本教材の整理です。点線の段は、同じ技術の別の使われ方(後記)を示します。 同じ技術は、別の向きにも使われます。ファシズムは、大衆に所有の関係を変えさせないまま、自分を表す場を与えようとし、政治の生活を美学化して、ついには戦争に行き着きます。これに共産主義は芸術の政治化で答える、とベンヤミンは結びます(同 後記) [2] 。SEP は、ファシズムに役立たない概念を作るという狙いが論文全体を左右し、礼拝価値と展示価値の対立を、ほとんど善悪の二元のように鋭くしている、と読みます [1] 。 ここで間違えやすい ベンヤミンが映画を手放しでたたえた、と取らないでください。映画が大衆の新しい知覚を鍛える可能性を見ながら、同じ技術が指導者の礼拝と戦争の美化に使われる危うさも見ていました(同 後記) [2] 。アドルノは 1936 年 3 月 18 日の手紙で、まじないのアウラの考えを自律した芸術作品にまで当てはめた、と批判しています [1] 。 歴史の天使――進歩という嵐が瓦礫を積み上げる ベンヤミンの最後の文章「歴史の概念について」は、短い断章の連なりです [1] 。SEP によれば、ここでベンヤミンは二つの考えを同時に批判します。一つは、過去を「本当にあったとおりに」描こうとするランケの歴史主義です。もう一つは、ドイツ社会民主党が、階級の無い社会を無限の課題とみて待ったことです [1] 。 二つは、同じ時間の見方に乗っています。過去・現在・未来がのっぺりと続き、その中で出来事が順に起こる、という 均質で空虚な時間 です [1] 。この見方では、時間は待合室のようになり、人は革命の時を落ち着いて待つことになります [1] 。進歩の考えは、人を順応させ、行動を先延ばしにさせるのです。 これに対してベンヤミンは、過去は、いまと出会ってひらめく像として捉えられる、と考えました。かつてあったものが、いまと一瞬に結びついて星座のような像を作る、と『パサージュ論』の草稿に書いています(N3, 1) [1] 。こうして過去と結びつく時が 今の時 で、歴史の連続を吹き飛ばす力を持つとされます [1] 。 歴史の天使(「歴史の概念について」IX) 楽園から吹く嵐=私たちが進歩と呼ぶもの 一つの破局 瓦礫が積み上がる 背を向けた未来へ 天使は過去の方を向く 本人の言葉から描いた本教材の絵 図 3 歴史の天使を、ベンヤミンの言葉から描いた本教材の絵です(クレーの絵の写しではありません)。天使は瓦礫の積もる過去の方を向き、楽園から吹く嵐に、背を向けた未来の方へ押し流されます。嵐の向きと押し流される向きは同じです。 この考えを一つの場面にしたのが、歴史の天使です(「歴史の概念について」IX) [3] (図 3) 。ベンヤミンは、クレーの絵「新しい天使」を歴史の天使として読みます [1] 。天使は過去の方を向き、私たちには出来事の連なりに見える所に、瓦礫を積み上げ続ける一つの破局を見ます。天使はとどまって死者を起こし、壊されたものを繋ぎ合わせたいのですが、楽園から吹く嵐が翼にかかって閉じられず、天使は背を向けた未来へ押し流されます。この嵐が、私たちが進歩と呼ぶものだ、とベンヤミンは言います [3] 。 SEP によれば、この文章は史的唯物論を名乗りながら、救い主(メシア)の到来の語り口を使います。そのため、ショーレムは神学の読み方を、ブレヒトは唯物論の読み方を進め、アドルノは両者を合わせようとしました [1] 。SEP 自身は、ベンヤミンのねらいは、歴史の時間の新しい哲学から両方の意味を考え直すことにあった、と見ます [1] 。 ここで間違えやすい ベンヤミンが、技術や社会のよりよい変化そのものを否定した、と取らないでください。退けたのは、歴史はひとりでによくなっていく、という考えと、それがもたらす