保守主義――伝統と漸進的改革 — Epoché
思想 イデオロギー 約 26 分 本文 約 11,600 字 図 4・表 2 資料 1 節 この課の要点 核の考え・生まれ・分かれの 3 つ 核の考え 抽象的な理性への懐疑と、経験の積み重ねとしての伝統の尊重。変えるなら傷んだ所だけを漸進的に 生まれ フランス革命への批判(バーク 1790)とともに自覚的な主義になったとされるが、バークを祖とする見方が定まった時期には論争がある 分かれ 伝統主義・市場を重んじる派・新保守主義。日本では戦後の「保守」が別の軸で独自の意味を持つ はじめに ニュースで「保守」「保守派」という言葉を聞かない日は、ほとんどありません。けれども、何を「保ち守る」のかと尋ねられると、答えに困る人が多いはずです。古いものを何でも残そうとする態度でしょうか。それとも、ある政党を支持する人々の呼び名でしょうか。 政治学で「保守主義」と言うとき、それは好みや気分の話ではありません。18 世紀の終わり、フランス革命は「人間の権利」という普遍の原理から社会を一から作り直そうとしました。それに異を唱えた議論から、保守主義は自覚的な思想として形を取ったとされます。その中心にいたのが、英国の下院議員エドマンド・バーク(1729–1797)です。ただしバークは、変化そのものを拒んだのではありません。むしろ、変化の手段を持たない国家は自らを保存する手段も持たない、と書きました。 保守主義を理解する鍵は、「何を守るか」より先に、「人は社会についてどれだけ知りうるか」という問いにあります。社会があまりに複雑で、一人の頭では見通せないとしましょう。それなら、長く続いてきた制度や慣習には、言葉にならない知恵が込められているかもしれません。そう考えると、全体を設計図から作り替えるより、傷んだ所だけを直す方が賢明だ、という結論が出てきます。 この課では、保守主義の核の考え、生まれた歴史の文脈、20 世紀に生じた内部の分かれ、そして日本の「保守」という言葉の独特の使われ方を、順にたどります。資料の節では、バークの『フランス革命の省察』から三つの箇所を本教材の訳で読み、保守主義が「変えないこと」の思想なのかを自分の目で確かめます。最後の「考えてみる」では、バークの物差しを、校則のような身近な慣行に当ててみます。 この課の問い 保守主義は「変えないこと」を説く思想なのでしょうか。何を、なぜ守り、どう変えるべきだと考えるのでしょうか。そして一つの名の下に、どんな違う考えが集まっているのでしょうか。 この課のことば 保守主義 急な作り替えを疑い、長く続いてきた制度や慣習を手がかりに、少しずつ直していこうとする考えの束。気分としての「保守」と区別して、理由づけられた主義を指す 漸進的改革 全体を壊さず、悪くなった所だけを一歩ずつ直すやり方。たとえば法律を廃止せずに、問題の条文だけを改めるような進め方 偏見(バークの意味) 理由をいちいち考えなくても、長く受け継がれて身に付いた判断のくせ。悪口の「偏見」(差別や思い込み)とは意味が違う 政治における合理主義 頭の中で正しい原理を立て、それに合わせて社会を一から設計し直せるという考え。オークショットが批判のために用いた言葉 反動 変わる前の昔の秩序へ戻そうとする立場。傷んだ所だけを直す保守主義とは区別される 新保守主義 1960 年代後半から 70 年代にかけての米国で、もとはリベラルや左派だった知識人が、大がかりな社会政策への批判から形づくった保守の一派 保守主義――守るために変える この課程の『自由主義――個人の自由から出発する』の課では、「個人の自由」という原理から政治を組み立てる考えを見ました。保守主義は、むしろ「原理から出発すること」そのものを疑います。この章では、保守主義が何を疑い、何に頼るのかを、核の考え・歴史の文脈・内部の分かれ・日本の順に見ていきます。 核の考え――理性への懐疑と伝統の知恵 政治学では、保守を二つの意味に分けて考えます。一つは広い意味の保守で、急な変化を恐れ、慣れたやり方を続けたいという気持ちです。これは人間ならたいてい持っているもので、いつの時代にもありました。もう一つは狭い意味の保守、つまり自覚的に理由づけられた主義としての保守主義です。哲学者のハミルトンによれば、その最も特徴的で歴史上重要な形は、政治における理性への懐疑に立っています [1] 。ある論者の言葉を借りると、それは先験的な推論、つまり経験より先に頭の中で組み立てた理屈と、革命の両方を疑う態度です。そして経験と、試されてきた仕組みの少しずつの改良を信頼します [1] 。 なぜ理性を疑うのでしょうか。保守主義者は、社会を機械ではなく、きわめて複雑な生き物のようなものとみます [1] 。