8.197 名前を、自分で作る — 一人称の語りが始まる — Epoché
この篇でできるようになること ★ 一人称の語りが二重になっている ことが読める——語る 大人の私 と、語られる 子どもの私 。 ★ 推し量りに出どころを付ける 書き方が分かる。 ★ くり返しで世界を並べる 長い一文が追える。 ★ 訛りを綴りで書く やり方が読める。 前提 : 8.196 まで。 読む前に ★ 読 H の二十四篇は、 「うまい英語」を集めた ものです。 ★ 読 G までは、 中身を運ぶための文章 を読んできました ——報告書、契約、論。★ そこでは 文体は道具 でした。 どちらの読み物か 文体は何のためにあるか ★ 読 G ( 8.186 読編 ・ 8.192 読編 ) ★ 読み違えられないため。書き手は表に出ない ★ 読 H (この篇から) ★ 文体そのものが中身。書き手の声が聞こえる ★ この篇でいちばん大事なのは 語っているのがだれか です。★ 「私」は一人ですが、 二つの時に立って います。 どちらの私か 何をしているか ★ 語る私 ★ 大人になってから、来し方を書いている ★ 語られる私 ★ 墓地で震えている子ども ★ 二つの隔たりが、この章の おかしみと恐ろしさ を同時に作ります。 ★ 語り手が分かっていない形( 8.77 読編 )とは逆で、 ここでは語り手のほうがよく分かって います。 ★ 子どもの取り違えを、 大人がわざと直さずに書く のです。 原文 原文は別の文書にあります(作品ページの「原文」)。本文は 1528 語、段落は 44 つ、文は 102 本、一文の平均は 15.0 語、いちばん長い一文は 124 語です。 ★ 段落が 44 つもあるのは、 後半が台詞だから です。★ 台詞は一言ごとに段落が替わる ので、★ 平均の 15.0 語という数は あてになりません 。 ★ 見るべきは いちばん長い 124 語の一文 です。 ★ 帯の外の語は本文の 10.9 % です。★ 沼地の草木の名( nettles ・ brambles ・ alder )と 訛りの綴り で数が膨らんでいます ので、★ 語釈を先に通してから読んでください。 全訳 原文の全訳です。この課程のために、原文に沿って訳しました。番号は原文の段落の番号で、原文と行き来できます。 父の姓がピリップで、私の洗礼名がフィリップだったので、幼い私の舌では、どちらの名からも、ピップより長い、あるいははっきりした音を作ることができませんでした。それで私は自分をピップと呼び、ピップと呼ばれるようになりました。 父の姓をピリップとするのは、父の墓石と姉——鍛冶屋と結婚したジョー・ガージャリー夫人——を典拠としてのことです。私は父にも母にも会ったことがなく、二人のどちらの似姿も見たことがなかったので(二人が生きていたのは写真の時代よりずっと前のことでした)、二人がどんな人だったかについての私の最初の想像は、理由もなく墓石から引き出されたものでした。父の墓石の文字の形から、私は、父が角ばった体つきの、がっしりした、色の黒い男で、黒い巻き毛だったという妙な考えを持ちました。「また上記の者の妻ジョージアナ」という碑文の字の様子と書きぶりから、私は、母がそばかすのある病弱な人だったという子どもらしい結論を引き出しました。二人の墓のそばにきちんと一列に並べられ、私の五人の幼い弟たち——あの万人の生存競争のなかで、ひどく早いうちに暮らしを立てようとするのをあきらめてしまった弟たち——の思い出にささげられた、長さがそれぞれ一フィート半ほどの五つの小さな菱形の石のおかげで、私は、弟たちはみな両手をズボンのポケットに入れたまま仰向けに生まれ、この世にいるあいだ一度もその手を出さなかったのだと、信心深く信じていました。 私たちの土地は沼地の地方で、川を下ったところにあり、川の曲がりくねりに沿って行けば、海から二十マイル以内のところでした。物事がそれぞれ何であるかについての私のいちばん最初の、いちばん鮮やかで大きな印象は、忘れられない、ある冷たく湿った日の、夕方近くの午後に得られたように思われます。そのとき私は、はっきりと知ったのです。イラクサの生い茂ったこの荒れた場所は教会の墓地であること。この教区の故フィリップ・ピリップ、また上記の者の妻ジョージアナは、死んで葬られていること。上記の者の幼い子どもたちアレグザンダー、バーソロミュー、エイブラハム、トバイアス、ロジャーも、また死んで葬られていること。墓地の向こうの、暗く平らな荒れ野は、堀や土手や門で区切られ、牛がまばらに草を食んでいて、それが沼地であること。その向こうの低い鉛色の線が川であること。風が吹きつけてくる遠くの荒々しいねぐらが海であること。