8.7 鬼に瘤取らるる事(宇治拾遺物語) — Epoché
この篇でできるようになること 二千字を越える説話を、十四の段落に区切りながら最後まで読み通せる。 係り結びを、一つの話の中で六か所とも自分で見つけられる。 過去の「き」と「けり」が同じ話に出てくるとき、何が違うのかを説明できる。 会話の丁寧さの差から、誰が誰に向かって話しているのかを見分けられる。 前提 : 8.6 まで。 読む前に この課程で読む説話のうち、いちばん長い篇です。二千字を越え、これまでの三篇分にあたります。長いといっても難しくはありません。会話が多く、場面が順に並んでいくだけの、たいへん分かりやすい作りです。段落は十四に分けてあります。 一段落ずつ止まって、誰が何をしたかを言えるか確かめながら 読み進めてください。説話がどういう文章なのかは 世編 1課 にあります。 この話は、昔話の「こぶとりじいさん」のもとになったものです。ただし、いま子どもに語られる形とは、大事なところが違っています。昔話では、たいてい正直な爺さんと欲張りな爺さんが対にされ、心がけの善し悪しで結末が分かれます。ところがこの原話には、 二人の翁の人柄の違いが一言も書かれていません 。違うのは舞の巧拙だけです。一人目は洞から躍り出て見事に舞い、二人目は 天骨もなくおろおろかなでたり ——生まれつきの才も無く、たどたどしく舞った。だから瘤を返された。話の最後に付く ものうらやみはせまじきことなりとか という一言も、よく読むと筋に合いきっていません。人を羨んだから罰が当たったのではなく、下手だったから返されたのです。説話の教訓は、あとから付けられた札のようなもので、話の中身とずれることがある——この篇はその見本でもあります。 もう一つ、鬼の描き方を見てください。 酒まいらせあそぶありさま。この世の人のする定なり 、 ゑみこだれたるさま。ただこの世の人のごとし 。語り手は二度も「人間と同じだ」と念を押します。姿こそ目が一つだったり口が無かったりしますが、宴会をして、酒を注ぎ、上手な芸には手を叩く。恐ろしいものではなく、 気まぐれで、酔っていて、話の分かる相手 として描かれています。翁が洞から躍り出られたのも、鬼がそういう相手だったからです。読みながら、鬼の言葉づかいの丁寧さの差にも注意してみてください。誰が上位で誰が下位かが、そこだけで分かります。 語釈 ここまでの課程に出ていない語を挙げます。読みは現代仮名です。「家族」の欄には、その語がどの課の仲間かを書きました。 翁 ja おきな 年取った男。じいさん 家族 名詞 はしたなし ja はしたなし 激しい。無情だ。ここは雨風が激しいこと 家族 古今異義語 語編 2課 心にもあらず ja こころにもあらず 心ならずも。不本意に 家族 連語 うつぼ ja うつぼ 木のうろ。幹の中の空洞 家族 名詞 目もあはず ja めもあわず 眠れない 家族 連語 かがまる ja かがまる 身を丸めてうずくまる 家族 四段活用 形編 2課 とどめく ja とどめく どよめく。騒がしい音を立てる 家族 四段活用 形編 2課 けはひ ja けわい 気配。ようす 家族 名詞 みいだす ja みいだす 中から外を見る 家族 四段活用 形編 2課 大かた ja おおかた まったく。だいたい。この話に六回出る口ぐせ 家族 副詞 たふさぎ ja たふさぎ 褌。本文の「たたうさき」はこの語の形か 家族 名詞 ゐまはる ja いまわる まわりに車座になって座る 家族 四段活用 形編 2課 いとど ja いとど ますます。いっそう 家族 副詞 物おぼえず ja ものおぼえず 正気を失う。何が何だか分からない 家族 連語 むねと ja むねと 主だった。頭領格の 家族 副詞 よこ座 ja よこざ 上座。一同と向かい合って座る席 家族 名詞 うらうへ ja うらうえ 裏と表。ここは顔の左右 家族 名詞 かはらけ ja かわらけ 素焼きの杯。「かはらけはじまる」で杯が回りだす 家族 名詞 折敷 ja おしき 食物を載せる四角い盆 家族 名詞 ねりいづ ja ねりいず ゆっくり歩み出る 家族 下二段活用 形編 3課 めり ja めり 見たところ〜のようだ 家族 助動詞 ゑみこだる ja えみこだる 顔いっぱいに笑みを浮かべる 家族 下二段活用 形編 3課 あさまし ja あさまし 驚きあきれる 家族 古今異義語 語編 1課 かなで ja かなで 舞や音曲の芸 家族 名詞 〜ばや ja 〜ばや 〜たい。未然形に付く願望の終助詞 家族 終助詞 もののつく ja もののつく 物の怪が取り憑く 家族 連語 さもあれ ja さもあれ ままよ。どうにでもなれ 家族 連語 よき ja よき 斧。