6.24 낙엽을 태우면서(落ち葉を焚きながら) — Epoché
前提 ぜんてい : 6.23 まで。 この 篇 へん でできるようになること 落ち葉 おちば の 面倒 めんどう から 暮らし くらし の 喜び よろこび へ 変わる かわる 流れ ながれ を、 段落 だんらく ごとに 追える おえる 。 必要 ひつよう なことを 会話 かいわ の 短い みじかい 形 かたち に 言い換え いいかえ 、 身の回り みのまわり の 仕事 しごと を 一 いち 文 ぶん で 述べ のべ られる。 漢字語 かんじご と 생활 の 文脈 ぶんみゃく 上 じょう の 意味 いみ を 読み よみ 、 낙엽 の 音 おと を 確かめ たしかめ られる。 この 文章 ぶんしょう について 李 り 孝 たかし 石 せき の 随筆 ずいひつ です。 毎日 まいにち 積もる つもる 落ち葉 おちば を 面倒 めんどう に 感じ かんじ ていた 語り手 かたりて が、 燃える もえる 匂い におい をきっかけに、 暮らす くらす ことへの 意欲 いよく を 取り戻し とりもどし ます。 庭 にわ から 浴室 よくしつ 、 買物 かいもの 、 書斎 しょさい へと、 場所 ばしょ が 移っ うつっ ても 続く つづく 思い おもい を 追い おい ましょう。 同じ おなじ 物 もの でも、 見 み 方 かた が 変わる かわる と 価値 かち が 変わり かわり ます。 冒頭 ぼうとう の 落ち葉 おちば と、 火 ひ をつけた 後 あと の 落ち葉 おちば を 比べ くらべ 、 感覚 かんかく を 表す あらわす 語 ご に 印 しるし を 付け つけ て 読ん よん でください。 文法 ぶんぽう メモ — 必要 ひつよう なことを 言う ゆう - 지 않으면 안 된다 は「しなければ、だめだ」という 組み立て くみたて です。 型 かた 編 へん 6 課 か の 否定 ひてい と 型 かた 編 へん 12 課 か の 条件 じょうけん が 重なり かさなり 、 必要 ひつよう なことを 述べ のべ ています。 日本 にっぽん 語 ご の「〜しなければならない」と 対応 たいおう させると 読み取り よみとり やすい 形 かたち です。 ふだんの 会話 かいわ では、 必要 ひつよう な 行動 こうどう を- 아 / 어야 해요 で 短く みじかく 示せ しめせ ます。 語幹 ごかん の 母音 ぼいん に 合わせ あわせ て 아 / 어 を 選び えらび 、 하다 なら 해야 です。 否定 ひてい を 重ね かさね て 必要 ひつよう 性 せい を 強める つよめる 形 かたち と、 行動 こうどう を 直接 ちょくせつ 述べる のべる 形 かたち を 使い分け つかいわけ ます。 日本 にっぽん 語 ご の「〜しなければならない」を 直訳 ちょくやく して、 会話 かいわ でも 가지 않으면 안 돼요 と 言い いい がちです。- 지 않으면 안 되다 は 書き言葉 かきことば 寄り より の 強い つよい 言い いい 方 かた で、ふだんの 会話 かいわ では 가야 해요 ・ 가야 돼요 と 言い いい ます。 地 ち の 文 ぶん は 型 かた 編 へん 23 課 か の 한다 体 からだ です。 쌓이는 것이다 は、 積もる つもる という 事情 じじょう を 説明 せつめい する 結び むすび 。 文末 ぶんまつ まで 読ん よん でから、 何 なん が 積もる つもる のかへ 戻る もどる と、 長い ながい 一 いち 文 ぶん を 追い おい やすくなります。 本文 ほんぶん の 書き言葉 かきことば の 接続 せつぞく は、 意味 いみ だけ 確かめ たしかめ ます。- 건만 は- 지만 の 書き言葉 かきことば で「〜のに」、- 노라면 は「〜していると」、- 거니와 は「〜うえに」。- ㄴ가 보다 は「〜らしい」と 推し量る おしはかる 形 かたち です。 語釈 ごしゃく — 漢字 かんじ と 感覚 かんかく 語 ご 意味 いみ 음영 ( 陰影 いんえい )・ 윤택 ( 潤澤 じゅんたく )・ 색채 ( 色彩 しきさい ) 陰影 いんえい ・ 潤い うるおい ・ 色彩 しきさい 。 夏 なつ の 緑 みどり が 失わ うしなわ れた 庭 にわ に 欠け かけ たもの。 사사 ( 些事 さじ ) ささいな 事 こと 。 最後 さいご には 創造 そうぞう 的 てき な 意味 いみ を 持つ もつ ものとして 見直す みなおす 。 생활 ( 生活 せいかつ ) 日々 ひび を 生き いき ていく 営み いとなみ 。 