8.146 リヴァイアサン — 前提から、必ずこうなる — Epoché
この篇でできるようになること ★ 前提から段を追って導く 論が読める。 ★ 見出しが論の地図になっている ことが分かる。 ★ 反論を先に潰す 形が読める。 ★ 綴りの古さと、論の新しさ を分けて見られる。 前提 : 8.145 まで。型は 3.48 まで。 読む前に ★ まず、綴りに慣れてください。 ★ 規則は、ほとんど一つ です——★ 語尾に e や l が 一つ多い 。 十七世紀の綴り いまの綴り equall equal himselfe himself owne own griefe grief Warre war ★ もう一つ、 大文字の使い方 が違います。 ★ Prudence ・ Science ・ Diffidence のように、 大事な語を大文字で始めます 。 ★ これは、 いまの太字と同じ働き です。 ★ 読むときは、 大文字の語だけ拾えば骨が取れます 。 ★ そして、この篇には 見出しが本文に入っています ——★ 「平等から不信が生じる」「不信から戦いが生じる」。 ★ 版元が付けた印 ですが、★ そのまま 論の地図 になっています ( 9.13 論編 )。 原文 原文は別の文書にあります(作品ページの「原文」)。本文は 1335 語、文は 33 本、一文の平均は 40.5 語、いちばん長い一文は 92 語です。 ★ For で始まる文が 8 回 出ます。★ これは 「なぜなら」 です。 ★ ホッブズは、 主張のあとに必ず理由を置きます 。 全訳 原文の全訳です。この課程のために、原文に沿って訳しました。番号は原文の段落の番号で、原文と行き来できます。 自然は、人を体と心の能力において、これほど等しく作りました。ときには、ある人がほかの人よりも明らかに体が強かったり、頭の回りが速かったりすることがあっても、すべてを合わせて勘定すれば、人と人との違いは、ある人がそれを根拠に、ほかの人も同じように求められないような何かの利益を自分のものだと言い張れるほど、大きくはありません。というのも、体の強さについて言えば、いちばん弱い者でも、ひそかな企みによって、あるいは自分と同じ危険の中にいるほかの者と手を組むことによって、いちばん強い者を殺すだけの強さは持っているからです。 また心の能力について言えば(言葉に基づく技芸、とりわけ「学問」と呼ばれる、一般的で誤りのない規則に従って進む技は脇に置きます。それを持つ人はごく少なく、それもわずかな事柄においてだけです。それは私たちとともに生まれる生来の能力ではなく、また「思慮」のように、ほかの何かを求めているあいだに身につくものでもないからです)、私は、人々のあいだに、強さの平等よりもさらに大きな平等を見いだします。というのも、思慮とは経験にすぎず、経験は、等しい時間が、人々が等しく打ちこむ事柄において、すべての人に等しく与えるものだからです。このような平等を信じがたいものにしているかもしれないのは、自分の知恵についてのむなしいうぬぼれにすぎません。ほとんどすべての人が、自分は世の大衆よりも、つまり自分自身と、名声のために、あるいは自分と意見が合うために認めている少数の他人とを除いたすべての人よりも、多くの知恵を持っていると思っているのです。というのも、人の性質とはこういうものだからです。ほかの多くの人が自分より機知に富み、弁が立ち、学があると認めることはできても、自分ほど賢い人が大勢いるとは、なかなか信じようとしません。自分の知恵は手元に見え、ほかの人の知恵は遠くに見えるからです。しかしこのことは、むしろ人がその点で不平等であるよりも平等であることを証明しています。というのも、何かが等しく分けられていることの証拠として、誰もが自分の分け前に満足していること以上のものは、ふつうはないからです。 平等から不信が生じる この能力の平等から、私たちの目的を達することについての希望の平等が生じます。それゆえ、もし二人の人が同じものを望み、それでいて二人ともそれを享受することはできないなら、彼らは敵になります。そして自分の目的(それは主に自分自身を保つことであり、ときにはただ楽しみだけのこともあります)へ向かう途中で、互いに相手を滅ぼすか、従わせようと努めます。そしてここから、次のようなことが起こります。侵す者にとって、ほかの一人の人間の力のほかに恐れるものが何もないところでは、もし誰かが作物を植え、種をまき、家を建て、あるいは住みよい土地を手に入れれば、ほかの者たちが力を合わせて準備を整えてやって来て、彼から、その労働の実りだけでなく、命や自由をも取り上げ、奪うだろうと、おそらく予想できます。そしてその侵す者もまた、別の者から同じような危険にさらされます。 