14.7 出典を言わずに引く — 分かれたる家 — Epoché
この篇でできるようになること ★ 出典を言わずに引く やり方が分かる。 ★ 一つのたとえで文章を挟む 作りが読める。 ★ 問いを重ねて答えをそろえる 運びが追える。 ★ 名を出さずに名指しする 書き方に気づける。 前提 : 特別編に門はありません。第 5 期まで済んでいれば、どこからでも読めます(目安は 3.40 まで/4.60 まで)。 読む前に ★ この演説は 負けた選挙の始まり です 。★ この年の選挙でリンカーンは上院の席を取れませんでした ——★ それでも この演説で名が知られ、二年後に大統領になります 。 ★ 背景は 12.12 知編 と 12.13 知編 にあります 。 ★ 読むときの注意が一つ ——★ 当時の人名・法案名・判決名が 説明なしで出てきます 。★ 聞いていた人は全員知っていました 。★ いま読むときは、 名前を追わずに「一つ/二つ/三つめの点」だけを追う と筋が通ります 。 何を見るか この篇での値 何が分かるか ★ 一文の語数 ★ 平均 31.2 語(最短 6・最長 158) ★ 語るときは縮み、結ぶときに伸びる ★ Why で始める問い ★ 6 回(疑問符は 8 個) ★ 問いを重ねて答えをそろえる ★ 番号付きの点 ★ 3 つ ★ 言い分を数えられる形にする 原文 原文は別の文書にあります(作品ページの「原文」)。本文は 1968 語、段落は 17 、文は 63 本、一文の平均は 31.2 語です。 ★ 冒頭から切ってあります 。★ この演説は ゲティスバーグの演説とは別のもの です——★ あちらは二百七十語ほど、 こちらはその七倍以上 。★ 同じ人が、 場面に合わせて長さを変えています 。 全訳 原文の全訳です。この課程のために、原文に沿って訳しました。番号は原文の段落の番号で、原文と行き来できます。 議長、ならびに大会の皆さん。私たちがまず、自分がどこにいて、どこへ向かっているのかを知ることができれば、何をすべきか、それをどうすべきかを、もっとよく判断できるでしょう。奴隷制をめぐる騒ぎに終止符を打つという、公言された目的と自信ありげな約束をもって、ある政策が始められてから、私たちはもう五年目の半ばを過ぎています。その政策が働くもとで、その騒ぎはやまなかったばかりか、たえず大きくなってきました。私の考えでは、危機が訪れ、そして過ぎ去るまで、それはやまないでしょう。「おのれに分かれたる家は立つことあたわず」。この政府が、半ばは奴隷、半ばは自由のままで永く続きうるとは、私は信じません。連合が解けるとは思いません。家が倒れるとは思いません。しかし、分かれた状態が終わるとは思います。すべてが一方になるか、すべてが他方になるかです。奴隷制に反対する者たちがそのいっそうの広がりを食い止め、それがいずれ消え去る道筋にあると世の人の心が信じて落ち着けるところにそれを置くか、それとも奴隷制を推す者たちがそれを押し進め、古い州も新しい州も、北も南も、すべての州で等しく合法になるまでにするかです。 私たちには、後のほうの状態へ向かう傾きがないでしょうか。 疑う人は、ネブラスカの教義とドレッド・スコット判決とから組み立てられた、いまやほぼ仕上がった法の組み合わせ——言うなれば一つの機械——をよく考えてみてください。その機械がどんな仕事をするように作られているか、どれほどうまく作られているかを考えるだけでなく、その作られた歴史も調べてみてください。そして、できるものなら、その主な設計者たちのあいだに、はじめから企てと示し合わせた行動があったという証拠をたどってみてください。いや、むしろ、できるものなら、それをたどり損ねてみてください。 一八五四年の新年には、奴隷制は、州の憲法によって半分を超える州から、議会の禁止によって国の領土の大部分から締め出されていました。その四日後に争いが始まり、それは議会のその禁止を廃することで終わりました。これで国の領土のすべてが奴隷制に開かれました。これが得られた第一の点でした。 しかし、ここまでで動いたのは議会だけでした。そして、すでに得た点を守り、さらに得る機会を作るには、本物であれ見かけだけであれ、民による承認が欠かせませんでした。 この必要は見落とされてはいませんでした。それどころか、「スクワッター主権」、別名「自治の神聖な権利」という名高い論で、できるかぎり手当てされていました。この後のほうの言い回しは、どんな政府にとっても唯一の正しい土台を言い表してはいるのですが、ここで使おうとされたやり方ではあまりにゆがめられ、つまるところ次のことにしかなりませんでした。すなわち、もしだれか一人が別の一人を奴隷にしようとするなら、三人めの者が異を唱えることは許されない、ということです。