エックハルト――すべてを手放して魂の根底に至る(離脱・神の誕生) — Epoché
中世 スコラ哲学 約 17 分 本文 約 6,800 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 二つの面・離脱・根底の 3 つ 二つの面 パリ大学で二度神学を教えた学者で、ラテン語で聖書の注解や討論を書いた。同時にドイツ語で修道女や町の人々に説教した。「学びの師」と「生き方の師」の二つの面は、一つの思想から出ている。晩年に審問を受け、死後の勅書が 28 の命題を退けたが、本人は異端者と宣告されていない(SEP 1・3)。 離脱 人を神から離れさせるのは、物でも行いでもなく、それを「私のもの」として握る心である。説教 52 は本当に貧しい人を「何も欲しない・何も知らない・何も持たない人」と説き、神の意志を果たしたいという願いさえ手放させる。祈りや断食も、握れば妨げになる(SEP 9.2、説教 52)。 根底 すべての像を手放して空になった魂の根底で、父なる神は子=言葉を生む。澄んだ空気に日が差すように、神はそうせずにはいられない、とエックハルトは言う。生まれた人は報いを求めず「なぜなしに」働き、マルタのように物のなかにいて物に囚われない(SEP 9.1・9.3)。 はじめに この編では、トマス・アクィナス、ドゥンス・スコトゥス、オッカムと、大学の神学者がラテン語の論証で神と世界を論じるのを見てきました。編の最後に読むマイスター・エックハルトも、トマスと同じドミニコ会に属し、パリ大学で神学の教授を二度務めた大学の人です [1] 。 けれどもエックハルトの名は、大学の講義よりも、町のことばで語ったドイツ語の説教で広く知られています [1] 。そこで彼が繰り返したのは、神について何を知るかよりも、神の前で何を手放すかという話です。 晩年のエックハルトはケルンで異端の嫌疑をかけられ、教皇のいるアヴィニョンに上訴したまま世を去ります。死の翌年に出た教皇の勅書は、彼の言葉から取った 28 の命題を退けました [1] 。 この課では、学者と説教者という二つの面を持つ生涯を確かめ、離脱と三つの貧しさ、そして魂の根底での言葉の誕生を順に読みます。 この課の問い 同じドミニコ会の大学の教授エックハルトは、ドイツ語の説教で、町の人々に「何も欲しない・何も知らない・何も持たない」貧しさを説きました。すべてを手放すとは何を手放すことで、手放した人の魂の内では何が起きるのでしょうか。 この課のことば 離脱 中高ドイツ語で abegescheidenheit 。神が造ったものにも、自分の願いや計画にも、しがみつかない心のあり方です。世を捨てて逃げることではありません。 放念 gelâzenheit 。「放っておく」「任せる」ことで、行いや物を「私のもの」とする思いを手放すことです。のちにハイデガーがこの語を自分の意味で使いました。 魂の根底 grunt 。記憶・知性・意志という魂の力よりも奥にある、何の像も持たない魂のいちばん底です。エックハルトはここを神の根底と一つだと言います。 言葉の誕生 父なる神が永遠に生む子(ヨハネ福音書の冒頭で「言葉(ロゴス)」と呼ばれる)が、空になった人の魂の根底で生まれる、というエックハルトの中心の教えです。 なぜなしに âne warumbe 。報いや天国のためではなく、目的を外に持たずに、ただそうするから生き、働くことです。 教皇勅書 教皇が出す公の文書です。ここでは 1329 年の『主の畑で』を指し、エックハルトの言葉から取った 28 の命題を退けました。 離脱と魂の根底――すべてを手放すと、何が起きるのか トマスやオッカムは、神と世界をラテン語の論証で語りました。エックハルトも大学の学者ですが、ドイツ語の説教では、神を「知る」ことより、神の前で何を手放すかを語ります。この章では、二つの面を持つ生涯、離脱と三つの貧しさ、魂の根底での言葉の誕生を順に読みます。 学者と説教者――ラテン語の著作とドイツ語の説教 エックハルトは 1260 年ごろ、エルフルトに近いタンバッハの村かその近くに生まれ、十代の終わりごろにドミニコ会に入ったと見られます [1] 。パリで神学を学び、1293 年にペトルス・ロンバルドゥスの『命題集』の講師となりました。1302 年にはパリでドミニコ会の神学の教授に就きます。中世の大学で学者が得られる最高の地位でした [1] (図 1) 。 