庭仕事 にわしごと 、 水 みず 、 火 ひ 、 香り かおり などを 含む ふくむ 。 담쟁이 ・ 갈퀴 ・ 개암 蔦 つた ・ 熊手 くまで ・ハシバミの 実 じつ 。 庭仕事 にわしごと と 匂い におい の 描写 びょうしゃ の 語 ご 。 연돌 漢語 かんご ( 煙突 えんとつ )。 今 いま も 辞書 じしょ にある 語 ご で、ふだんは 굴뚝 と 言う ゆう 。 가제 底本 ていほん の 字 じ 。ここでは「たった 今 いま 」。ふつうの 言い いい 方 かた は 갓 。 목욕물 ・ 아궁이 ・ 화로 風呂 ふろ の 湯 ゆ ・かまどの 焚き口 たきぐち ・ 火鉢 ひばち 。 この 篇 へん の 생활 は、 収入 しゅうにゅう や 家計 かけい だけでなく、 水 みず をくみ、 火 ひ を 眺め ながめ 、 茶 ちゃ を 飲み のみ ながら 生きる いきる 営み いとなみ です。 夢 ゆめ や 思い出 おもいで へ 沈ん しずん でいた 語り手 かたりて が、 今 いま の 暮らし くらし へ 向き直る むきなおる 語 ご として 読み よみ ます。 対訳 たいやく 秋 あき が 深まる ふかまる と、 私 わたくし はほとんど 毎日 まいにち のように 庭 にわ の 落ち葉 おちば を かき集め かきあつめ なければならない。 毎日 まいにち やっている 仕事 しごと なのに、 落ち葉 おちば はいつの 間 あいだ にか 舞っ まっ ては 落ち おち て、またもや 積もる つもる のである。 落ち葉 おちば というものは、 本当 ほんとう に この世 このよ の 人 ひと の 数 かず よりも 多い おおい らしい。 三十 さんじゅう 坪 つぼ にも 満た みた ない 庭 にわ なのに、 毎日 まいにち の 手入れ ていれ はたやすくない。 桜 さくら の 木 き 、 林檎 りんご の 木 き ……。いちばん 面倒 めんどう なのが 壁 かべ の 蔦 つた だ。 蔦 つた というものは、 夏 なつ のひと 季節 きせつ 、 壁 かべ をすっかり 取り囲み とりかこみ 、 屋根 やね と 煙突 えんとつ の 赤い あかい 色 いろ だけを 残し のこし て 家 いえ じゅうを 緑 みどり の 世界 せかい に 変え かえ てくれるときが 美しい うつくしい のであって、 葉 は をすっかり 落とし おとし 、 骨ばっ ほねばっ て むき出し むきだし になった 壁 かべ に、 枯れ かれ た 茎 くき を 網 あみ のように 張りめぐらす はりめぐらす ころには、もう 目 め を 向ける むける 値打ち ねうち さえないのである。 面倒 めんどう なのはその 落ち葉 おちば だ。たとえば 桜 さくら の 葉 は のように 鮮やか あざやか に 紅葉 こうよう するわけでもなく、はじめからくすんだ 色 いろ に 染まっ そまっ た、 気 き のきかないその 広い ひろい 葉 は が、 近道 ちかみち の 上 うえ に 落ち おち て 雨 あめ にでも 打た うた れると、 汚らしく きたならしく 土 つち の 中 なか に 埋もれ うずもれ てしまうので、どうしても 舞い落ちる まいおちる そばから、その 後 ご 始末 しまつ をしなければならない。 桜 さくら の 木 き の 下 した に、 かき集め かきあつめ た 落ち葉 おちば の 山 やま を 寄せ よせ て 火 ひ をつけると、 中 なか のほうからぷすぷすと 燃え もえ 始め はじめ て 細い ほそい 煙 けむり が 立ちのぼり たちのぼり 、 風 かぜ でもない 日 ひ には、その 煙 けむり が 低く ひくく 垂れこめ たれこめ て、いつの 間 あいだ にか 庭 にわ いっぱいに 満ちる みちる 。 落ち葉 おちば の 燃える もえる 匂い におい ほどよいものがあるだろうか。 煎りたて いりたて のコーヒーの 匂い におい がする。よく 熟し じゅくし たハシバミの 実 じつ の 匂い におい がする。 熊手 くまで を 手 て に 持っ もっ たまま、いつまでも 煙 けむり の 中 なか にじっと 立っ たっ て、 燃え もえ て 散っ ちっ ていく 落ち葉 おちば の 山 やま を 眺め ながめ ながら 香ばしい こうばしい 匂い におい をかいでいると、にわかに 激しい はげしい 生活 せいかつ の 意欲 いよく を 感じる かんじる ようになる。 煙 けむり は 体 からだ にしみて、いつの 間 あいだ にか 服 ふく の 裾 すそ や 手の甲 てのこう からも 匂い におい がするようになる。 