その論は、次のような文言でネブラスカ法案そのものに組み込まれました。「いかなる準州または州にも奴隷制を立法によって持ち込むことも、そこから締め出すこともせず、そこの人々が、合衆国憲法にのみ従うことを条件として、自らの内部の制度を自らのやり方で形作り、定めることについて完全に自由であるようにしておくことが、この法の真の意図であり意味である」。それから、「スクワッター主権」と「自治の神聖な権利」を推す、締まりのない熱弁がどっと始まりました。「それなら」と反対派の議員たちは言いました。「準州の人々は奴隷制を締め出してもよいと明言するように、法案を修正しようではないか」。「とんでもない」とその法案を推す者たちは言い、その修正案を否決してしまいました。 ネブラスカ法案が議会を通っているあいだに、ある黒人の自由を問う訴訟が、合衆国ミズーリ地区巡回裁判所を通っていました。その黒人の持ち主が、自ら進んで彼をまず自由州へ、次いで議会の禁止が及ぶ準州へ連れて行き、それぞれの土地で長いあいだ奴隷として留め置いたということを理由とするものでした。そして、ネブラスカ法案も訴訟も、ともに一八五四年五月という同じ月に決着を見ました。その黒人の名はドレッド・スコットといい、その名がいまでは、この件で最終的に下された判決を指しています。その次の大統領選挙の前に、この訴訟は合衆国最高裁判所に持ち込まれ、そこで弁論が行われました。しかし、その判決は選挙の後まで延ばされました。それでも選挙の前に、トランブル上院議員は、上院の議場で、ネブラスカ法案のいちばんの推進者に向かって、準州の人々が憲法に照らして奴隷制をその境の内から締め出すことができるかどうかについて意見を述べるよう求めました。すると後者はこう答えました。「それは最高裁判所が決める問題だ」。 選挙が来ました。ブキャナン氏が選ばれ、承認は、そのたぐいのものではありましたが、確保されました。これが得られた第二の点でした。しかし、その承認は、はっきりした民の過半数に四十万票近く足りませんでした。ですから、ことによると、あまり頼りになる、満足のゆくものではなかったのかもしれません。退く大統領は、最後の年次教書の中で、できるかぎり重々しく、その承認の重みと権威を民に向けて響かせ返しました。最高裁判所はふたたび開かれましたが、判決を告げず、再弁論を命じました。大統領の就任式が来ても、まだ裁判所の判決はありませんでした。しかし、新しく就く大統領は、その就任演説で、出ようとしている判決には、それがどんなものであれ従うようにと、熱をこめて民に説きました。それから数日して、判決が出ました。 ネブラスカ法案の作者とされる人は、早々にこの首府で演説する機会をつかみ、ドレッド・スコット判決を是とし、それに対するあらゆる反対を激しく非難しました。新しい大統領もまた、シリマン書簡という早い機会をとらえて、その判決を是とし、強く解釈してみせ、これと違う見方がかつて抱かれたことがあったとは驚きだ、と述べました。 やがて、大統領とネブラスカ法案の作者とのあいだに、レコンプトン憲法が、いかなる正当な意味においてであれ、カンザスの人々によって作られたのかどうかという、単なる事実の問題をめぐって、いさかいが持ち上がりました。そしてその争いの中で、後者は、自分が望むのは人々のための公正な投票だけであり、奴隷制が否決されようと可決されようと構わない、と言い放ちます。奴隷制が否決されようと可決されようと構わないという彼の言い分を、私は、彼が世の人の心に刻みつけようとしている政策を言い当てた定義、つまり、彼がそのために多くを耐え忍び、最後まで耐え忍ぶ覚悟があると言っている原則、それ以外のつもりで言われたものとは解しません。そして、彼がその原則にしがみつくのも無理はありません。親心というものがあるなら、しがみつくのも無理はありません。その原則は、もとのネブラスカの教義の、ただ一つ残った切れ端なのです。ドレッド・スコット判決のもとで、「スクワッター主権」は居座ったまま消えてなくなりました。仮の足場のように崩れ落ち、鋳物場の鋳型のように、一度の吹きつけに使われただけで、ばらばらの砂に戻りました。選挙に勝つ手助けをし、それから風に蹴散らされたのです。レコンプトン憲法に反対して、彼が最近共和党員と力を合わせた争いには、もとのネブラスカの教義は何ひとつ含まれていません。その争いは、ある人々が自らの憲法を作る権利という一点について行われたもので、その点については、彼と共和党員とが意見を異にしたことは一度もないのです。 ドレッド・スコット判決のいくつかの点が、ダグラス上院議員の「構わない」政策と結びついて、いまの進み具合にあるその機械を形作っています。