14.44 読者に反論させて、それに答える — 一つの条件に賭ける — Epoché
この篇でできるようになること ★ 読者に反論させて、それに答える 書き方が読める。 ★ 論を一つの条件に賭ける 言い方が分かる。 ★ 大文字が語ではなく文に打たれる のに気づける。 ★ 同じ一行をくり返して押す やり方が追える。 前提 : なし(特別編に門はありません)。第 5 期以降ならどこからでも読めます。目安は型 3.40 まで・語 4.60 まで。 読む前に ★ この篇は けんかの文章 です 。★ 相手は二人 ——★ 一人は 読者 で、★ もう一人は ロック です( 14.43 英語の名文 )。★ 節 25 の見出しに 名前が書いてあります —— REFUTATION OF LOCKE 。 ★ 背景は 12.16 知編 にあります 。★ ロックが「観念は経験から来る」と言ったのを受けて、 バークリーは「では観念の外に何がある」と問い返します ——★ 二十年しか離れていません 。 何を見るか この篇での値 何が分かるか ★ 疑問符 ★ 3 個 ★ 問いはぜんぶ読者に向けられている ★ 大文字の連なり ★ 15 か所(最長 15 語) ★ 語ではなく文に印を打つ ★ 同じ一行のくり返し ★ 3 回 ★ くどいほど押す ★ 読み方のこつは 一つ です——★ 大文字のところを 先に読む 。★ それだけで 言いたいことは全部つかめます 。 ★ 読編に 同じ本の前のところ があります ——★ 8.149 読編 (第 1〜7 節) 。★ そちらは 「存在するとは知覚されることだ」という主張そのもの で、★ この篇は その反論に答える節 です。 原文 原文は別の文書にあります(作品ページの「原文」)。本文は 1438 語、段落は 8 (節 22 から節 29 まで)、文は 46 本、一文の平均は 31.3 語、いちばん長い一文は 88 語です。 ★ 段落の頭に 節の番号 が付いています 。★ この本は 番号で引く本 で、★ 本文の中でも vide sect. (〜節を見よ)と 自分の節を指しています ——★ いまの論文の 節番号による相互参照 と同じ です( 9.11 論編 )。 全訳 原文の全訳です。この課程のために、原文に沿って訳しました。番号は原文の段落の番号で、原文と行き来できます。 22. この主題を扱うのに、私はいらぬほど長々と書いていると思われる理由を与えてしまったのではないかと心配です。というのも、少しでも省みる力のある人になら、一行か二行で、このうえなくはっきりと証明できることを、長々と述べて何になるでしょうか。それは自分自身の思いを覗いてみて、音や形や動きや色が心の外に、あるいは知覚されずに存在することが思い浮かべられるかどうかを試してみるだけのことです。このたやすい試しによって、あなたが言い張っていることがまったくの矛盾であるとわかるかもしれません。ですから私は、全体をこの一点に賭けてよいと思っています。もしあなたが、広がりをもち動かすことのできる実体が一つでも、あるいは一般に、観念が一つでも、あるいは観念に似たものが何か一つでも、それを知覚する心の中以外のところに存在しうると 思い浮かべる ことさえできるなら、私は喜んで負けを認めましょう。そして、あなたが言い張る外的な物体の 組み合わさった全体 のすべてについても、その存在を認めてあげましょう。 たとえ(一)あなたがそれが存在すると信じる理由を私に一つも示せず、(二)それが存在すると仮定したときにそれに何の使い道も割り当てられないとしても です。つまり、あなたの意見が真であるという単なる可能性を、それが真であることの論拠として通してあげようというのです。 23. しかし、あなたはこう言うでしょう。たとえば公園の木々や、物置の中にある本を、だれもそばで知覚していないのに思い浮かべることほどやさしいことは、きっとない、と。私は答えます。そうすることはできます、それには何の難しさもありません。けれども、お尋ねしますが、それは結局、自分の心の中で 本 や 木 と呼ぶある観念を作り上げ、同時に、それを知覚しうるだれかの観念を作り上げるのを省いている、というだけのことではありませんか。 そのあいだずっと、あなた自身がそれを知覚し、あるいは思っているのではありませんか。 ですからこれは論点に何のかかわりもありません。それはただ、あなたが心の中で観念を想像したり形づくったりする力をもっていることを示すだけで、あなたの思いの対象が心の外に存在しうると思い浮かべられることを示しはしないのです。それを示すには、 それらが思い浮かべられず、思われもせずに存在しているのを、あなたが思い浮かべる必要があります。