0.1 あなたはもう古文を七割読める — Epoché
この課でできるようになること ふだん使っている日本語の中に、古文の形がそのまま残っていることを、三十の例で確かめられる。 「古文は外国語ではなく、自分の言葉の古い層だ」という見取り図を持って、この課程を始められる。 知っている言い回しから、活用・助動詞・係り結びの入口に触れる。 前提 : なし。この課程の最初の課です。 高校の古文の授業で、活用表を配られ、助動詞の一覧を暗記させられ、テストのたびに「已然形」「連体形」という言葉を見て、何のことか分からないまま終わった——そういう人のために、この課程は組んであります。最初に言っておきたいのは、 あなたはもう古文を七割読める ということです。誇張ではありません。古文は外国語ではなく、いま使っている日本語の古い層で、その層はいまの日本語の中にたくさん残っています。この課では、その残り方を三十の例で見ます。文法用語は出しません。まず「知っている」ことを確かめるところから始めます。 現代語に残っている形 まず、次の言い回しを声に出して読んでみてください。どれも辞書を引かずに意味が分かるはずです。 いまの言い回し 意味 古文の形 言わざるを得ない 言わないわけにはいかない 打消の助動詞「ず」の連体形「ざる」 老いも若きも 年寄りも若者も 形容詞「若し」の連体形「若き」 来たるべき日 やがて来る日 助動詞「べし」の連体形「べき」 眠れる森の美女 眠っている美女 「り」(完了・存続)の連体形「る」 知られざる名作 知られていない名作 「る」(受身)+「ず」の連体形 若かりし頃 若かった頃 過去の助動詞「き」の連体形「し」 ありし日 かつての日 「あり」+「き」の連体形「し」 まだ見ぬ人 まだ見ていない人 「ず」の連体形「ぬ」 忘れじ 忘れまい 打消意志の助動詞「じ」 いざ行かん さあ行こう 意志の助動詞「む」(「ん」と読む) 十の例のうち、意味が取れなかったものはあったでしょうか。たぶん一つも無いはずです。ところが右の列を見ると、「ざる」「べき」「し」「ぬ」「じ」「ん」——高校で暗記させられた助動詞の活用形が、全部そこにあります。あなたは 助動詞の活用をすでに使えている のです。名前を知らないだけです。 もう十、今度は少しちがう種類を挙げます。 いまの言い回し 意味 古文の形 至れり尽くせり 行き届いている 「至る」「尽くす」+「り」の終止形 聞きしに勝る 聞いていたよりもすごい 「き」の連体形「し」+格助詞「に」 言わぬが花 言わないほうがよい 「ず」の連体形「ぬ」+主格の「が」 急がば回れ 急ぐなら回り道をしろ 未然形+「ば」=もし〜なら。「回れ」は命令形 情けは人のためならず 情けは人のためではない(自分に返る) 断定の「なり」+打消「ず」 見ざる・言わざる・聞かざる 見ない、言わない、聞かない 「ず」の連体形が名詞のように使われた形 望むらくは 望むことには 「らく」で動詞を名詞にする上代の形 あらぬ疑い 事実でない疑い 「あり」の未然形+「ず」の連体形 なせば成る やればできる 已然形+「ば」=〜すると(確定条件) 咲き誇る花よ 咲き誇っている花よ 終止形が連体形と同じ四段動詞。「よ」は呼びかけ ここには、この課程の形編と辞編で扱う中身がほとんど顔を出しています。「急がば回れ」の「ば」と「なせば成る」の「ば」が別のはたらきだ、と気づいた人は鋭い。前者は「もし急ぐなら」、後者は「やってみると」です。古文では「ば」の前の形で、この二つを言い分けます。いまはそれだけ覚えておいてください。 最後の十は、歌と決まり文句です。 いまの言い回し 意味 古文の形 君が代は千代に八千代に あなたの御代は永遠に 「が」は「の」の意味。古今集の賀の歌 蛍の光、窓の雪 蛍の光と窓の雪で勉強した 「蛍雪の功」の故事を歌にした唱歌の詞 仰げば尊し 仰ぎ見ると尊い 已然形+「ば」。形容詞「尊し」の終止形 我が師の恩 私の先生の恩 「我が」=私の 立つ鳥あとを濁さず 去る者は後始末をきちんとする 「ず」の終止形で文を終える 花は桜木、人は武士 花なら桜、人なら武士 述語を省いた対句 いろはにほへと ちりぬるを 色は匂うけれども散ってしまう 「匂へ」は已然形。「ぬる」は完了「ぬ」の連体形 わが世たれぞ 常ならむ この世で誰が不変だろうか 「ぞ」の係り結び。「む」は推量 ありがたし めったにない → 感謝すべきだ 意味が変わった語(語編で扱う) おはようございます 朝の挨拶 「早い」のウ音便「早う」に「ござる」が付いた形 「ありがたし」は、もともと「有ることが難しい=めったにない」でした。