分配的正義――公正な社会の原理 — Epoché
思想 自由・平等・正義 約 35 分 本文 約 15,300 字 図 6・表 3 この課の要点 何を分けるか・誰に注目か・どの基準かの 3 つ 何を分けるか 所得や富だけでなく、基本的な自由・機会・自尊の社会的基盤まで分ける対象に含めるか(ロールズの基本財)。 誰に注目か 全体の総和(功利主義)か、最も不利な人の見込み(格差原理)か、不利な人ほど重く(優先主義)か、十分な水準に届かない人(十分主義)か。 どの基準か 結果の形(パターン)で判断するか、手に入れた経緯(権原)で判断するか、制御できない偶然と選んだリスクを分けるか。 はじめに 文化祭の模擬店で、クラスに利益が出たとします。全員で同じ額に分けるのか、長く店に立った人に多く渡すのか、家計の苦しい人を先にするのか。小さな場面でも、意見はすぐに割れます。社会全体になると、同じ問いが税・社会保障・教育・相続の制度になって現れます。所得税をどこまで累進にするか、奨学金を誰に給付するか、親の財産をどこまで子に遺せるか。どれも、社会の利益と負担をどう分けるのが公正かという問いです。 この問いを扱う議論を、分配的正義といいます。二十世紀後半から、この議論の中心にはジョン・ロールズの『正義論』(1971)がありました。ロールズは、自分がどんな立場に生まれるか分からないと仮定して、社会のルールを選ばせる思考実験を考えました。そこから、平等な基本的自由を先に保障し、そのうえで最も不利な人の見込みを基準に格差を判断する原理を導きました。 この課の前半では、ロールズの議論を、なぜその手続きなのか、どんな原理が出てくるのか、功利主義とどこが違うのか、の順に読みます。後半では、三つの批判と別の物差しを見ます。正しく手に入れたものは本人のものだとするノージックの権原理論、選択の結果と偶然の不運を分ける運の平等主義、そして『差』よりも『足りなさ』を重く見る十分主義と優先主義です。最後に、立場の違いを三つの問いで地図にし、日本の税や社会保障に当てはめて考えます。 この課は、どの立場が正しいかを決めるものではありません。それぞれの立場が何を根拠にし、どこで反論を受けるかを、論証の筋として追えるようになることがねらいです。 この課の問い 所得や富、機会を社会の中でどう分けるのが公正なのか。自分がどの立場に生まれるか分からないとしたら、私たちはどんな分け方のルールに同意するだろうか。 この課のことば 分配的正義 社会の利益と負担(所得・富・機会・税など)をどう分ければ公正かを問う議論。税や社会保障の制度の選び方に指針を与える 無知のヴェール 自分の才能・家柄・性別・価値観などを知らないと仮定して、社会のルールを選ばせるロールズの思考実験の仕掛け 格差原理 基本的自由と公正な機会の平等を満たしたうえで、実行できる制度のうち最も不利な人の見込みを最大にするものを選べ、とするロールズの原理 権原理論 正しく取得し、自由な交換や贈与で受け取ったものは、その人のものだとするノージックの考え方。結果の形でなく経緯で判断する 運の平等主義 本人が制御できない偶然による不利は社会が補い、予見して選んだリスクの結果は本人が負うとする立場の総称 十分主義 皆が同じだけ持つことより、誰もが『十分』な水準に届くことを重く見る立場。『十分』は生きるための最低限の線と同じではない 公正としての正義――無知のヴェールの向こうで何を選ぶか この課程の前の課では『何の平等か』を問いました。この章では、二十世紀後半の分配的正義の議論の中心となったロールズの理論を取り上げます。なぜ分配のルールを『自分の立場を知らない人』に選ばせるのか、そこからどんな原理が出てくるのかを、理由の段を追って見ていきます。 分配はなぜ正義の問いになるのか――避けられない社会の選択 分配的正義の原理は、いくつもの点で違います。何を分けるのか(所得・富・機会・職・福祉など)、誰に分けるのか(個人か集団か)、どんな基準で分けるのか(平等・最大化・本人の特徴・自由な取引など)です [1] 。この課では主に、一つの社会の中で、経済活動の利益と負担を個人のあいだでどう分けるかを扱います。国境を越えた分配や、世代をまたぐ分配も大切な問いですが、ここでは扱いません。 三つの点の組み合わせ方で、原理の性格が決まります。たとえば、所得を、個人に、平等に分けよと言えば厳密な平等主義になります。幸福を、個人に、総和が最大になるように分けよと言えば功利主義に近づきます。何を分けるかは問わず、自由な取引の結果を認めよと言えばリバタリアンの考えになります。この課で見る諸原理は、この三つの点のどこかで互いに違っています [1] 。 