政治と行政――政治家は官僚を統制できるか — Epoché
制度と行動 統治の制度 約 28 分 本文 約 12,600 字 図 4・表 2 資料 2 節 この課の要点 委任・統制・日本の 3 つ 委任 政治家は実行を官僚に任せますが、任された側の方が詳しいため、任せた側の思いどおりに動くとは限りません。これを本人と代理人の関係として考えます。 統制 統制の道具には人事・手続き・監視があります。議会は自ら見回るより、困った人が知らせる仕組みを好むという説があります。統制を強めすぎると専門の判断を失うおそれもあります。 日本 日本は副大臣・大臣政務官の設置や、内閣人事局と幹部人事の協議の仕組みで、政治の側の手段を増やしてきました。統制と専門性の釣り合いをどう取るかが問われています。 はじめに 新しい大臣が就任すると、記者会見で「省をしっかり掌握したい」と語る場面をよく目にします。けれども、大臣は内閣の改造や交代のたびに替わります。一方で、その省の職員の多くは、長い年月をその分野の仕事に費やしてきた人たちです。法律の細かな仕組み、過去のいきさつ、現場の事情、関係する団体の顔ぶれを、職員の方がずっとよく知っています。それでも、決めるのは選挙で選ばれた側だ、というのが民主政治の約束です。この約束は、実際にはどうすれば守れるのでしょうか。 この課程の『官僚制』の課では、専門の訓練を受けた職員が規則に従って仕事をする組織を見ました。そこで読んだウェーバーの一節は、主人が人民でも議会でも君主でも、訓練された官吏に対しては「素人」の立場に立つ、というものでした [2] 。また『議院内閣制と大統領制』の課では、有権者が国会を選び、国会が首相を選び、内閣が国会に責任を負うという信任の筋を見ました。この課は、その筋の最後の部分、つまり内閣と大臣が、各省の職員をどう動かし、どう確かめるのかを扱います。 考え方の道具として、この課では「本人と代理人」という見方を使います。仕事を任せる側を本人、任される側を代理人と呼びます。任せれば手間は省けますが、任された側は自分の方がよく知っていて、自分の目標を持つこともあります。だから任せる側は、誰に任せるか(人事)、どんな手順で動かすか(手続き)、どう確かめるか(監視)を工夫します。 章の流れは次のとおりです。まず、政治と行政を分けようとした古い考えと、それに代わる本人と代理人の見方を見ます。次に、監視の二つの型を比べ、統制を強めることの代償を考えます。最後に、日本の法律がこの問題にどう答えてきたのかを、条文でたどります。資料では、二分論を唱えた本人の論文と、日本の法律の条文を読みます。 この課の問い 選挙で選ばれた政治家は、専門の知識と情報を持つ官僚を、どんな仕組みで動かし、確かめることができるのでしょうか。統制を強めると、何が得られ、何を失うおそれがあるのでしょうか。 この課のことば 政治と行政の二分論 方針を決めるのは政治、決まった方針を細かく実行するのは行政、と役目を分ける考え方。19 世紀末のアメリカで唱えられました。 本人と代理人 仕事を任せる側(本人)と任される側(代理人)の関係。家の修理を業者に頼むときの、頼む人と業者の関係がその例です。 情報の非対称 一方だけが詳しい情報を持っている状態。業者の方が、どの工事が本当に要るかをよく知っている、という状態です。 巡回型と報知器型の監視 監視する側が自分で見回る(警察の巡回)か、困った人が知らせる仕組みを作っておく(火災報知器)か、という監視の二つの型。 政治任用 選挙で選ばれた側が、自分たちの判断で人を役職に就けること。日本の副大臣や大臣政務官がその例です。 幹部人事の一元管理 各省の幹部の人事を、首相と官房長官との協議を通して、内閣全体でそろえて扱う仕組み。2014 年に作られました。 政治と行政――選ばれた者は専門家をどう動かすか 前の課の官僚制は、専門家と規則による組織でした。この章は、その組織を、選挙で選ばれた者がどう動かすのかを考えます。古い答えは「政治と行政を分ける」でした。新しい答えは「任せた上で、誘因と手続きと監視で方向づける」です。最後に、日本の制度がこの問いにどう答えてきたのかを見ます。 分けられるか、任せるか――二分論から本人と代理人へ 政治と行政の関係を論じた古典の一つに、のちに第 28 代アメリカ大統領となるウッドロー・ウィルソンが 1887 年に発表した論文「行政の研究」があります。ウィルソンは、行政は「政治の固有の領域の外にある」と書きました。そして、政治は行政の課題を定めるが、行政の官職を操ることを許してはならない、と続けます [1] 。ウィルソンは、この区別を自分の発見としてではなく、「公務員制度の改革者たち」が説いてきた真理として紹介しています [1] 。 