アナクシマンドロス――万物は限りのないものから生じる、と伝えられる(ト・アペイロン) — Epoché
古代 ソクラテス以前の哲学 約 20 分 本文 約 8,800 字 図 4・表 1 原典 1 節 この課の要点 始まり・秩序・宇宙の形の 3 つ 始まり 万物の始まりを、水やほかの要素のどれでもない「限りのないもの」(ト・アペイロン)に置いたと、テオプラストスの要約(シンプリキオスの引用)は伝えています。 秩序 ものどうしが不正の「罰と償い」を互いに払い、時の秩序に従って生じては滅びる、と語りました。本人の言葉を含むと考えられ、文の形で残るただ一つの断片です。 宇宙の形 大地は何にも支えられず、宇宙の果てのどこからも等しく離れているので中心にとどまる、と説いたと伝えられます。 はじめに アナクシマンドロス(前 610 年ごろ – 前 546 年ごろ)は、タレスと同じミレトスの人で、プラクシアデスの子です。ディオゲネス・ラエルティオスは、アポロドロスの年代記を引いています。それによれば、第 58 オリュンピア期の 2 年(前 547/546 年)に 64 歳で、その後まもなく没しました(『ギリシア哲学者列伝』2.2) [6] 。生没年はここからの目安で、確かではありません。日時計の針(グノーモーン)を初めて見いだしてスパルタに据えた(2.1、ファボリノスの伝え)、陸と海の輪郭を初めて描いた(2.2)、とも伝えられます [6] [8] 。 アナクシマンドロスは、自分の説を要約した書きものを残し、アポロドロスもそれを目にしたらしいと伝えられます(2.2) [6] 。その書きものは失われ、本人の言葉を含むと考えられる一文が、ただ一つ残るだけです。後 6 世紀のシンプリキオスが、アリストテレスの弟子テオプラストスの要約を引いた一節の中にあります [1] [8] 。この課では、この一節を中心に読みます。 前の課では、タレスには確かな本人の言葉が無く、後代の証言だけで知られることを見ました。この課では、証言の中に埋め込まれた本人の言葉、つまり断片を見分けます。なお、テオプラストスの要約は、アナクシマンドロスを「タレスの後継者で弟子」と呼びます(シンプリキオス『自然学注解』24.13–14) [1] 。ただし、ミレトスの三人を師弟とする古い伝えは正しくないかもしれない、と研究者は述べています [8] 。 この課の問い 万物の始まりを、水のような目に見えるものではなく「限りのないもの」に求めたのはなぜでしょうか。そして、ものが生じては滅びていく移り変わりに、どんな秩序を見たのでしょうか。 この課のことば ト・アペイロン(限りのないもの) 「限り(ペラス)がない」という意味の語。量に果てがないことと、性質が一つに定まっていないことの両方を含みえます。 反対のもの 熱と冷、乾と湿のように、互いに打ち消し合う性質の組。当時は、性質そのものが力をもつものと考えられていました。 要素 ものを組み立てるいちばん元の成分。水・空気・火・土をまとめてこう呼ぶのは後代の言い方で、アナクシマンドロス本人の語ではありません。 断片と証言 断片は本人の言葉そのものの引用、証言は後代の人による報告や要約。ディールス–クランツの集成(DK)では、断片に B、証言に A の番号が付きます。 学説誌 昔の哲学者たちの説を、主題ごとに集めて並べた書物の伝統。アリストテレスの弟子テオプラストスの著作が、後の伝えの大もとになりました。 限りのないもの――万物は何から生じ、どこへ帰るのか ト・アペイロン――水でも空気でもない始まり タレスは、万物の始まりを水に求めたと伝えられました。テオプラストスの要約によれば、アナクシマンドロスは、あるものどもの始まりであり要素であるのは 限りのないもの ( τὸ ἄπειρον 、ト・アペイロン)だと言いました。それは水でも、要素と呼ばれるほかのどれでもない、別の本性のものです。そこから、すべての天とその中の世界が生じるといいます(シンプリキオス『自然学注解』24.13–18、DK 12 A9) [1] 。 「アペイロン」は、「限り」(ペラス)を打ち消した語です。量に果てがないという意味にも、性質が一つに定まっていないという意味にも取れます。研究者は、果てしなく大きく、性質も定まらないひとかたまりのものを考えていたのだろう、と読みます [8] 。 では、なぜ限りのないものを始まりとしたのでしょうか。本人の論証は残っていません。残るのは、伝え手の推論とアリストテレスの説明です。 まず、シンプリキオスの一節は、こう推しています。四つの要素が互いに移り変わるのを見て、どれか一つを下にあるもの(基体)にするのはふさわしくないと考えたのだろう、と(24.21–23) [1] 。