8.5 竜門の聖、鹿にかはらんとする事(宇治拾遺物語) — Epoché
この篇でできるようになること 七百字ほどの説話を、語釈だけを頼りに最後まで読み通せる。 「〜ければ」「〜けるに」で段落がつながっていく長い文の、切れ目を自分で決められる。 受身の「る」「らる」と、その下に付く助動詞のつながりを、原文の形で追える。 「ぞ」の結びが連体形になっているところを、二か所とも自分で見つけられる。 前提 : 8.4 まで。 読む前に 『宇治拾遺物語』の四篇目です。ここまでの三篇は、いずれも二百字から四百字ほどの短い笑い話でした。この篇からは長さが倍になり、七百字を越えます。長くなったぶん、句点で区切られた小さなかたまりが十いくつも連なるので、 どこまでが一文か が前より分かりにくくなります。切れ目の決め方は今までと同じで、述語の形だけを見ます。説話がどういう文章なのかは 世編 1課 に、校訂本の句点が写本のものではないという話は 世編 2課 にあります。 舞台は大和国、いまの奈良県の吉野のあたりです。 聖 というのは、寺の役につかず、山に籠もって修行する僧のことをいいます。この話の聖は、住んでいる場所の名を取って「竜門の聖」と呼ばれていました。もう一人の登場人物は、その聖と親しくしていた 里人 で、猟師です。仏の教えでは殺生は最も重い罪ですから、聖は何度もこの男に猟をやめるように言っていた——そこまでは本文に書かれていませんが、聖の言葉の わぬしがせいすることをきかず という一言から、そうだったことが分かります。 猟の場面が話の半分を占めるので、猟のしかたを先に知っておくと読みやすくなります。 ともし (照射)は、夏の夜の鹿狩りです。松明を掲げて山を歩くと、鹿が火のほうを見ます。すると暗闇の中に目だけが二つ光る。その光を目印にして射るのです。だから本文の 目をあはせたりければ は「目が合った」ではなく、 獣が火のほうを向いて目が光った という意味になります。男が二つの光の間隔と色を見て「いつもの鹿と違う」と気づくところが、この話の山です。読みながら、男が何を見て、何を考えて手を止めたのかを追ってみてください。 語釈 ここまでの課程に出ていない語を全部挙げます。読みは現代仮名です。「家族」の欄には、その語がどの課の仲間かを書きました。 聖 ja ひじり 寺の役につかず、山に籠もって修行する僧 家族 身分の語 里人 ja さとびと 村に住む人。ここは猟師 家族 名詞 あけくれ ja あけくれ 明けても暮れても。毎日 家族 副詞 しし ja しし 鹿・猪などの獣。ここは鹿 家族 名詞 ともし ja ともし 夜、松明の火に鹿の目を光らせて射る猟。「照射」 家族 猟の語 いみじ ja いみじ 程度がはなはだしい。ここは「たいそう」 家族 古今異義語 語編 2課 比 ja ころ ころ。時分 家族 名詞 目をあはす ja めをあわす 獣が火のほうを向いて目を光らせる 家族 連語 をしまはす ja おしまわす 松明をぐるりと回して照らす 家族 四段活用 形編 2課 矢比 ja やごろ 矢の届く距離 家族 名詞 ほぐし ja ほぐし 火串。松明を掛けておく棒 家族 名詞 はぐ ja はぐ 矢を弓につがえる。「矢をはげて」 家族 下二段活用 形編 3課 あはひ ja あわい あいだ。間隔。本文は「目のあひ」とも書く 家族 名詞 あやし ja あやし 変だ。腑に落ちない 家族 古今異義語 語編 2課 引きさす ja ひきさす 引くのを途中でやめる 家族 四段活用 形編 2課 なほ ja なお やはり。本文の表記は「なを」 家族 副詞 一張 ja いっちょう 革や弓を数える語。本文の表記は「一ちやう」 家族 助数詞 ただうち ja ただうち すぐ間近 家族 名詞 みなす ja みなす 見て、それと分かる 家族 四段活用 形編 2課 おり走る ja おりはしる 下りて走り寄る 家族 四段活用 形編 2課 しひ ja しい 椎の木。その枝を折って明かりにした 家族 名詞 引きかづく ja ひきかずく 頭からすっぽりかぶる 家族 四段活用 形編 2課 そひふす ja そいふす 寄り添うように横になる 家族 四段活用 形編 2課 わぬし ja わぬし おまえ。目下や同輩に向かって言う「あなた」 家族 代名詞 せいす ja せいす 制する。やめさせる 家族 サ変 いたく ja いたく ひどく。しきりに 家族 副詞 さりとも ja さりとも そうであっても 家族 接続の語 くちをし ja くちおし 残念だ。本文の表記は「くちおし」 家族 古今異義語 語編 1課 いざる ja いざる ひざで進み退く。身じろぎする 家族 四段活用 形編 2課 のたまふ ja のたまう 「言ふ」の尊敬語。