11.93 屈原 離騷 — 亦た余が心の善しとする所なり、九たび死すとも猶ほ未だ悔いず — Epoché
この篇でできるようになること 生まれと名、香草と時間、王への思い、孤立、装いの作り直しをたどれます。 三つの一人称と、否定文で前に出る目的語を説明できます。 香草と徳を結ぶ句を示し、心が善しとするものを理由に置く言い方を読めます。 前提 :11.92「王勃 滕王閣序」。対句の対応を読んだ後、離騷の声を、詩そのものから読みます。 生まれと名から、語り始める 高陽の遠い子孫であることを述べ、伯庸の名を挙げます。 皇考 は亡き父と取る読みがあり、遠い祖と取る説もあります。 次に年・月・日をそろえる読みができます。 攝提 を寅の年に、 孟陬 を正月に取り、庚寅の日に生まれたと読みます。ただし攝提を星の名と取る説もあるため、生年月日は一つに決まりません。 陬 は zōu です。 名を正則、字を靈均としたと続きます。王逸の注は、この二つを屈原の名の平、字の原を言い換えたものとします。本文では、 肇錫余以嘉名 (はじめて私によい名を授けた)とあり、名は授けられたものとして書かれています。 三つの字で、同じ自分を指す 朕 ・ 余 ・ 吾 は、この詩ではどれも一人称です。今の日本語で思い浮かべる皇帝の自称だけに限って 朕 を読まないでください。皇帝の自称となる前の使い方です。 朕皇考曰伯庸 、 名余曰正則 、 惟庚寅吾以降 で、それぞれの字が自分を指します。違う字が出たから、別の話し手になったということではありません。 二句を一組として読む時、上の句の終わりに 兮 が置かれます。ここで息を継ぎ、下の句へ進みます。項羽の歌で句の途中に入った位置とは異なります。 兮 そのものは訳さず、詩の調子を作る語気詞として聞きます。 香草を身につけること 生まれつきの美質に、磨いた才を加えると述べ、香草をまといます。 紉秋蘭以為佩 は、秋の蘭をより合わせ、腰の飾りにするという句です。 香りのよい植物を身につけることは、自分の徳を保つたとえとして読めます。着るものと人柄を結び、目に見えない志を、草と飾りで描いています。 蘭や蕙を育てる場面は、よい人を育てることにも重ねて読まれます。 哀眾芳之蕪穢 は、育てた香草が荒れて汚れる悲しみです。植物の手入れの説明だけでなく、育つはずだったものへの期待が失われる声を読みます。 朝と夕、迫る時間 汩余若將不及兮 では、時の速さに追いつけないような思いが出ます。 汩 は yù、右は曰です。 特別編 90篇 の川の名の 汨 は mì、右は日で、別の字です。 朝に木蘭を摘み、夕べに宿莽を取る対が続きます。 搴 は qiān、摘むこと、 阰 は pí と読みます。朝と夕が動詞の前にあるため、 型編 8課 で学んだ時間の置き方と比べられます。 日月がとどまらず、春秋が入れ替わる句、老いが近づく句もあります。時間が足りないという心を、離れた箇所でも繰り返します。ただの風景の朝夕ではなく、志や名を立てることに間に合うかという思いにつながります。 年月が、私を待たない 恐年歲之不吾與 の 與 を「と」というつなぎにしません。ここでは待つ・ともにするという動詞で、代詞の目的語 吾 が、否定文の中で前に出ています。通常の順なら 不與吾 で、年月が私を待ってくれないと読みます。 後の 不吾知其亦已兮 も同様です。私を知ってくれないならそれまでだ、という意で、通常の順にすると 不知吾 です。目的語は同じでも、待つのか、知るのか、動詞を確かめます。 型編 1課 の主語・動詞・目的語へ戻して読むと、年月と自分の関係が分かります。前に出た代詞を主語だと思って、自分が年月を待たない文に変えないようにします。 王を導こうとして、退けられる 王へ道を改めるよう呼びかけ、昔の三人の王( 三后 )と堯舜を手本に挙げ、堯舜の道と桀紂の近道を対にします。続いて、自分の災いを恐れるのでなく、王の車が覆ることを恐れる、と諫める理由を切り分けます。 荃 や 靈脩 は、王を指す呼び方として読みます。男女の関係の言葉で君臣の関係を語る読みがあります。ただし、どの語も恋人だけを指すと決める必要はありません。 美人 は王と取る読みのほか、屈原自身と取る説もあります。 王は心を察せず、讒言を信じ、怒ります。 齌 は jì です。約束していたのに途中で道を変える、という描写が続きます。話し手が心を尽くすことと、相手が受け入れることは、ここで一致しません。 理由を、自分の心に置く 蕙の帯を身につけ、茝を摘んだことで退けられたと述べます。 纕 は xiāng、 茝 は chǎi です。徳のたとえだった装いが、とがめられる理由として戻ってきます。 亦余心之所善兮 の 余 は私です。「あまり」の意味に取りません。 所善 は所と動詞で、善しとするものというまとまりです。 型編 4課 の名詞を説明するまとまりと比べられます。 雖九死其猶未悔 は、九たび死ぬとしてもなお悔いない、という強い表現です。 雖 が仮定的に譲り、 猶 がそれでもなお続く思いを示します。直前の、自分の心が善しとすることだ、という句が理由になります。 