ギリガン――正義だけでなくケアの声がある(ケアの倫理) — Epoché
現代 現代の倫理学と政治哲学 約 17 分 本文 約 7,200 字 図 4・表 2 原典 1 節 この課の要点 物差し・二つの声・広がりの 3 つ 物差し コールバーグの発達の理論は、道徳がより普遍的で原理に基づく考え方へ進むとしました。ギリガンは、この物差しが女の子の道徳の経験を数に入れず、権利の道徳を責任の道徳より「優れている」と決めつけ、女性を未熟と描いている、と批判しました(『もうひとつの声』1982)。 二つの声 ハインツのジレンマに、ジェイクは命と財産の権利の重さを比べて答え、エイミーは関係の先行きと話し合いで答えました。ギリガンは後者を未熟でなく、もうひとつの正当な道徳の考え方(ケアの視点)としました。 広がり ギリガンは二つの声の違いを性別でなく主題の違いとし、のちにケアの声を「人間の声」と呼びました。哲学者たちはこれをケアの倫理として理論にしましたが、奴隷の道徳ではないか、標本が狭い、女性像を一つに決めつける、という批判も受けました。 はじめに キャロル・ギリガンは 1936 年生まれのアメリカの心理学者です。1964 年にハーヴァード大学で博士号を得ました [6] 。博士論文は、ケアと正義をめぐる後年の研究とは別の主題でした [6] 。その後、道徳性の発達を研究していた心理学者ローレンス・コールバーグとともに研究するようになります [6] 。 1982 年の『もうひとつの声』は、女の子や女性の道徳の経験を数に入れない発達の理論を批判した本です [1] 。ケアの倫理は、ギリガンと哲学者ネル・ノディングズによって、1980 年代の初めに最もはっきり言い表されたとされます [2] 。 前の課のセンは、暮らしの良し悪しを測る物差しを問い直しました。ギリガンが問い直したのは、道徳の成熟を測る物差しです。この課では、その物差しへの批判と二つの声を読み、最後に二人の子の答えを比べる所を本教材の要約で確かめます。 この課の問い 妻の命を救う薬が高すぎて買えない男がいます。薬を盗むべきでしょうか。ある子は「命は財産より重いから盗むべきだ」と答え、別の子は「盗んで捕まったら奥さんはどうなるの。薬屋さんともっと話してみたら」と答えます。二人目の子の答えは、道徳の考え方として未熟なのでしょうか。それとも、道徳には、権利と規則で考える声とは別の声があるのでしょうか。 この課のことば 道徳性の発達 子どもが大人になるまでに、善し悪しの考え方がどう変わっていくか。心理学で調べられてきました。 コールバーグの段階説 心理学者コールバーグの理論。道徳の考え方は段階を追って、より普遍的で原理に基づく考え方へ進む、とします。 正義の視点(権利の道徳) 人を一人ひとり独立した者と見て、権利・規則・公平さで問題を解こうとする見方。自立と、他人から離れていることを重んじます。 ケアの視点(責任の道徳) 人を関係の網の中にいる者と見て、誰も傷つかないよう、つながりへの責任と相手の必要に応えることから問題を考える見方です。 ハインツのジレンマ コールバーグが作った問い。病気の妻を救う高すぎる薬を、夫ハインツは盗むべきだったか、を子どもに尋ねます。 ケアの倫理 人が互いに頼り合い、傷つきうる存在であることから出発し、世話や配慮の関係とその責任を道徳の中心に置く考え方。 もうひとつの声――道徳の物差しは誰の声で作られたか 心理学者として子どもや女性の話を聞いてきたギリガンは、道徳の発達の理論が、男の子の声を人間の声の見本にしてきたのではないか、と疑いました [1] [2] 。この章では、コールバーグの段階説とギリガンの批判、ハインツのジレンマへの二人の子の答え、二つの声は性別の違いかという問いとケアの倫理への広がりを、順に読みます。 段階の物差し――女の子の道徳は遅れているのか コールバーグは、道徳の考え方は段階を追って進み、より普遍的で原理に基づく考え方へ向かう、と考えました [2] 。ギリガンは『もうひとつの声』(1982)で、この見取り図に異を唱えます。女の子の道徳の経験を数に入れない発達の理論や、コールバーグのように女性を対人関係の段階にとどまる者と描く理論を批判したのです(18〜19、30 頁) [1] 。 批判の芯は、違いを低さと読むことにあります。ギリガンによれば、コールバーグは、権利の道徳と他人からの独立を、責任の道徳と親しい関係より、単に違うのでなく優れたものとして上に置きました。それが誤りだ、とギリガンは言います(19 頁) [1] 。物差しで女の子の答えが低く出るとき、それは女の子が遅れている証拠とは限りません。物差しの側が、ある声しか測れないように作られているのかもしれないのです (図 1) 。 