1260 年ごろ タンバッハの村かその近くに 生まれる 1293 年 パリで『命題集』の講師となる 1302〜03 年 パリの神学の教授(一度目) 1303 年ごろ 新設のザクセン管区の管区長と なる 1311〜13 年 パリの教授 (二度目・トマス以来) 1313 年 シュトラスブルクでドイツ語の 説教 1323〜24 年ごろ ケルンへ移る 1326 年 ケルンの審問で弁明する 1327 年 アヴィニョンの教皇に上訴する 1328 年 1 月 28 日ごろ没したとみられる 1329 年 勅書が 28 の命題を退ける (本人は異端と宣告されず) 図 1 エックハルトの生涯の年表です。教授と管区長の務めが交互に続き、シュトラスブルクからドイツ語の説教が増えます。最後の四つは審問から勅書までで、勅書は本人の死の翌年に出ました [1] 。 教授の任を終えると、新しくできたザクセン管区の管区長として、少なくとも 47 の修道院を治めます。それでも学者であることはやめず、1311 年に二度目の教授としてパリに呼び戻されました [1] 。1313 年からはシュトラスブルクで女子修道院やベギン会の共同体と接し、ドイツ語の説教に力を入れます。聞き手との出会いがこの転換に関わった、と見る研究者もいます [1] 。 著作も二つの言葉に分かれます。ラテン語では『三部作』の序文、聖書の注解、パリでの討論集を書き、ドイツ語では説教と『教導講話』『神の慰めの書』などの論考を残しました。19 世紀にはドイツ語の説教が先に見いだされ、エックハルトは「神秘家」として受け取られます。ラテン語の学術的な著作が見つかったのは、その後でした [1] 。SEP は、彼を「学びの師( Lesemeister )」とも「生き方の師( Lebemeister )」とも呼べるとし、学問の探究と魂の教化を切り離さずに読みます [1] 。 晩年、彼の言葉は審問にかけられます。1326 年、ケルン大司教の審問の場で、エックハルトは異端の嫌疑を受けた命題の表に答えました。弁明では知性と意志の区別を使います。神学の言い方を誤ったとしても、それは知性の誤りにすぎず、異端は意志の問題なので、それだけでは異端にあたらない、というのです。そのうえで、見つかる誤りはすべて撤回すると公に述べました [1] 。1327 年に教皇に上訴しましたが、1328 年 1 月 28 日ごろに亡くなったとみられます。1329 年、教皇ヨハネス 22 世の勅書『主の畑で( In agro dominico )』は 28 の命題を退けました。ただし重さに段階をつけ、そのうち 11 条は、異端と断じるより軽い評価にとどめています [1] 。 ここで間違えやすい 「エックハルトは異端と宣告された神秘家だ」と取らないようにしましょう。勅書が退けたのは命題で、勅書にも添えられた文書にも、本人を異端者と宣告する言葉はありません [1] 。また、ドイツ語の説教だけを見て、学問と無縁の神秘家と見るのも偏りです。彼はパリの教授としてラテン語で書いた学者でもありました。 離脱と三つの貧しさ――何も欲しない・何も知らない・何も持たない エックハルトの考えでは、人を神から遠ざけるのは、物そのものではありません。神と異なる何かにしがみつく心が、魂から本当の自由を奪い、神と魂を引き離します [1] 。この心を手放すあり方を、彼は 離脱 ( abegescheidenheit )や放念( gelâzenheit )と呼びました [1] 。 手放すものには、善い行いも入ります。説教 2 は、祈りや断食や徹夜、あらゆる外の修行も、「自分の行い」として握るなら妨げになると言います。いまここで神を待ち、そのつど新しく示されることに従う自由を失わせるからです [1] 。問題は行いではなく、行いを「私のもの」とする所有の心です [1] 。 この考えを短い言葉にしたのが、マタイ福音書 5:3「心の貧しい人々は幸いである」による説教 52 です。本当に貧しい人とは、何も欲しない人、何も知らない人、何も持たない人だ、とエックハルトは言います [2] (表 1) 。 この表で分かること: 説教 52 の三つの貧しさは、外の財産ではなく、意志・知・場所という人の内側を順に挙げ、手放すものが深くなっていきます。 貧しさ 手放すもの まだ貧しくない人 本当に貧しい人 何も欲しない 自分の意志 神の意志を果たしたいと願う 生まれる前のように何も欲しない 何も知らない 自分の知 神が内で働くと知りたがる 神の働きさえ知ろうとしない 何も持たない 自分の場所 神が働く場所を取っておく 神の働く場所さえ持たない 表 1 説教 52 の三つの貧しさ(本教材の整理)。言い方は説教の内容の要約で、中高ドイツ語の字句とは照らしていません [2] 。 一つ目の「何も欲しない」は、悪い望みを捨てることだけではありません。神の意志を果たしたいと願う人も、まだ自分の意志を持っているので、本当には貧しくないとされます [2] 。二つ目と三つ目は、神が自分の内で働くことを知ろうとする思いや、神が働くための場所を自分の内に取っておくことまで手放す話です。