機械には設計図があり、部品の働きは全部分かっています。しかし社会の制度や慣習は、誰か一人が設計したものではありません。長い時間の中で、少しずつ形を変えてきたものです。今の私たちが負っている義務や役割の中には、最初の理由がもう分からなくなっているものもあります [1] 。それでも、それらが続いてきたこと自体に、言葉にしにくい実践の知恵が含まれているかもしれません。バークは、制度の中には理論として語りにくく、まして前もっては語れない知恵があり、それが文化と伝統の中で受け渡されると考えました [1] 。 ここから、変え方についての結論が出ます。知識は不完全で、行いは意図しない結果を生みうるので、変化は慎重でなければなりません [1] 。全体を一度に作り替えると、知らずに大事な働きまで壊してしまうおそれがあるからです。そこで保守主義は、悪くなった所だけを、全体の秩序を保ったまま直すことを勧めます。これが漸進的改革です。保守主義は教条的な反動ではなく、部分的で穏やかな改革を説く立場だ、というのが研究上の一般的な理解です [1] 。その反対の極に置かれるのが、抽象的な原理や全体の設計図から社会を組み直そうとする革命の合理主義です。保守の側からは、革命の理想主義は将来の利益のために今の世代の犠牲さえ許す、と批判されてきました [1] (図 1) 。 保守主義 革命の合理主義 傷んだ所だけを古い 作りに合わせて直す 原理から全体を 設計し直す 手がかりは経験と 伝統 手がかりは理性と 普遍の原理 意図しない結果を 恐れる 保守の側の 批判:未来のため 今の世代の犠牲も 許す 反動(昔の秩序へ戻す)は第三の立場 図 1 変化への二つの態度(本教材の整理)。右の列の最後の項は、保守の側から向けられた批判です。昔の秩序へ戻そうとする反動は、どちらとも違う第三の立場です。 図2は、この考えを本教材が家の修繕にたとえた作例です(バーク本人のたとえではありません)。雨漏りがするからといって家を取り壊し、設計図から建て直したとしましょう。すると、長年の地盤の沈みや水の通り道に合わせた、誰も記録していない工夫まで失われるかもしれません。保守主義者なら、雨漏りの所を古い家の作りに合わせて直そうと言うでしょう。一方で、設計図が良ければ新築の方が住みよい、という反論にも理由があります。争点は、設計する人がどこまで知りうるかです。 傷んだ所だけを直す 雨漏りの所 古い瓦と同じ寸法で一枚だけ替える 取り壊して設計し直す 新しい設計図 古い家が避けていた水の通り道 図 2 古い家の修繕と建て直し(本教材の作例で、バーク本人のたとえではありません)。上の絵では傷んだ瓦だけを古い作りに合わせて差し替えます。下の絵では家を取り壊して新しい設計図から始めますが、古い家が避けていた水の通り道の工夫は、記録が無いまま失われます。 誤解しやすいのは、保守主義が自由や正義の価値を否定する立場だと思うことです。ハミルトンは、保守主義は何よりも認識の立場、つまり「どう知るか」についての立場だと整理します [1] 。保守主義者も、正義や自由や真理は大切で、国家が追い求めるべきだと考えます。違いは、それらを抽象的な原理から導くのではなく、具体的な状況と歴史の中で読み取ろうとする点にあります。バークは、人の行いを、あらゆる関係から切り離した形而上学的な抽象の中で褒めたり責めたりはできない、と書きました [1] 。原理が悪いのではなく、原理だけで状況を裁くことが危うい、という考えです。 保守主義には、よく向けられる批判もあります。長く続いてきたことは、正しいことの証しにはならない、という批判です。たとえば身分による差別や、女性に選挙権を認めない制度も、かつては長く続いた慣行でした。続いてきた理由が、知恵ではなく、一部の人の力や利益だった場合もあります。保守主義の側は、こうした制度も傷みがはっきりした所から一つずつ直されてきたのであり、それこそ漸進的改革の例だ、と答えることができます。けれども、直すまでの長い時間に不利益を受け続けた人々がいたことも事実です。どの慣行が「試されてきた知恵」で、どれが「正すべき傷み」なのかを、誰がどう見分けるのかという点が、保守主義をめぐる議論の要の一つです。 ここで間違えやすい バークの「偏見」を差別や思い込みの意味で読むと、バークを誤解します。バークの言う偏見は、理由を逐一考えなくても身に付いた判断のくせです。彼は教育された偏見を、むしろ偏狭な偏見への対策とみていました [1] 。また保守主義は「何も変えない」立場でもありません。 歴史の文脈――フランス革命への応答から党の名へ 保守主義に先立つ考えは、ずっと前からありました。