フェミニズムと政治――私的なことは政治的 — Epoché
思想 自由・平等・正義 約 31 分 本文 約 14,200 字 図 4・表 2 資料 2 節 この課の要点 問題・主張・争点の 3 つ 問題 伝統の政治思想の主流は、国家を公の領域、家庭を私の領域として分け、家庭の中の支配を自然とみなして、十分に問い直さない傾向がありました。 主張 「個人的なことは政治的」は、家庭の分担や暴力を権力の関係として見直し、一人ひとりの悩みが社会の仕組みとつながっていると考える主張です。 争点 家族に政治が関わるかどうかより、どこまで・どんな手段で関わるかに争点が移り、リベラル・ラディカル・交差性などの立場で答えが分かれます。 はじめに 共働きの夫婦の家で、夕食の後の皿洗いや保育園の送り迎えを、どちらがどれだけ受け持つかを考えてみましょう。多くの人は、これを「二人で話し合って決めればよい家庭のこと」と考えるでしょう。国会や選挙が扱う「政治」とは別の話だ、というわけです。 ところが、同じ型の話が多くの家庭で繰り返されていて、しかも数で見ると片方に大きく偏っているとしたらどうでしょう。また、家庭の中で暴力がふるわれたとき、それを「夫婦の問題」として外から立ち入らないことは、誰を守り、誰を守らないことになるのでしょう。アメリカの女性解放運動の中で 1969 年に書かれた覚え書きをもとにした論文は、こうした問いを「個人的なことは政治的である」という題で広めました [5] 。 この課では、この言葉が何を言い、何を言っていないのかを確かめます。まず、伝統の政治思想が公と私をどう分けてきたかを見ます。次に、スローガンが生まれた場面と、それが法や概念をどう変えてきたかを見ます。さらに、「家族は正義の外にある」という反論と、それへの応答を検討します。最後に、フェミニズムの内部でも答えが分かれる争点を整理します。 この課程の『政治とは何か』の課では、政治の定義に幅があることを見ました。ウェーバーは講演の対象を国家の政治に絞り、配分に注目する定義は家族・企業・国家のどこにでも当てはめられます。この課の問いは、その幅のどこに家庭を置くかという問いでもあります。家庭を政治の外に置く見方にも、内に置く見方にも、それぞれの理由があります。両方の理由を比べられるようになることが、この課の目標です。 この課程の『分配的正義』の課では、ロールズの正義の原理を学びました。この課で見るオーキンは、その議論を女性の関心へ広げた論者の一人です [1] 。『承認と多文化主義』の課では、集団の違いをどう扱うかを考えました。この課の終わりに出てくる交差性の考えは、その問いを「女性」という集団の内側に向けたものとも言えます。資料では、18 世紀末のウルストンクラフトの文章と、日本の配偶者暴力防止法の前文を読み、公と私の線が文章の上でどう問い直されたかを自分の目で確かめます。 この課の問い 家庭の中の分担や力の関係は、当事者どうしの私的な問題でしょうか、それとも政治が扱う問題でしょうか。政治が扱うとすれば、どこまで、どんな手段で扱うべきだと論じられてきたのでしょうか。 この課のことば 公私の二分 政府や議会が扱う「公」の領域と、家庭のように政治の外に置かれる「私」の領域を分ける考え方。例:「家の中のことは家族で決める」という感覚。 家父長制 父や夫が家族のほかの成員を治めるのを当然とする仕組みや考え方。例:妻や娘の財産や進路を父や夫が決める社会。 意識覚醒(コンシャスネス・レイジング) 女性どうしが自分の経験を順に語り合い、個人の悩みに共通の型を見つけていく小さな集まり。 脆弱性の循環 政治哲学者オーキンの語。家庭の中の不平等な分担と、職場での不平等が互いを強め合い、女性を弱い立場に置き続ける連鎖。 交差性(インターセクショナリティ) 性別・人種・階級・障害などによる不利や有利が別々に働くのではなく、絡み合って一人ひとりの経験を形づくるという見方。 「私的なこと」と政治――家庭の中の力は誰の問題か 政治学は長いあいだ、政府と議会を政治の場とし、家庭をその外に置いてきました。フェミニズムの政治理論は、この線引きそのものが中立でなかったと問い直します。ここでは、線引きの歴史、スローガンの意味、反論と応答、残る争点の順に見ていきます。 公と私の線引き――政治学は家庭を外に置いてきた 伝統的な政治思想は、国家と統治のあり方を主な主題にしてきました。スタンフォード哲学百科事典(SEP)のフェミニスト政治哲学の項目は、その特徴を、全体としての傾向として次のようにまとめています。政治思想はおおむね、国家の公の領域と、政治の外にあるとされた市民社会や家庭とをはっきり分けました。そのため、私の領域の中の支配の関係を真剣に問うことがありませんでした。