私 わたくし はその 匂い におい を 限りなく かぎりなく 愛し あいし ながら、 楽しい たのしい 生活 せいかつ の 実感 じっかん に 浸っ ひたっ ては、あらためて 生活 せいかつ の 題目 だいもく を 得 え がたいものとして 頭 あたま の 中 なか に 思い浮かべる おもいうかべる 。 陰影 いんえい と 潤い うるおい と 色彩 しきさい が 乏しく とぼしく なり、 緑 みどり がすっかりその 跡 あと を 消し けし てしまった、 夢 ゆめ を 失っ うしなっ たがらんとした 庭 にわ の 真ん中 まんなか に 立っ たっ て、 夢 ゆめ の 抜け殻 ぬけがら である 落ち葉 おちば を 焚き たき ながら、ひたすら 生活 せいかつ の 思い おもい にふけるのである。 貧しい まずしい 裸 はだか の 庭 にわ は、もう 夢 ゆめ を 結ぶ むすぶ にはふさわしくないせいだろうか。 華やか はなやか な 緑 みどり の 記憶 きおく は、 本当 ほんとう に 遠く とおく 、はるかに 消え きえ てしまった。もう 思い出 おもいで にふけり、 感傷 かんしょう に 浸っ ひたっ ていてはならない。 秋 あき だ。 秋 あき は 生活 せいかつ の 季節 きせつ だ。 私 わたくし は 花壇 かだん の 裏手 うらて を 深く ふかく 掘っ ほっ て、 燃え尽き もえつき た 落ち葉 おちば の 灰 はい を—— 死ん しん でしまった 夢 ゆめ の 亡骸 なきがら を—— 土 ど の 中 なか 深く ふかく に 埋め うめ 、 厳然 げんぜん とした 生活 せいかつ の 姿勢 しせい に 向き直ら むきなおら なければならない。 物語 ものがたり の 中 なか の 少年 しょうねん のように 勇敢 ゆうかん にならなければならない。 今 いま までになく 自分 じぶん で 風呂 ふろ の 水 みず を 汲み くみ 、ひとりで 火 ひ をおこすようになったのも、もちろんこうした 感激 かんげき からである。ホースで 風呂桶 ふろおけ に 水 みず を 入れる いれる のも 楽しい たのしい し、 苦労 くろう して 涙 なみだ を 流し ながし ながら 小さな ちいさな かまどで 薪 たきぎ を 燃やす もやす のもうれしい。 薄暗い うすぐらい 台所 だいどころ にしゃがみこんで、 真っ赤 まっか に 燃え上がる もえあがる 炎 ほのお を、 幼い おさない 子ども こども の 感動 かんどう をもって 眺める ながめる 。 暗闇 くらやみ を 背景 はいけい に 真っ赤 まっか に 燃え上がる もえあがる 火 ひ は、 何 なん か 神聖 しんせい で 霊妙 れいみょう なもののようだ。 顔 かお を 赤く あかく ほてらせながら、 張りつめ はりつめ た 姿勢 しせい でしゃがみこんでいる 私 わたくし の 姿 すがた は、ちょうど、あの 貴い とうとい 贈り物 おくりもの をプロメテウスから 受け取っ うけとっ たばかりのときの、 太古 たいこ の 原始 げんし の 人 ひと の 姿 すがた と 同じ おなじ かもしれない。あらためて 心 こころ の 中 なか で 火 ひ の 徳 とく をたたえながら、 神話 しんわ の 中 なか の 英雄 えいゆう に 感謝 かんしゃ の 気持ち きもち を 向ける むける 。しばらくすると、 浴室 よくしつ にはもうもうと 湯気 ゆげ が 立ちこめる たちこめる 。 霧 きり の 深い ふかい 海 うみ の 真ん中 まんなか に 沈ん しずん だとでもいうように、 童話 どうわ の 気分 きぶん で 心 こころ を 飾り かざり ながら、 湯 ゆ の 中 なか に 全身 ぜんしん を 深く ふかく 沈める しずめる とき、まさに 天国 てんごく にいるような 気持ち きもち になる。 地上 ちじょう の 天国 てんごく は 特別 とくべつ な 場所 ばしょ ではない。いつも 入る はいる 家 いえ の 浴室 よくしつ こそがそれなのである。 人 ひと は 水 みず から 生まれ うまれ て、 結局 けっきょく は 水 みず の 中 なか で 天国 てんごく を 見る みる のではないだろうか。 水 みず と 火 ひ と——この 二 ふた つの 中 なか に 生活 せいかつ は 要約 ようやく される。 季節 きせつ の 意欲 いよく がいちばん 強く つよく 表れる あらわれる のは、この 二 ふた つにおいてである。どの 季節 きせつ も 同じ おなじ ではあるが、 秋 あき からの 季節 きせつ がいちばん 生活 せいかつ 的 てき なわけは、 何 なん よりもこの 二 ふた つの 元素 げんそ の 楽しい たのしい 印象 いんしょう の 上 うえ に 立っ たっ ているからであ