アナクサゴラス――知性が万物に秩序を与える(ヌース) — Epoché
古代 ソクラテス以前の哲学 約 21 分 本文 約 9,000 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 混合・知性・不満の 3 つ 混合 何も生まれも滅びもせず、混ざり分かれるだけである。しかもどんな小さなものにもあらゆるものの部分が含まれ、いちばん多く含まれるものがその物の見え方を決める。 知性 ヌースだけはほかの何とも混ざらず、すべてを知り、最大の力をもつ。ヌースが小さな所から回転を起こし、その回転が広がるにつれて混合から濃いもの・薄いものなどが分かれ、いまの世界ができたと語られる。 不満 プラトン『パイドン』の作中のソクラテスは、ヌースが万物を「最善のように」並べるという説明を期待したが、本を読むと空気や水などの原因ばかりが語られていたと不満を述べる。ただし、いまの研究ではヌースを目的に向かう原因とみる解釈が多数を占め、何を目指すのかをめぐって議論が続いている。 はじめに アナクサゴラスは、小アジア西岸の町クラゾメナイの出身で、前 5 世紀に生きた哲学者と伝えられます。のちにアテナイへ移って長く暮らし、政治家ペリクレスと親しかったとも伝えられます。太陽を神ではなく灼けた石だと述べたために不敬神の罪に問われ、アテナイを去ったという話も残っています。ただし、こうした伝記の細部には、確かめにくいものが含まれます。 その本は、当時のアテナイでよく知られていたようです。プラトンの『ソクラテスの弁明』では、ソクラテスが、アナクサゴラスの本なら市場の一角で高くても 1 ドラクマで買える、と語っています(26d) [6] 。本そのものはいま失われました。私たちが読めるのは、のちの注釈家シンプリキオスたちが引いた断片です [2] 。この課の原典も、シンプリキオスの注釈書から読みます。 この課では、アナクサゴラスの答えを三つの段で読みます。まず、ものは生まれも滅びもせず、混ざり分かれるだけだという考えです。次に、その混合を動かす知性(ヌース)です。最後に、その知性に向けられた不満です。出発点は、この編のパルメニデスの課で見た「ないものからは何も生じない」という論です。エンペドクレスは材料を四つの根に数えましたが、アナクサゴラスは材料の種類を限りなく多くし、それを動かすものを一つの知性に求めました [1] 。 この課の問い パルメニデスが「ないものからは何も生じない」と論じた後で、パンを食べた子どもに髪や肉が育つことや、混沌から星と大地が分かれてくることは、どう説明できるのでしょうか。そして、その分かれ方を起こした知性は、世界を「よいように」並べたと言えるのでしょうか。 この課のことば ヌース(知性) ものを知り、動きを起こす働き。アナクサゴラスでは、ほかの何とも混ざらず、混合を回転させて分ける力です。 混合と分離 生まれることと滅びることの言い換え。ものは無から生じも無へ消えもせず、混ざったり分かれたりするだけです。 部分(モイラ) 取り分・分け前のこと。「すべてのものの中にすべてのものの部分がある」と言うときの「部分」です。 回転(ペリコーレーシス) ヌースが起こした渦のような回る動き。小さな所から始まり、だんだん広がっていきます。 優勢 混合の中でいちばん多く含まれているもの。それが、その物が何に見えるかを決めます。 混ざり合いと知性――変化と秩序はどこから来るのか この編のエンペドクレスの課では、消えない材料を四つの根とし、それを愛と争いが結んだり離したりする説を読みました。アナクサゴラスも、ないものからは何も生じないという論を受け入れます。けれども、材料の数え方と、それを動かすものの立て方が違います。 この章では、混合、知性、そして知性への不満の順に見ていきます。三つ目の節は、アナクサゴラス本人ではなく、プラトンの対話篇の中のソクラテスが語る場面です。 すべての中にすべての部分――食べたパンが髪になるわけ アナクサゴラスの出発点は、生成と消滅の否定です。彼は、ギリシア人は生じることと滅びることを正しく考えていない、と言います。どんなものも生じも滅びもせず、すでにあるものから混ざり合ったり、分かれたりするだけだ。だから「生じる」は「混ざる」、「滅びる」は「分かれる」と呼ぶのが正しい、というのです(DK 59 B17) [1] [2] 。 ここには二つの層があります。本当にあるのは、土や水のような基本の材料です。動物・植物・人間・天体は、材料が一時的に組み合わさってできた物で、材料ほどには本当にあるとは言えません [1] 。材料の種類は四つに限られず、限りなく多いとされます。空気・アイテール・土・水のほか、髪や血も材料の例に挙がっています [1] 。