めったにないから、感謝する。意味が動いた語は、古文を読むときに一番の落とし穴になります。この課程では語編「語」で、そういう語をまとめて八十語、扱います。 古文ではこうなる 三十の例を通して見えてきたことを、三つにまとめます。 活用は、もう使っている。 「若き」「知られざる」「見ぬ」——いまの日本語の中で生きている形です。高校で覚えさせられた活用表は、あなたが使っている形の一覧表にすぎません。この課程では表を暗記させません。 現代語に残っている形から入って、原文で確かめる 、という順で進めます。 音は変わったが、読み方には規則がある。 「言はず」を「いわず」と読み、「けふ」を「きょう」と読む。この読み替えの規則は八つしかありません。音編「音」で、最初に片づけます。声に出して読めるようになると、古文は急に近くなります。 難しさの正体は、文法ではなく、切れ目と省略。 古文が読みにくいのは、主語が省かれ、文がどこで切れるのか分からず、誰の言葉なのか分からないからです。切編「切」で、述語を見つけて文を切る練習をします。これができると、活用や助動詞の知識が初めて役に立ちます。 七割読める、と言ったのはこういう意味です。語の七割はいまの日本語と地続きで、形の七割はもう使っている。残りの三割——音の規則、切れ目の見つけ方、意味の動いた語、助動詞の意味の家族——を、この課程で一つずつ足していきます。 原文で確かめる 原文を一つだけ見ておきます。鎌倉時代の随筆『徒然草』の書き出しです。読めない字は飛ばして、分かる語だけ拾ってみてください。 つれづれなるままに、日ぐらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。 [1] 「日ぐらし」「硯」「心にうつりゆく」「書きつくれば」——拾えたはずです。「よしなしごと」は「たわいもないこと」、「そこはかとなく」は「とりとめもなく」。この二語だけが、いまの日本語に無い語です。「あやしうこそものぐるほしけれ」は「妙に気が変になりそうだ」で、「こそ」があるので文末が「けれ」で終わっています。これが係り結びで、切編で扱います。一文の中に、この課程のほとんどの主題が入っています。 読み上げと音読 この課程の読み物の課では、原文を読み上げで聞けます。読み上げは歴史的仮名遣いではなく、いまの音で読みます(「むかひて」は「むかいて」)。先に耳で聞き、それから自分でも声に出してください。 読めることと、読めた気がすることは、声に出すと区別がつきます。 上の『徒然草』の一文を、いま一度、声に出して読んでみてください。「むかひて」を「むかいて」、「ものぐるほしけれ」を「ものぐるおしけれ」と読めれば、音編の中身を半分先取りしたことになります。 練習 三十の例の中から、自分がふだん使っている言い回しを五つ選び、古文の形の列を隠して、どの語が古文の形かを当ててください。 「急がば回れ」と「なせば成る」の「ば」の違いを、自分の言葉で一文ずつ言い換えてください。 『徒然草』の書き出しを、いまの音で三回、声に出して音読してください。二回目からは読み上げを止めて、自分の声だけで読んでください。 この課のまとめ 古文の活用形・助動詞は、いまの日本語の言い回しの中に生きている。名前を知らないだけ。 この課程は「現代語に残っている形 → 古文ではこうなる → 原文で確かめる」の順で進む。活用表の暗記はしない。 残りの三割は、音の規則(音編)・切れ目(切編)・意味の動いた語(語編)・助動詞の家族(辞編)。 次の課へ 0.2 では、高校の古文が分からなかった理由を三つに分けて、この課程がそれぞれをどう避けるかを説明します。 答え (例)「言わざるを得ない」の「ざる」/「若かりし頃」の「し」/「まだ見ぬ」の「ぬ」/「いざ行かん」の「ん」/「至れり尽くせり」の「り」。 「急がば回れ」=もし急ぐのなら回り道をせよ(仮定)。「なせば成る」=やってみると成る(確定・一般条件)。古文では前者が未然形+ば、後者が已然形+ば。 読みの目安: つれづれなるままに、ひぐらし すずりに むかいて、こころに うつりゆく よしなしごとを、そこはかとなく かきつくれば、あやしゅうこそ ものぐるおしけれ。 参考文献 兼好法師『徒然草』序段(國文大觀)。パブリックドメイン(作者没後 70 年以上)。出所: https://ja.wikisource.org/wiki/徒然草_(國文大觀)