国際政治経済――貿易とグローバル化 — Epoché
国際と日本 国際政治 約 26 分 本文 約 11,300 字 図 4・表 2 資料 2 節 この課の要点 理論・批判・日本の 3 つ 理論 リカードウは、両方の品で劣る国でも得意の度合いに沿って交換すれば双方が得をすると示した 批判 保護による育成、国内の分配、網の中心の国による武器化という三つの批判がある 日本 日本の法律は対外取引の自由を基本としつつ、安全保障のための管理を条文に置いている はじめに 朝のパンの小麦や着ている服、手の中のスマートフォンを思い浮かべてください。身の回りの物の多くは、部品か原料のどこかで国境を越えて運ばれてきます。私たちは毎日、外国の誰かが作った物を買い、外国の誰かが私たちの作った物を買っています。この国境を越える売り買いが 貿易 です。 この課程の『リベラリズム――相互依存と国際制度』の課では、経済の結びつきが国どうしの争いを和らげうるという見方を学びました。この課は、その結びつきそのものを正面から扱います。国際政治の中でお金と物の流れを考える分野を、 国際政治経済 と呼びます。 貿易は経済の話に見えますが、政治の問いがすぐに現れます。どの品にどれだけの関税をかけるか、どの国にどの技術を売ってよいかを決めるのは政府です。得をする人と損をする人が国の中に生まれれば、選挙や議会の争点にもなります。 この課の道筋は次のとおりです。第 1 節では、グローバル化という言葉の意味と、それを数で測る方法を確かめます。第 2 節では、自由な貿易が双方を豊かにするという議論の中心にある「比較優位」を、リカードウ自身の数の例で読みます。第 3 節では、その議論への三つの批判を見ます。第 4 節では、日本の法律が貿易の自由と安全保障をどう書き分けているかを確かめます。 この課程の『リアリズム』の課と『リベラリズム』の課で学んだ見方も、思い出しながら読んでください。本教材の整理として言えば、同じ貿易でも、国の力の面に目を向けるか、結びつきが生む利益の面に目を向けるかで、問いの立て方が変わります。第 3 節の三つの批判は、その違いを具体的に示しています。 この課の問い 国どうしが自由に取引すれば、双方が得をするのでしょうか。得をするのなら、それでも国が貿易を管理するのはなぜでしょうか。 この課のことば 比較優位 ある品を作る費用を、ほかの品をあきらめる分で測り(品どうしの費用の比)、その比をほかの国と比べて自国の方が低いこと。何でも上手な人も、いちばん得意な仕事に絞ると全体の仕事が速く進むのと同じ考えです。 保護貿易 関税や輸入の制限で、外国の品との競争から国内の産業を守ること。育ち始めの産業を守るという理由がよく挙げられます。 最恵国待遇 ある国に与えた関税の引き下げなどの有利な扱いを、ほかの加盟国すべてにも同じように与える約束。特定の国だけをひいきしない決まりです。 相互依存の武器化 国どうしの経済の結びつきを、相手を従わせる道具に使うこと。たとえば決済の網から相手の銀行を締め出すことです。 貿易の対 GDP 比 輸出と輸入の合計が、国内で生み出された価値(GDP)の何%に当たるかを示す数。国が貿易にどれだけ深く関わっているかの目安です。 貿易とグローバル化――国境を越える取引は誰を豊かにし、誰に力を与えるのか 自由な貿易は双方を豊かにするという議論は、経済学の中でも古く、強い議論です。それでも現実の国は、関税をかけ、輸出を規制し、安全保障を理由に取引を止めることがあります。この章では、議論の核と、それへの批判と、日本の決まりを順に見て、二つの事実が両立する理由を考えます。 グローバル化を測る――国境を越える結びつきの広がり 哲学の概説(スタンフォード哲学百科事典の「グローバル化」の項)の整理では、近年の論者は、グローバル化を「脱領域化」と結びつけています。これは、参加する人がどこにいるかに関わらず、社会の活動が行われるようになることです [1] 。インターネットの会議で、東京と大阪とロンドンの人が同時に話し合う場面がその例です。 同じ項目の整理は、さらに二つの要素を挙げます。一つは、既存の地理や政治の境界を越えて、社会の結びつきが広がることです [1] 。もう一つは、社会の活動の速さです [1] 。遠い国の工場の停止が数日で日本の店の品切れになるのは、結びつきと速さが重なった結果と言えます。 グローバル化は最近始まった出来事ではありません。同じ整理によれば、原因については論者の意見が分かれるものの、多くの論者はグローバル化を比較的長い期間の過程と考えています [1] 。近代の歴史にはグローバル化の例が多くあります [1] 。19 世紀の鉄道や電信も、距離の意味を縮めた技術でした。 