おっしゃる 家族 敬語(敬編) ふしまろぶ ja ふしまろぶ 地に伏して転がる。激しく泣くさま 家族 四段活用 形編 2課 あながちなり ja あながちなり むやみだ。強引だ 家族 形容動詞 侍り ja はべり 丁寧の補助動詞。〜ます 家族 敬語(敬編) やなぐひ ja やなぐい 箙。矢を入れて背負う道具 家族 名詞 もとどり ja もとどり 髻。髪を束ねた所。切るのは出家の印 家族 名詞 やがて ja やがて そのまま。すぐに 家族 古今異義語 語編 3課 ぐす ja ぐす 付き従う。連れ立つ 家族 サ変 うす ja うす 亡くなる。「うせ給ふ」で「お亡くなりになる」 家族 下二段活用 形編 3課 おこなふ ja おこなう 仏道の修行をする 家族 古今異義語 語編 3課 となん ja となん 〜ということだ。語り手が話を閉じる言い方 家族 連語 一つだけ、意味を決めきれない語があります。聖の最後の言葉 くちおしういざりつ の「いざる」です。ひざで進んだり退いたりする動作をいう語で、ここは「せっかく鹿になりきっていたのに、つい身じろぎして正体が知れてしまった、それが残念だ」と読みました。刊本によって解釈が分かれるところなので、そう決まっているとは思わずに読んでください。 述語の印 段落ごとに述語を出てくる順に並べます。 終止形か命令形なら、そこで一文が終わり ます。連体形・連用形・已然形なら、句点があってもまだ続きます。この話は八つの段落のうち五つが、段落の最後まで一文で続きます。 第一段落と第二段落 ありけり — 聖が。「けり」の終止形で、ここで切れます。 いひける — 世の人が。「ぞ」を受けた連体形で、これも一文の終わりです。 しりたりける — 聖が。連体形で「さと人」にかかります。 ころしけるに — 里人が。連体形+「に」で、第二段落へ続きます。 出にけり — 里人が。終止形で切れます。 あはせたりければ — 獣の目が。已然形+「ば」で続きます。 あはせたり — 獣の目が。終止形で、第二段落がここで終わります。 第三段落と第四段落 引かけて ・ はげて ・ ふりたて — 里人が。どれも連用形で下へ続きます。 かはりたりければ — 目の色が。已然形+「ば」で、段落をまたいで第四段落へ続きます。 あやしかりければ ・ みれば — 里人が。已然形+「ば」。 あらぬなりけり — 目が。終止形ですが、下に「とみて」があるので、心の中の言葉として引用されています。 おきよ — 獣に向かって。命令形で、心の中の言葉が言い切られます。 革にてあり — 体が。終止形で、第四段落がここで終わります。 第五段落と第六段落 みなしつ — 里人が。「つ」の終止形で切れます。 みれば — 里人が。已然形+「ば」。 そひふし給へり — 聖が。「り」の終止形で、第五段落がここで終わります。 この話で敬語が付く述語は聖のものだけ です。 おはしますぞ — 聖が。里人の問いかけで、「ぞ」で結ばれています。 きかず ・ ころす — 里人が。どちらも終止形で、聖の言葉の中で一文ずつ切れます。 ころされなば — 聖が。未然形+「ば」で「もし〜たら」の意味になります。 とどまりなん — 殺生が。終止形ですが、下に「と思へば」があります。 おるなり ・ いざりつ — 聖が。どちらも終止形で、聖の言葉が終わります。 第七段落と第八段落 ふしまろびなきて — 里人が。連用形。 し侍ける事 — 里人が。連体形で「事」にかかり、そのまま言いさして終わります。 うちきり ・ おりくだきて ・ きりて — 里人が。連用形で、第八段落までつながります。 つかはれて — 里人が。受身の「る」が入っていて、連用形です。 うせ給ければ — 聖が。已然形+「ば」。 ゐたりける — 里人が。「ぞ」を受けた連体形で、話が終わります。 助動詞と係り結び この話にも過去の「き」は一度も出ません。数えると「けり」が二十ほど。 ありけり から ゐたりける まで、全部「けり」です。伝え聞いた話を語るときの過去だという 4.2 の説明が、四篇続けて同じ形で確かめられました。 完了は四つの形が全部そろっています。「つ」は みなしつ と いざりつ 。「ぬ」は 出にけり の「に」と、 ころされなば の「な」、 とどまりなん の「な」です。「に」と「な」が同じ「ぬ」の変わった形だというのが、4.3 のいちばん大事なところでした。「たり」は しりたりける ・ あはせたり ・ かはりたりければ ・ ゐたりける 。そして「り」が一つだけ、 そひふし給へり に出ます。「給ふ」の已然形に付いた「り」で、寝そべったままの姿が今も続いている、という感じを出します。 打消は三つ。 きかず の「ず」、 あらぬなりけり の「ぬ」、 あらざりければ の「ざり」です。