はしごで測るか、網で見るか 原理に基づく考え方 未熟? コールバーグの物差し 母 友だち 先生 近所 つながり 責任 違う図で考える 図 1 同じ子の考え方を、段の上下で測るか、関係の網として見るかの違いを絵にしたものです(本教材の絵)。はしごで測ると、関係に心を砕く女の子は下の段にとどまる未熟な者に見えます。網で見ると、その子は上下の無い別の図で道徳を考えています。階層と網の対比は『もうひとつの声』にあり、はしごの描き方と段の数は本教材の作例です。 なぜそうなったのでしょうか。ギリガンは、男の子にとっては、他人から離れて一人の個人になることが、性の自己像と強く結びついている、と述べます(8 頁) [1] 。男の子の育ち方を人間の見本にすれば、関係に心を砕く考え方は「足りないもの」に見えます。ギリガンは、目の前の関係を気づかう考え方を、未熟さでなく、別の、しかし同じく正当な道徳の考え方だと主張しました。それは、自立と独立を軸にする正義の伝統に覆われて、見えにくくなっていたのです [2] 。 IEP の伝えるところでは、ギリガンの調べた人々は、男性も女性も、時によってケアの声で語りました。けれども女性を研究から外すと、ケアの声はほとんど消えてしまう、とギリガンは気づきます [2] 。男の子を中心に作られた物差しでは、この声は初めから測られていなかったことになります。 こうしてギリガンは、コールバーグの理論が前提にしていた正義の声とは違う、もうひとつの声を聞いたと報告しました [2] 。本教材の言い方で言えば、求めたのは、女の子を物差しに合わせて直すことではなく、物差しのほうに、その声を聞く耳を足すことでした。ケアの声と呼ばれるこの声は、誰も傷つかないよう、つながりと責任から考える声です。 ここで間違えやすい ギリガンが、女性は男性より道徳的に優れている、と言ったと取らないでください。ギリガンが退けたのは、二つの考え方の一方を「より優れている」と順位づけることです。ケアの声を正義の声の上に置き直したのではありません [1] [2] 。また、この批判は、男女の道徳の力に一般的な差がある、という主張でもありません。ギリガンの調べた女性は、正義の視点もケアの視点と同じくらい語っていました [1] 。 ジェイクとエイミー――同じジレンマを二通りに聞く ギリガンは、二つの考え方を二人の子どもの答えで示しました。どちらも 11 歳で、ギリガンの権利と責任についての研究に加わった子です。問いは、コールバーグが作ったハインツのジレンマでした [3] 。病気の妻を救う薬が高すぎて買えない夫ハインツは、薬を盗むべきだったか、と尋ねるのです [2] 。 ジェイクは、盗むべきだと答えます。命の権利は財産の権利に勝るので、誰が筋道立てて考えても同じ答えになる、という理由です [2] 。ジェイクはジレンマを、人の出てくる算数の問題のように扱っています。登場する人々を、権利を持つ一人ひとりの個人として並べ、二つの権利の重さを比べて、一つの解を出すのです (図 2) 。 エイミーは、盗むべきでないと答えます。盗んで捕まれば、ハインツは刑務所に入り、妻がまた困ったときに助ける人がいなくなるからです。エイミーは、事情を話せば薬屋も一緒に方法を探してくれるはずだ、と考えます [2] 。エイミーにとってジレンマは、時をまたいで続く人々の関係の物語です。壊れかけた関係は、話し合いで直すものなのです [2] 。 ジェイクの聞き方 妻 ハインツ 薬屋(高い薬) 人の入った算数の問題 命 財産 命>財産→盗む 三人は離れた点として並ぶ エイミーの聞き方 妻 ハインツ 薬屋(高い薬) 話して一緒に探す 刑務所 捕まったら妻は? 時をまたぐ関係の物語 三人は関係の網で結ばれる 図 2 同じハインツのジレンマを、二人がどう聞いたかを絵にしたものです(本教材の絵)。一つ目の絵のジェイクは、三人を離れた点として並べ、命と財産の重さを比べます。二つ目の絵のエイミーは、三人を関係の網として見て、捕まった後に妻がどうなるかと、話し合いの道を考えます。二人の答えはギリガン『もうひとつの声』の例で、天秤や網の描き方は本教材の作例です。 ここで大事なのは、二人が同じ問いを違う問いとして聞いていることです。ジェイクにとっての問いは「ハインツは盗むべきか」であり、答えは「はい」か「いいえ」です。エイミーにとっての問いは、本教材の言い方で言えば「この人たちが互いを見捨てずにすむにはどうすればよいか」です。だからエイミーは、盗むか盗まないかの二択の中だけで考えず、話し合いという三つ目の道を探します [2] 。 ギリガンの報告では、コールバーグの採点の仕方に当てはめると、エイミーの答えはジェイクより低い段階に置かれます [3] 。