女性は生まれつき劣り、自分を治める力を欠くとされ、家庭という神聖な場で父や夫に治められるのがふさわしいと考えられました [1] 。 同じ項目によれば、政治思想は公の領域を男性のもの、私の領域を女性のものと色分けしてきました。公には男性の仕事の世界があり、私には女性の労働の場がある、という分け方です。そのため、「普遍」をうたう政治の主張も、実際には男性だけに向けたものが多かったといいます。18 世紀に共和政や民主政の国々が人間の普遍の尊厳を唱えはじめたとき、一部の女性が同じ尊厳を自分たちにも求めたことで、この前提がようやく問われました。1791 年のオランプ・ド・グージュがその例として挙げられています [1] 。 伝統的な政治思想 フェミニズムの見方 公は国家と議会、 私は家庭 家庭の中にも力の 関係がある 公は男性、私は 女性の場とされた 法はもとから家族を 形づくってきた 家庭の中の支配を 自然とみなし十分に 問わない 私の不平等は公の 不平等とつながる 女性は父や夫に 治められるもの 線をどこに引くかを 問い直す 図 1 公と私の線をめぐる二つの見方(本教材の整理。典拠は SEP [1] [3] )。フェミニズムは家庭の中の力の関係を問い、法がもとから家族を形づくってきたことを示しました。 イギリスのメアリ・ウルストンクラフト(1759–1797)は、その代表的な書き手です。1790 年にバークのフランス革命批判に反論し、続いて 1792 年に『女性の権利の擁護』を出しました。SEP のウルストンクラフトの項目によれば、彼女は、結婚がほとんどの場合ただの財産の関係になっていると論じました。また、女性が受ける教育は、社会が女性に期待することに応えられないようにし、ほぼ確実に不幸な人生をもたらすとも論じました [2] 。同じ本は、学校の教育課程の変更から、女性に市民的・政治的な権利を認め、女性自身の選んだ代表を持たせることまでを提案しました。夫を亡くしても生計を立てられる技能を身につけ、お金のために結婚しなくて済むようにすることも説いています [2] 。初期のフェミニストが、教育の欠如などの社会の条件が女性の能力を弱めたと指摘した、と SEP がまとめるのも、この系譜です [1] 。 ここで大事なのは、「家庭は政治の外にある」という見方が、事実としても正確でなかったことです。SEP の家族の項目は、家族はいつも法によって形づくられてきたと指摘します。例えば 18 世紀のカヴァチャーの法理は、妻の財産と権利をすべて夫に帰属させました。現代でも、誰が結婚できるか、誰が親の権利を持つか、離婚をどんな条件で認めるか、誰が財産を相続できるかは法が決めています [3] 。日本でも、民法 750 条は「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」と定め、夫婦の名字を法が決めています [10] 。 本教材の整理として言えば、「私的」という語には二つの意味が重なっています。一つは「国が規制しない」という意味です。もう一つは、家庭の中の力の関係を、政治や正義の検討の対象にしないという含みです。伝統の見方は、家庭の中の支配があることを否定したのではなく、それを自然なものとみなして検討の外に置きました [1] 。フェミニズムは、この二つ目の含みを問い直しました。家庭の中の支配と従属の関係も、政治と正義の問いになる、という主張です。同時に、一つ目の意味も実際には成り立っていなかったことを示しました。法はもとから家族の形を決めており、問題はどんな形を決めていたかだったのです (図 1) 。 ここで間違えやすい フェミニズムは「公と私の区別をなくせ」と主張しているわけではありません。問われているのは、線をどこに引き、線の内側で何が見えなくなっていたかです。後で見るように、私生活の領域を守ることを重く見るフェミニストもいます。 「個人的なことは政治的」――スローガンが言いたかったこと 「個人的なことは政治的である(The Personal Is Political)」という言葉は、アメリカの活動家キャロル・ハニッシュの論文の題として広まりました。ハニッシュ自身の 2006 年の序によれば、この論文は 1969 年 2 月に書いた覚え書きから始まり、1970 年に論集『第二年からのノート』に載りました。題は彼女が付けたのではなく、本人の知る限りでは論集の編者ファイアストーンとコートが付けたものです [5] 。 覚え書きが書かれたのは、ある論争の中でした。同じ団体の同僚が、女性たちの意識覚醒の集まりを「ただのセラピーだ」とし、新しい女性解放運動が本当に「政治的」なのかを疑ったのです。