それははっきりとしたつじつまの合わないことです。 私たちが外的な物体の存在を思い浮かべようと精いっぱい努めるとき、そのあいだずっと私たちはただ自分自身の観念を眺めているだけなのです。けれども心は自分自身に気づかないために、考えられずに、あるいは心の外に存在する物体を思い浮かべることができ、また実際に思い浮かべていると思いちがいをします。それらが同時に心によってとらえられ、心の中に存在しているにもかかわらずです。少し注意を向ければ、だれにでもここで言われていることの真実と明らかさがわかり、物質的な実体の存在に反対する他の証明をあれこれ言い立てる必要はなくなるでしょう。 24. 考えないものの絶対的な存在というのは、意味のない言葉である。 ――私たちが 感覚される対象がそれ自体として、つまり心の外に、絶対的に存在する ということで何が意味されているのかを理解できるかどうかは、自分の思いを少しでも調べてみれば、すぐに知ることができます。私には、その言葉はまっすぐな矛盾を指しているか、さもなければ何も指していないかのどちらかであることが明らかです。そしてこのことを他の人に納得させるのに、その人たちが自分自身の思いに静かに注意を向けてくれるよう頼むこと以上に手早く公正なやり方を、私は知りません。そしてこの注意によって、それらの言い方のからっぽであることやつじつまの合わないことが見えてくるなら、納得させるのにそれ以上何も欠かせないものはないはずです。ですから私が言い張るのはこの点です。すなわち、考えないものの 絶対的な 存在というのは、意味のない言葉か、あるいは矛盾を含む言葉だということです。これこそ私が繰り返し、教え込み、読者のよく気を配る思いにまじめに勧めることなのです。 25. 第三の論――ロックへの反論。 ――私たちのすべての観念、感覚、概念、あるいは私たちが知覚するものは、どのような名で区別されていようと、目に見える形で働きをもちません。それらには力や働きかけといったものは何も含まれていないのです。したがって、 一つの観念 、つまり思いの対象は、 別の観念 を生み出すことも、それに 何らかの変化 を起こすことも できません 。このことが真であると納得するには、自分の観念をただ観察すること以外に何も欠かせません。なぜなら、観念とそのどの部分も心の中にだけ存在するのですから、観念の中には知覚されるもの以外には何もないことになります。ところが、感覚の観念であれ省みることの観念であれ、自分の観念に注意を向ける人はだれでも、その中に何の力も働きも知覚しないでしょう。ですから、そのようなものは観念の中に含まれていないのです。少し注意を向ければ、観念があるということそのものが、その中に受け身であることと自分では動かないことを含んでいるとわかります。そのため、観念が何かをすること、厳密に言えば何かの原因となることは不可能です。また、第 8 節から明らかなように、観念は何か働くものに似たものや、その手本となることもできません。そこから、広がりや形や動きが私たちの感覚の原因ではありえないことがはっきりと出てきます。ですから、感覚はごく小さな粒の配置や数や動きや大きさから生じる力の結果であると言うのは、きっと誤りであるに違いありません。 26. 観念の原因。 ――私たちは観念がやむことなく次々と続くのを知覚します。あるものは新たに呼び起こされ、他のものは変わり、あるいはすっかり消えます。ですから、これらの観念には何らかの原因があり、観念はそれに拠っていて、それが観念を生み出し、変えるのです。この原因が何らかの性質や観念、あるいは観念の組み合わせではありえないことは、前の節から明らかです。ですから、それは実体でなければなりません。けれども、物体としての、つまり物質的な実体は存在しないことが示されました。したがって残るのは、 観念の原因 は体をもたない働く実体、すなわち精神である、ということです。 27. 精神の観念はない。 ――精神とは、単一で分けられていない、働く存在です。観念を知覚するかぎりでそれは 知性 と呼ばれ、観念を生み出し、あるいはそのほかのしかたで観念にかかわって働くかぎりでそれは 意志 と呼ばれます。そのため、魂や精神について観念を作ることはできません。というのも、観念はどれも何であれ受け身で動きが無いので(第 25 節を見よ)、働くものを、像や 似すがた によって私たちに写し出すことはできないからです。少し注意を向ければ、動きと観念の変化を起こすあの働く原理に似た観念をもつことがまったく不可能であることは、だれにでもはっきりするでしょう。 精神 、つまり働くものの本性はそういうもので、それ自体として知覚されることはできず、 ただそれが生み出す結果によってのみ知覚される のです。