はじめは「すべてのものが一緒にあり」、量においても小ささにおいても限りがなかった、と断片は語ります(B1) [1] [2] 。 さらにアナクサゴラスは、「すべてのものの中に、すべてのものの部分がある」と言います(B11、B6) [1] [2] 。純粋な材料はどこにもなく、どの一片にもあらゆる種類の材料が含まれる、という意味です。なぜそこまで言う必要があるのでしょうか。本教材では、食べ物の例で三段に整理します (図 1) 。第一に、子どもがパンと牛乳をとると、体に肉や血や骨が増えます。第二に、パンが肉に「変わる」のだとすれば、パンが滅び、肉が無から生じたことになり、B17 に反します。第三に、肉や血や骨がはじめからパンの中にあったと考えれば、それが分かれて体に寄り集まるだけで済みます [1] 。 パンの中に、肉も髪もある パン 牛乳 子ども パンの一片を拡大 髪 肉 骨 血 土 さらに分けても、 また全部の部分がある 分かれて 寄り集まる 髪 肉 爪 育った子ども × パンが滅びて肉が 無から生じるのではない 図 1 パンの中の肉と髪(本教材の作例)。パンが肉に変わるのではなく、パンにもともと含まれていた肉や髪の部分が分かれ、子どもの体に寄り集まります。どこまで細かく分けても、その一片にまたすべての部分があります。 ナジアンゾスのグレゴリオスの著作に付いた古い注には、アナクサゴラスの言葉として「どうして髪でないものから髪が、肉でないものから肉が生じえようか」という一句が伝わります(B10) [1] 。同じ精液の中に髪も爪も骨もあるが、部分が小さすぎて見えず、育つにつれて少しずつ分かれてくる、という説明が添えられています。ただし、この断片が本人の言葉かどうかを疑う研究者もいます [1] 。 では、すべてが混ざっているのに、なぜ金は金に、髪は髪に見えるのでしょうか。アナクサゴラスの答えは、いちばん多く含まれているものが、その物として最もはっきり現れる、というものです(B12 の末尾) [1] [2] 。また、小さいものに最小はなく、つねにより小さいものがある、とも言います(B3) [1] [2] 。どこまで細かく分けても、その一片にまた全部の部分が含まれるのです。 ただし、もとの混合に何が入っているのかを、アナクサゴラスははっきり書いていません。研究者の読みは三つに分かれます (表 1) 。熱と冷のような対立物だけとする読みは、断片に髪や血が挙がることから支持しにくい、と SEP の著者らは述べます。そのうえで、材料までは入るが、生き物そのものは入らないという中間の読みをとっています [1] 。 この表で分かること: 「すべての中にすべて」の「すべて」が何を指すかは断片だけでは決まらず、三つの読みがあります。SEP の著者らは中間の読みをとります。 読み方 もとの混合に入るもの 混合から組み立てられる物 主な論者 対立物だけの読み 熱と冷、湿と乾などの対立物 それ以外の物すべて コーンフォード、ヴラストス、セドリーほか 何でも入る読み 対立物・材料・生き物とその部分 区別しない ガスリー、バーンズ、グレアムほか 中間の読み 対立物、土や金属、肉・血・骨 植物・動物・天体 カード、シスコ 表 1 もとの混合に何が入るか。論者の割り振りは SEP の整理によります [1] 。 ここで間違えやすい 「すべての中にすべて」を、原子のような最小の粒が混ざっていることだと考えないようにしましょう。アナクサゴラスは、最小のものはないと言います(B3)。粒の混ざり合いとみる研究者もいますが、それでは一種類だけが詰まった粒ができてしまい、どの一片にも全部があるという主張と合わない、という批判があります [1] 。練り物や液体がまんべんなく混ざったようなものと考える読みもあります [1] 。 ヌースが回転を起こす――渦が広がって世界が分かれる すべてが混ざり合ったままなら、いまの世界のような区別は生まれません。混合を動かし、分けたのは何か。アナクサゴラスは、それを知性(ヌース)と呼びました。断片によれば、ほかのものはみなあらゆるものの部分をもつのに、ヌースは限りがなく、自らを支配し、何とも混ざらず、ただ自分だけで自分のもとにあります(B12) [1] [2] 。 なぜヌースだけは混ざらないのでしょうか。断片は理由も述べています。もし何かと混ざっていれば、すべての中にすべての部分があるのだから、ヌースもあらゆるものと混ざることになる。そうなれば、混ざったものに妨げられて、いまのように物を支配することができない、というのです(B12) [2] 。混合を動かすには、混合の一部であってはならない、という論の運びです(本教材の読み)。 