この強い言い方は、詩の語り手の決意です。この後、詩がどのように引き返しと立て直しへ向かうかも続けて読みます。 基準を曲げる世と、群れない鳥 偭規矩而改錯 や 背繩墨以追曲 では、コンパス・さしがね・墨縄という道具を使って、基準に背く世を描きます。 偭 は miǎn、背く意味です。 周囲に合わせることを基準とする人々に対し、猛禽は群れず、四角と丸は合わないと述べます。 鷙 は zhì、 圜 は yuán と読みます。合わなさを、鳥や形の違いで示しています。 たとえの物を挙げたら、何と何が合わないのかへ戻ります。道具の名称を覚えるだけでなく、誰の基準で生きるかという問題を受け取るところです。 引き返し、衣を作り直す 道の見定めが足りなかったと悔い、車を返して、迷った道が遠くならないうちに戻ろうとします。ここで、ひたすら前へ進み続ける動きが変わります。 製芰荷以為衣兮,集芙蓉以為裳 と、植物で衣を作り直します。冒頭で香草をまとったことに対応し、自分が保ちたいものをもう一度整える姿です。衣のたとえが、始めと抄の終わりを結びます。 理解されなくても、心が本当に芳しければよい、と言い、冠と飾りを高く長くします。 唯昭質其猶未虧 で、明らかな本性だけはまだ欠けていない、と結びます。 この抄の終わりを確かめる ここまでに、名を与えられること、才を磨くこと、王に尽くすことがありました。拒まれること、装いを整え直すこともありました。理解されないというだけで全部を捨てる結びではありません。 出生の語や美人の指す先には読みの違いがあります。その違いを残したままでも、時間に追われる声と、心を理由として立て直す動きは追えます。 語釈 語 品詞 意味 日本語との差 例文 訳 苗裔 名詞 遠い子孫 祖先とのつながり 帝高陽之苗裔兮 帝高陽の遠い子孫である 陬 名詞 正月 孟陬の中で月を示す 攝提貞于孟陬兮 攝提が正月に当たる 搴 動詞 摘む 植物を取る動作 朝搴阰之木蘭兮 朝に阰の木蘭を摘む 汩 形容詞 流れが速いさま 汨羅の汨とは別の字 汩余若將不及兮 時は速く、間に合わないように思う 齌 動詞 激しく怒る 讒言を信じた王の動き 反信讒而齌怒 かえって讒言を信じ激しく怒る 偭 動詞 背く 基準を外すたとえ 偭規矩而改錯 規矩に背き置き方を変える 鷙鳥 名詞 猛禽 群れない姿のたとえ 鷙鳥之不群兮 猛禽が群れないのは 圜 名詞 丸い形 四角と対に置く 何方圜之能周兮 四角と丸がどうして合わさろうか 練習 朕皇考曰伯庸 、 名余曰正則 、 惟庚寅吾以降 から一人称を抜き出し、 不吾與 と 不吾知 では目的語がどの動詞に掛かるかを書いてください。 原文の字を補って書いてください。 恐年歲之不_與 原文の字を補って書いてください。 亦余心之所善兮,雖九死其_未悔 原文の字を補って書いてください。 朝搴阰之木蘭兮,_攬洲之宿莽 原文の字を補って書いてください。 不吾知其亦已兮,苟余情其_芳 不吾與 と 不吾知 を通常の動詞・目的語の順に戻し、現代語の文にもしてください。 朝搴阰之木蘭兮,夕攬洲之宿莽 を、時を動詞の前に置いた現代語の二文に書き換えてください。 喜爱 ・ 鲜花 ・ 植物 ・ 失望 ・ 诚实 を全て使い、屈原について本文を読んだ印象を短い現代語の三文で書いてください。 亦余心之所善兮,雖九死其猶未悔 を日本語に訳してください。 雖九死其猶未悔 の理由は、直前にどう置かれていますか。二文で説明し、徳を植物で描く句も三つ示してください。 亦余心之所善兮,雖九死其猶未悔 で、 兮 は上の句と下の句のどちらの終わりにありますか。 音読:次の原文の句を ▶ で聞き、声に出して読んでください。 朝搴阰之木蘭兮,夕攬洲之宿莽。 兮 で息を継ぎ、朝の句と夕の句を同じ間で読んでください。 この篇のまとめ 三つの一人称が同じ話し手を指し、目的語の位置が変わっても動作の向きを保つことを読みました。香草と装い、時の速さ、心が善しとする理由を結び、引き返して本性を保つ抄の結びを捉えました。 次の篇へ 次の11.94は莊子 逍遙遊です。大小や長短の物差しを並べ、何かに頼る境地と、何にも頼らない遊びを語る文章を読みます。 答え 一人称は 朕 ・ 余 ・ 吾 です。前者の吾は 與 、後者は 知 の目的語です。 恐年歲之不吾與 亦余心之所善兮,雖九死其猶未悔 朝搴阰之木蘭兮,夕攬洲之宿莽 不吾知其亦已兮,苟余情其信芳 不與吾 ・ 不知吾 岁月不等我。 别人不懂我。 我早上采阰山的木兰。 我晚上摘洲上的宿莽。 他喜爱鲜花,也喜爱植物。 国王不听他的话,他很失望。 我觉得他很诚实。 訳は、これもまた私の心が善しとするものだ、たとえ九たび死んでもなお悔いはしない、です。直前の 亦余心之所善兮 が、自分の心が善しとするものだと理由を置いています。香草の句では 紉秋蘭以為佩 、 余既滋蘭之九畹兮 、 製芰荷以為衣兮 が、飾る・育てる・作り直すという形で徳を描きます。 上の句の終わり( 所善 の後)にあります。ここで息を継ぎ、下の句へ進みます。 参考文献 屈原『楚辭 離騷』。パブリックドメイン(著者没後70年経過)。本文は抄。 出所: 当館の書架にある『楚辭』の全文