ただし、DK はこの推論をテオプラストスの断片の範囲の外に置き、研究者もシンプリキオスの解説と見ます [7] [8] 。 次に、アリストテレスは『自然学』で、要素とは別のものを限りのないものとする人々がいると紹介し、その理由をこう説明します(III 巻 5 章 204b22–29) [2] 。要素は互いに反対の性質をもちます。空気は冷たく、水は湿り、火は熱いものです。そのうち一つが限りなくあれば、ほかの要素はとうに滅ぼされているはずだ、というのです (図 1) 。ここで名は挙げられていません。DK は、シンプリキオスの注を根拠に、アナクシマンドロスの説とします(DK 12 A16) [7] 。 始まりが水だったら 水 限りなく多いとしたら 火 空気 とうに滅ぼされる アリストテレスの説明(204b) 名は挙げない。本人の論証ではない 始まりが限りのないものなら 限りのないもの 性質が一つに定まらない 分かれ出る 熱 冷 乾 湿 反対のものが並び立つ 分かれ出る:アリストテレス 187a20、 偽プルタルコス。四つの性質の名は シンプリキオス 150.24 図 1 始まりをどこに置くか。左は、アリストテレスが名を挙げずに紹介する説明を絵にしたもので、アナクシマンドロス本人の論証ではありません。右のように、性質の定まらないものから反対のものが分かれ出るなら、どれか一つがほかを滅ぼすことはありません。 さらにアリストテレスは別の箇所で、先人たちがこれを始まりとするのはもっともだとして、理由を再構成します(III 巻 4 章 203b4–15、DK 12 A15) [2] 。限りのないものには始まりが無く、生まれも滅びもしないからです。先人たちはそれを「神的なもの」と呼び、「アナクシマンドロスと自然学者の大半が言うように」不死で不滅だとした、とアリストテレスは伝えます。「神的なもの」は先人たちの呼び方で、「不死で不滅」もアナクシマンドロスだけの言葉ではありません。後 3 世紀のヒッポリュトスは、限りのないものは「永遠で年をとらず」、すべての世界を包む、と伝えます(『全異端反駁』I 巻 6 章 1 節、DK 12 A11) [4] 。 限りのないものがどんなものかについては、読みが分かれます。反対のものが混ざり合ったものなのか、どの性質も持たない一つのものなのか、という対立です。アリストテレスは、アナクシマンドロスを、エンペドクレスやアナクサゴラスの「混ざり合い」の説と並べます。一つのものの中にある反対のものが分かれ出る、とした点が共通だからです(I 巻 4 章 187a20–23) [2] 。この課では「性質が一つに定まっていないもの」と書き、どちらとも決めません [8] 。 ここで間違えやすい 「アペイロン」は、「数えきれないほど多い」という量の意味だけの語ではありません。性質が定まっていないという意味も含みうる、と研究者は読みます [8] 。また、「要素」「下にあるもの(基体)」は、アリストテレス以後の語です。図 1 の左の理由づけも、本人の論証ではなく伝え手の説明です。 罰と償い――ものは時の秩序に従って生じ滅びる テオプラストスの要約は続けます。ものが生じてくるもとのそれらへ、滅びもまた定めに従って起こります。 それらは時の秩序に従って、不正の罰と償いを互いに払う からです(シンプリキオス『自然学注解』24.18–21、DK 12 B1) [1] 。伝え手は、アナクシマンドロスがこれを「かなり詩的な言葉で」語った、と添えています。この一文が、本人の言葉を含むと考えられ、文の形で残るただ一つの断片です。DK は、ほかに「永遠で年をとらない」(B2)のような短い語句も、断片 B に数えます。 この断片は、本人からテオプラストス、シンプリキオスへと引き継がれて届きました (図 2) 。そのため一つの一節の中に、本人の言葉と、伝え手の報告と推論が重なっています。 アナクシマンドロスの書きもの 失われた 「罰と償いを互いに払う…… 時の秩序に従って」 本人の言葉と考えられる(諸説) テオプラストスの要約 「限りのないもの」 「水でも要素のどれでもない」 「かなり詩的な言葉で」 シンプリキオスの引用と注 テオプラストスの要約を引く 「明らかに……を見て」の推論 前6世紀 前4世紀 後6世紀 図 2 断片が私たちに届くまで。本人の言葉と考えられるのは、いちばん上の段の一文だけで、その範囲には諸説があります。「かなり詩的な言葉で」はテオプラストスの評で、「明らかに」以下の推論はシンプリキオスの注と見られます。 断片は、何が何に罰を払うのかを語りません。ほかの証言と並べて、出どころごとに見ていきます。 まず証言によれば、限りのないものの中にある反対のものが、そこから分かれ出ます(アリストテレス『自然学』I 巻 4 章 187a20–21) [2] 。