ウィルソンの区別の中身はこうです。大きな計画を立てることは行政ではなく、その計画を細かく実行することが行政だ、とウィルソンは書きます。行政とは公法の細かく体系的な執行だというのです [1] 。税を課して集めること、郵便を運ぶこと、軍の装備をそろえることは行政の仕事であり、それを命じる一般の法律は行政の外、その上にある、と例も挙げています [1] 。政治が目的を決め、行政は決まった目的を効率よく果たします。そう分ければ、行政を党派の争いから切り離し、専門の技術として磨けるはずだ、というのがこの考えのねらいでした。 ここで注意が要ります。ウィルソンの二分論は、当時の行政が実際に政治から切り離されていた、という事実の記述ではありません。官職を操ることを「許してはならない」という言い方のとおり、こうあるべきだという主張です [1] 。論文の別の箇所でウィルソンは、任命の方法を正しつつある、公務員制度の改革は「党派に偏らない」勤めにすることで行政を事務的なものにする道を開いている、とも書いています [1] 。本教材の読み方では、二分論は改革を進めるための規範の議論でした。 では、方針と実行はきれいに分けられるでしょうか。ウィルソン自身、別の箇所で、自治とはすべてに手を出すことではないと述べ、料理人には火とかまどの扱いに大きな裁量を任せなければならない、とたとえています [1] 。実行には細かな判断が要り、任された側に裁量が生まれます。そして裁量のある所には、任せた側の思いと違う判断が入り込む余地が生まれます。 この余地が大きくなるのは、任された側の方が詳しいときです。ウェーバーは、近代の官僚制の力について、主人が人民でも、不信任の権限を持つ議会でも、選挙で選ばれた大統領でも、君主でも、訓練された官吏に対しては「素人」の立場にあると書きました。官僚制は、さらに知識と意図を秘密にすることで、その優越を高めようとする、とも書いています [2] 。 後の政治学は、この問題を「本人と代理人」の関係として扱うようになりました。ミラー(2005)の整理によれば、本人と代理人の理論は、保険の経済学から道具を借りて、政治の関係の中の情報の非対称と誘因の役割を考える見方です。この理論は、権力を、本人の利益にかなう行動を代理人に取らせるよう誘因を変えることとして、形式的に考える道を開いたとされます [3] 。 二分論 (ウィルソン) 本人と代理人 問い:どう分けるか 問い:どう動かすか 前提:方針と実行は 分かれる 前提:情報の偏りと 目標のずれ 答え:行政を 党派から離す 答え:人事と 手続きと監視 弱み:裁量を 説明しにくい 弱み:強すぎると 専門性を失う 図 1 政治と行政の二分論と、本人と代理人の見方(本教材の整理)。左右の行は同じ項目(問い・前提・答え・弱み)の順に並べています。 身近な例で考えてみましょう(本教材の作例)。家の屋根の修理を業者に頼むとします。どの工事が本当に必要なのか、頼む人には分かりません。業者は正直かもしれませんし、要らない工事を勧めるかもしれません。頼む人は、見積もりを複数取る、評判を調べる、保証をつけてもらう、工事の途中で写真を送ってもらう、といった工夫をします。これは、誰に任せるか、どんな約束で任せるか、どう確かめるか、の三つの工夫です。大臣と省の職員の関係も、同じ形で考えることができます。 ただし、この見方は、官僚がいつも怠けたり、悪いことを企んだりすると決めつけるものではありません。代理人が本人と同じ目標を持ち、誠実に働くこともあります。問題は、本人の側からはそれを確かめにくいこと、そして目標がずれたときに気づきにくいことです。二分論が役目をどう分けるかを問うたのに対して、本人と代理人の見方は、任せることに伴う情報の偏りと目標のずれ、そしてそれを方向づける誘因の仕組みを分析します [3] 。役目を分けることと、任せた関係を分析することは両立します。 ここで間違えやすい 二分論を「官僚は政治にかかわらない」という事実の記述と読むのは誤りです。ウィルソンの言葉は「官職を操ることを許してはならない」というこうあるべきだという主張で、同じ論文の中で行政の側に大きな裁量を認めてもいます。 見回るか、知らせを待つか――監視の二つの型 任せた相手を確かめる方法として、よく知られた区別があります。マカビンズとシュワルツ(1984)は、アメリカ議会による行政の監視を、警察の巡回型と火災報知器型の二つに分けました [4] 。研究者たちはしばしば、行政が大きくなり続けているのに議会は監視の責任を怠っている、と嘆いていました。二人は、それは怠慢ではなく、議員が一方の型の監視を合理的に好んでいるのだ、と論じました [4] 。 