11.52 孟子 告子上 魚我所欲也 — 生を舍てて義を取る — Epoché
この篇でできるようになること 魚と熊掌、生と義の二段で入れ替わる語を示せます。 望むものと嫌うものの形を拾い、何もないという否定を読めます。 反対の仮定から出る結論と、実際の行いとの違いを説明できます。 前提 :11.51「孟子 告子下 生於憂患、死於安樂」。同じ書の告子上篇で、二つのうち一つを選ぶ論へ進みます。 魚と熊掌から、生と義へ 初めに、魚も熊の掌も欲しいが、両方を手に入れられないなら、魚を舍てて熊掌を取ると述べます。本文はその選択によって、二つとも望ましくても重みが違う関係を示します。 次に魚を生へ、熊掌を義へ替え、同じ選択の骨格を繰り返します。命も義も望むが、両方を取れない場合には義を選ぶ、という話です。成語の 舍生取義 は、この篇に出どころがあります。 最初は 魚、我所欲也 、次は 生亦我所欲也 で、後には、また、という字も入ります。望む二つを置き、兼ねられず、選ぶという構造を重ねています。 食べ物の選択から、より重い判断へ進む運びは 特別編 50篇 とも比べられます。 望むもの、嫌うものを取り出す 所欲 は望むもの、 所惡 は嫌うものです。動詞の前に 所 を置くことで、その動作の対象を名詞のまとまりとして取り出します。 惡 は wù と読み、嫌う、いやだと思うという動詞です。悪いという è で読んで、悪いもの、とするのではありません。死を嫌うという本人の態度を受け取ります。 ここに載せた本文では、 所欲 が八回、 所惡 が四回です。さらに 所不辟 が一回あり、所は合わせて十三回あります。数を覚えるだけでなく、望む側と嫌う側がどう入れ替わって続くかを追いましょう。 患有所不辟也 の 辟 は 避 に通じ、bì と読みます。災いにも避けないものがある、という意味です。死より嫌なものがあるため、どんな手段でも災いを避けるわけではないと述べます。 所惡を悪い物という評価に替えないでください。ここでは、本人が嫌うものです。動詞の読みから、誰がどう思うかを確かめます。 より重いものがある、何もない 所欲有甚於生者 は、望むものの中に命より重いものがあるということです。 甚於 の後ろが比べる相手で、現代語の 比 と 更 を使う形と比べられます。 反対に 莫甚於生 は、命より重いものは何もないという意味です。 莫 は、そうしたものが一つもないと、主語の位置に立つ否定です。 単に、生より重くない、と一つの物を否定するのとは違います。何もないという範囲を残して読むと、この後の仮定がどれほど強い条件なのかが分かります。 莫 を 不 と同じ位置の動作の否定にしないでください。命を上回るものは何もない、と受け取る形です。 もし命が最も重いのなら 如使人之所欲莫甚於生 で、もし人の望むものに命より重いものが無いなら、と反対の場合を立てます。続く 則凡可以得生者,何不用也? は、命を得られる手段を、どうして使わないことがあろうか、という反語です。 この反語は、その仮定に立てば、どの手段も使うはずだという帰結を強く述べています。使わないはずだ、と逆向きに訳さないでください。次には、死より嫌なものが無ければ、災いを避ける手段は何でも行うはずだ、ともう一組を置きます。 その後で、実際にはそれで生きられても使わないことがあり、災いを避けられてもしないことがあると述べます。仮定から出る帰結と、実際の行いが食い違います。そのため、命より重いもの、死より嫌なものがあるという結論へ戻れます。 仮定を置いた所だけで終えず、その後の 由是則生而有不用也 まで続けて読むことが大切です。問いの形で全て使うはずだと示し、次の実際の話でその前提を退ける順になっています。 二つの選択を、言い切る形 舍魚而取熊掌者也 と 舍生而取義者也 の末尾は、選ぶ動作を 者也 で言い切る形です。動作を一まとまりとして、そうするものだという決意を述べます。 ここでは、舍てて取るという一続きの動作を受けて、 者也 で文を結んでいます。 二者不可得兼 は、両方を兼ねて得られないという条件です。二つとも欲しいことを消さずに、その条件の下でどちらを取るかを述べます。最初から片方を嫌っているという話に替えると、選択の重さが変わります。 賢者だけが持つ心ではない 非獨賢者有是心也 で、賢者だけがこの心を持つのではないと述べ、 人皆有之 と、人は皆持っていると言います。特別な人だけの話にせず、読む側にも関わる心として受け取れます。 賢者能勿喪耳 は、賢者はそれを失わずにいられるだけだ、という限定です。 