木を切る道具 家族 名詞 すぢりもぢり ja すじりもじり 身をよじりくねらせて 家族 副詞 あざむ ja あざむ 驚き感嘆する 家族 四段活用 形編 2課 さたにをよばず ja さたにおよばず 言うまでもない 家族 連語 おさめの手 ja おさめのて 舞の締めくくりの型 家族 名詞 つかうまつる ja つこうまつる 「す」の謙譲語。ここは舞をお目にかける 家族 敬語(敬編) しち ja しち 質。約束の担保として預ける物 家族 名詞 すぢなし ja すじなし 筋が通らない。理不尽だ 家族 形容詞 くすし ja くすし 医者 家族 名詞 天骨 ja てんこつ 生まれつきの才能 家族 名詞 おろおろ ja おろおろ たどたどしく。いいかげんに 家族 副詞 たぶ ja たぶ 「与ふ」の尊敬。〜てやる。「返したべ」は命令形 家族 四段活用 形編 2課 まじ ja まじ 〜てはならない。打消の推量・禁止 家族 打消 辞編 4課 底本の本文が他の刊本と食い違い、語形を確かめきれない箇所が四つあります。第一段落の 大よそ山へ行ぬ は、他の刊本では瘤の大きさと翁の暮らしを述べる長い一文になっていて、底本はそこが落ちています。第二段落の たたうさきにかき は、他の刊本の「たふさぎ(褌)」にあたる語形と見ました。第四段落の くどきぐせざることをいひて は他に例が無く、「口説き」とも「曲」ともつかない何かを唱えた、という程度に読んであります。第九段落の おぼしししちをやとらるべく候らん は、他の刊本では「質をや取らるべく候らん」で「おぼしし」がありません。いずれも底本のまま残し、訳では控えめに読みました。 述語の印 段落ごとに、述語を出てくる順に並べます。 終止形か命令形なら、そこで一文が終わり ます。連体形・連用形・已然形なら、句点があってもまだ続きます。この話は前の三篇と違い、短い言い切りが何度も挟まります。 第一段落から第三段落 第一段落 — ありけり (切れる)/ 行ぬ (切れる)/ をよばで (続く)/ とまりぬ (切れる)/ なかりけり (切れる)/ すべきかたなし (切れる)/ はひ入て (続く)/ ゐたるほどに (続く)/ をとす (切れる)/ しければ ・ みいだしければ (已然形+ば・続く)。主語はすべて翁ですが、 をとす だけは近づいてくる声が主語です。 第二段落 — をき (連用形・続く、二回)/ かき (続く)/ ものあり (切れる)/ ともして (続く)/ ゐまはりぬ (切れる)。主語は鬼どもです。 第三段落 — 物おぼえず (切れる。翁が)/ ゐたり (切れる。頭領の鬼が)/ かずをしらず (切れる)/ いひつくしがたし (切れる)/ 定なり (切れる)/ はじまりて (続く)/ ゑひたるさまなり (切れる)。六つの短い文が並びます。 第四段落から第七段落 第四段落 — 立て ・ いひて (続く)/ くどくめり (切れる。若い鬼が)/ 人のごとし (切れる。横座の鬼が)/ 舞て入ぬ (切れる)/ まふ (切れる)/ まふもあり (切れる)/ みるほどに (続く。翁が)。 第五段落 — いふやう (言いさし)/ すぐれたれ (「こそ」の結び・已然形)/ みばや (切れる)/ いふに (続く)/ つきたりけるにや ・ 思はせ給けるにや (結びを言わずに止める)/ まはばや (切れる。翁の心の中)/ おもひかへしつ (切れる)。 第六段落 — きこえければ (続く)/ まひてん ・ ありなん (切れる。翁の心の中)/ 思とりて ・ さして (続く)/ おどり出たり (切れる)。 第七段落 — をどりあがりて (続く)/ さはぎあへり (切れる。鬼どもが)/ まふべきかぎり (言いさし)/ はしりまはりまふ (切れる。翁が)/ あざみ興ず (切れる。鬼どもが)/ いはく (言いさし)/ あはざりつれ (「こそ」の結び・已然形)/ まいれ (命令形・切れる)/ いふ (切れる)。 第八段落から第十四段落 第八段落 — まいり候べし / わすれ候にたり / つかうまつり候はん (翁の言葉。三つとも切れる)/ いふ / まいるべきなり / いふ 。 第九段落 — 候はんずらん / とらるべく候らん (奥の座の鬼が)/ しかるべし (命令に近い言い切り)/ とるべき (「か」の結び・連体形)/ とるべき (「や」の結び・連体形)/ おしみおもふらん (「や」の結び)。 第十段落 — ゆるし給候はん / 候なん (翁が)/ 取べし (横座の鬼が)/ いたきことなし (切れる)/ まいるべし (命令に近い)/ かへりぬ (切れる)。 第十一段落 — なかりければ (続く)/ かへりぬ (切れる)/ とへば (続く。妻が)/ かたる (切れる)/ いふ (切れる)。 