11.97 韓非子 五蠹 — 君の直臣は、父の暴子なり — Epoché
この篇でできるようになること 冒頭の主張、直躬と魯の兵の話、結果を述べる結びを順に示せます。 同じ人を父と君主の側から逆に呼ぶ判断句を説明できます。 前に出る之が誰を指すかを確かめ、韓非が賞罰の何を問題にするか読めます。 前提 :11.96「孟子 梁惠王上 齊桓晉文之事」。身内への心を民へ広げる議論の後、家と国の立場が衝突するという韓非の議論を読みます。 国を損なう者として、二種を並べる 韓非子の五蠹篇の一節です。蠹(dù)は物を食い荒らす虫です。篇名は、国をむしばむ五種類の者という意味です。 五つは学者、言談者、帯剣者、患御者、商工の民です。この節では、学者である儒者と、帯剣者である任俠を取り上げます。患御者は、兵役を逃れ権門に身を寄せる者と解されることが多く、単に側近という意味ではありません。 儒以文亂法,俠以武犯禁 は、儒者は学問で法を乱し、任俠は武力で禁を破るという対です。以の後に手段を置き、動詞と対象を続ける同じ形に、性質の違う二種を入れています。 学問と武力が同じ物だと言っているのではありません。法や禁を損なうという、国家から見た共通点を先に示す書き方です。その二種を君主がともに礼遇することが、乱れの原因だと続けます。 同じ形の所で、食い違いを見せる 法之所非,君之所取;吏之所誅,上之所養也 では、所を使ったまとまりが四つ並びます。法がよしとしないものを君が取り、役人が罰するものを上が養うという食い違いです。 法の側と君主の側を二つずつ向かい合わせます。所の後ろの動詞が、それぞれ否定する、採用する、罰する、養うと変わるため、同じ対象への扱いの違いが見えます。 法、趣、上、下,四相反也 の四が何を指すかは、解釈が分かれます。法・趣・上・下とする読みが多く、この原文の区切りもそうなっています。 黄帝が十人いても治められないという強い言い方が、その後に置かれます。これは統治の基準が定まらないことを強める誇張で、実在の十人を数えているのではありません。 父を訴えた直躬は、誰に正直か 楚の直躬は、父が羊を盗んだことを役人へ訴えます。直躬の躬は gōng と読みます。令尹は殺すよう命じ、君主には正直でも父には道を外したと考えて罰します。 報而罪之 の報は裁きを下すこと、罪は罪を問う動詞です。罪という名詞の形を見て、そこですぐ文を切らず、後ろの之を対象にする動作として読みます。 君主と父のどちらから見るかによって、同じ訴えの評価が変わります。韓非は単に正直な人を紹介して終わらず、次の判断句へつなぐためにこの話を置いています。 話を受け、判断句で裏返す 以是觀之 は、これによって見ると、という合図です。出来事を語る所から、そこから何が言えるかへ移ります。是は直前の話を受けています。 夫君之直臣,父之暴子也 は、君主の正直な臣は、父にとっては乱暴な子だという判断です。臣と子は別々の二人ではなく、一人を違う関係の中で呼んでいます。 型編 4課 の所属と、 型編 2課 の判断を足場にすると、誰にとってのどのような人なのかを確かめられます。父の側の評価だけを残すと、君の側では正直だという対が消えてしまいます。 父を養う兵は、君主にはどう見えるか 次は、魯の人が君主に従って戦い、三度戦って三度逃げた話です。孔子が理由を尋ねると、老いた父がいて、自分が死ねば養う者がいないと答えます。 三戰三北 の北は、北の方角ではなく、背を向けて逃げる、敗走する意味です。三度北へ行ったという移動の記録ではありません。後の降北にも、敗走の意味で出ています。 孔子は孝行だと考え、 舉而上之 、取り立てて位を上げます。上は、その人を上の位へ進める使動の用法です。人に別の動作をさせる兼語文の例とは分けて読みます。 養われるのは、自分ではなく父 身死莫之養也 の身は話す本人、之は老いた父です。自分が死ねば自分を養う者がいない、という意味ではありません。否定の莫があるため、目的語の之が養の前に出ています。 通常の動詞と目的語の順へ戻すと、 莫養之 です。誰も父を養わないという内容を、兵が逃げた理由として述べています。代詞の指す先は、前の老父から受けます。 この話も 以是觀之 で受け、 夫父之孝子,君之背臣也 と結びます。父に孝行な子は、君主には背く臣だという判断です。最初の話と、評価する側の順が逆になります。 二つの話が、互いを映す 直躬は君の側で正直、父の側で暴な子です。魯の兵は父の側で孝行、君の側で背く臣です。どちらか一人だけを悪人にして片付けず、家と国の利害が合わない例を両側から示します。 