ラッセル――文の見かけの形は論理形式と違う(記述理論) — Epoché
現代 分析哲学と言語哲学 約 16 分 本文 約 6,700 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 分析・謎・帰結の 3 つ 分析 「現在のフランス王は禿げている」は、見かけは主語と述語の文だが、ラッセルによれば「いまフランス王であるものがある」「それはただ一つである」「それは禿げている」の三つを合わせて言う文である。確定記述は何かを指す名前ではなく、文の中でだけ働く不完全記号である(「表示について」1905)。 謎 この分析で、ラッセルが論理の理論を試す「実験」とみた三つの謎が解ける。王がいなくても排中律は破れない、「スコット」と「『ウェイヴァリー』の著者」を入れ替えると真偽が変わることがある、無いものを「無い」と言っても矛盾しない(同)。 帰結 文法の見かけに従って「丸い四角」「現在のフランス王」まで何らかの仕方で対象と認めるマイノングの考えは要らなくなる。文法の形の下にある論理形式を取り出すこの方法が、分析哲学の手本になった。 はじめに バートランド・ラッセル(1872〜1970)は、イギリスの哲学者・論理学者です。ホワイトヘッドと『プリンキピア・マテマティカ』(1910〜1913)を書き、数学を論理から組み立て直そうとしました [1] 。 ラッセルは同じ論理の道具を、哲学の問いを解きほぐすのにも使いました。その一番名高い例が、この課で読む 1905 年の論文「表示について」です。ふだんの文法の形の下には、文が本当に言っていることの論理形式が隠れている、とラッセルは考えました [1] 。 前の課のフレーゲは、名前や記述に「意義」と「意味(指すもの)」を分けました。ラッセルはこのフレーゲの道にも、存在しないものも対象だとするマイノングの道にも満足せず、記述はそもそも何かを指す言葉ではない、という別の道をとります [2] 。 この課の問い 「現在のフランス王は禿げている」という文は、正しいのでしょうか、まちがっているのでしょうか。フランスにはいま王がいません。それでも文の意味は分かります。文法の形どおりに「現在のフランス王」を主語と見ると、いない王までどこかに「ある」と認めることになりそうです。言葉の見かけの形と、それが本当に言っていることの形は、どう違うのでしょうか。 この課のことば 表示句 「ある人」「すべての人」「現在のフランス王」のように、何かを指しているように見える句です。 確定記述 「その〜」「現在のフランス王」「『ウェイヴァリー』の著者」のように、ただ一つのものを言い当てる形の表示句です。英語では定冠詞 the で始まります。 論理形式 文法の形(主語+述語)の下にある、論理の記号で書き直したときの文の形です。同じ文法の形の文でも、論理形式は違うことがあります。 不完全記号 それだけを取り出すと意味を持たず、文の中に置かれたときにだけ文の意味に役立つ記号です。ラッセルは確定記述をこれと見ました。 一次的な現れと二次的な現れ 記述を文全体の中で取り除くか(一次的)、文の一部の小さな文の中で取り除くか(二次的)の違いです。「〜でない」「〜かどうか知りたい」がかかる範囲の違いとして働きます。 排中律 どんな文も、それか、その否定か、どちらかは正しいという論理の法則です。 記述理論――「その〜」は何かを指しているのか ラッセルは「表示について」で、名前や記述が何を指すのかという問いに、記述は何も指さない、という答えを出しました。この章では、表示句が文の中でだけ意味を持つこと、確定記述の書き直しと論理形式、その書き直しで三つの謎が解けること、を順に読みます。 表示句――「ある人」はそれだけでは何も意味しない ラッセルが「表示について」で取り上げるのは、「ある人」「すべての人」「現在のフランス王」のような句です。ラッセルはこれらを 表示句 と呼びます [2] 。表示句は何かを指しているように見えますが、指し方は一通りではありません。何も指さない句があり(現在のフランス王)、ただ一つのものを指す句があり、曖昧に指す句があります(ある人) [2] 。ラッセル自身、こうした句の解釈は難しく、反論を受けない理論を立てるのはとても難しいと認めています。 ラッセルが出発点に置くのは、「x について、これこれはいつも真である」という形です。「すべて」「何も〜ない」「ある〜」は、この形を使い、それが出てくる文の全体の中で定義されます [2] 。たとえば「私はある人に会った」が真なら、私は誰か特定の人に会ったはずです。けれども、私がこの文で主張しているのはその人のことではありません。