アリストテレスは、倫理と政治には自然学のような専門家がおらず、世代を重ねた経験が知識の主な源だとした、としばしば引かれます。イングランドのコモン・ロー、つまり裁判の先例の積み重ねで発展した法の考えも、のちの保守主義に影響を与えました [1] 。それでも、自覚的な立場としての保守主義は、バークのフランス革命批判とともに、またはその後に生まれたとするのが通説です [1] (図 3) 。 1688 英国の名誉革命 1789 フランス革命・人権宣言 1790 バーク『フランス革命の省察』 1830 年代 英国で「保守党」の名が広まる。 クラークは、このころの 「保守主義」がバークを祖に 据えたとみる 1867 第二次選挙法改正 (ダービー内閣、ディズレーリが 推進) 1955 日本で保守合同、自由民主党が 結成 1960 ハイエク「なぜ私は 保守主義者ではないのか」 1962 オークショット『政治における 合理主義』 60〜70 年代 米国で新保守主義が形づくられる (1960 年代後半から) 1979 英国でサッチャー政権が始まる 1981 米国でレーガン政権が始まる 図 3 保守主義の歩み(主な出来事)。1830 年代の項の後半は、バークを保守主義の祖とする見方がいつ定まったかの諸説の一つで、1880 年代以後とする説もあります。 背景にあったのは 18 世紀の啓蒙です。啓蒙の思想家たちは、伝統や既成の権威ではなく、理性に訴える原理によって政治制度を改革しようとしました [1] 。1789 年のフランス革命と人権宣言は、その考えを力強く表したものとみられました。バークは英国のホイッグ、つまり王の権力を議会で抑えることを重んじた党派の下院議員です。そのバークが 1790 年の『フランス革命の省察』で、抽象的な自然権を掲げて社会を壊し、作り直そうとする企てを批判しました [1] [3] 。ハミルトンが引くフォーセットの整理では、バークにとって人権宣言の誤りは、権利があると言ったことではなく、「普遍的な」権利があると言ったことにありました [1] 。 バークは、英国の名誉革命(1688)とフランス革命を対比しました。王政復古と名誉革命のとき、英国は王を欠く危機に陥りました。それでも国民は建物全体を解体せず、古い国制の欠けた部分を、傷んでいない部分を通じて継ぎ直した、とバークはみます(資料の節で読みます) [3] 。保守主義者にとって名誉革命は、絶対王政の前にあったとされる状態へ戻るという、「革命」の元の意味に近いものでした [1] 。これに対してフランス革命は、合理的な計画に沿って伝統的な制度をひっくり返す、新しい意味の革命でした。 バークの評価は、今も割れています。バークは啓蒙に反対した「反啓蒙」の人とみられることがあります。一方で、啓蒙の価値を急進派から守ろうとした啓蒙の側の人だ、とみる研究者もいます [1] 。ですから、保守主義を単純な「近代の拒否」とみるのは不正確です。また大陸ヨーロッパでは、ド・メーストルらが、王と教会の秩序へ戻ろうとする反動の思想を唱えました。昔の秩序へ戻すことを目指す反動と、傷んだ所だけを直す保守主義は、区別して考える必要があります。 もう一つ注意したいのは、「バークが保守主義の祖」という見方が定着した時期です。バーク本人は、自分を保守主義者と名乗っていません。英国で「保守党」の名が広まったのは 1830 年代です。歴史家クラークは、このころ新しく生まれた「保守主義」がバークを守り手に据えたとみます。これに対しジョーンズは、保守主義の考えがまとまって語られたのは 1880〜90 年代以後で、20 世紀初めの研究書がバークを創始者に仕立てたと論じます [1] 。党の実践の面では、1867 年の第二次選挙法改正がよく知られます。ダービー保守党内閣のもとで、ディズレーリが下院で推進しました。保守党の内閣が選挙権の拡大を進めたこの出来事は、守るために変えるという考えが党の実践に現れた例として、本教材では挙げておきます。 ここで間違えやすい 「保守主義はバークが作った」と言い切るのは誤りです。バーク本人は自分を保守主義者と呼んでおらず、彼を祖とする系譜は後の世代が作りました。その時期についても、1830 年代とする説と 1880 年代以後とする説があります [1] 。 内部の分かれ――伝統・市場・新保守 20 世紀の保守主義は、一つの教義ではありません。本教材では、伝統と共同体を重んじる伝統主義、市場と小さな政府を重んじる派、1960 年代後半から 70 年代にかけて米国に現れた新保守主義の三つの流れに分けて見ます [2] [5] 。三つは「理性で社会の全体を設計することへの懐疑」を共有しうる一方で、何を守るか、国家に何を任せるかで食い違います (表 1) 。 この表で分かること