そして、それらすべてが怖くなって泣き出しかけている、小さな震えのかたまりが、ピップであること。 「静かにしろ!」と、恐ろしい声がどなり、ひとりの男が、教会の玄関わきの墓のあいだから、ぱっと立ち上がりました。「じっとしてろ、この小悪魔め。さもないと喉をかっ切るぞ!」 恐ろしい男でした。全身粗い灰色の服を着て、脚には大きな鉄の枷をはめていました。帽子をかぶらず、靴は破れ、頭には古いぼろ布を巻いた男でした。水にずぶぬれになり、泥にまみれ、石で足を痛め、火打ち石で切られ、イラクサに刺され、イバラに裂かれた男でした。足を引きずり、震え、にらみつけ、うなる男でした。そして私のあごをつかんだとき、その歯は頭の中でがちがちと鳴っていました。 「ああ! 喉を切らないでください、旦那さま」と、私はおびえきって頼みました。「どうか、やめてください、旦那さま」 「名前を言え!」と男は言いました。「早く!」 「ピップです、旦那さま」 「もう一度」と男は、私をじっと見ながら言いました。「はっきり言え!」 「ピップ。ピップです、旦那さま」 「どこに住んでるか教えろ」と男は言いました。「その場所を指してみろ!」 私は、私たちの村のある方を指さしました。村は、ハンノキや頭を刈り込んだ木々のあいだの、岸から少し入った平地にあり、教会から一マイルかそれ以上離れていました。 男は少しのあいだ私を見てから、私をさかさまにひっくり返し、ポケットの中身を空けました。中にはパンが一切れあるきりでした。教会が元に戻ったとき——というのも、男があまりに急で力が強かったので、教会が私の目の前でまっさかさまにひっくり返り、尖塔が足の下に見えたのです——教会が元に戻ったとき、と私は言いますが、私は高い墓石の上に座らされていて、男がパンをがつがつと食べるあいだ、震えていました。 [挿絵] 「この小僧め」と、男は唇をなめながら言いました。「なんてまあ、太ったほっぺをしてやがる」 たしかに太っていたのだろうと思います。もっとも当時の私は、年のわりに体が小さく、丈夫ではありませんでしたが。 「こいつが食えねえかどうか、知れたもんじゃねえ」と男は、脅すように首を振りながら言いました。「食っちまおうかって気が、半分くらいあるんだからな!」 私は、どうかそうしないでほしいと心から言い、男が私を載せた墓石に、いっそうきつくしがみつきました。ひとつには墓石の上にとどまっているため、ひとつには泣き出さないためでした。 「さあ、よく聞け!」と男は言いました。「おまえのおっかさんはどこだ?」 「あそこです、旦那さま!」と私は言いました。 男はぎくりとして、少し走りかけ、立ち止まって肩ごしに振り返りました。 「あそこです、旦那さま!」と私はおずおずと説明しました。「『また、ジョージアナ』。あれが母です」 「ああ!」と男は戻ってきながら言いました。「で、おっかさんと並んでるのが、おまえの親父か?」 「はい、旦那さま」と私は言いました。「父もです。この教区の故人です」 「ふん!」と男は、それから考えこみながらつぶやきました。「おまえは誰と暮らしてる——おまえがありがたくも生かしてもらえるとしての話だがな。そいつはまだ決めちゃいねえ」 「姉とです、旦那さま——ジョー・ガージャリー夫人です——鍛冶屋のジョー・ガージャリーのおかみさんです、旦那さま」 「鍛冶屋だと?」と男は言いました。そして自分の脚を見下ろしました。 男は、自分の脚と私とを何度か暗い目で見比べてから、私の墓石に近寄り、私の両腕をつかんで、支えていられるかぎり後ろへ私を傾けました。そのため男の目は、このうえなく力強く私の目を見下ろし、私の目は、このうえなく頼りなく男の目を見上げることになりました。 「さあ、よく聞け」と男は言いました。「問題は、おまえを生かしておくかどうかだ。やすりが何か知ってるか?」 「はい、旦那さま」 「じゃあ、食いもんが何か知ってるか?」 「はい、旦那さま」 一つ問うたびに、男は私をもう少し傾けて、いっそう頼りなく危ない気持ちにさせました。 「やすりを持ってこい」男はまた私を傾けました。「それから食いもんを持ってこい」男はまた私を傾けました。「両方とも俺のところへ持ってこい」男はまた私を傾けました。「さもねえと、おまえの心臓と肝臓を引っこ抜くぞ」男はまた私を傾けました。 私はひどくおびえ、すっかり目がまわってしまったので、両手で男にしがみつき、こう言いました。「もし、どうか、まっすぐにしていていただけたら、旦那さま、たぶん気分が悪くならずにすみますし、たぶんもっとちゃんとお話を聞けると思います」 男は私を、それはもうものすごい勢いで下げて転がしたので、教会が自分の風見の上を跳び越えました。それから男は、私の腕をつかんで墓石のてっぺんにまっすぐに立たせ、次のような恐ろしいことばで話を続けました。 