不信から戦争へ そして、このような互いへの不信から身を守るには、先手を打つことほど理にかなった道は、誰にとってもありません。つまり、力か策略によって、自分を危うくするほど大きな力がほかに見当たらなくなるまで、できるだけ多くの人の身を押さえることです。そしてこれは、自分を保つことが求める以上のものではなく、一般に許されています。また、征服の行いの中で自分の力を眺めることに喜びを覚え、それを自分の安全が求める以上に推し進める者たちもいるので、もしほかの者たち、つまりそうでなければ控えめな範囲の中で安らかにしていたいと思う者たちが、侵すことによって自分の力を増やさなければ、ただ守りに立つだけでは、長いあいだ生き延びることはできないでしょう。そしてその結果、人々に対する支配をこのように広げることは、人が自分を保つのに必要なのだから、それは彼に許されるべきです。 さらに、人は、全員を畏れさせるだけの力が無いところで人と交わっても、何の喜びも得ません(それどころか、大きな苦しみを得ます)。というのも、誰もが、自分の仲間が自分を、自分が自分につけているのと同じ値で評価してくれることを期待しているからです。そして軽蔑や見くびりのしるしを見れば、どれでも、ごく自然に、自分が思い切れるかぎり(それは、彼らを静かにさせておく共通の力を持たない者たちのあいだでは、互いを滅ぼし合わせるのに十分なほど遠くまでです)、自分を軽蔑する者たちからは損害を与えることによって、ほかの者たちからはその見せしめによって、より大きな値を力ずくで認めさせようと努めます。 こうして、人の本性の中に、争いの主な原因が三つ見つかります。第一に競争、第二に不信、第三に誉れです。 第一のものは、人に利益を求めて襲わせ、第二のものは安全のために、第三のものは評判のために襲わせます。第一のものは、ほかの人の身や妻や子や家畜の主になるために暴力を用います。第二のものは、それらを守るために用います。第三のものは、ささいなこと、たとえば一言、一つの笑み、違う意見、そのほか見くびりのしるしのために用います。それが直接その人自身に向けられたものであれ、その身内や友人や国民や職業や名に向けられて、間接に自分に及ぶものであれ、です。 国家の外では、常に万人の万人に対する戦争がある これによって明らかなのは、人々が全員を畏れさせておく共通の力なしに生きているあいだは、彼らは「戦争」と呼ばれる状態にある、ということです。しかもその戦争とは、万人の万人に対する戦争です。というのも、「戦争」とは、戦闘、つまり戦う行為だけにあるのではなく、戦闘によって争おうとする意志が十分に知られている一続きの時間の中にあるからです。それゆえ、戦争の本性においては、天候の本性においてと同じように、「時間」という考えを考慮しなければなりません。悪天候の本性が、一度や二度のにわか雨にあるのではなく、何日も続けて雨に傾いていることにあるように、戦争の本性も、実際に戦っていることにあるのではなく、それとは反対だという保証が何もないあいだずっと、戦いに向かう傾きが知られていることにあるのです。それ以外のすべての時間が「平和」です。 そのような戦争の不都合 それゆえ、誰もが誰もの敵である戦争の時に伴うことは何であれ、人々が自分自身の力と自分自身の工夫が与えてくれる以外に何の安全もなく生きている時にも、同じように伴います。そのような状態では、勤労の余地はありません。その実りが不確かだからです。したがって、土地の耕作もなく、航海もなく、海を通して輸入されうる品物の使用もなく、住みよい建物もなく、大きな力を要する物を動かしたり移したりする道具もなく、地表の知識もなく、時の勘定もなく、技芸もなく、文字もなく、社会もありません。そして何よりも悪いことに、絶え間ない恐れと、暴力による死の危険があります。そして人の生活は、孤独で、貧しく、不快で、獣のようで、短いのです。 これらのことをよく量ったことのない人には、自然がこのように人々を引き離し、互いに襲い、滅ぼし合いやすくするというのは、奇妙に思えるかもしれません。それゆえ、情念から引き出されたこの推論を信用せず、同じことを経験によって確かめてもらいたいと望むかもしれません。それなら、その人に自分の胸に考えさせてみましょう。旅に出るとき、彼は武装し、よい連れと一緒に行こうとします。眠りにつくとき、彼は戸に鍵をかけます。自分の家の中にいてさえ、箱に鍵をかけます。しかもそれは、法があり、武装した役人がいて、自分に加えられるあらゆる害に報いてくれることを知っていながらです。武装して馬で出かけるとき、彼は同じ国の臣民について、戸に鍵をかけるとき、同じ町の市民について、箱に鍵をかけるとき、自分の子どもや召使いについて、どんな意見を持っているのでしょうか。