そもそも分配が正義の問いになったのは、それほど昔のことではありません。歴史の大部分で、人は生まれた身分や財産の位置にほぼ一生とどまりました。分配は、自然か神が決めた動かせないものと見なされていました。政府が法律や税で分配を変えられると広く知られて、はじめて分配的正義は生きた問いになりました [1] 。いまでは、税・産業・教育・医療のどの政策を変えても、誰に何が行き渡るかが変わります。どの社会も、いまの法律と政策を続けるか変えるかを、絶えず選んでいることになります。 ここから大事な帰結が出てきます。政府が『意見が割れているから、当面は今のままにする』と答えることがあります。しかしこれは中立の態度ではありません。いまの制度もすでに一人ひとりの暮らしの見込みに影響しているので、変えないと決めることは『現状の分配の方が、実行できるほかのどの案よりもよい』という実質的な主張になります [1] 。社会は分配について立場をとることを避けられない、というのがこの議論の出発点です。 では、経済学に任せればよいのでしょうか。経済学は『この政策をとると何が起きるか』という原因と結果を教えてくれます。たとえば金利を上げると、物価の上昇は抑えられるが雇用も冷えやすい、と分析できます。けれども『金利を上げるべきだ』と言うには、物価・雇用・成長のどれをどれだけ重く見るかという規範の判断が加わります [1] 。事実の分析(実証)と、どれを選ぶべきかの判断(規範)は役割が違います。分配的正義の理論は、この規範の側の指針を与えようとするものです。 日本の例に当てはめます。日本の所得税は、所得が増えるほど、増えた上の部分に高い率がかかる超過累進税率をとっています [11] 。累進をどこまで強めるかを決めるには、働く意欲や税収への影響という実証の問いと、どんな分配を公正とみなすかという規範の問いの両方が要ります。後者に答える物差しが、この課で見る諸原理です。本教材は、特定の税率の是非を評価しません。物差しによって同じ制度がどう違って見えるかを示すことが目的です。 ここで間違えやすい 分配的正義の議論を『理想の社会を空想する学者の遊び』と考えがちです。理論家が理想の社会を描くのは原理の意味を説明するためで、主な目的は、いまの社会が制度を少し変えるかどうかの選択に指針を与えることにあります [1] 。純粋にロールズ的な社会やリバタリアン的な社会が実際にできることはない、と理論家の側も認めています。 原初状態と無知のヴェール――自分に有利なルールを選べない場所 ロールズは、社会の基本的なルールを選ぶ場面を想定しました。これを原初状態と呼びます。原初状態の当事者は、自分の社会的地位や階層、才能や体力、そして自分がどんな生き方をよいと考えるかを知りません。この知識を隠す仕掛けが無知のヴェールです。ロールズは、この条件のもとで合意される原理こそが公正な原理だと論じました [4] 。 自分が誰になるか知らずにルールを選ぶ ? ? ? ? ? 裕福 貧しい 障害 少数派 作業着 無知のヴェール ルール 立場を知らないので偏りなく選ぶ 図 1 無知のヴェールの思考実験(本教材のたとえの絵)。幕の向こうには、裕福・貧しい・障害がある・少数派などの人生の札が伏せてあり、円卓の人々は、自分がどの札を引くか知らないままルールを選びます。 なぜ知識を隠すのでしょうか。人は自分の立場を知っていると、自分に有利なルールを選びたくなります。裕福な人は低い税を、才能に恵まれた人は能力だけで報酬が決まる仕組みを、特定の宗教を信じる人はその宗教を優遇する法を選びやすいでしょう。これでは、交渉の力が強い人の都合がルールになってしまいます。ヴェールをかけると、誰も自分の位置を知らないので、偏りを入れる手がかりがなくなります。上の絵で、伏せた札のどれを引くか分からない人々が、どの札を引いても耐えられるルールを探すのはこのためです (図 1) 。 ただし、当事者は何も知らないわけではありません。経済の仕組みや人の心理など、社会についての一般的な事実は知っているとされます [4] 。また当事者は、他人をうらやまず、自分の人生の見込みをよくしたいと考える合理的な人として描かれます。何を目的に生きるかを知らなくても、どんな人生にも役立つもの(後で見る基本財)を多く持ちたいとは考える、という想定です。 ロールズはこの手続きを、手続きの公正さが結果の正しさを決める『純粋手続き的正義』として説明しました [4] 。公正な条件で選ばれたことが、選ばれた原理を正しいものにする、という考え方です。ここで、よく引かれるケーキの例に注意が要ります。ケーキを切る人が最後の一切れを取ると決めれば、切る人は均等に切ろうとします。これはロールズ本人が『正義論』で挙げた例です [4] 。