アナクシメネス――空気の濃淡が万物をつくる、と伝えられる(濃縮と希薄化) — Epoché
古代 ソクラテス以前の哲学 約 18 分 本文 約 7,500 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 始まり・仕組み・広がりの 3 つ 始まり 万物の下にある一つの限りのないものを、アナクシマンドロスのように定まらないものとせず、「空気」という定まったものだとした、とテオプラストスは伝えています。 仕組み 空気は薄くなると火に、濃くなると風・雲・水・土・石になり、ほかのものはこれらから生じると説明した、と伝えられます(濃縮と希薄化)。 広がり 魂は空気で、気息と空気が宇宙を包むという言葉、神々も空気から生じたという報告、平らな大地が空気の上に留まるという説明が、別々の伝え手を通して届いています。 はじめに アナクシメネスは、タレスやアナクシマンドロスと同じミレトスの人です。前 6 世紀の中ごろから後半に活動しましたが、生没年は確かではありません。ディオゲネス・ラエルティオスは、アポロドロスの説として年代を伝えます。リュディアの都サルディスがペルシアに落ちたころ(前 546 年)の人で、第 63 オリュンピア紀(前 528–525 年)に没した、というものです(『哲学者列伝』II.3) [2] 。 アリストテレスの協力者テオプラストス(前 4〜3 世紀)は、アナクシメネスを前の課のアナクシマンドロスの「仲間」( ἑταῖρος )と呼びました。この報告は、後 6 世紀のシンプリキオスの『アリストテレス「自然学」注解』(以下『自然学注解』)に引かれて残っています(24.26) [1] 。ディオゲネス・ラエルティオスは、アナクシマンドロスに学び、簡素なイオニア方言で書いたと伝えます(II.3) [2] 。ただし、その書はまとまった形では伝わっていません [7] 。 後代の証言は、ディールスとクランツの資料集(略して DK)の第 13 章に集められています。A は後代の証言、B は本人の言葉とされる断片の番号です [4] 。前の課のアナクシマンドロスは、万物の始まり(アルケー)を「限りのないもの」(ト・アペイロン)としました。この課では、その限りのなさを受け継ぎながら、始まりを「空気」という定まったものにした人を、本人の言葉と後代の証言を分けながら読みます。 この課の問い 目に見えるさまざまなものが一つのものから生じたのなら、それはどうやって別々のものになるのでしょうか。そして、空気という身近なもので、魂や大地や天まで説明できるのでしょうか。 この課のことば アルケー(始まり) 万物がそこから生じる、いちばん元のもの。タレスの課から続く問いの言葉です。 空気(アーエール) アナクシメネスが始まりとしたと伝えられるもの。いちばん均一なときは目に見えない、と伝えられます。 濃縮と希薄化 濃く詰まることと、薄く広がること。原典では「濃さ」(ピュクノテース)と「薄さ」(マノテース)の語で語られます。 ト・アペイロン(限りのないもの) 前の課でアナクシマンドロスが始まりとしたもの。アナクシメネスの空気も「限りのない」ものと伝えられます。 学説誌(ドクソグラフィー) 昔の哲学者たちの説を、主題ごとに集めて並べた後代の書物。多くはアリストテレスとテオプラストスの整理を受け継ぎます。 気息(プネウマ) 息や風のこと。アナクシメネスの言葉として伝わる一文で、空気と並べて宇宙を包むものとされます。 空気のアルケー――一つのものから、なぜこれほど多くのものが生じるのか 限りのない、しかし定まった空気――アナクシマンドロスから受け継いだもの テオプラストスの報告によれば、アナクシメネスは、万物の下にある本性を「一つ」で「限りのない」ものとしました。ここまでは、前の課のアナクシマンドロスと同じです。違うのは、それを 定まらないものではなく、定まったもの、つまり空気 だとした点です(シンプリキオス『自然学注解』24.26–28、DK 13 A 5) [1] (図 1) 。 二つの報告から、三つの段で読めます。第一に、始まりは一つで限りのないもので、ここは「あの人と同じように」と言われます(24.26–27)。第二に、ただしそれは「定まらない」( ἀόριστον )ものではなく「定まった」( ὡρισμένην )もので、それを空気と呼びます(24.28) [1] 。第三に、キリスト教の著作家ヒッポリュトスがこれを補います。空気は、いちばん均一なときは目に見えず、冷たさ・熱さ・湿り・動きによって姿を現す、というのです(『全異端反駁』I.7.2) [5] 。 