彼はそこで、私が言葉によってするのと同じだけ、行いによって人類を責めているのではないでしょうか。けれども、私たちのどちらも、そのことで人の本性を責めているのではありません。人の欲望やそのほかの情念は、それ自体としては罪ではありません。そうした情念から出る行いも、それを禁じる法を知るまでは罪ではありません。そして法が作られるまでは、彼らはそれを知ることができません。また、法を作る人について彼らが合意するまでは、どんな法も作ることはできません。 語釈 帯の外の語は 121 語です。★ 半分以上は古い綴り です。★ 拾ってほしいのは Diffidence (たがいへの不信)と Anticipation (先手を打つこと) ——★ どちらも、 いまの意味とずれています 。 ★ Diffidence は今なら「自信の無さ」ですが、ここでは 相手を信じないこと です。 語(品詞) 意味 注 Alwayes en 副 いつも。 always の十七世紀の綴り Anticipation en 名 先取り Anticipation of the storm kept the fishermen close to shore. 嵐への先取りは、漁師たちを岸の近くにとどまらせました。 Battell en 名 戦い。 battle の十七世紀の綴り Diffidence en 名 たがいへの不信 Long-standing diffidence between the two clans made peace difficult to achieve. その二つの氏族の間の長年のたがいへの不信は、和平を実現しにくくしました。 Fame en 名 名声 The young singer's fame spread quickly through the small towns nearby. その若い歌手の名声は、近くの小さな町々にすばやく広がりました。 Foule en 形 悪い( foul の古い綴り。 Foule weather =悪天候) Glory en 名 誉れ The old soldier spoke little of the glory he had won in youth. その老兵は、若い頃に勝ち取った誉れについてほとんど語りませんでした。 Hereby en 副 これによって Hereby the two villages agreed to share the water from the spring. これによって、その二つの村は泉の水を分け合うことに同意しました。 Incommodities en 名 不都合(複数) The old inn suffered many incommodities, from drafts to a leaking roof. その古い宿は、すきま風から雨漏りする屋根まで、多くの不都合に悩まされていました。 Invader en 名 侵す者 The villagers prepared to defend their fields against any invader. 村人たちはどんな侵す者に対しても自分たちの畑を守る備えをしました。 Kindred en 名 親族 She felt a quiet sense of kindred with the old fisherman's family. 彼女はその老漁師の家族に対して静かな血のつながりの感覚を覚えました。 Lawes en 名 法。 laws の十七世紀の綴り Navigation en 名 航海 The old captain taught the boy the basics of coastal navigation. その老いた船長は少年に沿岸航海の基本を教えました。 Prudence en 名 思慮 Her prudence in spending saved the family during the hard winter. 支出における彼女の思慮は、厳しい冬の間、家族を救いました。 Thirdly en 副 第三に Thirdly, the council agreed to repair the bridge before autumn. 第三に、評議会は秋前に橋を修理することに同意しました。 Vulgar en 名 一般の人びと( the Vulgar ) The philosopher distinguished true wisdom from vulgar opinion shared by most people. その哲学者は、真の知恵をほとんどの人が共有する世間なみの意見