ガリレオ――自然という書物は数学の言葉で書かれている(一次性質・実験) — Epoché
近代 ルネサンスと科学革命 約 17 分 本文 約 7,000 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 生涯・書物・性質の 3 つ 生涯 ピサとパドヴァで数学を教え、1610 年の『星界の報告』で木星の衛星などを報じて名を上げた。コペルニクス説を擁護して 1616 年に戒められ、『天文対話』のために 1633 年の裁判で有罪となり、自宅軟禁のまま没した。 書物 『偽金鑑識官』第 6 節で、哲学は宇宙という目の前に開いた大きな書物に書かれており、その言葉は数学、文字は三角形や円などの図形で、これを知らなければ暗い迷宮をさまようだけだ、と言う。 性質 形・大きさ・場所・運動・数は物から切り離せないが、色・味・におい・熱は感じる側にあり、生き物を取り去れば消える(『偽金鑑識官』第 48 節)。実験では摩擦などの妨げを差し引き、思い描く実験も多く使った。 はじめに ガリレオ・ガリレイは、1564 年にピサで生まれ、1642 年に没したイタリアの数学者です [1] 。望遠鏡で木星の衛星を見つけ、地動説を擁護して裁判にかけられた人として知られます。哲学では、自然を知るとはどういうことかに新しい答えを出しました。 前の課のベーコンと同じく、ガリレオも本だけで学ぶ哲学者を軽んじました [1] 。ただしガリレオは、自然そのものを一冊の書物にたとえ、その文字は三角形や円だと言います。読むには、目だけでなく数学が要ります。 また、私たちが感じる色や熱は、物そのものにあるのでしょうか。ガリレオは、熱は物の中ではなく、感じる生き物の側に生じると論じました [1] 。物に残るのは形・大きさ・運動・数だけだ、という近代の物の見方の早い一歩です。 この課では、生涯をたどり、『偽金鑑識官』の「自然という書物」の段を読み、熱とくすぐったさの例と実験の使い方を見ます。この編の最後の課です。 この課の問い 自然を読むとは、目で見ることなのでしょうか、数学で解くことなのでしょうか。そして、私たちが見る色や感じる熱は、物そのものにあるのでしょうか。 この課のことば 『偽金鑑識官』 1623 年に出たガリレオの論争の書です。彗星をめぐって、イエズス会の数学者オラツィオ・グラッシ(筆名ロタリオ・サルシ)に答えました [1] 。 数学者 16 世紀ごろまで、数学者は計算や測量を請け負う職人に近い立場で、自然の原因を説く大学の哲学者とは分けられていました。ガリレオは「数学者にして哲学者」を名乗り、この壁を越えました [1] 。 一次性質 形・大きさ・場所・動いているか止まっているか・数など、物を思い浮かべるとき切り離せない性質です。後の時代の呼び名で、ガリレオ自身の言葉ではありません。 二次性質 色・味・におい・音・熱など、感じる生き物の側に生じる性質です。ガリレオは、生き物を取り去ればこれらは消えると言います [1] 。 妨げ 摩擦や空気の抵抗のように、計算どおりの結果からのずれを生むものです。このずれを差し引いて、理論と結果を比べます [1] 。 思考実験 実際には行わず、頭の中で場面を思い描いて結論を引き出す実験です。ガリレオの書物には、実際に行ったものと思い描いたものが混じって出てきます [1] 。 自然という書物――世界はどんな言葉で読めるのか 17 世紀の初め、自然の原因を説くのは大学の哲学者で、権威ある書物に伝わる一般的な知から出発するのが常でした。数学者は、計算を請け負う下の立場とされていました [1] 。その数学者が望遠鏡を手に天を見上げ、自然を数学の言葉で書かれた書物だと言い出します。この章では、ガリレオの生涯、数学の言葉で書かれた書物、物にある性質と感じる側の性質を、順に読みます。 望遠鏡と裁判――数学者が哲学者を名乗る ガリレオは 1564 年 2 月 15 日にピサで生まれ、1572 年に一家でフィレンツェへ移りました [1] 。1580 年にピサ大学で医学を学び始めましたが、学位は取らず、オスティリオ・リッチのもとで数学を学びます。1589 年にピサで数学の講師となり、1592 年にはヴェネツィア共和国のパドヴァ大学で数学の教授になりました [1] (図 1) 。のちに出版する力学の多くは、パドヴァで練られました [1] 。 1564 年 ピサに生まれる 1580 年 ピサ大学で医学を学び始める 1592 年 パドヴァ大学の数学教授になる 1610 年 『星界の報告』で木星の 衛星などを報じる 1613 年 『太陽黒点についての書簡』で 地動説を支持 1616 年 地動説を教えも擁護もしないよう 戒められる 1623 年 『偽金鑑識官』(自然という 書物) 1632 年 『天文対話』の印刷を終える 1633 年 有罪とされ、終身の自宅軟禁に 1638 年 『新科学論議』をオランダで出版 1642 年 軟禁のまま没する 図 1 ガリレオの生涯の主な出来事です(年は SEP による [1] )。