シンプリキオスも別の箇所でそう述べ、反対のものとして熱と冷、乾と湿などを挙げます(150.22–25) [1] 。この一節の直後では、「永遠の運動によって」分かれ出ると書いています(24.23–25) [1] 。 次は研究者の読みです。分かれ出た反対のものは、互いに働きかけ合い、秩序立った仕組みをつくります。断片はその仕組みを、正義と償いの言葉で語っている、と研究者は読みます [8] 。一方が行き過ぎることを「不正」と呼んでいる、という言い方は本教材の整理です。 そのうえで断片は、それらが時の秩序に従って互いに罰と償いを払い、生じたものはそのもとへ滅びていく、と語ります(24.18–21) [1] 。 プルタルコスの名で伝わる『雑録』(偽プルタルコス)によれば、世界が生まれるとき、永遠のものから熱と冷を生むものが分かれ出ました。そこから生じた炎の球が、木を包む樹皮のように、大地のまわりの空気を包んだといいます(『雑録』2、エウセビオス『福音の準備』I 巻 8 章 2 節、DK 12 A10) [5] 。 教材の例で考えてみましょう。夏には熱と乾きが、冬には冷と湿りがまさります。一方が勝ちすぎても、償うように逆へ戻り、季節は巡ります。季節の巡りは研究者も例に挙げますが [8] 、この割り当ては本教材の作例で、本人の例ではありません。 移り変わりは、天や人の営みに気まぐれに口を出す、人の姿をした神々によって起こるのではありません。 時の秩序という決まり に従って起こります。この対照を見て取るのは研究者の読みで、カーン、ヴラストス、ガスリーらの名が挙げられています [8] 。 どこまでが本人の言葉かについても、読みは分かれます。「罰と償いを互いに払う」の文は、本人の言葉と広く認められています。その前の文の一部も本人のものかもしれない、とカーンは考えました。一方、終わりの「要素」をめぐる説明は、伝え手の解説です [8] [9] 。 ここで間違えやすい 「不正」は、人間の悪事や道徳の話ではありません。自然の中の移り変わりを、裁きの言葉で言い表したものです。伝え手自身が「詩的な言葉で」と断っています。また、罰を払う相手は「互いに」で、限りのないものに払うとは書かれていません。ただし、「互いに」を欠く刊本もあります(原典を読む、読み解き 4)。 宙に浮かぶ大地――支えなしにとどまる理由 大地はなぜ落ちないのでしょうか。アリストテレスによれば、アナクシマンドロスの答えはこうです。大地は中心にあって、宇宙の果てのどこにも同じように向き合っています。だから、 上へも下へも横へも動く理由が無く 、とどまります(『天について』II 巻 13 章 295b10–16、DK 12 A26) [3] 。 アリストテレスが伝える論証を、順にたどります。大地は宇宙の中心に置かれ、果てのどこに対しても同じように位置しています。それなら上へ・下へ・横へのどれにも、ほかより動くべき理由はありません。そして、反対の向きへ同時に動くことはできません。だから、大地はとどまるしかありません。 アリストテレスは、この形の理屈をたとえで言い表しています。ひどく飢えて渇いた人が、食べ物と飲み物からちょうど同じだけ離れていれば、どちらへも動けずにとどまるしかありません。どの方向へも同じ強さで引っぱられた髪の毛は切れない、という話も同じ形の理屈です(295b30–34) [3] 。ただし、アリストテレスがこれらを挙げるのは、この理屈を批判するためです。 前の課のタレスの説と並べてみましょう。タレスは、大地が木切れのように水に浮かぶと考えたと伝えられます(294a28–31) [3] 。それでは、その水は何の上にあるのか、とアリストテレスは反論します(294a32 以下)。アナクシマンドロスの答えは、下の支えそのものを要らなくします (図 3) 。支えの支えを次々に求める問いを、断ち切る答えに見えます。ただし、これは本教材の並べ方です。本人がタレスへの答えとして語った、という証言はありません。二つの説が同じ『天について』II 巻 13 章で検討されていることは、原典のとおりです [3] 。 水に浮かぶ大地 タレスと伝えられる説(294a28–31) 木切れのように浮かぶ 形ではなく浮かび方のたとえ では水は何の上に? アリストテレスの反論(294a32 以下) 支えの問いが下へ続く 釣り合いでとどまる大地 アナクシマンドロス(295b10–16) 宇宙の果て 等しい 等しい 等しい 等しい どの向きにも動く理由がない だから、とどまる 図 3 大地がとどまる理由。どちらもアリストテレスの伝えです。左は下に支えを置く答えで、絵の木切れは浮かび方のたとえであり、