手放すものが、外の財産から内の願いへ、さらに知や場所へと深くなっていきます (図 2) 。 握っていたものを手放していく 何も欲しない 何も知らない 何も持たない 財産・知・行い 神を得たい願い 財産と知を下ろす 願いはまだ握る 手が空いている 物は足もとに残る 手放していく(離脱) 教材の作例・言葉は説教52と説教2 図 2 握っていたものを手放していく人を、左から右へ三つの姿で描いた本教材の絵です。財産と知を下ろしても、善い行いと「神を得たい」という願いはまだ握っています。最後の姿では物は足もとに残り、手だけが空いています。物が悪いのではなく、握る心を手放すのが離脱です。 SEP は、ここに難しさがあると認めます。方法で神を求めるなと言いながら、エックハルトは「自分から出て、神をあなたの内で神であらせよ」と、人に何かをするよう促してもいるからです(説教 5b) [1] 。本教材は、手放すことを、何かを得る手段ではなく、神がもともと働いている場所を明け渡すことと読みます。 SEP は、ここに難しさがあると認めます。エックハルトは、神をあなたの内で神であらせよ、とも説くからです(説教 5b) [1] 。本教材は、手放すことを、何かを得る手段ではなく、神がもともと働いている場所を明け渡すことと読みます。 ここで間違えやすい 離脱を「世を捨てて何もしないこと」と取らないようにしましょう。説教 86 でエックハルトは、主の足もとに座るマリアより、客をもてなして立ち働くマルタを手本にします。マルタは物のそばにいて、物の中に囚われていないからです。働きから自由になる所まで行きたいと願う人に、それはありえない、とも言います [1] 。手放すのは物や行いではなく、それを「私のもの」として握る心です。 魂の根底と神の子の誕生――空になった所で言葉が生まれる では、すべてを手放した魂の内では何が起きるのでしょうか。エックハルトは、記憶・知性・意志という魂の力よりも奥に、 魂の根底 ( grunt )があると言います。そこは「これでもあれでもない」、単純で一つの所です。そこに入れるのは、様態も性質も持たない一つの神だけだ、と説教 2 は語ります [1] 。彼はこの根底を、「小さな城」「神殿」「魂の火花( vünkelin )」などとも呼びました [1] 。 説教 2 は、ルカ福音書 10:38 を、主は城に上り、乙女であり妻である人に迎えられた、と読み替えます。外のものの像から自由になり、像を脱いだ魂だけが、乙女のように神を迎えられるというのです [1] 。そうして空になった根底で、父なる神は子=永遠の言葉を生みます。これが 言葉の誕生 です [1] 。 ここでエックハルトは大胆なことを言います。神は、備えのできたあなたを見いだすと、あなたの内に流れ出ずにはいられない、と説教 103 は語ります。空気が澄んで清らかなら、太陽が差し込まずにいられないのと同じだ、というのです [1] (図 3) 。 像でふさがった魂 像 光は窓の外で止まる 像を外した澄んだ魂 流れ込まずにはいられない 魂の根底で言葉が生まれる 日と空気は説教103の比喩 図 3 説教 103 の比喩を二つの場面にした本教材の絵です。一つ目は、窓が像でふさがり、日の光が部屋に届きません。二つ目は、像を外した窓から光が差し込み、床の中央(魂の根底)で芽が伸びます。二つの違いは太陽ではなく、窓の状態だけです。 では、人が神を動かすのでしょうか。SEP は、これを因果の主張ではなく、人がもともと何であるかに気づくことの言い表しとして読みます。神は人の内にいないのではなく、いつも言葉を語っています。人がすべきなのは、静かになってその言葉を「聞く」ことです [1] 。神を顔と顔を合わせて「見る」という伝統に対し、エックハルトは「聞く」ことに重きを移しました [1] 。 こうして言葉が生まれた人は、報いや天国のためでなく、 なぜなしに ( âne warumbe )働きます [1] 。観想と活動は同じ根底から出る、と説教 104 は言います [1] 。 言葉の誕生は、いちど起きて終わる出来事でもありません。説教 2 の「乙女」は「妻」でもあり、実を結ばなければならないとされます。空になった魂は言葉を絶えず生み、世界の中で働き続けるのです [1] 。 ここで間違えやすい 「人は努力で神になれる」とエックハルトが言った、と取らないようにしましょう。誕生は、人が意志して起こせる結果でも、方法で手に入れるものでもありません [1] 。魂と神の一致を言う命題には勅書で退けられたものもあり、その読み方は今も分かれます [1] 。本教材は、手放すことで、もともと内で語られている言葉を聞けるようになる、という SE