権利の重さを比べる問いとしてだけ聞けば、エイミーは問いに正面から答えていないように見えるからです。けれども関係への責任の問いとして聞けば、エイミーは別の問いに筋の通った答えを出しています。ギリガンは、男性と女性はしばしば、同じだと思い込んでいる違う言語を話している、と考えました [2] 。 ここで間違えやすい エイミーは規則違反だから盗みに反対した、あるいは答えを決められなかった、と取らないでください。エイミーの理由は規則ではなく、ハインツが捕まった後の、妻との関係の先行きです。エイミーは答えを出しており、その答えは、盗むか盗まないかの二択の外に、話し合いという道を開くものです [2] 。 性別か主題か――二つの声とケアの倫理への広がり ジェイクとエイミーは男の子と女の子ですが、ギリガンは二つの声の違いを、性別の違いでなく主題の違いだとしました [2] 。同じ人が、場面によって両方の声で語るのです。IEP によれば、ギリガンはのちに、自分の研究を性別の話として読む読み方に強く抗い、1986 年にはケアと正義の調和も説きました [2] [5] 。ただし、女性と関係の倫理の結びつきという考えを手放しきったわけではない、とされます [2] 。2023 年の著作では、ケアの声を女性に特有の声でなく人間の声と呼び、それが挑むのは家父長制の声だとしています [1] [4] (図 3) 。 1982 年 『もうひとつの声』で物差しを 問う 1986 年 論文でケアと正義の調和を説く 1988 年 共編『道徳の領域の地図を描く』 1990 年 共編『つながりをつくる』で 思春期の女の子を見る 2023 年 ケアの声を人間の声と言い直す 図 3 二つの声をめぐるギリガンの歩み(本教材の整理)。年と書名は IEP と SEP によります。濃い点は、出発点の本と、ケアの声を人間の声と言い直した近年の著作です。 ギリガンの研究は、哲学の側でケアの倫理として受け継がれました。ノディングズは『ケアリング』(1984)で、抽象的な普遍の原理でなく、ケアする相手の必要に心を向けることを中心に倫理を組み立てました [1] 。ヘルドやトロントは、ケアを身近な関係だけでなく社会と政治の問題として考えました [1] 。 一方で、批判も早くから寄せられました (表 1) 。ケアの倫理は、女性の従属を美徳と言い換える奴隷の道徳ではないか、という批判がその一つです。ケアを主に担う女性は、そのことで経済の上でも政治の上でも不利になりがちだからです [2] 。標本が名門大学の学生や中絶を考える女性などに偏っていて狭い、という批判もあります。初期のケアの倫理は、人種・階級・年齢などによる女性どうしの違いを見ず、母と子の二人の関係を見本に女性の道徳を一つの型で描いた、とも言われました [2] 。 この表で分かること: ケアの倫理への批判は、ケアをほめることの危うさ、研究の確かさ、女性像の決めつけ、あいまいさの方向から来ました。今の論者は、それぞれに応えようとしています。 批判 何を問うか 今の論者の応え方 奴隷の道徳 従属を美徳と言い換えていないか 誰が誰の世話をし、それは公正かを問う 実証の不備 標本が狭く偏っていないか ケアは象徴として女性的な見方だとする 本質主義 女性を一つの型で描いていないか 女性どうしの違いを理論に入れる あいまいさ 何をすべきか具体的に示せるか 原理を全部捨てたわけではないとする 表 1 ケアの倫理への主な批判と、それへの応え方。批判の分け方は IEP の整理により、四つを選んだのは本教材です [2] 。 本教材の作例です。年老いた父を家で世話する会社員は、職場では誰にでも同じ規則を当てはめ(正義の声)、家ではその日の父の具合を見てできることを考えます(ケアの声)。ただ、その人が女だからという理由で世話を一人で担わされているなら、ケアをほめるだけでは足りません。誰が誰の世話をしていて、それは公正かを問う必要があります。今の論者の多くはケアを女性だけの道徳とは見ませんが、性とケアの関係をどう考えるかに、はっきりした合意はまだありません [2] 。 ここで間違えやすい ケアの倫理を「女性の道徳」、あるいは「正義を捨てる倫理」と取らないでください。ケアの倫理の論者の多くは正義の関心にも場所を残しており、ケアと正義を互いに補い合うものと見る論者もいます [2] 。 原典を読む 第 1 章の二つ目の節で見た、ジェイクとエイミーの答えを比べる所を、本教材の要約で読みます(著者は存命のため、訳は載せません)。 ギリガン『もうひとつの声』 ジェイクとエイミーの所 同じジレンマへの二つの答え ギリガンはここで、ハインツのジレンマへの 11 歳の二人の答えを並べ、それぞれがどんな世界