直躬の話は論語の子路篇にも出ます。そこでは、父と子が互いのために隠すことが述べられます。一方、韓非は、家の徳をそのまま国へ用いる時の衝突を示すために使います。 一方、魯の兵の話は論語には見えません。韓非がこの篇で、孔子の振る舞いを例に使っている話です。 賞と罰が、その後に何を生むか 令尹誅而楚姦不上聞 は、令尹が罰したため、楚の悪事が上に報告されなくなるという結果です。直躬への扱いが、次に訴える人の行動へ影響すると述べています。 仲尼賞而魯民易降北 は、孔子が賞したため、魯の民が降参し逃げやすくなるという結果です。孝をほめた意図だけでなく、戦う人に何を促すかを問題にしています。 二つの句で韓非が測るのは、行為をよい名で呼べるかだけではありません。賞罰の後に国家へどんな結果が生まれるかです。 学問と先生を、今の意味だけで読まない 冒頭の 文學 は、学問や書物の知識を指します。今の小説や詩などの文学だけに狭めません。 諸先生 も学者たちを指し、日本語で学校の先生を呼ぶ時の像だけでは合いません。 結びの 必不幾矣 の幾には、冀に通じて望むとする読みと、近いという意味に取る読みがあります。どちらでも、このやり方で国家の福を求める見込みはない、という結論です。 前課の孟子は、身内に向ける心を外へ広げる道を述べました。この篇は、そのまま広げれば立場が衝突する例を示します。二つの文章で、家と国の関係をどう論じるかを比べられます。 語釈 語 品詞 意味 日本語との差 例文 訳 儒 名詞 儒者 学問を担う者 儒以文亂法 儒者は学問で法を乱す 俠 名詞 任俠の者 私人の武力を使う者 俠以武犯禁 任俠は武力で禁を破る 文學 名詞 学問 今の文学だけではない 文學者非所用 学問をする者は用いるべきではない 直躬 固有名詞 父を訴える人物の名 直躬の話の主人公 楚之有直躬 楚には直躬という者がいた 北 動詞 敗走する 方角ではない 三戰三北 三度戦って三度逃げる 舉 動詞 取り立てる 人を任用する 舉而上之 取り立てて位を上げる 養 動詞 養う ここでは老父を支える 身死莫之養也 自分が死ねば父を養う者がいない 幾 動詞 望む、近づく 読みが分かれる 必不幾矣 見込みはないという結論 練習 次の四句を本文の順に並べ、主張・話一・話二・結果を対応させてください。 魯人從君戰 / 儒以文亂法 / 故令尹誅而楚姦不上聞 / 楚之有直躬 原文の字を補って書いてください。 法之所非,君之_取 原文の字を補って書いてください。 以_觀之,夫君之直臣,父之暴子也 原文の字を補って書いてください。 身死莫_養也 原文の字を補って書いてください。 三戰三_ 身死莫之養也 を動詞の後ろに目的語を置く順に戻し、父を指すことが分かる現代語にも直してください。 夫君之直臣,父之暴子也 と 夫父之孝子,君之背臣也 を、それぞれ 的 と 是 を使い、「AのXは、BのYだ」の形を残す現代語にしてください。 直躬の話を読んだ感想を、 诚实 ・ 老实 ・ 伤害 ・ 失望 ・ 冷静 を全て使い、短い現代語の三文で書いてください。 二つの話が裏返る判断句と、結果で測る結びを、本文の句を引いて三つに分けて説明してください。 音読:次の原文の句を ▶ で聞き、声に出して読んでください。 儒以文亂法,俠以武犯禁 儒の句と俠の句を、同じ間と同じ強さで対にして読んでください。 この篇のまとめ 所で法と君の食い違いを並べ、直躬と魯の兵を同じ形の判断句で結びました。家と国からの名づけを分け、賞罰の後に起きる結果を問う議論を読みました。 次の篇へ 次の11.98は墨子 非攻上です。盗みから殺人へと悪さの程度を上げ、国を攻める時だけ評価が逆になることを問い詰めます。 答え 儒以文亂法 が主張、 楚之有直躬 が話一、 魯人從君戰 が話二、 故令尹誅而楚姦不上聞 が結果です。 法之所非,君之所取 以是觀之,夫君之直臣,父之暴子也 身死莫之養也 三戰三北 身死莫養之也 我死了,就没人养父亲了。 君主的直臣,是父亲的坏儿子。 父亲的孝子,是君主的坏臣子。 直躬很诚实,可是伤害了父亲。 他太老实了,父亲很失望。 我想冷静地看这件事。 夫君之直臣,父之暴子也 は、君主に正直な人を父の側から暴な子と呼びます。 夫父之孝子,君之背臣也 は、父に孝行な人を君主の側から背く臣と呼び、前の話を逆向きにします。 楚姦不上聞 と 魯民易降北 で、罰と賞が後の行動に及ぼす結果を測っています。 参考文献 韓非『韓非子 五蠹』。パブリックドメイン(著者没後70年経過)。本文は抄。 出所: https://zh.wikisource.org/wiki/韓非子/五蠹