しかしロールズはこれを『完全手続き的正義』の例としています。均等に分けるという正しさの基準が手続きの外に先にあり、それを確実に実現する手続きがある場合です。原初状態は、外に独立した基準がないところで手続きが結果を正しくする点で、ケーキの例とは違います。ケーキの例は、自分の取り分を知らない人は偏りなく分けようとする、という一点だけを伝える類比として使うのが安全です。 原初状態は、昔どこかで実際に結ばれた契約ではありません。私たちがいま、あるルールが公正かどうかを点検するための仮想の契約です。たとえば部活の当番の決め方を、誰がどの学年になるかを決める前に話し合うと想像してみてください。自分が新入生になるかもしれないと思えば、新入生だけに重い当番を押しつける案には賛成しにくくなるでしょう。これは本教材の作例ですが、原初状態の発想を身近な場面に置き換えたものです。 ここで間違えやすい 原初状態を『昔に実際にあった社会契約』と読むのは誤りです。いまの私たちがルールの公正さを点検するための思考の道具です。また、ケーキの例は本人の例ですが完全手続き的正義の例で、原初状態の純粋手続き的正義とは同じではありません。 正義の二原理――自由が先、格差は条件つき ロールズによれば、原初状態で選ばれるのは二つの原理です。後の『政治的リベラリズム』(1993)の定式では、第一原理は、各人が平等な基本的権利と自由の十分な体系を等しく求められること、そのうち政治的自由には公正な価値が保障されることです。第二原理は、社会的・経済的な不平等が二つの条件を満たすことを求めます。(a) 公正な機会の平等のもとで、すべての人に開かれた地位と職に結びついていること。(b) 社会で最も不利な人の最大の利益になること。この (b) が格差原理です [1] 。なお、『正義論』§46 の最終の定式では記号が逆で、(a) が格差原理、(b) が公正な機会の平等です [4] 。 原初状態 社会の基本ルールを選ぶ仮想の場面 無知のヴェール 地位・才能・価値観を知らずに選ぶ 第一原理 平等な基本的自由をすべての人に 保障する 第二原理 (a) 公正な機会の平等:育ちによらず同じ 見込み 第二原理 (b) 格差原理:最も不利な人の見込みを 最大にする 図 2 原初状態から正義の二原理へ。後の段ほど、前の段を満たした範囲の中で当てはめます(辞書式の優先)。 二つの原理には優先順位があります。第一原理は第二原理に、(a) は (b) に、辞書の並びのように優先します [1] 。辞書では一文字目が決まってから二文字目を比べるように、まず基本的自由を満たし、その範囲で機会の平等を、さらにその範囲で格差原理を当てはめます (図 2) 。そのため、最も不利な人の暮らしを豊かにするためであっても、言論や良心の自由、政治に参加する自由を削ることは許されません [1] 。 (a) の公正な機会の平等は、地位や職が形式の上で誰にでも開かれていることだけを求めるのではありません。同じ才能と意欲を持つ人は、どんな家庭に育ったかにかかわらず、同じ見込みを持てるべきだという要求です [4] 。たとえば入学試験が誰にでも開かれていても、家庭の所得によって準備にかけられる時間や費用が大きく違えば、この意味での機会の平等は満たされていない、と論じられます。 (b) の格差原理は誤解されやすい原理です。格差原理は、不平等が最も不利な人を少しでもよくすれば足りる、とは言いません。基本的自由と公正な機会の平等を満たし、しかも実行できる制度のなかで、最も不利な人の見込みを最大にするものを選べ、と求めます [12] 。医師の報酬で考えてみましょう。高い報酬があるから人が医師を目指し、その結果として最も不利な人も医療を受けやすくなるとします。それだけでは格差原理を満たしたことになりません。報酬の差がもっと小さい制度や、別の育成の仕組みでも同じだけ医療が行き渡るなら、そちらの方が最も不利な人の見込みはよいかもしれないからです。比べるのは『完全な平等』とだけではなく、実行できるほかの制度の全体です。この例は本教材の作例です。 では、何を分けるのでしょうか。ロールズは、どんな人生を送る人にも役立つものを基本財と呼びました。主な例は、基本的な権利と自由、移動と職業選択の自由、職や地位に伴う権限と特権、所得と富、そして自尊の社会的基盤です [2] 。最も不利な人とは、この基本財の生涯の見込みが最も低い人々のことです。幸福の感じ方そのものではなく、基本財という客観的な物差しで比べる点が、次の節で見る功利主義との大きな違いになります。 ここで間違えやすい 格差原理を『格差をなくせ』という原理とも、『不利な人が平等の場合より少しでも得をすれば格差は何でも許される』という原