8.207 子どもの耳 — 音が、意味より先に来る — Epoché
この篇でできるようになること ★ 幼い語彙と短い文がわざとである ことが言える。 ★ 音が意味より先に来る 書き方が読める。 ★ コロンで並べる文 を切って読める。 ★ 主人公が育つと文も育つ のが数で見える。 前提 : 8.206 まで。 読む前に ★ この篇の一行めを読むと、 間違いだと思うはずです 。 ★ 知らない語が出てきて、 文が終わらないうちに次が始まります 。 ★ 間違いではありません ——★ 語り手が まだ言葉を覚えかけの子ども だから です。 ★ 作者は 大人の語を一つも貸しません 。★ 子どもが知らない語は使わない 、★ 言い違えたなら 言い違えたまま書く 。★ これが この篇のいちばんの仕掛け です。 何を見るか この篇 前の篇( 8.206 読編 ) ★ 一文の語数 ★ 平均 13.3 語 8.206 読編)">★ 平均 30.9 語 ★ 4 字以下の語 ★ 67% 8.206 読編)">★ 62% ★ 8 字以上の語 ★ 5% 8.206 読編)">★ 10% ★ 同じころの、同じ国の、同じ「頭の中を書く」書き方です 。★ それでも一文が 13.3 語と 30.9 語 ——★ 長さを決めているのは 書き方ではなく、だれの頭か です。 原文 原文は別の文書にあります(作品ページの「原文」)。本文は 1548 語、段落は 48 、文は 116 本です。 ★ 段落が 48 もあるのに気づいてください 。★ ほとんどが 二、三文 です。★ うち 14 が ダッシュで始まる台詞 ——★ この作者は 引用符を使わず、行の頭にダッシュを置きます 。 ★ 詩や歌も、 段落として入っています 。★ 紙の本では行を改めて組まれているところ です——★ この課程の原文の文書は 段落ごとに一行 なので、行の切れ目は見えません 。★ 歌は 声に出すと切れ目が分かります 。 ★ コロンが 26 個 あります。★ 従属をあらわす語( because ・ which の類)は 5 回だけ です。★ つまり、 理由や関係を言わずに、並べているだけ ——★ 8.211 読編 の並べ方と同じ作り です。 全訳 原文の全訳です。この課程のために、原文に沿って訳しました。番号は原文の段落の番号で、原文と行き来できます。 むかしむかし、それはとてもよい時で、モーモー牛が道を下ってきました。そして道を下ってきたこのモーモー牛は、ベイビー・タックーという名前のかわいい小さな男の子に出会いました…… 父がその話をした。父は眼鏡ごしに彼を見た。父の顔は毛深かった。 彼はベイビー・タックーだった。モーモー牛は、ベティ・バーンの住んでいる道を下ってきた。ベティ・バーンはレモン飴を売っていた。 ああ、野ばらが咲く/小さな緑の野原に。 彼はその歌をうたった。それは彼の歌だった。 ああ、緑の wothe botheth 。 おねしょをすると、はじめは温かく、それから冷たくなる。母が油布を敷いた。それは妙なにおいがした。 母は父よりいいにおいがした。母は、彼が踊れるようにピアノで水夫のホーンパイプを弾いた。彼は踊った。 トララ ララ、トララ トラララディ、トララ ララ、トララ ララ。 チャールズおじさんとダンテが手をたたいた。二人は父や母より年上だったが、チャールズおじさんはダンテより年上だった。 ダンテは戸棚にブラシを二本持っていた。えび茶のビロードの背のブラシはマイケル・ダヴィットので、緑のビロードの背のブラシはパーネルのだった。彼が薄紙を一枚持っていくたびに、ダンテはカシューを一粒くれた。 ヴァンスさんの一家は七番地に住んでいた。あの家には別のお父さんとお母さんがいた。それはアイリーンのお父さんとお母さんだった。大きくなったら、彼はアイリーンと結婚するつもりだった。彼はテーブルの下に隠れた。母が言った。 ――まあ、スティーヴンは謝りますよ。 ダンテが言った。 ――ええ、謝らないなら、鷲が来て目をくりぬきますよ。―― 目をくりぬく、/謝りなさい、/謝りなさい、/目をくりぬく。/謝りなさい、/目をくりぬく、/目をくりぬく、/謝りなさい。 広い運動場には少年たちがうようよしていた。みんな叫んでいて、監督生たちは大声でけしかけていた。夕方の空気は青白く肌寒く、フットボールをする者たちがぶつかり合い、どすんと蹴るたびに、脂じみた革の球が、重たい鳥のように灰色の光の中を飛んだ。彼は自分の列の端にいて、監督生の目の届かないところ、乱暴な足の届かないところで、ときどき走るふりをしていた。競技する者たちの群れのなかで、自分の体が小さく弱いと感じた。目は弱く、涙っぽかった。ロディ・キッカムはそうではなかった。