「明日の朝早く、そのやすりとその食いもんを持ってこい。そいつを全部、向こうの古い砲台跡まで持ってくるんだ。そうして、俺みてえな奴に、いや、どんな奴にだって会ったなんてことは、ひとことも言うんじゃねえし、そぶりも見せるんじゃねえ。そうすりゃ生かしといてやる。しくじったり、俺の言ったことにどんな細けえところでも、どんなにちっぽけなことでも背いたりしたら、おまえの心臓と肝臓は引っこ抜かれて、焼かれて、食われるぞ。いいか、俺はおまえが思ってるかもしれねえが、一人じゃねえ。若い男がひとり、俺と一緒に隠れてる。その若い男に比べりゃ、俺なんざ天使みてえなもんだ。その若い男は、俺の言うことを聞いてる。その若い男には、子どもに、その心臓に、その肝臓に手をかける、そいつだけの秘密のやり方がある。子どもがその若い男から隠れようとしたって無駄だ。子どもは戸に鍵をかけるかもしれねえ、ぬくぬくと寝床に入るかもしれねえ、ふとんにくるまるかもしれねえ、頭からかぶるかもしれねえ、これで安心だ、無事だと思うかもしれねえ。だがその若い男は、そっと忍び寄って忍び寄って、そいつのところまで行き、腹を引き裂くんだ。俺は今この時も、その若い男がおまえに手を出さねえように、えらく骨を折って押さえてるんだ。その若い男をおまえのはらわたから引き離しとくのは、ほんとにてえへんなんだぞ。さあ、どうする?」 私は、やすりを持ってくること、手に入るかぎりの食べ物の切れはしを持ってくること、そして朝早く砲台跡の男のところへ行くことを約束しました。 「守らなかったら神さまに打ち殺されてもいい、と言え!」と男は言いました。 私がそう言うと、男は私を下ろしました。 「さあ」と男は続けました。「おまえが何を引き受けたか覚えとけ。あの若い男のことも覚えとけ。そして家へ帰れ!」 「お、おやすみなさい、旦那さま」と私は口ごもりながら言いました。 「おやすみもへったくれもあるか!」と男は、冷たく湿った平地を見まわしながら言いました。「いっそカエルだったらなあ。でなきゃウナギか!」 それと同時に男は、震える自分の体を両腕で抱きしめ——ばらばらにならないよう体をまとめておこうとするかのように、自分を抱きかかえて——低い教会の塀のほうへ足を引きずって行きました。イラクサのあいだや、緑の塚を縛るように取り巻くイバラのあいだを、足もとを選びながら行く男を見ていると、幼い私の目には、男が、墓の中から用心深く手を伸ばして男の足首をひねり、引きずり込もうとしている死者たちの手を、かわしているように見えました。 語釈 帯の外の語は 125 語です。★ 半分は 沼地の風景 で、★ もう半分は 人の名と訛り です。★ tombstone (墓石)・ churchyard (教会の墓地)・ marshes (沼地)の三語は この章の舞台そのもの ですので、★ ここだけは覚えてから読んでください。 語(品詞) 意味 注 Abraham en 名 エイブラハム。ピップの弟の一人の名 Alexander en 名 アレグザンダー。ピップの弟の一人の名 Angel en 名 天使。ここは「あの若い男に比べれば私は天使だ」の意 Compared with her mischievous older brother, the toddler seemed like a little Angel. 腕白な兄と比べると、その幼子はまるで小さな天使のようでした。 Bartholomew en 名 バーソロミュー。ピップの弟の一人の名 Blacksmith en 名 鍛冶屋。ここは相手の言葉を聞き返している Blacksmith, will you shoe my horse before nightfall? 鍛冶屋さん、夜になる前に私の馬に蹄鉄を打ってくれませんか。 Christian en 形 キリスト教の The old sailor was given a proper Christian burial in the village churchyard. その老水夫は村の教会墓地できちんとしたキリスト教式の埋葬をしてもらいました。 Darn en 動 ののしりの語。 damn の言いかえ Darn it, I have forgotten my umbrella again this morning! しまった、今朝もまた傘を忘れてしまいました。 Gargery en 名 ガージャリー。ピップの姉の婚家の姓 Georgiana en 名 ジョージアナ。ピップの母の名 Goo en 間 good と言いかけて口ごもった音 Ha en 間 はっ Ha! I knew you would come to the party after all.