耳 は現代語の 而已 と比べられます。大きな判断を述べてきた文章を、だけだ、という調子で閉じます。 魚と熊掌、命と義、望むものと嫌うもの、仮定と実際の行いを対にし、最後は誰もが持つ心へ戻ります。各段で何が対になっているかを分けると、同じ語の繰り返しにも進む方向があると分かります。 語釈 語 品詞 意味 日本語との差 例文 訳 熊掌 名詞 熊の前足の掌 本文では魚より選ばれるもの 熊掌亦我所欲也 熊掌も私が欲しいものだ 兼 動詞 兼ねる・両方取る 二者の選択の条件 二者不可得兼 二つとも手に入れることはできない 義 名詞 守るべき正しさ 命と対にして選ぶもの 舍生而取義者也 命を舍てて義を取る 所欲 名詞のまとまり 望むもの 欲する対象 所欲有甚於生者 望むものには命より重いものがある 所惡 名詞のまとまり 嫌うもの 悪いものではない 所惡有甚於死者 嫌うものには死より嫌なものがある 莫 否定の語 何も〜ない 主語の位置の否定 莫甚於生 命より重いものは何もない 辟 動詞 避ける 避に通じる 患有所不辟也 災いにも避けないものがある 苟得 動詞 いいかげんな手で得る 生き延びるための手段 不為苟得也 いいかげんな手で生き延びようとはしない 喪 動詞 失う ここでは心を失う 賢者能勿喪耳 賢者は失わずにいられるだけだ 練習 魚と熊掌を生と義に替える段の空欄を埋めてください。 _亦我所欲也,_亦我所欲也 魚と熊掌を生と義に替える段の空欄を埋めてください。 二者不可得兼,舍_而取_者也 。あわせて、魚と熊掌の段から入れ替わった字を挙げてください。 魚、我所欲也,熊掌亦我所欲也;二者不可得兼,舍魚而取熊掌者也。 を現代語に置き換えてください。両方欲しいが両方は得られないという関係を残します。 如使人之所欲莫甚於生,則凡可以得生者,何不用也? を、現代語の 如果 ・ 那么 ・ 为什么不 ・ 呢 を使って言い換えてください。 所欲 と 所惡 の回数を示し、現代語に言い換えてください。 所惡 と 患有所不辟也 の、嫌う字と避ける字の読み・意味を書いてください。 反対の仮定と反語、その後の実際の行いによって、何が示されますか。 前の課で学んだ語を使い、両方は取れないとき一つを選ぶ現代語の二文を書いてください。 西瓜 ・ 巧克力 ・ 减肥 と、 豆腐 ・ 鲜花 をそれぞれ使います。 賢者能勿喪耳 の 耳 は、どういう意味を添えていますか。現代語の 而已 と比べて答えてください。 音読:次の原文の句を ▶ で聞き、声に出して読んでください。 魚、我所欲也,熊掌亦我所欲也;二者不可得兼,舍魚而取熊掌者也。 生亦我所欲也,義亦我所欲也;二者不可得兼,舍生而取義者也。 生亦我所欲,所欲有甚於生者,故不為苟得也;死亦我所惡,所惡有甚於死者,故患有所不辟也。 如使人之所欲莫甚於生,則凡可以得生者,何不用也?使人之所惡莫甚於死者,則凡可以辟患者,何不為也? 由是則生而有不用也,由是則可以辟患而有不為也,是故所欲有甚於生者,所惡有甚於死者。非獨賢者有是心也,人皆有之,賢者能勿喪耳。 ▶ の手本を聞き、初めの二段を同じ調子で音読します。仮定はゆっくり、反語は上げて読み、最後の 賢者能勿喪耳 は軽く落とします。 この篇のまとめ 食べ物の選択を生と義へ移し、所欲と所惡を対にしました。仮定から出る帰結を反語で示し、実際の行いと比べて前提を退け、誰もが持つ心へ話を戻します。 次の篇へ 次の11.53では陶淵明の桃花源記を読みます。漁師が村に行き当たり、帰った後にはたどり着けなくなる話で、今と意味の違う語を確かめます。 答え 生亦我所欲也,義亦我所欲也 二者不可得兼,舍生而取義者也 。 魚 が 生 に、 熊掌 が 義 に入れ替わっています。 鱼我想要,熊掌我也想要。 不能都要,我就要熊掌,不要鱼。 如果人想要的没有比生命更重要的,那么凡是能保住生命的方法,为什么不用呢? 所欲 は八回で 想要的 、 所惡 は四回で 讨厌的 です。 惡 は wù で嫌うこと、 辟 は bì で避けることです。 命より重いものがなければ生きる手段を何でも使うはずですが、実際には使わないことがあるので、命より重いものがあるという結論へ戻ります。 我要减肥,选西瓜不选巧克力。 只能买一样,我买豆腐不买鲜花。 「〜だけだ」という限定です。賢者は、その心を失わずにいられるだけだ、という意味で、現代語の 而已 に当たります。 参考文献 孟子『孟子 告子上』。パブリックドメイン(著者没後70年経過)。本文は抄。 出所: 当館所蔵の文書