アナクシマンドロス 1 一つの限りのないもの 定まらない ἀόριστον 2 対立するもの (熱と冷など)が分かれ出る 3 世界のさまざまなもの 対立するものの分離(24.23–25) アナクシメネス 1 一つの限りのない空気 定まった ὡρισμένην 2 濃くなる・薄くなる 薄さと濃さの違い(24.28–29) 3 世界のさまざまなもの 一つのものの濃淡の変化 図 1 始まりの立て方の比べ(『自然学注解』24.13–31 の要約)。①の「一つ」「限りのない」は二人で同じです。左の②の熱と冷の例は、原文になく SEP に拠ります。SEP は、空気を立てたことで「熱と冷を生むもの」の段がなくなった、と説明します [7] 。 アリストテレスも『形而上学』で、アナクシメネスとアポロニアのディオゲネスを並べています。二人は空気を水より先のもの、単純な物体のうちでとりわけ始まりであるものとした、という整理です(A 巻 3 章 984a5–7) [6] 。「単純な物体」は、同じ箇所で並ぶ火・空気・水・土のような、基本の物体を指します。 では、なぜ空気だったのでしょうか。原典で理由に触れるのは、同じ記事の少し後の文です。「この人たちも、空気が作用を受けやすく変わりやすいので、変化に向いていると考えた。だから、動きにくく変わりにくい土を始まりとはしなかった」(25.9–12) [1] 。これは本人の論証ではなく、伝え手が推し量った動機です。「この人たちも」は、火の二人の動機を推し量った 24.4–7 と対になる書き方で、空気を立てた人々をまとめて指すとも読めます。直前のディオゲネス(とその異説)だけを指す読みも残ります。SEP は、始まりは中立だが何もないと思えるほど性質を欠いてはいけない、という理由をテオプラストスの推測として紹介します [7] 。ただ、引かれた報告にその文は見当たらないので、ここでは研究者の再構成として扱います。 ヒッポリュトスの報告を、本教材の作例で身近に置き換えてみます。ふだん目に見えない部屋の空気も、窓を開ければ風の動きとして、冬には冷たさとして、梅雨どきには湿り気として感じ取れます。 ここで間違えやすい アナクシマンドロスからの「進歩」とも「後戻り」とも読まないようにしましょう。限りのなさは受け継ぎ、定まらなさだけを改めた、と伝えられています。また、ここで「空気」と訳す語は、今の化学でいう気体の概念とは別物です。 薄くなれば火、濃くなれば石――濃縮と希薄化 一つの空気から、どうして多くの種類のものが生じるのでしょうか。テオプラストスの報告によれば、空気は 薄さと濃さ によって、ものの種類ごとに異なります(シンプリキオス『自然学注解』24.28–31、DK 13 A 5) [1] (図 2) 。 まず、ものの違いは、空気の「薄さ」(マノテース)と「濃さ」(ピュクノテース)によるとされます(24.28–29)。次に、薄くなると火になり、濃くなると風、雲、水、土、石の順になります。ほかのものは、これらから生じるといいます(24.29–31)。最後に、運動は永遠で、その運動によって変化が起こるとされます(24.31–25.1) [1] 。種類の違いを、濃さという一本の物差しの上の位置の違いとして語っている、と読めます。 火 空気 風 雲 水 土 石 薄くなる (希薄化) 濃くなる (濃縮) 熱い(ゆるむ) 冷たい(縮む) プルタルコス の報告(B 1) ほかのものはこれらから生じる(24.31) 図 2 濃さの一本の物差し(『自然学注解』24.28–31 の要約)。右の熱い・冷たいの札は、プルタルコスの報告(B 1)を重ねたものです。 ヒッポリュトスも同じ順を伝え、生成にとっていちばん主要な対立は、熱いものと冷たいものだとまとめます(『全異端反駁』I.7.3) [5] 。 濃さと熱さの結びつきも伝わっています。プルタルコスによれば、アナクシメネスは、縮んで濃くなったものは冷たく、薄く「ゆるんだ」ものは熱い、と言いました。プルタルコスは、この「ゆるんだ」(カラロン)をアナクシメネス自身の語として挙げます。人が口から温かい息も冷たい息も出すのはそのためだ、という一文も、同じ間接話法の続きです(『最初の冷たさについて』7, 947F–948A、DK 13 B 1) [8] 。後のアリストテレスの批判も、アナクシメネスに向けられています。ただ、唇で押された息は冷え、ゆるめると温かく出るという理由の説明は、プルタルコスの地の文で、彼の補いかもしれません。 読みが分かれる点もあります。空気は、石になっても空気のままなのでしょうか。アリストテレスの説明に沿えば、石も状態の変わった空気だと読めます。SEP のたとえでいえば、氷が冷えた水であるのと同じです。一つの素材が姿を変えながら残り続けるという、この見方を「素材の一元論」と呼びます。