あいつは第三組の主将になるだろうと、みんなが言っていた。 ロディ・キッカムはまともなやつだったが、ナスティ・ローチは嫌なやつだった。ロディ・キッカムは自分の番号のところにすね当てを置き、食堂には食べ物の籠を持っていた。ナスティ・ローチは手が大きかった。あいつは金曜日のプディングを「毛布にくるまった犬」と呼んだ。そしてある日、あいつはこう訊いたのだった。 ――おまえ、名前は何だ。 スティーヴンは答えた。スティーヴン・ディーダラス。 するとナスティ・ローチは言った。 ――何だそれ、どういう名前だ。 そしてスティーヴンが答えられずにいると、ナスティ・ローチは訊いた。 ――おまえの父親は何なんだ。 スティーヴンは答えた。 ――紳士だよ。 するとナスティ・ローチは訊いた。 ――治安判事か。 彼は自分の列の端を、あちこちとこそこそ動き回り、ときどき少し走ってみせた。けれども手は寒さで青みがかっていた。彼は両手を、ベルトのついた灰色の服の脇ポケットに入れていた。それはポケットのまわりのベルトだった。そしてベルトは、だれかを打つことでもあった。ある日、一人がカントウェルに言った。 ――すぐにでもおまえに一発くらわせてやるぞ。 カントウェルは答えた。 ――自分と釣り合うやつとやれよ。セシル・サンダーに一発くらわせてみろ。見てみたいもんだ。あいつなら、おまえの尻を蹴とばしてくれるさ。 それはいい言い方ではなかった。母は、学校の乱暴な子たちと口をきいてはいけないと言っていた。いいお母さん! 最初の日、城の玄関の広間でさよならを言ったとき、母はヴェールを鼻のところまで二重にまくり上げて彼にキスをした。鼻も目も赤かった。でも彼は、母が泣きそうなのに気づかないふりをした。母はいいお母さんだったけれど、泣くときはそれほどよくなかった。そして父は、小遣いにと五シリング銀貨を二枚くれた。そして父は、何か欲しいものがあったら家に手紙を書くように、そして何をしても、決して仲間のことを告げ口してはいけないと言った。それから城の戸口で、学長が父と母と握手をした。学長の法衣がそよ風にはためいていた。そして父と母を乗せて、馬車は走り去った。二人は馬車から手を振って、彼に呼びかけた。 ――さようなら、スティーヴン、さようなら! ――さようなら、スティーヴン、さようなら! 彼はもみ合いの渦に巻き込まれた。ぎらぎらする目と泥だらけの靴が怖くて、かがんで脚のあいだからのぞいた。みんなはもがき、うめき、脚はこすれ合い、蹴り合い、踏み鳴らしていた。それからジャック・ロートンの黄色い靴が球をかすめ取ってすり抜け、ほかの靴と脚がみんなそのあとを追って走った。彼も少しのあいだあとを追って走り、それから止まった。走り続けても無駄だった。もうすぐ休暇でみんな家に帰る。夕食のあと自習室で、机の内側に貼った数を七十七から七十六に変えよう。 外の寒いところにいるより、自習室にいるほうがいいだろう。空は青白く冷たかったが、城には明かりがついていた。ハミルトン・ローワンはどの窓から帽子を隠し垣の上に投げたのだろう、そのころ窓の下に花壇はあったのだろうかと、彼は思った。ある日、城に呼ばれたとき、執事が戸の木に残った兵隊の弾の跡を見せてくれて、神父さんたちが食べるショートブレッドを一切れくれた。城の明かりを見るのは、いい気持ちで温かかった。本の中の何かのようだった。レスター修道院もあんなふうだったのかもしれない。そしてコーンウェル博士の『綴り方の本』には、いい文があった。詩のようだったけれど、それは綴りを覚えるための文にすぎなかった。 ウルジーはレスター修道院で死んだ/そこで修道院長たちが彼を葬った。/ Canker は植物の病気、/ Cancer は動物の病気。 炉の前の敷物に寝そべって、両手で頭を支え、あの文のことを考えたらいいだろうな。彼は、冷たくぬるぬるした水が肌にじかに触れているかのように身震いした。ウェルズが彼を四角い溝に肩で突き落としたのは卑怯だった。彼が自分の小さな嗅ぎたばこ入れを、ウェルズの、四十勝した年季の入ったトチの実と取り替えようとしなかったからだ。あの水はなんて冷たくて、ぬるぬるしていたことか! 一人が前に、大きなネズミがあの浮きかすの中に飛び込むのを見たことがあった。母はダンテと炉ばたに座って、ブリジッドがお茶を運んでくるのを待っていた。母は炉格子に足をのせていて、宝石のついた上履きはとても熱くて、とてもいい温かいにおいがした! ダンテはたくさんのことを知っていた。モザンビーク海峡がどこにあるか、アメリカでいちばん長い川は何か、月でいちばん高い山の名前は何かを教えてくれた。アーノル神父は司祭だからダンテよりもっと知っていたけれど、父もチャールズおじさんも、ダンテは賢い女だ、よく本を読んでいる女だと言っていた。