主張しているのは、「私は x に会い、x は人間である」が、どの x についても偽だというわけではない、ということです [2] 。 身近な場面で言い直してみます(本教材の作例)。私が実際に会ったのは隣の家の人だったとします。それでも聞き手は、私が誰に会ったのかを知らなくても、文の意味が分かります。伝わったのは、会った相手の少なくとも一人は人間だった、ということだけです。「ある人」という句は、隣の家の人を指す名前の役をしていません。 こうして「ある人」は、それだけを取り出すと何も意味しませんが、それが出てくる文には意味を与えます [2] 。SEP は、句がそれ自身は意味を持たずに文の意味に役立つ、という点にラッセルの洞察を見ています [1] 。ラッセルがこの問題を大事に見たのは、論理学や数学のためだけではありません。私たちがじかに知らないものの多くは、「これこれの性質を持つもの」という句を通してしか考えられないからです [2] 。 ここで間違えやすい 「それだけでは何も意味しない」を、その句が無意味で使えない言葉だ、と取らないでください。ラッセルが言うのは、句を文から切り離し、それに当たる一つのもの(「曖昧なある人」という奇妙な対象)を探しても見つからない、ということです。句を含む文全体は、きちんと意味を持ちます [2] 。 確定記述の分析――「その〜」は、ある・ただ一つ・そして〜、の三つを言う 表示句の中でラッセルが最も面白く、最も難しいと見るのは、「その〜」で始まる句、つまり 確定記述 です [2] 。例は「チャールズ二世の父は処刑された」です。ラッセルによれば、「その」を厳密に使うときは、ただ一つであることが含まれます。何人も息子のいる人について「何某の息子」と言うことはありますが、厳密には「何某のある息子」と言うべきだ、とラッセルは言います [2] 。だから「x はチャールズ二世の父だった」は、x がチャールズ二世をもうけたことだけでなく、ほかの誰もそうしなかったことも言っています。 こうして確定記述を含む文は、三つの部分を合わせて言う文に書き直されます。①そういうものがある(存在)、②それはただ一つである(唯一)、③それはこれこれである(述語)、の三つです (図 1) 。「現在のフランス王は禿げている」なら、「いまフランス王であるものがあり、それはただ一つで、それは禿げている」となります [1] 。書き直した文には、もう「現在のフランス王」という句は出てきません。ラッセル自身、これは信じがたい解釈に見えるかもしれない、と断っています [2] 。 名前の文 記述の文 例:スコットは 禿げている 例:現在の フランス王は 禿げている 形:主語+述語 形:主語+述語 (同じ) 論理形式:s は 禿げている ①そういう王がいる 名前「スコット」が 人を指す ②王はただ一人 スコットが 禿げていれば真 ③それは禿げている 指される王は 要らない ①が 満たされないので偽 書き直した記述の文には、「現在のフランス王」という 句がもう出てきません。 図 1 同じ文法の形でも、論理形式は違います。名前の文は一つの形のまま人を指し、記述の文は三つの部分に書き直されて、指される王を必要としません。三つの部分の区切りは SEP の示す論理形式により、箱の描き方は本教材のものです [1] 。 この書き直しで見えてくるのが、 論理形式 の違いです。「スコットは禿げている」と「現在のフランス王は禿げている」は、文法の形ではどちらも主語と述語の文です。しかし SEP の整理では、ラッセルは前の文に「s は禿げている」という単純な形を、後の文には存在・唯一・述語の三つを組んだ形を与えます [1] 。文法の見かけが同じでも、文が本当に言っていることの形は違うのです。 そのため確定記述は、何かを指す語ではありません。「すべて」「ある」のような量の語と、「x は数である」のように x に何かを入れると文になる形との集まりです。文の中に置かれて初めて意味を得るので、 不完全記号 と呼ばれます [1] 。なお、本当にものを指す名前を「これ」「あれ」のような、じかに意識しているものを指す語に限ったのは、後のラッセルです [1] 。この課の論文とは時期を分けて読みましょう。 この分析では、フランス王がいない以上、「現在のフランス王」について何かを述べる文は、記述を文全体の中で取り除いて読むかぎり、何を述べても偽になります [2] 。ラッセルはこれを理論の利点と見て、それが矛盾律に反しないことを後で示すと予告しています [2] 。 ここで間違えやすい 記述理論を、「現在のフランス王は禿げている」は意味の無い文だ、という説と取らないでください。この文はきちんと意味を持ち、そのうえで偽です。意味を持たないのは、文から切り離した「現在のフランス王」という句のほうです [2] 。