同じ「ず」が、下に何も付かないとき・連体形になるとき・下に助動詞が付くときで、三通りに姿を変えています。三つを並べて見られる箇所はそう多くありません。 受身の「る」「らる」も二つ出ます。 ころされなば と いられん です。どちらも「殺される」「射られる」で、聖が自分から進んで受身の側に回ろうとしていることを表します。 つかはれて も同じ形で、こちらは「使われて」つまり「仕えて」の意味です。 係り結びは、この話では二回とも「ぞ」で、しかも結びがきれいに見えます。一つ目は 竜門の聖とぞいひける 。「ぞ」が無ければ「いひけり」になるところが、連体形の「いひける」で終わっています。二つ目は最後の 又そこにぞおこなひてゐたりける で、こちらも「ゐたりけり」ではなく「ゐたりける」。 「けり」は終止形と連体形が「けり/ける」と形の上で違う ので、結びが目に見えます。 読編 1課 で結びが見えなかったのは、そこが四段動詞だったからでした。結びを探すときは、まず「けり」「き」「たり」など 形の違う語で終わっていないか を見るのが早道です。 読み上げと音読 まず原文の文書を開いて、読み上げを最後まで聞いてください。読み上げは歴史的仮名遣いをそのままではなく、いまの音で読みます。この話で読み替えが起きるのは次の語です。「いひける」はいいける、「あはせ」はあわせ、「まはし」はまわし、「あはひ」はあわい、「かはりたり」はかわりたり、「おもひて」はおもいて、「みれば」はそのまま、「かづきて」はかずきて、「そひふし」はそいふし、「給へり」はたまえり、「おはします」はおわします、「かはりて」はかわりて、「思へば」はおもえば、「の給ふ」はのたもう、「候」はそうろう、「おこなひて」はおこないて、「ゐたりける」はいたりける。音編の八つの規則がそのまま当てはまります。「いん」「いられん」の「ん」は、もとは「射む」「射られむ」の「む」で、これも 音編 6課 の規則がそのまま当てはまります。 聞き終えたら、自分の声で通して読んでください。この話は句点が多く、しかもそのほとんどが文の途中にあります。 句点で息を切ると、意味の切れ目とずれます 。切ってよいのは、上の「述語の印」で「切れます」と書いた七か所だけです。特に第三段落と第四段落は、句点が五つあっても文は一つも終わりません。長い息で続けて読むと、男の目が二つの光をじっと見つめている時間の長さが、そのまま声に出ます。 練習 練習 1 — 述語を囲む 原文の第五段落を書き写して、述語を全部囲んでください。囲んだあと、それぞれの右に「終止形・命令形(ここで切れる)」か「それ以外(まだ続く)」かを書いてください。 練習 2 — 結びを選ぶ 最後の 又そこにぞおこなひてゐたりける が、もし「ぞ」の無い文だったら、末尾はどの形になるでしょうか。次から選んでください。(ア) ゐたりけり (イ) ゐたりける (ウ) ゐたりけれ。選んだ理由も一行で書いてください。 練習 3 — 音読 原文を三回、声に出して読んでください。一回目は読み上げに合わせて。二回目からは自分の声だけで、句点では止まらずに読んでみてください。三回目は、聖の言葉と里人の言葉を、声の調子で言い分けてみてください。 この篇のまとめ 句点は校訂者が打ったもの。この話では句点が二十以上あるのに、 文が終わるのは七か所だけ である。 「けり」は終止形と連体形で形が違うので、 「ぞ」の結びが目に見える 。結びを探すなら形の違う語で終わる所を先に見る。 打消の「ず」は、言い切り・連体形・下に助動詞が付く形で、「ず」「ぬ」「ざり」と三通りに姿を変える。 敬語が付く述語は聖のものだけ。主語が書かれていなくても、敬語の有無で誰の動作かが決まる。 次の篇へ 8.6 は、同じ巻第一の「伴大納言の事」です。三百八十字ほどの短い話で、実在の人物が主人公になります。夢を人に語ってしまったために身を滅ぼす、という筋で、夢を判断する言葉と、それが当たる結末とが、短い中に詰まっています。推量の助動詞が幾つも重なった さかんずるやらむ のような形が出てきますから、そこが読みどころになります。 答え 練習 1 の答え : なを鹿なり (終止形・引用の中で切れる)/ いんとするに (連体形・続く)/ あらざりければ (已然形+ば・続く)/ みるに (連体形・続く)/ みなしつ (終止形・切れる)/ こはいかに (言いさし・引用の中)/ とみて (連用形・続く)/ おり走て (連用形・続く)/ 火うちふきて (連用形・続く)/ とりてみれば (已然形+ば・続く)/ そひふし給へり (終止形・切れる)。 練習 2 の答え : (ア)。「ぞ」があるから連体形「ける」で結ばれているので、「ぞ」が無ければふつうの言い切り、つまり終止形の「