強調したのは、この課で読む『偽金鑑識官』の年と、裁判の年です。「それでも地球は動く」は後代の伝えなので、年表には置いていません。 転機は 1609 年です。遠くが見える筒の噂を聞いたガリレオは、自分で改良した望遠鏡を作り、天に向けました。1610 年 3 月の『星界の報告』で月や木星をめぐる星などを報じ、一気に名が知られます [1] 。木星の衛星を、トスカーナを治めるメディチ家にちなんで「メディチの星」と名づけ、その縁で大公の「首席数学者・哲学者」としてフィレンツェに戻りました。計算を請け負う数学者と、自然の原因を説く哲学者を、一人で名乗ったのです [1] 。 1613 年の『太陽黒点についての書簡』で、ガリレオは初めてコペルニクスの地動説への支持を公にしました。1616 年 3 月、コペルニクスの書は訂正まで差し止められ、ガリレオはベラルミーノ枢機卿から、この説を教えも擁護もしないよう戒められます。ただしこの場面の細部は、今も争われています [1] 。1623 年、友人のバルベリーニが教皇ウルバヌス 8 世になると、ガリレオは二つの宇宙の体系を比べる『天文対話』に取りかかり、1632 年に印刷を終えました。まもなく販売が禁じられ、1633 年 6 月、異端の強い疑いで有罪とされます。投獄の刑はすぐ終身の自宅軟禁に変えられ、最後の書『新科学論議』は 1638 年にオランダで出版されました [1] 。 判決のあと、ガリレオが小声で「それでも地球は動く」とつぶやいた、という話がよく語られます。しかしこれは後の時代の伝えとされ、本人が言ったとは確かめられません。ピサの斜塔から重さの違う球を落として見せたという話も、実際に行われたかは確かではありません。 ここで間違えやすい ガリレオを、教会と闘った科学一筋の英雄とだけ見ることには注意が要ります。SEP の著者によれば、ガリレオは大公に仕える宮廷人で、後ろ盾を求め、論争では考えの一貫よりも言い回しの効果を重んじました [1] 。 数学の言葉で書かれた書物――三角形と円の文字 1618 年に現れた彗星をめぐって、ガリレオはイエズス会の数学者オラツィオ・グラッシと論争になりました。グラッシはロタリオ・サルシという筆名で書き、ガリレオは 1623 年の『偽金鑑識官』でこれに答えます [1] 。サルシは、天の動きを論じるには名高い学者の誰か、ここではティコ・ブラーエに従うほかない、という立場でした。有名な「自然という書物」の言葉は、この相手に向けて書かれました(『偽金鑑識官』第 6 節) [2] 。 ガリレオはまず、サルシが哲学を、一人の人の空想から生まれた本のように思っているのではないか、とからかいます。たとえに出すのは『イリアス』や『狂えるオルランド』です。物語の本では、書いてあることが本当かどうかは、いちばん大事なことではありません。けれども哲学が書かれているのは、人の作った本ではなく、いつも目の前に開いている大きな書物、つまり宇宙だ、とガリレオは言います [2] (図 2) 。 文字を知らない人 暗い迷宮をさまよう 図形の文字を学んだ人 読む 宇宙という書物を読む 図 2 『偽金鑑識官』第 6 節の「書物」のたとえを絵にしたものです(本教材の絵)。一つ目では、図形の文字を知らない人が、同じ書物を前にしながら暗い迷宮をさまよいます。二つ目では、コンパスを脇に置き、図形の文字を学んだ人が、三角形の頁をたどって読みます。書物・言葉・三角形と円・迷宮は原典の言葉で、頁の図柄と二つの場面の並べ方は本教材の描き方です。 その書物は、言葉を学び、文字を知らなければ読めません。言葉は数学で、文字は三角形や円などの図形です。これを知らない人は、開いた書物の前にいても一語も分からず、暗い迷宮をさまようだけだとされます [1] [2] 。SEP の著者は、ここから、自然はもともと数学で言い表せるものであり、数学の推論の助けなしには十分に分からない、という考えを読み取ります [1] 。 これが新しかったのは、当時、数学が自然の原因を教えるかどうかが争われていたからです。ガリレオの若いころの「数学の確実性の問い」では、アリストテレス派は、数や形は物の本質に付け加わるものにすぎないと言い、プラトン派は、自然の物は数学の完全さに届かないと言いました [1] 。どちらも数学と自然学を分けたのです。ガリレオは、数学が自然について教えることを、当たり前の前提にしました。ただし自分の方法を体系だてて論じていないため、この段の読み方には対立があります。