それから、ダンテが食事のあとでああいう音を立てて、手を口に当てるとき、あれは胸やけだった。 運動場のずっと向こうで、ある声が叫んだ。 ――みんな、中へ! すると下級の組と第三組から、ほかの声が叫んだ。 ――みんな、中へ! みんな、中へ! 競技していた者たちは、上気して泥だらけになって集まってきた。彼もその中に入っていった。中に入れるのがうれしかった。ロディ・キッカムは脂じみた紐をつかんで球を持っていた。一人が、最後にもう一回蹴らせてくれと頼んだが、ロディはその子に返事もしないで歩いていった。サイモン・ムーナンが、監督生が見ているからやめろと言った。その子はサイモン・ムーナンのほうを向いて言った。 ――なんでおまえが口を出すのか、みんな知ってるぞ。おまえはマグレードの suck (ごますり)だ。 Suck は妙な語だった。その子がサイモン・ムーナンをそう呼んだのは、サイモン・ムーナンがいつも監督生の付け袖を背中で結んでやっていて、監督生のほうは怒ったふりをしていたからだった。けれども音は醜かった。一度、ウィックロー・ホテルの洗面所で手を洗ったことがあって、そのあと父が鎖で栓を引き上げると、汚れた水が洗面台の穴から流れていった。そして全部ゆっくり流れてしまうと、洗面台の穴がそんな音を立てた。 suck 。ただ、もっと大きな音で。 あのことと洗面所の白い様子を思い出すと、寒くなって、それから熱くなった。ひねると水が出てくる栓が二つあった。冷たい水と熱い水。彼は寒くなって、それから少し熱くなった。そして栓に印刷された名前が見えた。それはとても妙なことだった。 それに廊下の空気も彼を冷えさせた。妙に湿っぽかった。でももうすぐガス灯がともされ、燃えながら小さな歌のような軽い音を立てるだろう。いつも同じ音だ。遊戯室でみんなが話すのをやめると、それが聞こえた。 語釈 帯の外の語は 134 語です。★ ふつうの篇と中身が違います ——★ 一つめは子どもの造語と言い違え ( moocow ・ nicens ・ wothe )、★ 二つめは寄宿学校の物の名 ( refectory ・ prefect )、★ 三つめは同級の子と家族の名 。★ 一つめは 辞書に載っていません ——★ 載っていないことが、 この篇の読みどころ です。 語(品詞) 意味 注 Abbey en 名 大修道院 Monks had lived and prayed at the old Abbey for centuries. 修道士たちは何世紀もの間、その古い大修道院で暮らし祈りをささげてきました。 America en 名 アメリカ Arnall en 名 アーノル(学校の神父の名) Betty en 名 ベティ。女の子の名 Brigid en 名 ブリジッド(家で働く女の名) Byrne en 名 バーン(近所の女の姓) Cantwell en 名 カントウェル(同級の子の姓) Cecil en 名 セシル(同級の子の名) Charles en 名 チャールズ Cornwell’s en 名 コーンウェルの(綴りの教科書を書いた人) Dante en 名 ダンテ(家にいる年上の女の呼び名) Davitt en 名 ダヴィット(アイルランドの政治の人) Dedalus en 名 ディーダラス(主人公の姓) Eileen en 名 アイリーン(隣の家の子の名) Eileen’s en 名 アイリーンの Goodbye en 間 さようなら She waved goodbye from the platform as the train pulled away. 列車が動き出す中、彼女はホームからさようならと手を振りました。 Hamilton en 名 ハミルトン(城にまつわる人の名) Jack en 名 ジャック。男の名 Kickham en 名 キッカム(同級の子の姓) Lawton’s en 名 ロートンの(同級の子の姓) Leicester en 名 レスター(イングランドの町) McGlade’s en 名 マグレイドの(学校の監督の姓) Michael en 名 マイケル(人の名) Moonan en 名 ムーナン(同級の子の姓) Mozambique en 名 モザンビーク(アフリカ南東部) Parnell en 名 パーネル(アイルランドの政治の人) Roche en 名 ロウチ(同級の子の姓) Rowan en 名 ローワン(城にまつわる人の姓) Simon en 名 サイモン(同級の子の名) Stephen en 名 スティーヴン。人名 Thunder en 名 サンダー(同級の子の姓) Tralala en 間 トラララ(歌のはやし言葉) Vances en 名 ヴァンス家の人たち Wicklo