ハニッシュによれば、男性に家事と育児の分担を求めることも、一人の女性と一人の男性のあいだの個人的な問題とされました [5] 。これに対してハニッシュは、集まりで最初に分かることの一つは、個人的な問題が政治的な問題だということだと書きました。いまは個人の解決は無く、集団の解決のための集団の行動があるだけだ、とも述べています [5] 。 ここでの「政治的」の意味に注意が要ります。ハニッシュは序で、この語を選挙の政治という狭い意味ではなく、権力の関係に関わるという広い意味で使ったと断っています [5] 。つまりこの言葉は、「家庭のことも国会で決めよ」という主張ではありません。家庭や身体に関わる悩みにも力の関係が働いており、その型は一人ひとりの努力では解けない、という見方を示したのです (図 2) 。 一人で抱える 私の要領が悪いせい? 悩みは自分だけのものに見える 語り合って気づく うちも同じ 私も言われた 個人の悩みに共通の型 仕組みの問題として見えてくる 図 2 意識覚醒の集まりの考え方(本教材のたとえの絵)。上の絵では、家事の負担を自分の要領のせいだと一人で考えています。下の絵では、何人かが経験を語り合い、同じ型の悩みがあることに気づきます。ハニッシュは、こうした集まりで個人的な問題が政治的な問題だと分かると書きました [5] 。 この見方は、新しい概念を生みました。SEP によれば、20 世紀半ばのフェミニストたちは、自分たちの経験と意識覚醒の集まりをもとに、路上でのやじや口笛のような嫌がらせを当然とする規範に異を唱えました。そして「セクシュアル・ハラスメント」や「客体化」といった概念を作りました [1] 。名前の無かった不快な経験に名前が付くと、それは個人の我慢の問題から、社会が扱う問題に変わります。SEP は、抑圧が社会集団に構造的・体系的に働くという考えを、フェミニスト政治哲学の大きな貢献の一つに数えています [1] 。 法の変化にもつながりました。SEP によれば、リベラルな語彙を使うフェミニストの哲学者たちは、私と公の区別が男性による支配を支えてきたことを示しました。この区別が、家庭の中の力関係を「自然」なものとし、政治の規制の外に置いてきたからです。公私の分離への批判は法の前進を支え、アメリカでは 1980 年代に配偶者間の強姦が犯罪とされるに至りました [1] 。ペイトマンは 1988 年の著作で、自由主義の公私の区別が私の領域と、そこで女性に生じる害を、政治の吟味から隔ててしまうと論じました [1] 。 日本では、2001 年の配偶者暴力防止法(平成 13 年法律第 31 号)が、前文で配偶者からの暴力を「重大な人権侵害」と呼びました [6] 。この前文は資料で詳しく読みます。また、現行の刑法 177 条は、不同意性交等の罪を「婚姻関係の有無にかかわらず」罰すると定めています [7] 。この文言は 2023 年の改正(令和 5 年法律第 66 号)で入りました。法務省の説明によれば、改正前も、夫婦であるかどうかは性犯罪の成立に影響しないという見解が一般的でした。ただ条文には書かれておらず、学説の一部に夫婦間での成立を限定的に解する見解もあったため、確認の意味で明記したとされています [8] 。 ここで間違えやすい 「個人的なことは政治的」は、私生活のすべてを国が取り締まれという意味ではありません。ハニッシュは「政治的」を権力の関係という意味で使いました。日本の刑法の改正も、夫婦間の行為を初めて罪にしたものではなく、すでに一般的だった解釈を条文で確かめたものと説明されています [8] 。 家族は正義の外か――オーキンの議論と反論 フェミニズムの主張には、筋の通った反論があります。SEP の家族の項目は、家族を「政治以前」あるいは「政治の外」と見る伝統的な見方を二つに分けて紹介しています。一つは、家族の土台を生物学や心理学の事実に置く見方です。例えばルソーは、女性は生まれつき子を産み育てることを望み、男性はそうではないとしました [3] 。もう一つは、政治が扱う情況、つまり資源の乏しさ・利害の対立・力が、家族の中には無いとする見方です [3] 。 後者の論者によれば、家族は法で結婚や離婚を規律される単位ではあっても、日々のやりとりは正義ではなく愛情と思いやりに基づきます。この立場の論者は、皿洗いの分担を正義の原理で割り振るといった考えを批判しました。SEP はその例にサンデルの 1982 年の著作を挙げています [3] 。家族が正義を越えた共同の場でありうるという理想には、SEP も一理を認めています [3] 。 では、フェミニストはどう応じたのでしょう。SEP は三つの点を挙げます。第一に、多くの家族は愛情と同意ではなく強制に基づいており、現実の家族には意見の対立があり、極端な場合には暴力があ