もしだれかがここに述べたことの真実を疑うなら、その人にただ省みて、何らかの力や働く存在の観念を作れるかどうか試させてみなさい。また、 意志 と 知性 という名で印をつけられた二つの主な力について、互いに区別され、さらに実体あるいは存在一般という第三の観念とも区別された観念をもっているかどうか、そして、その実体が前に述べた力を支える、あるいはその主体であるという関係的な概念―― 魂 あるいは 精神 という名でしるされるもの――をもっているかどうかを試させてみなさい。これはある人々が考えていることです。しかし私の見るかぎり、 意志 、 魂 、 精神 という語は、異なる観念を表しているのではなく、実のところどんな観念も表してはいません。それらが表しているのは、観念とは大きく違う何かであり、働き手であるがゆえに、どんな観念にも似ることができず、どんな観念によっても写し出されることのできないものなのです。とはいえ同時に、魂や精神や、意志する、愛する、憎むといった心の働きについて、私たちがある概念をもっていることは認めなければなりません。私たちはそれらの語の意味を知り、理解しているかぎりにおいてです。 28. 私は自分の心の中に好きなように観念を呼び起こし、何度でも思うままに場面を変えたり移したりできることに気づきます。意志するだけで、ただちにあれこれの観念が私の空想の中に浮かびます。そして同じ力によって、それは消し去られ、別の観念に場所をゆずります。このように観念を作ったりこわしたりすることこそ、心を働くものと呼ぶのにまことにふさわしい理由です。ここまでは確かで、経験に根ざしています。けれども、考えない働き手について、あるいは意志によらずに観念を呼び起こすことについて考えるとき、私たちはただ言葉をもてあそんで楽しんでいるにすぎません。 29. 感覚の観念は、省みることや記憶の観念とは異なる。 ――しかし、 自分自身の 思いに対してどんな力を私がもっていようと、感覚によって実際に知覚される観念は、同じように私の意志に拠っているのではないことに気づきます。明るい日の光の中で目を開けるとき、見るか見ないかを選ぶことも、どんな特定の対象が私の目に現れるかを決めることも、私の力の内にはありません。聞くことやその他の感覚についても同様で、それらに刻みつけられた観念は私の意志が生んだものではありません。 したがって、それらを生み出す何か別の意志あるいは精神が あるのです。 語釈 帯の外の語は 62 語です。★ この篇の術語は ほとんど一つ ——★ idea (観念) です。★ 帯の中の語なので 語釈には出てきません が、★ 本文に 何十回も 出ます 。★ 難しいのは語ではなく、 この一語が何を指しているか です。 語(品詞) 意味 注 ALTERATION en 名 変わること。大文字は強めの印 A small ALTERATION to the plan avoided the worst of the weather. 計画へのわずかな変わることのおかげで、最悪の天候を避けられました。 COMPAGES en 名 組み合わさった全体(ラテン語から。いまは使わない) The old ship was one great COMPAGES of timber, rope, and iron. その古い船は木材と綱と鉄からなる一つの大きな組み合わさった全体でした。 LIKENESS en 名 似すがた。大文字は強めの印 The portrait captured a striking LIKENESS of the young sea captain. その肖像画は若い船長の際立った似すがたをとらえていました。 LOCKE en 名 ロック。『人間知性論』の著者 MANIFEST en 形 はっきり目に見える。大文字は強めの印 Her disappointment became MANIFEST the moment she read the short letter. 彼女の落胆はその短い手紙を読んだ瞬間にはっきり目に見えるものとなりました。 PRODUCETH en 動 produces の古い形。生み出す Careful practice PRODUCETH a steadiness that mere talent alone cannot give. 丁寧な練習は才能だけでは得られない安定を生み出します。 REFUTATION en 名 言い破ること His quiet REFUTATION of the rumor ended the argument almost instantly. 彼が静かにその噂を言い破ったことで議論はほとんどすぐに終わりました。 REPUGNAN