第十二段落 — ありけるが (続く)/ みて (続く)/ うせ給たるぞ ・ とり申たるぞ ・ つたへ給へ ・ とらん (隣の翁の言葉)/ とりたるなり (一人目の翁が)/ をしへつ (切れる)。 第十三段落 — まちければ (続く)/ いできたり (切れる)/ まいりたるか (鬼が)/ まいりて候 (鬼どもが)/ まいれ ・ まへ (命令形)/ かなでたりければ (已然形+ば・第十四段落へ続く)。 第十四段落 — わろく舞たり ・ わろし ・ 返したべ (横座の鬼が)/ かへしたぶぞ (末の鬼が)/ なげつけたりければ (続く)/ なりたりけれ (「こそ」の結び・已然形)/ なりとか (語り手が結ぶ)。 助動詞と係り結び この篇を長い話にしたのは、 係り結びが六か所も出る からです。一つずつ確かめます。第五段落の こよひの御あそびこそいつにもすぐれたれ は「こそ」+已然形「たれ」。第七段落の いまだかかるものにこそあはざりつれ も「こそ」+已然形「つれ」で、完了の「つ」の已然形です。第九段落は連続して三つ、 なにをかとるべき が「か」+連体形「べき」、 こぶをやとるべき と それをやおしみおもふらん が「や」+連体形。そして最後の うらうへにこぶつきたるおきなにこそなりたりけれ が「こそ」+已然形「けれ」です。 話の結末を「こそ」で締める のは、説話によくある終わり方で、「まさにそうなってしまったのだ」という念押しになります。 結びを言わずに止める形も二つあります。第五段落の もののつきたりけるにや と 神仏の思はせ給けるにや です。「にや」の下には本来「あらむ」が続きますが、言わずに切ります。書き手が「そうだったのかもしれない」と迷ってみせる言い方で、断定を避けるときに使います。話の最後の ものうらやみはせまじきことなりとか の「とか」も同じで、下の「言ひ伝へたる」を省いています。 過去の助動詞では、この篇で初めて 「き」と「けり」が同じ話に出ます 。「き」は第十一段落の 年来ありしこぶ の「し」ただ一つ。翁自身がずっと身に付けて知っていた瘤だから「き」です。いっぽう「けり」は、 おきなありけり 、 木こりもなかりけり 、 こぶありけるが のように、語り手が伝え聞いて紹介するところに付きます。 辞編 1課 と 辞編 2課 で分けた二つが、一つの話の中で役割を分け合っているのが見えます。 完了は四つとも出そろいます。「ぬ」は 行ぬ とまりぬ ゐまはりぬ 舞て入ぬ かへりぬ と、場面が切り替わるたびに現れます。「つ」は おもひかへしつ をしへつ と、人が何かをやり終えたところに付きます。「たり」は数え切れず、「り」は さはぎあへり に一つ。 「ぬ」で場面が閉じ、「たり」で状態が続く という使い分けが、これだけ長い話だとはっきり見えます。 そして打消の推量「まじ」が、最後の一語に出ます。 せまじきことなり ——「してはならないことだ」。4.4 で「じ」「まじ」を扱いましたが、実際の文章では「まじ」はこのように、教訓を言い切るところに使われます。会話の丁寧さも見てください。翁は鬼に対して 候 を重ね、 つかうまつり候はん と謙譲語まで使います。鬼どうしでも、奥の座の鬼は横座の鬼に 候 を使い、横座の鬼は誰にも使いません。 誰が上位かは、敬語の有無だけで決まっています。 読み上げと音読 まず原文の文書を開いて、読み上げを最後まで聞いてください。一度に聞き通せなければ、段落ごとに区切って構いません。読み替えが起きるのは次の語です。「かほ」はかお、「はひ入て」ははいいりて、「けはひ」はけわい、「うらうへ」はうらうえ、「かはらけ」はかわらけ、「ゑひたる」はえいたる、「ゑぼし」はえぼし、「まはばや」はまわばや、「あはざりつれ」はあわざりつれ、「候はず」はそうろわず、「給へ」はたまえ、「つかうまつり」はつこうまつり、「かひのごひたる」はかいのごいたる、「をしへつ」はおしえつ。音編の八つの規則が、そのまま当てはまります。 聞き終えたら、自分の声で通して読んでください。この話は 短い言い切りが多い のが特徴です。第一段落の 又木こりもなかりけり。おそろしさすべきかたなし。 や、第三段落に六つ並ぶ短文は、本当にそこで切れます。逆に第九段落から第十段落にかけての鬼と翁のやりとりは、句点があっても引用の途中で切れませんから、続けて読みます。翁が舞う第七段落は、声を張って速く。鬼が瘤を返す第十四段落は、突き放して。長い話ですから、場面ごとに繰り返すほうが身に入ります。 練習 練習 1 — 述語を囲む 原文の第七段落を書き写して、述語を全部囲んでください。囲んだあと、それぞれの右に「終止形・命令形(ここで切れる)」か「それ以外(まだ続く)」かを書いてください。 練習 2 — 結びを選ぶ 最後の