警察の巡回型の監視では、議会が自分から、行政機関の活動の一部を抜き出して調べます。法の目的に反する行いを見つけて正し、見回っていること自体で違反を抑えます。文書を読む、科学的な調査を頼む、現地を見る、公聴会で役人や影響を受けた市民に問う、といった方法が使われます [4] 。 火災報知器型の監視では、議会は自分で調べるかわりに、規則・手続き・非公式の慣行の仕組みを作ります。その仕組みによって、市民や組織された利益団体が、行政の決定を調べ、法の目的に反すると訴え、行政機関や裁判所や議会そのものに救済を求められるようにします [4] 。二人のたとえでは、議会は煙をかぎ回るかわりに、街角に報知器を置き、近所に消防署を建て、ときには知らせを受けて自分のはしご車も出します [4] 。報知器型でも、議会が何もしないわけではないのです。 巡回型 報知器型 議員が自分で 標本を調べる 困っています 市民が知らせ 議員が動く 図 2 警察の巡回型と火災報知器型の監視(マカビンズとシュワルツのたとえを本教材が絵にしたもの)。左では議員が自ら役所の書類を見回り、右では困った市民が報知器を押し、知らせを受けた議員が動きます [4] 。 二人のモデルは三つの仮定に立ちます。第一に、議会は二つの型を選ぶことも、組み合わせることもできます。たとえば法律を書くとき、期限が来たら見直す仕組み(巡回型)も、公聴会を義務づける仕組み(報知器型)も入れられます [4] 。第二に、議員は、再選を助けてくれる支持者の利益について、できるだけ功績を得ようとします。第三に、行政機関は、議会、とくに授権と予算で頼っている小委員会の代理人として動きます [4] 。第二の仮定については、議員が公益を追う政治家だと置き換えても、結論は「やや違う形で」導けると二人は述べています [4] 。 ここから二人は、議員は、監視をする限りでは、巡回型より報知器型を好む、と導きます [4] 。理由は三つです。一つ目に、巡回では、法の目的に反しない多くの行いまで調べることになり、時間が無駄になります。二つ目に、巡回で調べられるのは小さな標本だけなので、支持者を傷つける違反を見落としやすくなります。三つ目に、報知器型の費用の多くは、知らせる市民や団体、行政機関と裁判所が負い、議員自身は負いません [4] 。その結果、議会は監視の責任を怠らず、不完全ではあっても、広く、ある程度有効な監視を行う、というのが二人の結論でした [4] 。 この議論の後、研究の重心も動きました。ミラーの整理では、議会による官僚の監視の研究は、結果に応じた報酬や罰を課すという当初の考えから、行政の手続きを取り決めることへと重きを移してきました [3] 。誰がいつ意見を言えるか、何を公開するか、を前もって決めておくことは、報知器を置くことにも通じます。 日本に当てはめるとどうなるでしょうか(本教材の当てはめ)。国会の委員会で大臣や役人に質問し、資料を出させるのは、巡回型に近い方法です。一方で、行政の決定に不服を申し立てる手続きや、行政の文書の公開を求める手続きは、困った人や関心を持つ人が知らせる仕組みとして、報知器型に近い働きをします。どちらか一方だけで足りるわけではありません。 ここで間違えやすい 報知器型を「監視をしない」ことと読むのは誤りです。議会は知らせる仕組みを作り、知らせを受ければ介入します。ただし本教材の整理として言えば、知らせは声を上げる力のある人や団体から届きやすく、声を上げにくい人の困りごとは見落とされやすいという弱みもあります。 統制しすぎると何を失うか――専門性・中立・約束 ここまでの話からは、統制は強ければ強いほどよい、と思えるかもしれません。しかし、統制には代償があります。表1は、統制の手段ごとに、得られるものと失うおそれのあるものを並べたものです(本教材の整理)。 この表で分かること: 統制の手段には、それぞれ得るものと失うおそれのあるものがある(本教材の整理) 手段 得るもの 失うおそれ 人事 方針に沿う幹部を置ける 専門の判断の萎縮 手続き 前もって動き方を決める 動きが硬くなり手間が増す 巡回の監視 隠れた違反を見つける 議員の時間を多く使う 報知器の監視 費用を他者と分ける 声の大きい側に偏る 表 1 統制の手段の得るものと失うおそれ(本教材の整理。巡回と報知器の区別はマカビンズとシュワルツによる [4] )。 一つ目の代償は、党派による官職の利用です。ウィルソンが、政治は行政の官職を操ってはならない、と書いたのは、任命の方法を正す公務員制度の改革を背景にしていました [1] 。人事は最も強い統制の手段ですが、使い方によっては、能力よりも忠誠で人を選ぶことにつながります。 二つ目の代償は、専門の判断の萎縮です(本教材の整理)