ヌースは「あらゆるもののうちで最も細かく、最も純粋」で、すべてについての見分けをもち、最も大きな力をもつとされます(B12) [1] [2] 。「最も細かい」という言い方から、ヌースを特別な物質とみる研究者がいます。一方で、物体とは別のものを言い表そうとした言葉だとみる研究者や、ヌースを自然の法則そのものとみる研究者もいます [1] 。 そのヌースが、混合の中に回転を起こしました。回転は、はじめ小さな所から始まり、いまはより広く回っており、これからさらに広く回っていくと語られます(B12) [1] [2] 。ヌースが動かし始めると、動かされたものから分離が起こり、回転がその分離をいっそう強めたとされます(B13) [2] 。回転の中で、濃いもの・湿ったもの・冷たいもの・暗いものは、いま大地がある所へ集まりました。薄いもの・熱いもの・乾いたものは、アイテールの遠くへ出ていきました(B15) [1] [2] (図 2) 。 ヌース 何とも混ざらない 回転を始めさせる 点線の輪はいまも広がる 濃い・冷たい・暗いもの→中心の大地 薄い・熱い・乾いたもの→外のアイテール まだ回っていない所は混ざったまま 図 2 ヌースが起こした回転を上から見た図(本教材の作例)。回転は小さな所から始まって広がり、濃いものは中心へ、薄いものは外へ分かれます。回転の外は混ざったままです。 本教材の作例で考えてみます。泥と砂と木くずを混ぜたバケツの水を、棒でかき回して渦をつくります。しばらくすると、重い砂は渦の真ん中の底に集まり、軽い木くずは外側を回ります。かき回した人が、砂粒を一つずつ運んだわけではありません。動きを一度起こせば、渦そのものが重いものと軽いものを分けていきます。ヌースもまた、一つずつ並べるのではなく、回転を起こすことで世界を分けたと語られます。 回転はいまも広がっているので、分離は終わった出来事ではありません。星・太陽・月・空気・アイテールも、いま分かれながらこの回転の中を回っている、と断片は言います(B12) [1] [2] 。回転の外には、まだ動いていない混合が限りなく広がっている、と SEP は説明します [1] 。 ここで間違えやすい ヌースは、無から世界を造る創造主ではありません。材料ははじめから全部そろって混ざっており、ヌースはそれを生み出すのではなく、動かして分けます。また断片は、ヌースが、混ざるもの・分かれるものをすべて知り、あるはずだったもの・あったもの・いまあるもの・あるだろうものをすべて秩序づけた( πάντα διεκόσμησε νοῦς )と言います(B12) [1] [2] 。断片自体が言っていないのは、その秩序が「最善のため」だという点です。 ソクラテスの不満――知性を持ち出しながら、知性で説明しない ヌースが万物を秩序づけるという説は、後の哲学者に大きな期待を抱かせました。プラトンの対話篇『パイドン』で、死刑を前にしたソクラテスは、若いころの思い出を語ります。ある人がアナクサゴラスの本を読み上げ、ヌースこそが秩序づけるものであり、すべての原因だと言うのを聞いて、喜んだというのです(97b–c) [4] 。 ソクラテスは次のように考えました。ヌースが秩序づけるのなら、それぞれのものを、最もよくあるように置いたはずだ。そうであれば、大地が平らか丸いかも、そうあるのがよいからだと説明されるだろう。太陽や月や星の速さや向きの変わり方についても、それぞれにとって何が最善かが語られるだろう、と(97c–98a) [1] [4] 。 ところが本を読み進めると、期待は裏切られました。ヌースは物事を秩序づける原因として使われず、空気やアイテールや水など、多くの奇妙なものが原因に挙げられていた、とソクラテスは言います(98b–c) [1] [4] 。 ソクラテスはこの不満を、自分自身の例で説明します (図 3) 。自分がいま牢に座っている理由を問われて、体は骨と腱でできていて、腱が縮んで膝が曲がったからだ、と答えるとしましょう。仕組みとしては間違いではありません。けれども本当の理由は、アテナイ人が有罪とするのをよしとし、自分もここにとどまって罰を受ける方がよいと判断したことです。骨や腱は、それがなければ原因が働けないものにすぎず、原因そのものではない、とソクラテスは言います(98c–99b) [4] 。 骨と腱による説明 よいと判断した説明 体は骨と腱で できている アテナイ人が有罪を よしとした 腱が縮み、膝が 曲がる 自分もとどまる方が よいと判断した だから座っている だから座っている それなしには原因が 働けないもの 本当の原因 知性を言うなら、なぜそれが最善かで説明してほしかった (作中のソクラテス・『パイドン』97c–99b) 図 3 なぜソクラテスは牢に座っているのか。『パイドン』の作中のソクラテスが挙げる二つの説明