また、グローバル化は経済・政治・文化にまたがる多面的な過程だとされます [1] 。その影響は普遍的でも一様でもありません [1] 。同じ国の中でも、昔ながらの農作業で働く人と、ネットで世界と取引する起業家とでは、受ける影響が違います。経済の面では、国際的な金融市場が、自由民主主義の国が銀行の活動を抑えようとする試みに挑んでいるとも指摘されます [1] 。 国を越える決まりづくりへの評価も分かれます。批判する人は、地域や国の自治が、市民の必要から遠く、民主的に不十分な統治に置き換わっていると言います [1] 。擁護する人は、国を越える法と政治の決定を、より広く進んだ自治への先駆けと見ます [1] 。この課の第 3 節と「考えてみる」でも、この対立が形を変えて現れます。 この課が扱うのは経済の面、とくに貿易です。貿易の広がりを測るよく使われる数に、世界銀行の「貿易の対 GDP 比」があります。これは財とサービスの輸出と輸入の合計を、GDP に対する割合で表した数です [11] 。世界全体の値は、各国の値を加重平均したものです [11] 。 世界全体の値(小数第 2 位まで)は、1970 年に 25.75%でした [11] 。2008 年には 60.32%になりました [11] 。本教材が二つの値を比べると、この間に 2 倍を超えて上がったことになります。ところが翌 2009 年には 51.89%に下がりました [11] 。その後も上がり下がりを繰り返し、2020 年は 51.87%でした [11] 。2022 年には 1970 年以降で最も高い 62.15%になりました [11] 。2024 年は 56.72%です [11] 。年ごとの動きは「資料で確かめる」のグラフで見られます。 この数を読むときには分母に注意が要ります。本教材の整理として言えば、比が下がっても、貿易の額が減ったとは限りません。GDP が貿易より速く伸びれば、貿易の額が増えても比は下がるからです。逆に、比が上がった年に、国内の生産が落ち込んでいただけということもありえます。 ここで間違えやすい 「グローバル化は最近始まり、一方向に進み続けてきた」と考えがちです。概説の整理では長い期間の過程とされ、貿易の対 GDP 比も 2009 年や 2020 年に下がっています。比の上下は貿易の額の増減と同じではない点にも注意します。 比較優位――劣っていても交換すれば得をする 自由な貿易を支持する議論の出発点の一つは、アダム・スミスの『国富論』(初刊 1776)です。スミスは、外国が自分たちより安く商品を供給できるなら、自分たちが得意な産業の産物の一部でそれを買うほうがよいと述べました [2] 。 スミスの例は身近です。仕立屋は自分の靴を作ろうとせず、靴屋から買います [2] 。各家庭で思慮深いことが、大きな王国で愚かであるはずはない、とスミスは続けます [2] 。買う方が安い品の生産に国の産業を向けるとき、その産業は最も有利に使われてはいない、というのがスミスの見方です [2] 。 ただし、スミスの議論は「外国の方が安く作れる」場合の話です。では、どの品でも外国より多くの手間がかかる国は、貿易で得をすることができないのでしょうか。この問いに答えたのが、デイヴィッド・リカードウの『経済学および課税の原理』(初版 1817)です。 リカードウは仮定の数を置きます。英国では毛織物を作るのに 1 年間 100 人の労働が要り、ワインを作ろうとすれば 120 人が要るかもしれない、とします [3] 。ポルトガルでは、ワインは 80 人、毛織物は 90 人で作れるかもしれない、とします [3] (図 1) 。ポルトガルは、どちらの品も英国より少ない人数で作れることになります。 それでもリカードウは、ポルトガルが、英国より少ない労働で作れる毛織物を英国から輸入することさえありうると言います [3] 。資本をワインの生産に使い、ワインと引き換えに英国から毛織物を得れば、ブドウ畑から資本を移して自分で作るより多くの毛織物が手に入るからです [3] 。 本教材の計算でこれを確かめます。英国では、ワイン 1 単位を作る手間は毛織物 1.2 単位分に当たります。ポルトガルでは約 0.89 単位分です。ワインを相対的に安く作れるのはポルトガルで、毛織物を相対的に安く作れるのは英国です。これが 比較優位 です。リカードウの例では、英国は 100 人の労働の産物を 80 人の労働の産物と交換します [3] 。毛織物 1 単位とワイン 1 単位を交換するとすれば、本教材の計算では、英国はワインを自分で作るより 20 人分、ポルトガルは毛織物を自分で作るより 10 人分の労働が浮きます。 