コイレはガリレオをプラトン主義者と見ましたが、その後の研究者はこれに反対してきました [1] 。 ここで間違えやすい 「数学の言葉」を、方程式や数式のことだと取らないようにしましょう。ガリレオが文字として挙げるのは、三角形や円などの図形です。また、これを観察の軽視と読むのも誤りです。ガリレオは同じ書の別の箇所で、感覚と理性を授かりながら一人の人の誤りに従う者を、自然と神への恩知らずと呼んでいます [1] 。 物にある性質と感じる側の性質――くすぐりと熱、そして実験 同じ『偽金鑑識官』の第 48 節で、ガリレオは、熱は私たちを温める物の中に実際にある性質ではない、と論じます [1] [2] 。物を思い浮かべると、形があること、どこかにあること、動くか止まるか、ほかの物に触れるか、一つか多いかは、どう想像しても切り離せません。ところが、白いか赤いか、苦いか甘いか、においがよいか悪いかは、そうではありません [1] 。だから味・におい・色などは感じる者の中にだけあり、生き物を取り去れば消えてしまう「ただの名前」だとされます [1] (表 1) 。 この表で分かること: 物から切り離せないのは図形と数で書ける性質で、色・味・熱・くすぐったさは、感じる生き物を取り去ると消えます。 性質 のちの呼び名 どこにあるか 生き物を取り去ると 形・大きさ 一次性質 物そのもの 残る 場所・運動・数 一次性質 物そのもの 残る 色・味・におい 二次性質 感じる側 消える(ただの名前) 熱 二次性質 感じる側(火は動く小さな粒) 消える くすぐったさ (たとえの例) 触れられる側 消える(像には無い) 表 1 『偽金鑑識官』第 48 節の区別を、SEP の引く英訳によって整理したものです [1] 。一次性質・二次性質は後の時代の呼び名です。 ガリレオは、これを身近な例で示します [2] 。手を大理石の像の上で動かしても、生きた人の上で動かしても、手のする動きは同じです。けれども生きた人は、足の裏や膝の上、わきの下に触れられると、くすぐったさを感じます (図 3) 。羽根や紙で目のあいだや鼻の下に触れる別の例でも、くすぐったさは触れる物の中ではなく、触れられる生き物の中にある、とガリレオは言います。熱も同じです。火と呼ばれるものは、ある形とある速さで動く、とても小さな粒の集まりで、それが体に入り込んで触れるとき、私たちは熱と感じます [1] 。 大理石の像に触れる 何も感じない 大理石の像 同じ動き 生きた人に触れる くすぐったい 生きた人 同じ動き 図 3 『偽金鑑識官』第 48 節の手の例を絵にしたものです(本教材の絵)。一つ目は大理石の像、二つ目は生きた人で、手の形と動きはどちらも同じなのに、くすぐったさは生きた人の側にだけ生まれます。像と生きた人に手で触れる例、足の裏に触れる例は原典のもので、台や吹き出しは本教材の描き方です。 こうして物に残るのは、図形と数で書ける性質だけになります。SEP の著者は、これが色や熱を物の本性に置くアリストテレス派の説を退けるものだと述べます。ただし、物の本質の探究にふだん懐疑的なガリレオには珍しい箇所です。それでも後の時代には、一次性質・二次性質の区別の早い例として注目されてきました [1] 。 実験では、ガリレオは斜面や振り子などで考えを試し、測った値を細かく記録しました [1] 。ただ、結果は計算どおりにはなりません。『天文対話』第 2 日では、砂糖や絹を量る人が箱や包みの重さを差し引くように、幾何学的な哲学者は物の妨げを差し引かねばならない、と言います [1] 。また『新科学論議』第 1 日では、重い物と軽い物を落ちる途中で結びつけたらどうなるかを思い描き、重い物ほど速く落ちるというアリストテレスの説の食い違いを示しました [1] 。 ここで間違えやすい ガリレオを、実験と観察だけから法則を導いた経験論の祖と取るのは行き過ぎです。ガリレオの書物では、観察は多くの場合、理屈で立てた原理を後から確かめたり退けたりするために出てきます [1] 。『天文対話』では、帆柱から石を落とす実験を一度でも試したかと問われた人物が、試さなくてもそうなると確信している、と答えます [1] 。 年の注意:ピサ大学に入った年 SEP はガリレオがピサ大学に入った年を 1580 年とします [1] 。大学の登録の記録には 1581 年とありますが、これは年の数え始めが今と違うピサの暦によるもので、今の暦の 1580 年にあたると解されています。資料によって年が一つずれて見えるのは、暦の違いのためです。 原典を読む 第 2 節の「自然という書物」の段を、論争の流れごと読みます。写しはイタリア語版ウィキソースのもので、底本は F. Flora 編の 1953