一方で、空気が水に変われば空気はもう残らず、空気は変化の列の最初というだけだ、という読みもあります(グレアム) [7] [3] 。 ここで間違えやすい これは、濃さを数で測る理論ではありません。量の計算は伝わっていません。また、アリストテレスはこの息の例を、アナクシメネスの思い違いとして退けた、とプルタルコスは書いています。口をゆるめると体の中の温かい息が出て、すぼめると口の前の冷たい空気が押し出されるだけだ、という批判です(948A) [8] 。 息と魂、大地と天――空気で世界をまとめる 空気は、ものの材料だけでなく、魂や宇宙の説明にも使われたと伝えられます。後代の学説誌は、次の言葉をアナクシメネスのものとして伝えます。「われわれの魂は空気であって、われわれをまとめている。同じように、気息と空気が宇宙全体を包んでいる」(偽プルタルコス『哲学者たちの自然学説』I.3.4, 876A–B、DK 13 B 2) [9] 。「偽」は、プルタルコスの名で伝わったが本人の作ではない、という印です。 こうした証言は、三つの別々の伝え手から届いています。ここでは、互いを推論でつながずに並べます (表 1) 。一つ目は学説誌で、万物は空気から生じて空気へ戻るとし、魂と宇宙の一文をその例に引きます(I.3.4) [9] 。二つ目はヒッポリュトスで、神々や神的なものも空気から生じると伝えます(I.7.1) [5] 。三つ目はアリストテレスで、大地は平らなので下の空気に蓋をして留まる、という説を挙げます。そう言う人として、アナクシメネス、アナクサゴラス、デモクリトスの三人を並べています(『天について』II 巻 13 章 294b13–17) [10] 。 この表で分かること: 空気で説明されたものは、魂・宇宙・神々・大地・星々にわたります。ただし、それぞれ別の伝え手の、別の箇所に散らばって伝わっています。 説明されたもの 伝わる説明 伝え手と箇所 魂 空気であって、私たちをまとめる 学説誌 I.3.4(B 2) 宇宙 気息と空気が全体を包む 学説誌 I.3.4(B 2) 神々 神々も神的なものも空気から生じる ヒッポリュトス I.7.1 大地 平らで、下の空気に蓋をして留まる アリストテレス『天について』294b 星々 火でできていて、空気に乗る ヒッポリュトス I.7.4 表 1 空気で説明されたもの。典拠は右の列のとおりです。行の並びは、因果の順ではありません。 学説誌の書き手は、引用の直後に「空気と気息は同じ意味で言われている」と自分の注を添えています。さらに、作り手の原因を立てていないと、アナクシメネスを批判します。銀だけでは杯にならず、銀細工師が要る、というたとえです(I.3.4) [9] 。魂と宇宙を並べる類比も、この学説誌の文の中にあるもので、本人の論証として組み立て直すことは控えます。 宇宙の姿については、ヒッポリュトスがたとえを伝えています。大地も星々も平らで、空気に乗っています(I.7.4)。星々は大地の下へは行かず、大地の周りを回ります。ちょうど、頭の周りでフェルトの帽子(ピーリオン)が回るように、というのです(I.7.6) [5] (図 3) 。 頭の周りを 帽子が回るように ヒッポリュトス I.7.6 大地の周りを回る 大地 太陽 空気 大地は平らで空気に乗る(I.7.4) 太陽は大地の下へは行かず、高い所の陰に隠れる 遠く離れるためでもある(I.7.6) 図 3 ヒッポリュトスが伝える宇宙の姿(『全異端反駁』I.7.4・6 の要約)。天を半球の帽子の形に描いたのは、本教材の図解です。 ここで間違えやすい B 2 の言い回しを、そのまま本人の言葉とは言えません。学説誌の書き手が言い換えた可能性があり、残る文の中で本人が魂をはっきり論じている所はない、と指摘する研究もあります [11] 。ただし同じ研究は、空気を命の表れと見て魂と結びつける見方はありえた、と論じます [11] 。初期ギリシアの文献で空気が命の息と結びつくことも、指摘されています [3] 。また、魂・神々・大地の話を、一つの体系の部分として因果でつながないようにしましょう (表 1) 。 歴史の注意:千年をまたぐ伝言 この課の主な報告は、シンプリキオスがテオプラストスの書を引いたものです。ディールスは、この一続きの記事を、テオプラストス『自然学者たちの説』の断片 2 に当てています(シンプリキオスの校注) [1] 。後の伝え手の多くは、アリストテレスとテオプラストスの整理に頼り、それぞれの関心に沿って材料を選んだ、と研究者は指摘します [7] 。同じ記事の少し後で、シンプリキオスはアポロニアのディオゲネスについて、「私の手元に届いた」書物があると書いています(25.7–8) [1] 。アナクシメネスについては、そうは書いていません。 原典を読む ギリ