リカードウはこの仕組みを、完全に自由な通商の体制という条件のもとで語ります。そのもとでは、各国は自然に、資本と労働を自国にとって最も有利な用途に向けます [3] 。個人の利益の追求が、全体の普遍的な善とみごとに結びつくとも言います [3] 。生産の総量を増やし、共通の利害と交流の絆で諸国民を結びつける、というのです [3] 。 この議論には見落とされやすい前提があります。リカードウは、同じ国の個人の間ではこうした交換は起こらないと言います [3] 。資本は国から国へは動きにくく、国の中では地方から地方へ盛んに動くからです [3] 。実際、もし資本が移れるなら、両方の品をポルトガルで作ることが、英国の資本家と両国の消費者にとって有利だろうとリカードウ自身が書いています [3] 。また、交換の比率は、それぞれに投じた労働の量では決まらないとも述べています [3] 。 身近な場面に当てはめた本教材の作例です。料理も片づけも速い先輩と、どちらも遅い後輩がいるとします。後輩の片づけの遅れが、料理の遅れより小さいなら、先輩が料理、後輩が片づけに回る方が全体は早く終わります。何でも上手な人も、すべてを一人で抱えないほうがよい、という考え方です。 1 年に要る人数(リカードウの仮定) 英国 毛織物 100 人 ワイン 120 人 毛織物に絞る ポルトガル ワイン 80 人 毛織物 90 人 ワインに絞る 毛織物 ワイン 交換すると両国とも人手が浮く 図 1 リカードウの作例を本教材が絵にしたもの。数は 1 年に要る人数の仮定で、ポルトガルはどちらの品も少ない人数で作れるが、両国は比較優位に沿って特化して交換する [3] 。 ここで間違えやすい 比較優位を「ほかの国より上手に作れること」と考えがちです。それは絶対優位です。比較優位は、各国の中で求めた品どうしの費用の比を国の間で比べて、自国の方が低いことで、ポルトガルの毛織物は英国より安く作れても比較優位ではありません。 自由貿易への三つの批判――育成・分配・武器化 第一の批判は、育ち始めの産業を守るべきだという議論です。ドイツのフリードリヒ・リストは『政治経済学の国民的体系』(1841)で、富を生み出す力は富そのものよりはるかに重要だと述べました [4] 。今日安く買えることより、明日自分で作れる力を育てることを重んじる見方です (図 2) 。 リストは保護を無条件には認めません。工業力を築く条件をそなえながら、先を行く外国の工業国との競争で進歩を妨げられている国だけで、自国の工業力を築き守るための貿易の制限が正当化されると言います [4] 。その国でも、工業力を育てるための制限は外国との競争に耐えられるようになるまでが期限で、育った後に残す制限は必要な範囲だけにとどめる、と言います [4] 。 リストは先行国の自由貿易論にも鋭い言葉を向けました。頂点に達した者が、他の者が後から登れないように登ってきたはしごを外すのは、よくある巧妙なやり方だというのです [4] 。スミスの世界主義の学説の秘密はここにある、とまでリストは言います [4] 。もっとも、これはリストの評価であり、スミスの意図がそうだったと確かめられたわけではありません。 スミス・リカードウ リスト 安い外国品は 買うのがよい 条件をそなえた 遅れた国は保護可 交換で生産の総量が 増える 富より富を生む力を 重んじる 保護は資本を不利な 用途へ回す 育った後の保護は 必要な分だけ 自由な通商は 諸国民を結ぶ 先行国の自由 貿易論ははしご外し 図 2 スミス・リカードウとリストの見方の違い(本教材の整理)。各行は典拠の言葉の要約 [2] [3] [4] 。 第二の批判は、国の中の分配です。オーター、ドーン、ハンソンは 2016 年の論文で、中国が大きな経済大国として台頭したことが、世界の貿易の型を一変させたと述べます [5] 。そして、貿易の拡大がもたらす消費者の利益と並んで、大きな調整の費用と分配の帰結があると指摘します [5] 。 その影響は、外国との競争にさらされた産業が集まる地域の労働市場で最も目に見えると言います [5] 。米国の研究では、地域の労働市場の調整はきわめて遅く、中国からの貿易の衝撃が始まってから少なくとも 10 年間、賃金と労働参加率は低いまま、失業率は高いままでした [5] 。国全体でも、輸入競争にさらされた米国の産業で雇用が減り、論文の時点では、ほかの産業での相殺する雇用の増加はまだ現れていませんでした [5] 。 これはリカードウの議論の誤りを示すものではありません。本教材の解釈では、リカードウが示したのは国としての生産の総量の増加で、国の中の誰もが得をするということまでは言っていません。オーターらも、いつ・どこで貿易が費用を伴い、どのように・なぜ有