また、日常の「その」の使い方をすべて言い当てた分析だと取るのも行き過ぎです。ラッセルは、ただ一つを含む厳密な使い方に話を絞ると断っています [2] 。 三つの謎を解く――フランス王は禿げているか、禿げていないか ラッセルは、理論を試す「実験」として三つの謎を挙げます [2] (表 1) 。 この表で分かること: 三つの謎は、記述を名前と見ることから生まれ、書き直しとかかる範囲の区別で解けます。 謎 困ること 書き直し 解け方 ジョージ四世の好奇心 入れ替えると「スコットはスコットか」になる 入れ替える句が文に無い 知りたいのは自明な「スコット=スコット」ではない フランス王の禿 どちらの一覧にも王がいない 否定のかかる範囲が二通り 一方は偽、他方は真 無いものの否定 無いものが主語になる 「そういうものは無い」 矛盾なく真になる 表 1 「表示について」の三つの謎と解け方(本教材の整理)。三つ目の書き直しの例は SEP によります [1] [2] 。 一つ目はジョージ四世の謎です。スコットは実際に『ウェイヴァリー』の著者でした。同じものは入れ替えても真偽が変わらないはずなので、「王は、スコットが『ウェイヴァリー』の著者かどうか知りたがった」から、「スコットがスコットかどうか知りたがった」が出てきそうです [2] 。しかし書き直すと「『ウェイヴァリー』を書いたものはただ一つあり、スコットはそれと同じである」となり、入れ替えられる句は文に残りません [2] 。王が知りたかったのは自明な「スコット=スコット」ではありません [1] 。 二つ目がフランス王の謎です。排中律によれば、「現在のフランス王は禿げている」か「禿げていない」のどちらかが真のはずです。ところが、禿げているものと禿げていないものを全部数え上げても、どちらの一覧にも王はいません [2] (図 2) 。 「禿げている」か「禿げていない」か フランス王は、どちらにもいない 禿げているもの …… 禿げていないもの …… 現在のフランス王 (指されるものが無い) ヘーゲル派なら かつらと言う? (ラッセルの冗談) 図 2 フランス王の謎です。世界のものを二つの一覧に分けても、王はどちらにも見つかりません。二つの一覧とかつらの冗談はラッセル本人の例で、巻物・虫めがね・印の描き方は本教材の作例です。 ラッセルの答えは、否定がどこまでかかるかを分けることです。「いまフランス王であるものがあり、それは禿げていない」と読めば、王がいないので偽です。「いまフランス王であって禿げているものがある、ということは無い」と読めば真です [2] 。前の読み方では記述が文全体の中で取り除かれ( 一次的な現れ )、後の読み方では否定の内側で取り除かれます(二次的な現れ) [2] 。ヨットの持ち主と客の話は、同じ食い違いの日常の例です (図 3) [2] 。 客が言いたかったこと > 「思っていたより小さいですね」 思っていた大きさ > 実際の大きさ 「思った」は見込みだけにかかる 持ち主が受け取ったこと > 「それ自身より大きくはない」 このヨット > このヨット? 「思った」が比べる両方にかかる 図 3 ヨットの持ち主と客の話(ラッセル本人の例)。一つ目は「思った」が大きさの見込みだけにかかる筋の通った読み方、二つ目は比べる両方にかかるありえない読み方です。桟橋・雲の中の絵・>の印は本教材の描き方です。 三つ目は、違いの無い A と B について「A と B の違い」は無いと言うときのように、無いものがどうして文の主語になれるのか、という謎です [2] 。SEP の例では、「金の山は存在しない」は「金でできていて山であるものは無い」と書き直され、矛盾なく真になります [1] 。 ここで間違えやすい 一次的に読めば偽、二次的に読めば真という話を、ラッセルがこの文を真でも偽でもないと言った、と取らないでください。どちらの読み方でも、文は真か偽に決まります [2] 。 原典を読む 第 1 章の三つ目の節で見たフランス王の謎とその解決を読みます。ラッセルは日本で著作の保護期間内にあるため、本教材の言葉で要約します。 ラッセル「表示について」(1905) フランス王は禿げているか、禿げていないか 論文の後半から、フランス王の謎を立てる段と、それを解く段を組にして要約します。 1 ラッセルによれば、「現在のフランス王は禿げていない」は、否定がどこまでかかるかで二通りに読め、一方は偽、他方は真になります。 2 だから、いま王がいなくても排中律は破れません。 3 ラッセルがこれを謎として持ち出すのは、論理の理論は謎をさばけるかで試される、と考えるからです。 4 記述を何かを指す主語と見るかぎり、排中律はどちらかの文を真と求めるのに、世界のものを二つの一覧に