これが得られた第三の点でした。その機械の働く点は次のとおりです。 (一)アフリカから奴隷として連れて来られた黒人の奴隷は、だれ一人、そしてそうした奴隷の子孫もだれ一人、合衆国憲法で使われている意味での、どの州の市民にも決してなりえない、ということ。この点は、「各州の市民は、諸州の市民のあらゆる特権と免除を受ける資格を持つ」と定める合衆国憲法のあの条項の恩恵を、どんな場合にも黒人から奪うために立てられています。 (二)「合衆国憲法に従うことを条件として」、議会も準州の議会も、合衆国のどの準州からも奴隷制を締め出すことはできない、ということ。この点は、個々の人が、奴隷を財産として失うおそれなしに準州を奴隷で満たし、そうしてこの制度がこの先ずっと続く見込みを高められるようにするために立てられています。 (三)自由州で黒人を実際に奴隷として留め置くことが、持ち主に対して彼を自由にするかどうかを、合衆国の裁判所は決めず、持ち主がその黒人を無理に連れ込むどこかの奴隷州の裁判所が決めるのに任せる、ということ。この点は、すぐに押し通すためではなく、もししばらくのあいだ黙認され、選挙で民によって承認されたように見えたなら、そのとき次の理屈の上の結論を支えるために立てられています。すなわち、ドレッド・スコットの持ち主が自由州イリノイでドレッド・スコットに対して合法的にできたことは、ほかのどの持ち主も、イリノイやほかのどの自由州でも、ほかのどの奴隷一人に対しても千人に対しても、合法的にできる、という結論です。 こうしたすべての助けとなり、これと手を携えて働くのが、ネブラスカの教義、あるいはその残りです。その役目は、世の意見、少なくとも北部の世の意見を教え込み、形作って、奴隷制が否決されようと可決されようと構わないようにすることです。これで、私たちがいまどこにいるかがはっきり分かり、またどこへ向かっているかも一部分かります。 後のほうにさらに光を当てるには、すでに述べた歴史の事実の連なりに立ち返り、心でたどり直すのがよいでしょう。いくつかのことが、それが起こっていたときよりも、いまは暗くも謎めいても見えなくなるでしょう。人々は「完全に自由」にしておかれるはずでした。「憲法にのみ従うことを条件として」。それに憲法が何の関わりがあるのか、外の者には当時は分かりませんでした。いまなら明らかです。それは、のちにドレッド・スコット判決が入ってきて、人々の完全な自由とはまったく自由がないことだと宣言するための、寸分違わず合わせた窪みだったのです。なぜ、民の権利を明言する修正案は否決されたのでしょうか。いまなら明らかです。それを採っていたら、ドレッド・スコット判決のための窪みが台なしになっていたでしょう。なぜ裁判所の判決は止め置かれたのでしょうか。なぜ一人の上院議員の個人的な意見さえ、大統領選挙の後まで控えられたのでしょうか。いまなら明らかです。そのときに口に出していたら、選挙をそれで勝ち取るはずだった「完全に自由」の論を損ねていたでしょう。なぜ退く大統領は承認を祝ったのでしょうか。なぜ再弁論で遅らせたのでしょうか。なぜ新しく就く大統領は、判決を支持するよう前もって説いたのでしょうか。こうしたことは、気の荒い馬に乗る前に、乗り手を振り落とすのではないかと恐れて、用心しながらたたいてなだめているように見えます。そして、なぜ大統領やほかの人たちは、判決のあとで急いでそれを是としたのでしょうか。 これらのぴったりした合わせが前もっての打ち合わせの結果だと、私たちは絶対に知ることはできません。しかし、切り組まれた梁がいくつもあるのを見るとき、そしてその別々の部分が、別々の時と場所で、別々の職人によって——たとえば、スティーヴン、フランクリン、ロジャー、そしてジェームズによって——切り出されたと分かっているとき、そしてそれらの梁が組み合わされ、それがちょうど家か工場の骨組みを作ると分かるとき、ほぞとほぞ穴がすべてぴたりと合い、それぞれの部材の長さと割合がすべてそれぞれの場所にぴたりと合っていて、一本も多すぎず少なすぎず、足場さえ抜けていないとき——あるいは、もし一本だけ欠けていても、骨組みの中にその一本をこれから入れるための場所がぴたりと合わせて用意されているのが見えるとき——そのような場合、私たちは、スティーヴンもフランクリンもロジャーもジェームズも、はじめから互いに通じ合っていて、最初の一打ちが打たれる前に引かれた共通の図面にもとづいて、みなが仕事をしていたのだと信じないわけにはいかないのです。 語釈 帯の外の語は 93 語です。★ 三つに分かれます ——★ 一つめは当時の人名・地名・法案名 、★ 二つめは政と法の語 ( indorsement ・ repealing )、★ 三つめは木組みと鋳